わがはいは>ねこである>なつめ>そうせき　　　　　　　　>いち　>わがはいは>ねこである。>なまえは>まだない。　>どこで>うまれたか>とんと>けんとうが>つかぬ。>なにでも>うすぐらいじ>めじ>めした>ところで>にゃーにゃー>ないていた>ことだけは>きおくしている。>わがはいは>ここで>はじめてにんげんという>ものを>みた。>しかもあとで>きくとそれは>しょせいという>にんげん>ちゅうで>いちばん｜>どうあくな>しゅぞくであった>そうだ。>このしょせいという>のは>ときどき>われわれを>とらえてにてくうという>はなしである。>しかしその>とうじは>なにという>こうも>なかったからべつだんおそれ>し>いとも>おもわなかった。>ただかれの>てのひらに>のせ>られてすーと>もちあげ>られた>とき>なんだか>ふわふわした>かんじが>あったばかりである。>てのひらの>うえで>すこしおちついてしょせいの>かおを>みた>のが>いわゆるにんげんという>ものの>みる>はじめであろう。>このとき>みょうな>ものだと>おもった>かんじが>いまでも>のこっている。>だいいち>もうをもって>そうしょくさ>れべき>はずの>かおが>つるつる>してまるで>やかんだ。>そのご>ねこにも>だいぶ>あったがこんな>へん>わには>いちども>であわ>した>ことが>ない。>のみ>ならず>かおの>まんなかが>あまりにとっきしている。>そうしてその>あなの>なかから>ときどき>ぷ>う>ぷ>うと>けむりを>ふく。>どうも>のんど>せ>ぽくてじつに>よわった。>これが>にんげんの>のむ>たばこという>ものである>ことは>ようやく>このころ>しった。　>このしょせいの>てのひらの>うらで>しばらくは>よい>こころもちに>すわっておったが、>しばらくすると>ひじょうな>そくりょくで>うんてんし>はじめた。>しょせいが>うごく>のか>じぶんだけが>うごく>のか>わからないがむ>あんに>めが>めぐる。>むねが>わるく>なる。>とうてい>たすからないと>おもっていると、>どさりと>おとが>してめから>ひが>でた。>それまでは>きおくしているがあとは>なにの>ことやら>いくら>かんがえだそうとしても>わからない。　>ふと>きがついてみるとしょせいは>いない。>たくさん>おった>きょうだいが>いち｜>疋も>みえぬ。>かんじんの>ははおや>さえ>すがたを>かくしてしまった。>そのうえ｜>いままでの>ところとは>ちがってむ>あんに>あかるい。>めを>あいてい>られぬ>くらいだ。>はてな>なんでもようすが>おかしいと、>のそのそ>はいだしてみるとひじょうに>いたい。>わがはいは>わらの>うえから>きゅうに>ささはらの>なかへ>すて>られた>のである。　>ようやくの>おもいで>ささはらを>はいだすとむこうに>おおきないけが>ある。>わがはいは>いけの>まえに>すわってどうしたら>よかろうと>かんがえてみた。>べつに>これという>ふんべつも>でない。>しばらくしてないたら>しょせいが>またむかえに>きてくれるかと>かんがえついた。>にゃー、>にゃーと>こころみに>やってみたがだれも>こない。>そのうち>いけのうえを>さらさらと>かぜが>わたってにちが>くれ>かかる。>はらが>ひじょうに>へってきた。>なきたくても>こえが>でない。>しかたが>ない、>なにでも>よいからしょくもつの>ある>ところまで>あるこうと>けっしんを>してそろり>そろりと>いけを>ひだりりに>めぐり>はじめた。>どうも>ひじょうに>くるしい。>そこを>がまんしてむりやりに>はっていくとようやくの>ことで>なんとなく>にんげん>におい>しょへ>でた。>ここへ>はいいったら、>どうにか>なると>おもってたけがきの>くずれた>あなから、と>ある>てい>ないに>もぐりこんだ。>えんは>ふしぎな>もので、>もし>このたけがきが>やぶれていなかったなら、>わがはいは>ついに>ろぼうに>がししたかも>しれん>のである。>いちじゅの>かげとは>よく>いった>ものだ。>このかきねの>あなは>きょうに>いたるまで>われ>やからが>りんかの>みけを>ほうもんする>ときの>つうろに>なっている。>さてていへは>しのびこんだもののこれから>さき>どうして>よいか>わからない。>そのうちに>くらく>なる、>はらは>へる、>さむ>さは>さむし、>あめが>ふってくるという>しまつで>もう>いっこくの>ゆうよが>できなく>なった。>しかたが>ないからとにかく>あかるくてあたたか>そうな>ほうへ>かたへと>あるいていく。>いまから>かんがえるとその>ときは>すでに>いえの>うちに>はいいっておった>のだ。>ここで>わがはいは>かれの>しょせい>いがいの>にんげんを>ふたたびみるべき>きかいに>そうぐうした>のである。>だいいちに>あった>のが>おさんである。>これは>まえの>しょせいより>いっそうらんぼうな>ほうで>わがはいを>みる>や>いなや>いきなり頸>すじを>つかんでひょうへ>ほうりだした。>いやこれは>だめだと>おもったからめを>ねぶってうんを>てんに>まかせていた。>しかしひもじい>のと>さむい>のには>どうしても>がまんが>できん。>わがはいは>ふたたびおさんの>すきを>みてだいどころへ>はい>のぼった。>するとまもなくまたなげださ>れた。>わがはいは>なげださ>れては>はい>のぼり、>はい>のぼっては>なげださ>れ、>なにでも>おなじことを>よんご>へんくりかえした>のを>きおくしている。>そのときに>おさんと>いう>ものは>つくづく>いやに>なった。>このかん>おさんの>みんまを>偸>んで>このへんぽうを>してやってから、>やっと>むねの>痞が>おりた。>わがはいが>さいごに>つまみださ>れようと>した>ときに、>このいえの>しゅじんが>そうぞうしい>なにだと>いいながらでてきた。>げじょは>わがはいを>ぶらさげてしゅじんの>ほうへ>むけてこの>やど>なしの>しょうねこが>いくら>だしても>だしても>ごだいどころへ>のぼってきてこまりますという。>しゅじんは>はなの>したの>くろい>けを>よりながらわがはいの>かおを>しばらくながめておったが、>やがて>そんなら>うちへ>おいてやれと>いった>まま>おくへ>はいいってしまった。>しゅじんは>あまりくちを>きかぬ>ひとと>みえた。>げじょは>くちおし>そうに>わがはいを>だいどころへ>ほうりだした。>かくしてわがはいは>ついに>このいえを>じぶんの>じゅう>かと>きわめる>ことに>した>のである。　>わがはいの>しゅじんは>めったに>わがはいと>かおを>あわせる>ことが>ない。>しょくぎょうは>きょうしだ>そうだ。>がっこうから>かえるとひもすがら>しょさいに>はいいっ>たぎり>ほとんど>でてくる>ことが>ない。>いえの>ものは>たいへんな>べんきょうかだと>おもっている。>とうにんも>べんきょうかであるかの>ごとく>みせている。>しかしじっさいは>うちの>ものが>いう>ような>きんべん>かではない。>わがはいは>ときどき>しのびあしに>かれの>しょさいを>のぞいてみるが、>かれは>よく>ひるねを>している>ことが>ある。>ときどき>よみかけてある>ほんの>うえに>よだれを>たらしている。>かれは>いじゃくで>ひふの>いろが>あわ>きいろを>おびてだんりょくの>ない>ふかっぱつな>ちょうこうを>あらわしている。>そのくせに>おおめしを>くう。>おおめしを>くった>あとで>たかじやすたーぜを>のむ。>のんだ>あとで>しょもつを>ひろげる。>にさん>ぺーじよむとねむく>なる。>よだれを>ほんの>うえへ>たらす。>これが>かれの>まいよ>くりかえす>にっかである。>わがはいは>ねこな>がら>ときどき>かんがえる>ことが>ある。>きょうしという>ものは>じつに>らくな>ものだ。>にんげんと>うまれたら>きょうしと>なるに>かぎる。>こんなにねていてつとまる>ものなら>ねこにでも>できぬ>ことはないと。>それでもしゅじんに>いわ>せると>きょうしほど>つらい>ものはない>そうで>かれは>ともだちが>くる>たびに>なんとか>かんとか>ふへいを>ならしている。　>わがはいが>このいえへ>すみこんだ>とうじは、>しゅじん>いがいの>ものには>はなはだ>ふじんぼうであった。>どこへ>おこなっても>はね>つけ>られてあいてに>してくれ>てが>なかった。>いかに>ちんちょうさ>れなかったかは、>きょうに>いたるまで>なまえさえ>つけてくれない>のでも>わかる。>わがはいは>しかたが>ないから、>でき>える>かぎり>わがはいを>いれてくれた>しゅじんの>そばに>いる>ことを>つとめた。>ちょう>しゅじんが>しんぶんを>よむ>ときは>かならずかれの>ひざの>うえに>のる。>かれが>ひるねを>する>ときは>かならずその>せなかに>のる。>これは>あながち>しゅじんが>すきと>いう>わけではないがべつに>かまい>てが>なかったからやむをえん>のである。>そのご>いろいろけいけんの>うえ、>あさは>めしびつの>うえ、>よるは>こたつの>うえ、>てんきの>よい>ひるは>椽>がわへ>ねる>ことと>した。>しかしいちばん>こころもちの>よい>のは>よるに>はいってここの>うちの>しょうともの>ねどこへ>もぐりこんでいっしょに>ねる>ことである。>このしょうともという>のは>いつつと>みっつで>よるに>なると>ににんが>ひとつ>ゆかへ>はいっていっけんへ>ねる。>わがはいは>いつでも>かれらの>ちゅうかんに>おのれれを>よう>るべき>よちを>みいだしてどうにか、>こ>うにか>わりこむ>のであるが、>うんわるく>しょうともの>いちにんが>めを>さますがさいご>たいへんな>ことに>なる。>しょうともは――>ことに>ちいさい>ほうが>しつが>わるい――>ねこが>きた>ねこが>きたと>いってよなかでも>なんでも>おおきなこえで>なき>だす>のである。>するとれいの>しんけい>いじゃく>せいの>しゅじんは>かならずめを>さましてつぎの>へやから>とびだしてくる。>げんに>せんだってなどは>もの>ゆびで>しり>ぺたを>ひどく>たたか>れた。　>わがはいは>にんげんと>どうきょしてかれらを>かんさつすればするほど、>かれらは>わがままな>ものだと>だんげんせざるを>えない>ように>なった。>ことに>わがはいが>ときどき｜>どうきんする>しょうともの>ごときに>いたっては>げんご>どうだんである。>じぶんの>かってな>ときは>ひとを>さかさに>したり、>あたまへ>ふくろを>かぶせたり、>ほうりだしたり、>へっ>ついの>なかへ>おしこんだり>する。>しかもわがはいの>ほうで>すこしでも>てだしを>しよう>ものなら>やない>そう>がかりで>おいまわしてはくがいを>くわえる。>このあいだも>ちょっとたたみで>つめを>といだら>さいくんが>ひじょうに>おこってそれから>よういに>ざしきへ>いれない。>だいどころの>いたのまで>たが>顫>えていても>いっこう>へいきな>ものである。>わがはいの>そんけいする>すじ>むこうの>はく>くんなどは>あう>ど>ごとに>にんげんほど>ふにんじょうな>ものはないと>いっておらるる。>はく>くんは>せんじつ>だまの>ような>こねこを>よん疋｜>うま>れた>のである。>ところがそこの>いえの>しょせいが>さんにち>めに>そいつを>うらの>いけへ>もっていって>よん疋ながらすててきた>そうだ。>はく>くんは>なみだを>ながしてその>いちぶしじゅうを>はなした>うえ、>どうしても>われ>とう｜>ねこ>ぞくが>おやこの>あいを>かん>くして>うつくしい>かぞく>てき>せいかつを>するには>にんげんと>たたかってこれを>そうめつせねばならぬと>いわ>れた。>いちいち>もっともの>ぎろんと>おもう。>またとなりの>みけ>くんなどは>にんげんが>しょゆうけんという>ことを>かいしていないと>いってだいに>ふんがいしている。>がんらい>われわれ>どうぞく>かんでは>め>とげの>あたまでも>ぼらの>ほぞでも>いちばん>さきに>みつけた>ものが>これを>くう>けんりが>ある>ものと>なっている。>もし>あいてが>このきやくを>まもらなければわんりょくに>うったえてよいくらいの>ものだ。>しかるに>かれら>にんげんは>ごうも>このかんねんが>ないと>みえてわれ>とうが>みつけた>ごちそうは>かならずかれらの>ために>りゃくだつせらるる>のである。>かれらは>そのきょうりょくを>たよんで>せいとうに>われ>じんが>くい>うべき>ものを>うばってすましている。>はく>くんは>ぐんじんの>いえに>おり>みけ>くんは>だいげんの>しゅじんを>もっている。>わがはいは>きょうしの>いえに>すんでいるだけ、>こんなことにかんするとりょうくんよりも>むしろ>らくてんである。>ただその>ひ>そのひが>どうにか>こ>うにか>おくら>れればよい。>いくら>にんげんだって、>そういつまでも>さかえる>こともあるまい。>まあ>きを>ながく>ねこの>じせつを>まつがよかろう。　>わがままで>おもいだしたからちょっとわがはいの>いえの>しゅじんが>このわがままで>しっぱいした>はなしを>しよう。>がんらい>このしゅじんは>なにと>いってひとに>すぐれてできる>ことも>ないが、>なににでも>よく>てを>だした>がる。>はいくを>やってほととぎすへ>とうしょを>したり、>しんたいしを>みょうじょうへ>だしたり、>まちがい>だらけの>えいぶんを>かいたり、>ときに>よるとゆみに>こったり、>うたいを>ならったり、>またある>ときは>ヴぁいおりんなどを>ぶーぶー>ならしたり>するが、>きのどくな>ことには、>どれも>これも>ものに>なっておらん。>そのくせ>やり>だすといじゃくの>くせに>いやに>ねっしんだ。>こうかの>なかで>うたいを>うたって、>きんじょで>こうか>せんせいと>あだなを>つけ>られているにも>かんせず>いっこう>へいきな>もので、>やはり>これは>たいらの>むね>さかりにて>こうを>くりかえしている。>みんなが>そら>たかし>さかりだと>ふきだすくらいである。>このしゅじんが>どういうこうに>なった>ものか>わがはいの>すみこんでから>いちつきばかり>あとの>ある>つきの>げっきゅう>びに、>おおきなつつみを>さげてあわただしく>かえってきた。>なにを>かってきた>のかと>おもうとすいさい>えのぐと>もうひつと>わっとまんという>かみで>きょうから>うたいや>はいくを>やめてえを>かく>けっしんと>みえた。>はたして>よくじつから>とうぶんの>あいだと>いう>ものは>まいにち>まいにち>しょさいで>ひるねも>しないでえばかり>かいている。>しかしその>かき>あげた>ものを>みるとなにを>かいた>ものや>ら>だれにも>かんていが>つかない。>とうにんも>あまりあまくないと>おもった>ものか、>あるひ>そのゆうじんで>びがくとかを>やっている>ひとが>きた>ときに>したの>ような>はなしを>している>のを>きいた。「>どうも>あまく>かけない>ものだね。>ひと>のを>みるとなにでも>ない>ようだがみずから>ひつを>とってみるといまさらの>ように>むずかしく>かん>ずる」>これは>しゅじんの>じゅっかいである。>なるほど>いつわりの>ない>ところだ。>かれの>ともは>きんぶちの>めがね>えつに>しゅじんの>かおを>みながら、「>そうはじめから>じょうずには>かけ>ないさ、>だいいち>しつないの>そうぞうばかりで>えが>かける>わけの>ものではない。>むかし>し>以>ふとし>りの>おおや>あんどれあ・>でる・>さるとが>いった>ことが>ある。>えを>かくなら>なにでも>しぜん>そのものを>うつせ。>てんに>せいしん>あり。>ちに>ろ>はな>あり。>とぶに>禽>あり。>はしるに>しし>あり。>いけに>きんぎょ>あり。>かれきに>かん>からす>あり。>しぜんは>これ>いちはばの>だいかつ>えなりと。>どうだ>きみも>えらしい>えを>かこうと>おもうなら>ちと>しゃせいを>したら」「>へえ>あんどれあ・>でる・>さるとが>そんなことを>いった>ことが>あるかい。>ちっとも>しらなかった。>なるほど>こりゃ>もっともだ。>じつに>そのとおりだ」と>しゅじんは>む>あんに>かんしんしている。>きんぶちの>うらには>あざけ>ける>ような>えみが>みえた。　>そのよくじつ>わがはいは>れいのごとく>椽>がわに>でてこころもち>よく>ひるねを>していたら、>しゅじんが>れいに>なく>しょさいから>でてきてわがはいの>うしろで>なにか>しきりに>やっている。>ふと>めが>さめてなにを>しているかと>いちふんばかり>ほそめに>めを>あけてみると、>かれは>よねんも>なく>あんどれあ・>でる・>さるとを>きめこんでいる。>わがはいは>このありさまを>みておぼえず>しっしょうする>のを>きんじ>えなかった。>かれは>かれの>ともに>やゆせら>れ>たる>けっかとして>まず>てはじめに>わがはいを>しゃせいしつつある>のである。>わがはいは>すでに>じゅうぶん>ねた。>あくびが>したくてたまらない。>しかしせっかく>しゅじんが>ねっしんに>ふでを>とっている>のを>うごいては>きのどくだと>おもって、>じっと>からし>ぼう>しておった。>かれは>いま>わがはいの>りんかくを>かき>あげてかおの>あたりを>いろ>いろどっている。>わがはいは>じはくする。>わがはいは>ねことして>けっして>じょうじょうの>できではない。>せと>いい>けなみと>いい>かおの>ぞうさと>いい>あえて>たの>ねこに>まさるとは>けっして>おもっておらん。>しかしいくら>ぶきりょうの>わがはいでも、>いま>わがはいの>しゅじんに>えがきださ>れつつある>ような>みょうな>すがたとは、>どうしても>おもわ>れない。>だいいち>しょくが>ちがう。>わがはいは>なみ>斯>さんの>ねこのごとく>きを>ふくめる>あわ>はいいろに>うるしのごとき>ふいりの>ひふを>ゆうしている。>これだけは>だれが>みても>うたがうべからざる>こと>みと>おもう。>しかるに>こんしゅじんの>さいしきを>みると、>きでもなければくろでもない、>はいいろでもなければかっしょくでもない、>さればとてこれらを>まぜた>いろでもない。>ただいっしゅの>いろであると>いうより>ほかに>ひょうし>かたの>ない>いろである。>そのうえ>ふしぎな>ことは>めが>ない。>もっともこれは>ねている>ところを>しゃせいした>のだからむりも>ないがめらしい>ところさえ>みえないからめくら>ねこだか>ねている>ねこだか>はんぜんしない>のである。>わがはいは>しんじゅうひそかに>いくら>あんどれあ・>でる・>さるとでも>これでは>しようがないと>おもった。>しかしその>ねっしんには>かんぷくせざるを>えない。>なるべくなら>うごかずに>おってやりたいと>おもったが、>さっきから>しょうべんが>催>うしている。>みうちの>きんにくは>むずむず>する。>もはや>いちふんも>ゆうよが>できぬ>しぎと>なったから、>やむをえず>しっけいしてりょうあしを>まえへ>ぞんぶんの>して、>くびを>ひくく>おしだしてあーあ>と>だいなる>あくびを>した。>さてこうなってみると、>もう>おとなしく>していても>しかたが>ない。>どうせ>しゅじんの>よていは>うち>壊>わ>した>のだから、>ついでに>うらへ>おこなってようを>たそうと>おもってのそのそ>はいだした。>するとしゅじんは>しつぼうと>いかりを>かき>まぜた>ような>こえを>して、>ざしきの>なかから「>このばか>やろう」と>どなった。>このしゅじんは>ひとを>ののしる>ときは>かならずばか>やろうという>のが>くせである。>ほかに>わるぐちの>いいようを>しらない>のだからしかたが>ないが、>いままで>からし>ぼう>した>ひとの>きも>しらないで、>む>あんに>ばか>やろう｜>こ>わりは>しっけいだと>おもう。>それも>へいぜい>わがはいが>かれの>せなかへ>のる>ときに>すこしは>よい>かおでも>するなら>このまんばも>あまんじてうけるが、>こっちの>べんりに>なる>ことは>なにひとつ>こころよく>してくれた>ことも>ないのに、>しょうべんに>たった>のを>ばか>やろうとは>ひどい。>がんらい>にんげんという>ものは>じこの>りきりょうに>慢じて>みんな>ぞうちょうしている。>すこしにんげんより>つよい>ものが>でてきてたしなめてやらなくては>このさき>どこまで>ぞうちょうするか>わからない。　>わがままも>このくらいなら>がまんするがわがはいは>にんげんの>ふとくについて>これよりも>すうばい>かなしむべき>ほうどうを>みみに>した>ことが>ある。　>わがはいの>いえの>うらに>じゅうつぼばかりの>ちゃえんが>ある。>ひろくはないがしょうしゃと>した>こころもち>すく>ひの>あたる>ところだ。>うちの>しょうともが>あまりさわいでらくらく>ひるねの>できない>ときや、>あまりたいくつで>はら>かげんの>よくない>おりなどは、>わがはいは>いつでも>ここへ>でてこうぜんの>きを>やしなう>のが>れいである。>あるこはるの>穏かな>ひの>にじ>ころであったが、>わがはいは>ひるめし>ご>かいよく>いっすいした>あと、>うんどうかたがた>このちゃえんへと>ふを>はこば>した。>ちゃの>きのねを>いちほん>いちほん>かぎながら、>にしがわの>すぎ>かきの>そばまで>くると、>枯>きくを>おしたおしてその>うえに>おおきなねこが>ぜんごふかくに>ねている。>かれは>わがはいの>ちかづく>のも>いっこう>こころづかざるごとく、>またこころづくも>むとんじゃく>なる>ごとく、>おおきないびきを>してながながと>からだを>よこ>えてねむっている。>たの>にわ>ないに>しのび>はいりたる>ものが>かくまで>へいきに>ねむら>れる>ものかと、>わがはいは>ひそかに>そのだいたんなる>どきょうに>おどろかざるを>えなかった。>かれは>じゅんすいの>くろ>ねこである。>わずかに>うまを>すぎたる>たいようは、>とうめいなる>こうせんを>かれの>ひふの>うえに>ほう>げ>かけて、>きらきら>する>やわら>けの>あいだより>めに>みえぬ>ほのおでも>もえ>で>ずる>ように>おもわ>れた。>かれは>ねこ>ちゅうの>だいおうとも>いうべき>ほどの>いだいなる>たいかくを>ゆうしている。>わがはいの>ばいは>たしかに>ある。>わがはいは>たんしょうの>ねんと、>こうきの>こころに>ぜんごを>わすれてかれの>まえに>ちょりつしてよねんも>なく>ながめていると、>しずかなる>こはるの>かぜが、>すぎ>かきの>うえから>でたる>あおぎりの>えだを>かるく>さそってばらばらと>にさん>まいの>はが>枯>きくの>しげみに>おちた。>だいおうは>かっと>そのまんまるの>めを>ひらいた。>いまでも>きおくしている。>そのめは>にんげんの>ちんちょうする>こはくという>ものよりも>はるかに>うつくしく>かがやいていた。>かれは>みうごきも>しない。>そうぼうの>おくから>いる>ごとき>ひかりを>わがはいの>わいしょうなる>がくの>うえに>あつめて、>ごめ>えは>いったい>なにだと>いった。>だいおうに>しては>しょうしょうことばが>いやしいと>おもったがなにしろ>そのこえの>そこに>いぬをも>挫>し>ぐべき>ちからが>こもっているのでわがはいは>すくなからず>おそれを>いだいた。>しかしあいさつを>しないと>けん>呑だと>おもったから「>わがはいは>ねこである。>なまえは>まだない」と>なるべく>へいきを>よそおってれいぜんと>こたえた。>しかしこの>とき>わがはいの>しんぞうは>たしかに>へいじよりも>はげしく>こどうしておった。>かれは>だいに>けいべつせる>ちょうしで「>なに、>ねこだ？　>ねこが>きいてあきれ>ら>あ。>すべて>え>どこに>すん>でる>んだ」>ずいぶん｜>ぼうじゃくぶじんである。「>わがはいは>ここの>きょうしの>いえに>いる>のだ」「>どうせ>そんなことだろうと>おもった。>いやに>やせ>てるじゃねえか」と>だいおうだけに>きえんを>ふきかける。>ことば>づけから>さっすると>どうも>りょうかの>ねことも>おもわ>れない。>しかしその>あぶら>きってひまんしている>ところを>みると>ごちそうを>くっ>てるらしい、>ゆたかに>くらしているらしい。>わがはいは「>そういう>きみは>いったい>だれ>だい」と>きかざるを>えなかった。「>おのれれ>あ>くるまやの>くろよ」>こうぜんたる>ものだ。>くるまやの>くろは>このきんぺんで>しらぬ>もの>なき>らんぼうねこである。>しかしくるまやだけに>つよいばかりで>ちっとも>きょういくが>ないからあまりだれも>こうさいしない。>どうめいけいえんしゅぎの>てきに>なっている>やつだ。>わがはいは>かれの>なを>きいてしょうしょうしり>こそばゆき>かんじを>おこすとどうじに、>いっぽうでは>しょうしょう｜>けいぶの>ねんも>しょうじた>のである。>わがはいは>まず>かれが>どのくらい>むがくであるかを>ためしてみようと>おもってひだりの>もんどうを>してみた。「>いったい>くるまやと>きょうしとは>どっちが>えらいだろう」「>くるまやの>ほうが>つよいに>きょくって>い>ら>あな。>ごめ>えの>うちの>しゅじんを>みねえ、>まるで>ほねと>かわばかりだぜ」「>きみも>くるまやの>ねこだけに>だいぶ>つよ>そうだ。>くるまやに>いると>ごちそうが>くえると>みえるね」「>なにに>おれ>なん>ざ、>どこの>くにへ>おこなったって>くいものに>ふじゆうは>しねえ>つもりだ。>ごめ>え>なんかも>ちゃ>はたばかり>ぐる>ぐる>めぐっていね>え>で、>ちっと>おのれの>あとへ>くっ>ついてきてみねえ。>いちと>つきと>たたねえ>うちに>みちがえる>ように>ふとれるぜ」「>おってそうねがう>ことに>しよう。>しかしかは>きょうしの>ほうが>くるまやより>おおきい>のに>すんでいる>ように>おもわ>れる」「>へら>ぼう>め、>うち>なんか>いくら>おおきく>たってはらの>たしに>なる>もんか」　>かれは>だいに>きも>しゃくに>さわった>ようすで、>かんちくを>そいだ>ような>みみを>しきりと>ぴ>く>づけ>かせてあら>らかに>たちさった。>わがはいが>くるまやの>くろと>ちきに>なった>のは>これからである。　>そのご>わがはいは>たびたびくろと>かいこうする。>かいこうする>ごとに>かれは>くるまや>そうとうの>きえんを>はく。>さきに>わがはいが>みみに>したという>ふとく>じけんも>じつはくろから>きいた>のである。　>あるる>にち>れいのごとく>われ>やからと>くろは>あたたかい>ちゃ>はたの>なかで>ねころびながらいろいろざつだんを>していると、>かれは>いつもの>じまんはなししを>さも>あたらし>そうに>くりかえした>あとで、>わがはいに>むかってしたのごとく>しつもんした。「>ごめ>えは>いままでに>ねずみを>なんひき>とった>ことが>ある」>ちしきは>くろよりも>よほど>はったつしている>つもりだがわんりょくと>ゆうきとに>いたっては>とうてい>くろの>ひかくには>ならないと>かくごは>していたものの、>このといに>せっしたる>ときは、>さすがに>きまりが>よくはなかった。>けれどもじじつは>じじつで>詐>る>わけには>いかないから、>わがはいは「>じつはとろうと>ろうと>おもってまだとらない」と>こたえた。>くろは>かれの>はなの>さきから>ぴんと>突>はっている>ながい>ひげを>びりびりと>ふるわせてひじょうに>わらった。>がんらい>くろは>じまんを>する>たけに>どこか>たりない>ところが>あって、>かれの>きえんを>かんしんした>ように>いんこうを>ころころ>ならしてきんちょうしていればはなはだ>ごし>やすい>ねこである。>わがはいは>かれと>ちか>づけに>なってから>じかに>このこきゅうを>のみこんだから>このばあいにも>なまじい>おのれれを>べんごしてますますけいせいを>わるく>する>のも>ぐで>ある、>いっその>こと>かれに>じぶんの>てがら>はなしを>しゃべら>してごちゃを>にごすに>わかくはないと>しあんを>さだめた。>そこでおとなしく「>くんなどは>としが>としであるからだいぶ>とったろう」と>そそのかしてみた。>かぜん>かれは>墻>かべの>けつ>しょに>とっかんしてきた。「>たんとでもね>えが>さんよん>じゅうは>とったろう」とは>とくいげなる>かれの>こたえであった。>かれは>なお>かたりを>つづけて「>ねずみの>ひゃくや>にひゃくは>いちにんで>いつでも>ひきうける>がい>たちって>え>やつは>てに>あわねえ。>いちど>い>たちに>むかってひどい>めに>あった」「>へえ>なるほど」と>あいづちを>うつ。>くろは>おおきなめを>ぱちつかせていう。「>きょねんの>だいそうじの>ときだ。>うちの>ていしゅが>せっかいの>ふくろを>もって椽の>したへ>はい>こんだら>ごめ>え>おおき>ない>たちの>やろうが>めん>くってとびだしたと>おもいねえ」「>ふん」と>かんしんしてみせる。「>い>たちって>けども>なに>ねずみの>すこしおおきい>ぐれ>えの>ものだ。>こん>ちくしょうって>きで>おっかけてとうとう>どろ>みぞの>なかへ>おいこんだと>おもいねえ」「>うまく>やったね」と>かっさいしてやる。「>ところがごめ>え>いざってえ>だんに>なるとやつ>め>さいごっぺを>こきゃ>がった。>におい>えの>くさくねえ>のって>それからって>え>ものは>い>たちを>みるとむねが>わるく>ならあ」>かれは>ここに>いたってあたかも>きょねんの>しゅうきを>いま>なお>かん>ずる>ごとく>まえあしを>あげてはなの>あたまを>にさん>へんなで>まわり>わ>した。>わがはいも>しょうしょうきのどくな>かんじが>する。>ちっと>けいきを>つけてやろうと>おもって「>しかしねずみなら>きみに>にらま>れては>ひゃくねん>めだろう。>きみは>あまりねずみを>とる>のが>めいじんで>ねずみばかり>くう>ものだからそんなに>ふとっていろつやが>よい>のだろう」>くろの>ごきげんを>とる>ための>このしつもんは>ふしぎにも>はんたいの>けっかを>ていしゅつした。>かれは>喟>しかとして>たいそくしていう。「>こう>げ>えると>つまらねえ。>いくら>かせいでねずみを>とったって――>いちて>え>にんげんほど>ふて>え>やつは>よのなかに>いねえぜ。>ひとの>とった>ねずみを>みんな>とりあげや>がってこうばんへ>もっていきゃ>あがる。>こうばん>じゃだれが>とったか>わからねえ>から>そのたんびに>ごせんずつ>くれるじゃねえか。>うちの>ていしゅ>なんか>おのれの>おかげで>もう>いち>えん>ごじゅう>せんくらい>もうけていやがる>くせに、>ろくな>ものを>くわせた>ことも>ありゃ>しねえ。>おい>にんげんてもの>あ>からだの>よい>どろぼうだぜ」>さすが>むがくの>くろも>このくらいの>りくつは>わかると>みえてすこぶる>おこった>ようすで>せなかの>けを>さかだてている。>わがはいは>しょうしょうきみがわるく>なったからよい>かげんに>そのばを>えびす>ま>かしていえへ>かえった。>このときから>わがはいは>けっして>ねずみを>とるまいと>けっしんした。>しかしくろの>こぶんに>なってねずみ>いがいの>ごちそうを>りょうって>あるく>ことも>しなかった。>ごちそうを>くうよりも>ねていた>ほうが>きらくで>いい。>きょうしの>いえに>いるとねこも>きょうしの>ような>せいしつに>なると>みえる。>ようじんしないと>いまに>いじゃくに>なるかも>しれない。　>きょうしと>いえばわがはいの>しゅじんも>ちかごろに>いたっては>とうてい>すいさい>がにおいて>もちの>ない>ことを>さとった>ものと>みえてじゅうにがつ>いちにちの>にっきに>こんなことを>かきつけた。○○と>いう>ひとに>きょうの>かいで>はじめてであった。>あのひとは>だいぶ>ほうとうを>した>ひとだと>いうがなるほど>つうじんらしい>ふうさいを>している。>こういう>しつの>ひとは>おんなに>すか>れる>ものだから○○が>ほうとうを>したと>いうよりも>ほうとうを>するべく>よぎなく>せら>れたと>いう>のが>てきとうであろう。>あのひとの>さいくんは>げいしゃだ>そうだ、>うらやましい>ことである。>がんらい>ほうとうかを>わるく>いう>ひとの>だいぶぶんは>ほうとうを>する>しかくの>ない>ものが>おおい。>またほうとうかをもって>じにんする>れんちゅうの>うちにも、>ほうとうする>しかくの>ない>ものが>おおい。>これらは>よぎなく>さ>れない>のに>むりに>すすんでやる>のである。>あたかも>わがはいの>すいさい>がに>おけ>るがごとき>もので>とうてい>そつぎょうする>きづかいはない。>しかるにも>かんせず、>じぶんだけは>つうじんだと>おもってなしている。>りょうりやの>さけを>のんだり>まちあいへ>はいいるからつうじんと>なり>えると>いう>ろんが>たつなら、>わがはいも>ひとかどの>すいさい>がかに>なり>える>りくつだ。>わがはいの>すいさい>がのごときは>かかない>ほうが>ましであると>おなじように、>ぐまいなる>つうじんよりも>やまだしの>だいやぼの>ほうが>はるかに>じょうとうだ。　>つうじん>ろんは>ちょっとしゅこうし>かねる。>またげいしゃの>さいくんを>ともし>いなどという>ところは>きょうしとしては>くちに>すべからざる>ぐれつの>こうであるが、>じこの>すいさい>がにおける>ひひょうめだけは>たしかな>ものだ。>しゅじんは>かくの>ごとく>じちの>めい>あるにも>かんせず>そのじ惚>しんは>なかなかぬけない。>ちゅうに>にちおいてじゅうにがつ>よんにちの>にっきに>こんなことを>かいている。>さくやは>ぼくが>すいさい>がを>かいてとうてい>ものに>ならんと>おもって、>そこらに>ほうっておいた>のを>だれかが>りっぱな>がくに>してらんまに>かけてくれた>ゆめを>みた。>さてがくに>なった>ところを>みるとわれながらきゅうに>じょうずに>なった。>ひじょうに>うれしい。>これなら>りっぱな>ものだと>ひとりで>ながめ>くらしていると、>よるが>あけてめが>さめてやはり>もとの>とおり>へたである>ことが>あさひとともに>めいりょうに>なってしまった。　>しゅじんは>ゆめの>うらまで>すいさい>がの>みれんを>せおってあるいていると>みえる。>これでは>すいさい>がかは>むろん｜>ふうしの>ところ>いい>つうじんにも>なれない>しつだ。　>しゅじんが>すいさい>がを>ゆめに>みた>よくじつ>れいの>きんぶち｜>めがねの>びがく>しゃが>ひさしぶりで>しゅじんを>ほうもんした。>かれは>ざに>つくとへきとう>だいいちに「>えは>どうかね」と>くちを>きった。>しゅじんは>へいきな>かおを>して「>きみの>ちゅうこくにしたがって>しゃせいを>りきめて>いるが、>なるほど>しゃせいを>するといままで>きの>つかなかった>ものの>かたちや、>いろの>せいさいな>へんかなどが>よく>わかる>ようだ。>せいようでは>むかし>しから>しゃせいを>しゅちょうした>けっか｜>きょうの>ように>はったつした>ものと>おもわ>れる。>さすが>あんどれあ・>でる・>さるとだ」と>にっきの>ことは>おくびにも>ださないで、>またあんどれあ・>でる・>さるとに>かんしんする。>びがく>しゃは>わらいながら「>じつはきみ、>あれは>でたらめだよ」と>あたまを>かく。「>なにが」と>しゅじんは>まだ※>わら>れた>ことに>きがつかない。「>なに>がってきみの>しきりに>かんぷくしている>あんどれあ・>でる・>さるとさ。>あれは>ぼくの>ちょっとねつぞうした>はなしだ。>きみが>そんなに>まじめに>しんじようとは>おもわなかった>はははは」と>だいきえつの>からだである。>わがはいは>椽>がわで>このたいわを>きいてかれの>きょうの>にっきには>いかなることが>しるさるるであろうかと>あらかじめ>そうぞうせざるを>えなかった。>このびがく>しゃは>こんなこうかげんな>ことを>ふき>ちらしてひとを>かつぐ>のを>ゆいいつの>らくに>している>おとこである。>かれは>あんどれあ・>でる・>さると>じけんが>しゅじんの>じょう>せんに>いかなるひびきを>つたえたかを>ごうも>こりょせざる>もののごとく>とくいに>なってしたの>ような>ことを>じょうぜつ>った。「>いやときどき｜>じょうだんを>いうとひとが>しんに>うけるのでだいに>こっけい>てき>びかんを>ちょうはつする>のは>おもしろい。>せんだって>ある>がくせいに>にこら>す・>にっくるべーが>ぎぼんに>ちゅうこくしてかれの>いっせいの>だいちょじゅつなる>ふつ>こく>かくめい>しを>ふつごで>かく>のを>やめに>してえいぶんで>しゅっぱんさ>せたと>いったら、>そのがくせいが>またばかに>きおくの>よい>おとこで、>にっぽん>ぶんがく>かいの>えんぜつかいで>まじめに>ぼくの>はなしした>とおりを>くりかえした>のは>こっけいであった。>ところがその>ときの>ぼうちょうしゃは>やくひゃく>めいばかりであったが、>みな>ねっしんに>それを>けいちょうしておった。>それからまだおもしろい>はなしが>ある。>せんだって>あるる>ぶんがく>しゃの>いる>せきで>はりそんの>れきし>しょうせつ>せ>おふぁーのの>はなししが>でたからぼくは>あれは>れきし>しょうせつの>なかで>はくびである。>ことに>おんな>しゅじんこうが>しぬ>ところは>きき>じんを>おそう>ようだと>ひょうしたら、>ぼくの>むこうに>すわっている>しらんと>いった>ことの>ない>せんせいが、>そうそう>あすこは>じつに>めいぶんだと>いった。>それでぼくは>このおとこも>やはり>ぼく>どうよう>このしょうせつを>よんでおらないと>いう>ことを>しった」>しんけい>いじゃく>せいの>しゅじんは>めを>まるく>してといかけた。「>そんなでたらめを>いってもし>あいてが>よんでいたら>どうする>つもりだ」>あたかも>ひとを>あざむく>のは>さ>支>ない、>ただ>かの>かわが>あらわれた>ときは>こまるじゃないかと>かんじた>ものの>ごとくである。>びがく>しゃは>すこしも>どうじない。「>なに>そのとき>ゃ>べつの>ほんと>まちがえたとか>なんとか>いう>ばかりさ」と>いってけら>けら>わらっている。>このびがく>しゃは>きんぶちの>めがねは>かけているがその>せいしつが>くるまやの>くろに>にた>ところが>ある。>しゅじんは>だまってひのでを>わに>ふいてわがはいには>そんなゆうきはないと>いわんばかりの>かおを>している。>びがく>しゃは>それだからえを>かいても>だめだという>めつけで「>しかしじょうだんは>じょうだんだがえという>ものは>じっさいむずかしい>ものだよ、>れおなるど・>だ・>ヴぃんちは>もんかせいに>じいんの>かべの>しみを>うつせと>おしえた>ことが>ある>そうだ。>なるほど>せっちんなどに>はいいってあめの>もる>かべを>よねん>なく>ながめていると、>なかなかうまい>もよう>がが>しぜんに>できているぜ。>きみ>ちゅういしてしゃせいしてみ>きゅうえ>きっと>おもしろい>ものが>できるから」「>また欺>す>のだろう」「>いえこれだけは>たしかだよ。>じっさいきけいな>かたりじゃないか、>だ・>ヴぃんちでも>いい>そうな>ことだ>あね」「>なるほど>きけいには>そういないな」と>しゅじんは>はんぶん>こうさんを>した。>しかしかれは>まだせっちんで>しゃせいは>せぬ>ようだ。　>くるまやの>くろは>そのご>ちんばに>なった。>かれの>こうたく>ある>けは>すすむ々>いろが>さめてぬけてくる。>わがはいが>こはくよりも>うつくしいと>ひょうした>かれの>めには>め>あぶらが>いっぱい>たまっている。>ことに>しる>る>しく>わがはいの>ちゅういを>ひいた>のは>かれの>げんきの>しょうちんと>そのたいかくの>わるく>なった>ことである。>わがはいが>れいの>ちゃえんで>かれに>あった>さいごの>ひ、>どうだと>いってたずねたら「>い>たちの>さいご>へと>さかな>やの>てんびんぼうには>懲々だ」と>いった。　>あかまつの>あいだに>にさん>だんの>べにを>つづった>こうようは>むかし>しの>ゆめのごとく>ちってつくばいに>ちかく>かわるがわる>はなびらを>こぼした>こうはくの>さざんかも>のこり>なく>おち>つくした。>さんげん>はんの>みなみ>むこうの>椽>がわに>ふゆの>ひあしが>はやく>かたむいてき>枯の>ふかない>ひは>ほとんど>まれに>なってから>わがはいの>ひるねの>じかんも>せばめ>られた>ような>きが>する。　>しゅじんは>まいにち>がっこうへ>いく。>かえるとしょさいへ>たて>こもる。>ひとが>くると、>きょうしが>いやだ>いやだと>いう。>すいさい>がも>めったに>かかない。>たかじやすたーぜも>こう>のうが>ないと>いってやめてしまった。>しょうともは>かんしんに>やすまないでようちえんへ>かよう。>かえるとしょうかを>うたって、>かさを>ついて、>ときどき>わがはいを>しっぽで>ぶらさげる。　>わがはいは>ごちそうも>くわないからべつだん｜>ふとりも>しないが、>まずまずけんこうで>ちんばにも>ならずに>そのひ>そのひを>くらしている。>ねずみは>けっして>とらない。>おさんは>いまだに>きらいである。>なまえは>まだつけてくれないが、>よくを>いっても>さいげんが>ないからしょうがい>このきょうしの>いえで>むめいの>ねこで>おわる>つもりだ。　　　　　　　　>に　>わがはいは>しんねん>らい>たしょうゆうめいに>なった>ので、>ねこながらちょっとはなが>たかく>かんぜ>ら>るるのは>ありがたい。　>がんちょう>そうそうしゅじんの>もとへ>いちまいの>え>はしがきが>きた。>これは>かれの>こうゆう>ぼうがかからの>ねんし>じょうであるが、>じょうぶを>あか、>かぶを>ふかみどりりで>ぬって、>そのまんなかに>いちの>どうぶつが>そんきょって>いる>ところを>ぱすてるで>かいてある。>しゅじんは>れいの>しょさいで>このえを、>よこから>みたり、>たてから>ながめたり>して、>うまい>いろだなと>いう。>すでに>いちおうかんぷくした>ものだから、>もう>やめに>するかと>おもうとやはり>よこから>みたり、>たてから>みたり>している。>からだを>ねじ>むけたり、>てを>のばしてとしよりが>さんぜそうを>みる>ように>したり、>またはまどの>ほうへ>むいてはなの>さきまで>もってきたり>してみている。>はやく>やめてくれないと>ひざが>ゆれてけん>呑で>たまらない。>ようやくの>ことで>どうようが>あまりげき>しく>なく>なったと>おもったら、>ちいさなこえで>いったい>なにを>かいた>のだろうと>いう。>しゅじんは>え>はしがきの>いろには>かんぷくしたが、>かいてある>どうぶつの>しょうたいが>わからぬ>ので、>さっきから>くしんを>した>ものと>みえる。>そんなわからぬ>え>はしがきかと>おもいながら、>ねていた>めを>じょうひんに>なかば>ひらいて、>おちつき>はらってみるとまぎれも>ない、>じぶんの>しょうぞうだ。>しゅじんの>ように>あんどれあ・>でる・>さるとを>きめこんだ>ものでもあるまいが、>がかだけに>けいたいも>しきさいも>ちゃんと>ととのってできている。>だれが>みたって>ねこに>そういない。>すこしがんしきの>ある>ものなら、>ねこの>なかでも>たの>ねこじゃない>わがはいである>ことが>はんぜんと>わかる>ように>りっぱに>えがいてある。>このくらい>めいりょうな>ことを>わからずに>かくまで>くしんするかと>おもうと、>すこしにんげんが>きのどくに>なる。>できる>ことなら>そのえが>わがはいであると>いう>ことを>しらしてやりたい。>わがはいであると>いう>ことは>よし>わからないに>しても、>せめて>ねこであると>いう>ことだけは>わから>してやりたい。>しかしにんげんという>ものは>とうてい>わがはい｜>ねこ>しょくの>げんごを>かいし>えるくらいに>てんの>めぐみに>よくしておらん>どうぶつであるから、>ざんねんながらその>ままに>しておいた。　>ちょっとどくしゃに>ことわっておきたいが、>がんらい>にんげんが>なぞと>いうと>ねこ々と、>こともなげに>けいぶの>くちょうをもって>わがはいを>ひょうかする>くせが>あるは>はなはだ>よくない。>にんげんの>かすから>うしと>うまが>できて、>うしと>うまの>くそから>ねこが>せいぞうさ>れた>ごとく>かんがえる>のは、>じぶんの>むさとしに>こころづかんで>こうまんな>かおを>する>きょうしなどには>あり>がちの>ことでもあろうが、>はたから>みてあまりみ>っとも>いい>しゃじゃない。>いくら>ねこだって、>そうそまつ>かんべんには>できぬ。>よそめには>いちれつ>いったい、>びょうどう>むさべつ、>どのねこも>じか>こゆうの>とくしょくなどはない>ようであるが、>ねこの>しゃかいに>はいいってみるとなかなかふくざつな>もので>じゅうにん｜>じゅうしょくという>にんげん>かいの>かたりは>そのまま>ここにも>おうようが>できる>のである。>めつけでも、>はな>づけでも、>けなみでも、>あしなみでも、>みんな>ちがう。>ひげの>はり>ぐあいから>みみの>たち>あんばい、>しっぽの>たれ>かげんに>いたるまで>おなじものは>ひとつも>ない。>きりょう、>ぶきりょう、>すききらい、>いき>ぶすいの>かずを>ことごとく>してせんさばんべつと>いっても>さしつかえないくらいである。>そのように>はんぜんたる>くべつが>そんしているにも>かかわらず、>にんげんの>めは>ただ>こうじょうとか>なんとか>いって、>そらばかり>みている>ものだから、>わがはいの>せいしつは>むろん｜>そうぼうの>すえを>しきべつする>こと>す>ら>とうてい>できぬ>のは>きのどくだ。>どうるい>しょう>もとむとは>むかし>しから>ある>かたりだ>そうだがその>とおり、>もちやは>もちや、>ねこは>ねこで、>ねこの>ことなら>やはり>ねこでなくては>わからぬ。>いくら>にんげんが>はったつしたって>こればかりは>だめである。>いわんや>じっさいを>いうとかれらが>みずから>しんじている>ごとく>えらくも>なんとも>ない>のだからなおさらむずかしい。>またいわんや>どうじょうに>とぼしい>わがはいの>しゅじんのごときは、>そうごを>のこり>なく>かいすると>いうがあいの>だいいちぎであるという>ことすら>わからない>おとこな>のだからしかたが>ない。>かれは>せいの>わるい>かきのごとく>しょさいに>すい>ついて、>かつて>がいかいに>むかってくちを>ひらいた>ことが>ない。>それで>じぶんだけは>すこぶる>たっかんした>ような>めん>構を>している>のは>ちょっとおかしい。>たっかんしない>しょうこには>げんに>わがはいの>しょうぞうが>めの>まえに>ある>のに>すこしも>さとった>ようすも>なく>ことしは>ただし>ろの>だいに>ねんめだからおおかたくまの>えだ>ろうなどと>きの>しれぬ>ことを>いってすましている>のでも>わかる。　>わがはいが>しゅじんの>ひざの>うえで>めを>ねむりながらかく>かんがえていると、>やがて>げじょが>だいにの>え>はしがきを>もってきた。>みるとかっぱんで>はくらいの>ねこが>よんご｜>疋>ずらりと>ぎょうれつしてぺんを>にぎったり>しょもつを>ひらいたり>べんきょうを>している。>そのうちの>いっぴきは>せきを>はなれてつくえの>かくで>せいようの>ねこじゃ>ねこ>じゃを>おどっている。>そのうえに>にっぽんの>すみで「>わがはいは>ねこである」と>くろ々と>かいて、>みぎの>がわに>しょを>よむや>おどる>や>ねこの>はる>いちにちという>はいくさえ>みとめ>られてある。>これは>しゅじんの>きゅうもんかせい>より>きたのでだれが>みたって>いっけんしていみが>わかる>はずであるのに、>まが>濶な>しゅじんは>まださとらないと>みえてふしぎ>そうに>くびを>ひねって、>はてな>ことしは>ねこの>としかなと>ひとりごとを>いった。>わがはいが>これほど>ゆうめいに>なった>のを>いまだ>きが>つかずに>いると>みえる。　>ところへ>げじょが>また>だいさんの>はしがきを>もってくる。>こんどは>え>はしがきではない。>きょうがしんねんと>かいて、>かたわらに>乍>きょうしゅくかの>ねこへも>よろしく>ごでん>こえ>まつ>ねがい>じょう>こうと>ある。>いかに>うえんな>しゅじんでも>こうめい>ら>さまに>かいてあればわかる>ものと>みえてようやく>きがついた>ように>ふんと>いいながらわがはいの>かおを>みた。>そのめ>づけが>いままでとは>ちがってたしょうそんけいの>いを>ふくんでいる>ように>おもわ>れた。>いままで>せけんから>そんざいを>みとめ>られなかった>しゅじんが>きゅうに>いちこの>しんめんぼくを>施>こした>のも、>まったくわがはいの>おかげだと>おもえばこのくらいの>め>づけは>しとうだろうと>かんがえる。　>おりから>もんの>こうしが>ちり>ん、>ちり>ん、>ちり>り>り>りんと>なる。>おおがた>らいきゃくであろう、>らいきゃくなら>げじょが>とりつぎに>でる。>わがはいは>さかな>やの>うめ>おおやけが>くる>ときの>ほかは>でない>ことに>きわめている>のだから、>へいきで、>もとのごとく>しゅじんの>ひざに>すわっておった。>するとしゅじんは>こうりかしにでも>とびこま>れた>ように>ふあんな>かお>づけを>してげんかんの>ほうを>みる。>なにでも>ねんがの>きゃくを>うけてさけの>あいてを>する>のが>いやらしい。>にんげんも>このくらい>へんくつに>なればもうしぶんはない。>そんなら>はやくから>がいしゅつでも>すればよいのにそれほどの>ゆうきも>ない。>いよいよ>かきの>こんじょうを>あらわしている。>しばらくすると>げじょが>きてかんげつ>さんが>おいでに>なりましたと>いう。>このかんげつという>おとこは>やはり>しゅじんの>きゅうもんかせいであった>そうだが、>いまでは>がっこうを>そつぎょうして、>なにでも>しゅじんより>りっぱに>なっているという>はなししである。>このおとこが>どういうわけか、>よく>しゅじんの>ところへ>あそびに>くる。>くると>じぶんを>こいって>いる>おんなが>あり>そうな、>な>さ>そうな、>よのなかが>おもしろ>そうな、>つまらな>そうな、>すごい>ような>つや>っぽい>ような>もんくばかり>ならべては>かえる。>しゅじんの>ような>しなび>かけた>にんげんを>もとめて、>わざわざこんな>はなししを>しに>くる>のから>してがてんが>いかぬが、>あのかき>てき>しゅじんが>そんなだんわを>きいてときどき｜>あいづちを>うつ>のは>なお>おもしろい。「>しばらくごぶさたを>しました。>じつはきょねんの>くれから>だいに>かつどうしている>ものですから、>で>よう>でようと>おもっても、>つい>このほうがくへ>あしが>むかないので」と>はおりの>ひもを>ひねくりながらなぞ>みた>ような>ことを>いう。「>どっちの>ほうがくへ>あしが>むくかね」と>しゅじんは>まじめな>かおを>して、>くろき>わたの>もんつき>はおりの>そでぐちを>ひっぱる。>このはおりは>もめんで>ゆきが>たん>かい、>したからべん>べら>しゃが>さゆうへ>ごふん>くらい>ずつ>はみだしている。「>えへへへ>すこしちがった>ほうがくで」と>かんげつ>くんが>わらう。>みるときょうは>まえばが>いちまい>かけている。「>きみ>はを>どうか>したかね」と>しゅじんは>もんだいを>てんじた。「>え>え>じつはある>ところで>しいたけを>くいましてね」「>なにを>くったって？」「>その、>すこししいたけを>くった>んで。>しいたけの>かさを>まえばで>かみ>きろうと>したら>ぼろりと>はが>かけましたよ」「>しいたけで>まえばが>かける>なん>ざ、>なんだか>じい々>くさいね。>はいくには>なるかも>しれないが、>こいには>ならんよ>うだな」と>ひらてで>わがはいの>あたまを>かるく>たたく。「>ああ>そのねこが>れい>のですか、>なかなかふとっ>てるじゃ>ありませんか、>それなら>くるまやの>くろにだって>まけ>そうも>ありませんね、>りっぱな>ものだ」と>かんげつ>くんは>だいに>わがはいを>しょう>める。「>ちかごろ｜>だいぶ>おおきく>なった>の>さ」と>じまんそうに>あたまを>ぽかぽか>なぐる。>しょう>め>られた>のは>とくいであるがあたまが>しょうしょういたい。「>いちさくやも>ちょいと>がっそうかいを>やりましてね」と>かんげつ>くんは>またはなしを>もとへ>もどす。「>どこで」「>どこでも>そりゃごききに>ならんでも>よいでしょう。>ヴぁいおりんが>さん｜>ていと>ぴやのの>ばんそうで>なかなかおもしろかったです。>ヴぁいおりんも>さんていくらいに>なるとへたでも>きか>れる>ものですね。>ににんは>おんなで>わたしが>そのなかへ>まじりましたが、>じぶんでも>よく>はじけたと>おもいました」「>ふん、>そしてその>おんなという>のは>なにものかね」と>しゅじんは>うらやまし>そうに>といかける。>がんらい>しゅじんは>へいじょう｜>かれき>かん>いわおの>ような>かお>づけは>している>ものの>みの>ところは>けっして>ふじんに>れいたんな>ほうではない、>かつて>せいようの>あるる>しょうせつを>よんだら、>そのなかに>ある>いちじんぶつが>でてきて、>それが>たいていの>ふじんには>かならずちょっとほれる。>かんじょうを>してみると>おうらいを>とおる>ふじんの>ななわり>じゃくには>れんちゃくすると>いう>ことが>ふうしてきに>かいてあった>のを>みて、>これは>しんりだと>かんしんした>くらいな>おとこである。>そんなうわきな>おとこが>なぜ>かき>てき>しょうがいを>おくっているかと>いう>のは>わがはい>ねこなどには>とうてい>わからない。>あるひとは>しつれんの>ためだとも>いうし、>あるひとは>いじゃくの>せいだとも>いうし、>またある>ひとは>きんが>なくておくびょうな>せいしつだからだとも>いう。>どっちに>したって>めいじの>れきしに>かんけいするほどな>じんぶつでもない>のだからかまわない。>しかしかんげつ>くんの>おんな>づれを>うらやまし>げに>たずねた>ことだけは>じじつである。>かんげつ>くんは>おもしろ>そうに>くちとりの>かまぼこを>はしで>はさんではんぶん>まえばで>くいきった。>わがはいは>またかけは>せぬかと>しんぱいしたがこんどは>だいじょうぶであった。「>なに>ににんとも>さるところの>れいじょうですよ、>ごぞんじの>ほうじゃ>ありません」と>よそ>よそ>しい>へんじを>する。「>なーる」と>しゅじんは>ひっぱったが「ほど」を>りゃくしてかんがえている。>かんげつ>くんは>もう>よい>かげんな>じぶんだと>おもった>ものか「>どうも>よい>てんきですな、>ご閑>なら>ごいっしょに>さんぽでも>しましょうか、>りょじゅんが>おちたのでしちゅうは>たいへんな>けいきですよ」と>促が>してみる。>しゅじんは>りょじゅんの>かんらくより>うなつらの>みもとを>ききたいと>いう>かおで、>しばらくかんがえこんでいたがようやく>けっしんを>した>ものと>みえて「>それじゃでると>しよう」と>おもいきってたつ。>やはり>くろ>もめんの>もんつき>はおりに、>あにの>きの>ねんとかいう>にじゅう>ねんらい｜>き>ふる>した>ゆうきつむぎの>わた>いりを>きた>ままである。>いくら>ゆうきつむぎが>じょうぶだって、>こうき>つづけでは>たまらない。>ところどころが>うすく>なってにちに>すかしてみるとうらから>つぎを>あてた>はりの>めが>みえる。>しゅじんの>ふくそうには>しわすも>しょうがつも>ない。>ふだん>ぎも>よそ>ゆきも>ない。>でる>ときは>ふところでを>してぶらりと>でる。>ほかに>きる>ものが>ないからか、>あっても>めんどうだからき>かえない>のか、>わがはいには>わからぬ。>ただしこれだけは>しつれんの>ためとも>おもわ>れない。　>りょうにんが>でていった>あとで、>わがはいは>ちょっとしっけいしてかんげつ>くんの>くいきった>かまぼこの>のこりを>ちょうだいした。>わがはいも>このころでは>ふつう>いっぱんの>ねこではない。>まず>ももかわ>如>つばめ>いごの>ねこか、>ぐれーの>きんぎょを>偸>んだ>ねこくらいの>しかくは>じゅうぶん>あると>おもう。>くるまやの>くろなどは>かたより>がんちゅうに>ない。>かまぼこの>いっさいくらい>ちょうだいしたって>ひとから>かれこれ>いわ>れる>ことも>なかろう。>それにこの>ひとめを>しのんでかんしょくを>するという>くせは、>なにも>われ>とう>ねこ>ぞくに>かぎった>ことではない。>うちの>ご>さんなどは>よく>さいくんの>るすちゅうに>もちがしなどを>しっけいしては>ちょうだいし、>ちょうだいしては>しっけいしている。>ご>さんばかりじゃない>げんに>じょうひんな>しつけを>うけつつあるとさいくんから>ふいちょうせら>れている>しょうにですら>この>けいこうが>ある。>よんご>にちまえの>ことであったが、>ににんの>しょうともが>ばかに>はやくから>めを>さまして、>まだしゅじん>ふうふの>ねている>あいだに>たいい>あうて>しょくたくに>ついた。>かれらは>まいあさ>しゅじんの>くう>めん>麭の>いくぶんに、>さとうを>つけてくう>のが>れいであるが、>このひは>ちょうど>さとう>つぼが>しょくの>うえに>おか>れてさじさえ>そえてあった。>いつもの>ように>さとうを>ぶんぱいしてくれる>ものが>ないので、>おおきい>ほうが>やがて>つぼの>なかから>いちさじの>さとうを>すくい>だしてじぶんの>さらの>うえへ>あけた。>するとちいさい>のが>あねの>した>とおり>どうぶんりょうの>さとうを>どうほうほうで>じぶんの>さらの>うえに>あけた。>しょうらくりょうにんは>にらみあっていたが、>おおきい>のが>またさじを>とっていっぱいを>わがさらの>うえに>くわえた。>ちいさい>のも>すぐさじを>とってわが>ぶんりょうを>あねと>どういつに>した。>するとあねが>またいっぱい>すくった。>いもうとも>まけずに>いっぱいを>ふかした。>あねが>またつぼへ>てを>かける、>いもうとが>またさじを>とる。>みている>あいだに>いっぱい>いっぱい>いっぱいと>かさなって、>ついには>りょうにんの>さらには>やま>さかりの>さとうが>うずたかく>なって、>つぼの>なかには>いちさじの>さとうも>あまっておらんよ>うに>なった>とき、>しゅじんが>ねぼけ>めを>こすりながらしんしつを>でてきてせっかく>しゃくい>だした>さとうを>もとのごとく>つぼの>なかへ>いれてしまった。>こんなところを>みると、>にんげんは>りこ>しゅぎから>わりだした>こうへいという>ねんは>ねこより>まさっているかも>しれぬが、>ちえは>かえって>ねこより>おとっている>ようだ。>そんなに>やま>さかりに>しない>うちに>はやく>甞>めてしまえばいいにと>おもったが、>れいのごとく、>わがはいの>いう>ことなどは>つうじない>のだから、>きのどくな>がら>ごひつの>うえから>だまってけんぶつしていた。　>かんげつ>くんと>でかけた>しゅじんは>どこを>どうほこういた>ものか、>そのばん>おそく>かえってきて、>よくじつ>しょくたくに>ついた>のは>きゅうじ>ころであった。>れいの>ごひつの>うえから>はいけんしていると、>しゅじんは>だまってぞうにを>くっている。>かえては>くい、>かえては>くう。>もちの>きれは>ちいさいが、>なにでも>ろくせつか>ななせつ>くって、>さいごの>いちきれを>わんの>なかへ>のこして、>もう>よ>そうと>はしを>おいた。>たにんが>そんなわがままを>すると、>なかなかしょうちしない>のであるが、>しゅじんの>いこうを>ふり>まわり>わして>とくいなる>かれは、>にごった>しるの>なかに>こげ>ただれた>もちの>しがいを>みてへいきで>すましている。>さいくんが>ふくろどの>おくから>たかじやすたーぜを>だしてしょくの>うえに>おくと、>しゅじんは「>それは>きかないからのまん」と>いう。「>でもあなた>でんぷん>しつの>ものには>たいへん>こう>のうが>ある>そうですから、>めし>のぼったら>いいでしょう」と>のま>せた>がる。「>でんぷんだろうがなにだろうがだめだよ」と>がんこに>でる。「>あなたは>ほんとに>あき>っぽい」と>さいくんが>ひとりごとの>ように>いう。「>あき>っぽい>のじゃない>くすりが>きかん>のだ」「>それ>だってせんだって>じゅうは>たいへんに>よく>きく>よく>きくと>おっしゃってまいにち>まいにち>のぼった>じゃありませんか」「>こないだ>うちは>きいた>のだよ、>このころは>きかない>のだよ」と>ついくの>ような>へんじを>する。「>そんなに>のんだり>とめたり>しちゃ、>いくら>こう>のうの>ある>くすりでも>きく>きづかいは>ありません、>もうすこしからし>ぼうが>よくなくっちゃあいじゃく>なんぞは>ほかの>びょうきた>あ>ちがってなおらな>いわねえ」と>おぼんを>もってひかえた>ご>さんを>かえりみる。「>それは>ほんとうの>ところでございます。>もうすこしめし>のぼってごらんに>ならないと、>とてもよい>くすりか>わるい>くすりか>わかり>ますまい」と>ご>さんは>いちも>にも>なく>さいくんの>かたを>もつ。「>なにでも>いい、>のまん>のだからのまん>のだ、>おんなな>んかに>なにが>わかる>ものか、>だまっていろ」「>どうせ>おんなですわ」と>さいくんが>たかじやすたーぜを>しゅじんの>まえへ>つきつけてぜひ｜>つめばらを>きら>せようと>する。>しゅじんは>なににも>いわず>たってしょさいへ>はいいる。>さいくんと>ご>さんは>かおを>みあわせてにやにやと>わらう。>こんなときに>あと>からくっ>ついていってひざの>うえへ>のると、>たいへんな>めに>あわ>さ>れるから、>そっと>にわから>めぐってしょさいの>椽>がわへ>のぼってしょうじの>すきから>のぞいてみると、>しゅじんは>えぴくてたすとか>いう>ひとの>ほんを>披>いてみておった。>もし>それが>へいじょうの>とおり>わかるなら>ちょっとえらい>ところが>ある。>ごろく>ふんするとその>ほんを>たたきつける>ように>つくえの>うえへ>ほうりだす。>おおかたそんな>ことだろうと>おもいな>がらな>おちゅういしていると、>こんどは>にち>きちょうを>だしてしたの>ような>ことを>かきつけた。>かんげつと、>ねづ、>うえの、>いけの>たん、>かんだ｜>あたりを>さんぽ。>いけの>たんの>まちあいの>まえで>げいしゃが>すそもようの>はるぎを>きてはねを>ついていた。>いしょうは>うつくしいがかおは>すこぶる>まずい。>なんとなく>うちの>ねこに>にていた。　>なにも>かおの>まずい>れいに>とくに>わがはいを>ださなくっても、>よ>さ>そうな>ものだ。>わがはいだって>きた>ゆかへ>おこなってかおさえ>すってもらい>やあ、>そんなに>にんげんと>いった>ところは>ありゃ>しない。>にんげんは>こううぬぼれているからこまる。>たから>まことの>かくを>まがるとまた>いちにん>げいしゃが>きた。>これは>せの>すらりと>した>撫>かたの>かっこう>よく>でき>のぼった>おんなで、>きている>うすむらさきの>いふくも>すなおに>きこなさ>れてじょうひんに>みえた。>しろい>はを>だしてわらいながら「>みなもと>ちゃん>さくゆうは――>つい>忙が>しかった>もんだから」と>いった。>ただしその>こえは>たびからすのごとく>しわ>かれておった>ので、>せっかくの>ふうさいも>だいに>げらくした>ように>かんぜ>られたから、>いわゆるみなもと>ちゃん>なる>ものの>いかなるひと>なるかを>ふりむいてみるも>めんどうに>なって、>ふところでの>まま>おなり>みちへ>でた。>かんげつは>なんとなく>そわそわしている>ごとく>みえた。　>にんげんの>しんりほど>かいし>がたい>ものはない。>このしゅじんの>いまの>こころは>おこっている>のだか、>うか>れている>のだか、>またはてつじんの>いしょに>いちどうの>いあんを>もとめつつある>のか、>ちっとも>わからない。>よのなかを>れいしょうしている>のか、>よのなかへ>交りたい>のだか、>くだらぬ>ことに>きも>しゃくを>おこしている>のか、>もの>がいに>ちょうぜんと>している>のだか>さっぱりけんとうが>つかぬ。>ねこなどは>そこへ>いくとたんじゅんな>ものだ。>くいたければくい、>ねたければねる、>おこる>ときは>いっしょうけんめいに>おこり、>なく>ときは>ぜったいぜつめいに>なく。>だいいち>にっきなどという>むようの>ものは>けっして>つけない。>つける>ひつようが>ないからである。>しゅじんの>ように>うらおもての>ある>にんげんは>にっきでも>かいてせけんに>ださ>れない>じこの>めんぼくを>あんしつ>ないに>はっきする>ひつようが>あるかも>しれないが、>われ>とう｜>ねこ>しょくに>いたるとぎょうじゅうざが、>ぎょう>屎>おく>にょう>ことごとく>しんせいの>にっきであるから、>べつだんそんな>めんどうな>てすうを>して、>おのれれの>まじめを>ほぞんするには>およばぬと>おもう。>にっきを>つける>ひまが>あるなら>椽>がわに>ねているまでの>こと>さ。>かんだの>ぼう>ていで>ばんさんを>くう。>ひさしぶりで>まさむねを>にさん>はいのんだら、>けさは>いの>ぐあいが>たいへん>いい。>いじゃくには>ばんしゃくが>いちばんだと>おもう。>たかじやすたーぜは>むろん>いかん。>だれが>なんと>いっても>だめだ。>どうしたって>きかない>ものは>きかない>のだ。　>む>あんに>たかじやすたーぜを>こうげきする。>ひとりで>けんかを>している>ようだ。>けさの>きも>しゃくが>ちょっとここへ>おを>だす。>にんげんの>にっきの>ほん>しょくは>こういう>へんに>そんする>のかも>しれない。>せんだって○○は>あさめしを>はいすると>いが>よく>なると>いうたから>にさん>にちあさめしを>やめてみたがはらが>ぐ>う>ぐ>う>なるばかりで>こう>のうはない。△△は>ぜひ｜>こうのものを>たてと>ちゅうこくした。>かれの>せつに>よるとすべて>いびょうの>みなもと>いんは>つけものに>ある。>つけものさえ>たてばいびょうの>みなもとを>からす>わけだからほんぷくは>うたぐ>なしという>ろんぽうであった。>それから>いちしゅうかんばかり>こうのものに>はしを>ふれなかったがべつだんの>げんも>みえなかったからちかごろは>またくい>だした。かけるかけるに>きくとそれは>あんぷく揉>りょうじに>かぎる。>ただしふつうの>ではゆかぬ。>みなかわ>りゅうという>こりゅうな>もみ>かたで>いちに>どやら>せればたいていの>いびょうは>こんじできる。>やすい>そっけんも>たいへん>このあんまじゅつを>あいしていた。>さかもと>りょうまの>ような>ごうけつでも>ときどきは>ちりょうを>うけたと>いうから、>さっそく｜>かみねぎしまで>でかけてもま>してみた。>ところがほねを>もまなければ癒>らぬとか、>ぞうふの>いちを>いちど｜>てんとうしなければこんじが>し>にくいとか>いって、>それは>それは>ざんこくな>もみ>かたを>やる。>あとで>しんたいが>わたの>ように>なってこんすいびょうに>かかった>ような>こころもちが>した>ので、>いちどで>へいこうしてやめに>した。えい>くんは>ぜひこけい>からだを>くうなと>いう。>それから、>いちにち>ぎゅうにゅうばかり>のんでくらしてみたが、>このときは>ちょうの>なかで>どぼり>どぼりと>おとが>しておおみずでも>でた>ように>おもわ>れてしゅうや>ねむれなかった。びー>しは>よこ>かくまくで>こきゅうしてないぞうを>うんどうさ>せればしぜんと>いの>はたらきが>けんぜんに>なる>わけだからためしに>やってごらんと>いう。>これも>たしょうやったがなんとなく>ふくちゅうが>ふあんで>こまる。>それにときどき>おもいだした>ように>いっしんふらんに>かかりは>する>ものの>ごろく>ふんたつと>わすれてしまう。>わすれまいと>すると>よこ>かくまくが>きに>なってほんを>よむ>ことも>ぶんしょうを>かく>ことも>できぬ。>びがく>しゃの>迷>ていが>このからだを>みて、>さんけの>ついた>おとこじゃあるまいしよすがいいと>ひやかしたからこのごろは>はいしてしまった。しー>せんせいは>そばを>くったら>よかろうと>いうから、>さっそくかけ>ともりを>かわるがわる>くったが、>これは>はらが>くだるばかりで>なんらの>こう>のうも>なかった。>よは>ねんらいの>いじゃくを>なおす>ために>でき>える>かぎりの>ほうほうを>こうじてみたがすべて>だめである。>たださくや>かんげつと>かたむけた>さんはいの>まさむねは>たしかに>ききめが>ある。>これからは>まいばん>にさん>はいずつ>のむ>ことに>しよう。　>これも>けっして>ながく>つづく>ことはあるまい。>しゅじんの>こころは>わがはいの>がんきゅうの>ように>かんだん>なく>へんかしている。>なにを>やっても>えい>じの>しない>おとこである。>そのうえ>にっきの>うえで>いびょうを>こんなにしんぱいしている>くせに、>ひょう>むこうは>だいに>やせがまんを>するからおかしい。>せんだって>そのゆうじんで>ぼうという>がくしゃが>たずねてきて、>いっしゅの>けんちから、>すべての>びょうきは>ふその>ざいあくと>じこの>ざいあくの>けっかに>ほかならないと>いう>ぎろんを>した。>おおいた>けんきゅうした>ものと>みえて、>じょうりが>めいせきで>ちつじょが>せいぜんと>してりっぱな>せつであった。>きのどくながらうちの>しゅじんなどは>とうてい>これを>はんばくするほどの>ずのうも>がくもんも>ない>のである。>しかしじぶんが>いびょうで>くるしんでいる>さいだから、>なんとか>かんとか>べんかいを>してじこの>めんぼくを>たもとうと>おもった>ものと>みえて、「>きみの>せつは>おもしろいが、>あのかーらいるは>いじゃくだったぜ」と>あたかも>かーらいるが>いじゃくだからじぶんの>いじゃくも>めいよであると>いった>ような、>けんとうちがいの>あいさつを>した。>するとゆうじんは「>かーらいるが>いじゃくだって、>いじゃくの>びょうにんが>かならずかーらいるに>はなれ>ないさ」と>きめつけたのでしゅじんは>もくぜんと>していた。>かくのごとく>きょえい>こころに>とんでいるもののじっさいは>やはり>いじゃくでない>ほうが>いいと>みえて、>こんやから>ばんしゃくを>はじめるなどと>いう>のは>ちょっとこっけいだ。>かんがえてみるとけさ｜>ぞうにを>あんなにたくさん>くった>のも>さくや>かんげつ>くんと>まさむねを>ひっくりかえした>えいきょうかも>しれない。>わがはいも>ちょっとぞうにが>くってみたく>なった。　>わがはいは>ねこではあるがたいていの>ものは>くう。>くるまやの>くろの>ように>よこちょうの>さかな>やまで>えんせいを>する>きりょくはないし、>しんどうの>にげんきんの>ししょうの>ところの>みけの>ように>ぜいたくは>むろん>いえる>みぶんでない。>したがってぞんがい｜>いやは>すくない>ほうだ。>しょうともの>くい>こぼした>めん>麭も>くうし、>もちがしの※も>なめる。>こうのものは>すこぶる>まずいがけいけんの>ため>たくあんを>にきばかり>やった>ことが>ある。>くってみるとみょうな>もので、>たいていの>ものは>くえる。>あれは>いやだ、>これは>いやだと>いう>のは>ぜいたくな>わがままで>とうてい>きょうしの>いえに>いる>ねこなどの>くちに>すべき>ところでない。>しゅじんの>はなしに>よるとふらんすに>ばるざっくという>しょうせつ>かが>あった>そうだ。>このおとこが>だいの>ぜいたく>やで――>もっともこれは>くちの>ぜいたく>やではない、>しょうせつ>かだけに>ぶんしょうの>ぜいたくを>つくしたと>いう>ことである。>ばるざっくが>あるる>にち>じぶんの>かいている>しょうせつ>ちゅうの>にんげんの>なを>つけようと>おもっていろいろつけてみたが、>どうしても>きにいらない。>ところへ>ゆうじんが>あそびに>きたのでいっしょに>さんぽに>でかけた。>ゆうじんは>かたより>なにも>しらずに>つれださ>れた>のであるが、>ばるざっくは>かねてじぶんの>くしんしている>なを>めつけ>ようという>かんがえだからおうらいへ>でるとなにも>しないでみせさきの>かんばんばかり>みてほこういている。>ところがやはり>きにいった>なが>ない。>ゆうじんを>つれてむ>あんに>あるく。>ゆうじんは>わけが>わからずに>くっ>ついていく。>かれらは>ついに>あさから>ばんまで>ともえ>りを>たんけんした。>そのかえりがけに>ばるざっくは>ふと>ある>さいほうやの>かんばんが>めに>ついた。>みるとその>かんばんに>まーか>すという>なが>かいてある。>ばるざっくは>てを>はくって「>これだ>これだ>これに>かぎる。>まーか>すは>よい>なじゃないか。>まーか>すの>うえへずぃーと>いう>かしらもじを>つける、>するともうしぶんの>ない>なが>できる。ずぃーでなくては>いかん。>Z.えむえいあーるしーゆーえすは>じつに>うまい。>どうも>じぶんで>つくった>なは>うまく>つけた>つもりでも>なんとなく>こいとらしい>ところが>あっておもしろくない。>ようやくの>ことで>きにいった>なが>できた」と>ゆうじんの>めいわくは>まるで>わすれて、>いちにん>うれし>がったと>いうが、>しょうせつ>ちゅうの>にんげんの>なまえを>つけるに>いちにち>ともえ>りを>たんけんしなくては>ならぬ>ようでは>ずいぶん｜>てすうの>かかる>はなしだ。>ぜいたくも>このくらい>できればけっこうな>ものだがわがはいの>ように>かき>てき>しゅじんを>もつ>みのうえでは>とてもそんな>きは>でない。>なにでも>いい、>くえ>さえ>すれば、と>いう>きに>なる>のも>きょうぐうの>しから>しむ>る>ところであろう。>だからいま｜>ぞうにが>くいたく>なった>のも>けっして>ぜいたくの>けっかではない、>なにでも>くえる>ときに>くっておこうという>こうから、>しゅじんの>くい>あま>した>ぞうにが>もしや>だいどころに>のこっていは>すまいかと>おもいだしたからである。……>だいどころへ>めぐってみる。　>けさ>みた>とおりの>もちが、>けさ>みた>とおりの>いろで>わんの>そこに>こうちゃくしている。>はくじょうするがもちという>ものは>いままで>いち｜>あたりも>くちに>いれた>ことが>ない。>みるとうま>そうにも>あるし、>またすこしは>きみが>わるくもある。>まえあしで>うえに>かかっている>なっぱを>かき>よせる。>つめを>みるともちの>じょうひが>ひき>かかってねばねばする。>かいでみるとかまの>そこの>めしを>ごひつへ>うつす>ときの>ような>こうが>する。>くおうかな、>やめようかな、と>あたりを>みまわす。>こうか>ふこうか>だれも>いない。>ご>さんは>くれも>はるも>おなじような>かおを>してはねを>ついている。>しょうともは>おく>ざしきで「>なにと>おっしゃる>うさぎ>さん」を>うたっている。>くうと>すればいまだ。>もし>このきを>はずすとらいねんまでは>もちという>ものの>あじを>しらずに>くらしてしまわねばならぬ。>わがはいは>このせつなに>ねこながら>いちの>しんりを>かんとくした。「>えがたき>きかいは>すべての>どうぶつを>して、>このまざる>ことをも>敢て>せ>しむ」>わがはいは>みを>いうとそんなに>ぞうにを>しょく>いたくはない>のである。>いな｜>わん>そこの>ようすを>じゅくしすればするほど>きみがわるく>なって、>くう>のが>いやに>なった>のである。>このとき>もし>ご>さんでも>かってぐちを>あけたなら、>おくの>しょうともの>あしおとが>こちらへ>ちかづく>のを>きき>えたなら、>わがはいは>惜>きも>なく>わんを>みすてたろう、>しかもぞうにの>ことは>らいねんまで>ねんとうに>うかばなかったろう。>ところがだれも>こない、>いくら※>躇>していても>だれも>こない。>はやく>くわぬか>くわぬかと>さいそくさ>れる>ような>こころもちが>する。>わがはいは>わんの>なかを>のぞき>こみながら、>はやく>だれか>きてくれればいいと>ねんじた。>やはり>だれも>きてくれない。>わがはいは>とうとう>ぞうにを>くわなければならぬ。>さいごに>からだ>ぜんたいの>じゅうりょうを>わんの>そこへ>おとす>ように>して、>あぐりと>もちの>かくを>いっすんばかり>くいこんだ。>このくらい>ちからを>こめてくい>ついた>のだから、>たいていな>ものなら>かみ>きれる>わけだが、>おどろいた！　>もう>よかろうと>おもってはを>ひこうと>すると>ひけない。>もう>いち｜>あたり>かみ>なおそうと>すると>うごきが>とれない。>もちは>まものだなと>かん>づいた>ときは>すでに>おそかった。>ぬまへでも>おちた>ひとが>あしを>ぬこうと>しょうりょる>たびに>ぶくぶく>ふかく>しずむ>ように、>かめばかむほど>くちが>おもく>なる、>はが>うごかなく>なる。>は>こたえは>あるが、>は>こたえが>あるだけで>どうしても>しまつを>つける>ことが>できない。>びがく>しゃ>迷>てい>せんせいが>かつて>わがはいの>しゅじんを>ひょうしてきみは>わりきれない>おとこだと>いった>ことが>あるが、>なるほど>うまい>ことを>いった>ものだ。>このもちも>しゅじんと>おなじように>どうしても>わりきれない。>かんでも>かんでも、>さんで>じゅうを>わる>ごとく>じんみらい>ぎわ>かたの>つく>きはあるまいと>おもわ>れた。>このはんもんの>さい>わがはいは>おぼえず>だいにの>しんりに>ほうちゃくした。「>すべての>どうぶつは>ちょっかくてきに>じぶつの>てきふてきを>よちす」>しんりは>すでに>ふたつまで>はつめいしたが、>もちが>くっ>ついているのでごうも>ゆかいを>かんじない。>はが>もちの>にくに>きゅうしゅうさ>れて、>ぬける>ように>いたい。>はやく>くいきってにげないと>ご>さんが>くる。>しょうともの>しょうかも>やんだ>ようだ、>きっと>だいどころへ>馳け>で>してくるに>そういない。>はんもんの>きょく>しっぽを>ぐるぐる>ふってみたがなんらの>こう>のうも>ない、>みみを>たてたり>ねかしたり>したがだめである。>かんがえてみるとみみと>しっぽは>もちと>なんらの>かんけいも>ない。>ようするに>ふり>そんの、>たて>そんの、>ねかし>そんであると>きがついたからやめに>した。>ようやくの>こと>これは>まえあしの>たすけを>かりてもちを>はらい>おとすに>かぎると>かんがえついた。>まず>みぎの>ほうを>あげてくちの>しゅういを>なで>まわす。>なでた>くらいで>わりきれる>わけの>ものではない。>こんどは>ひだりりの>ほうを>のしてくちを>ちゅうしんとして>きゅうげきに>えんを>かくしてみる。>そんなのろいで>まは>おちない。>からし>ぼうが>かんじんだと>おもってさゆう｜>交る>交>るに>うごかしたがやはり>いぜんとして>はは>もちの>なか>にぶ>ら>くだっている。>え>え>めんどうだと>りょうあしを>いちどに>つかう。>するとふしぎな>ことに>このときだけは>あとあし>にほんで>たつ>ことが>できた。>なんだか>ねこでない>ような>かんじが>する。>ねこであろうが、>あるまいがこうなった>ひにゃ>あ>かまう>ものか、>なにでも>もちの>まが>おちるまで>やるべしと>いう>いきごみで>むちゃくちゃに>かお>ちゅう>ひっかき>まわす。>まえあしの>うんどうが>もうれつなのでやや>ともすると>ちゅうしんを>うしなってたおれ>かかる。>たおれ>かかる>たびに>あとあしで>ちょうしを>とらなくては>ならぬから、>ひとつ>しょに>いる>わけにも>いかんので、>だいどころ>なか>あちら、>こちらと>とんでめぐる。>われながらよく>こんなにきように>たってい>られた>ものだと>おもう。>だいさんの>しんりが>まっしぐらに>げんぜんする。「>ききに>のぞめばへいじょうなし>あたわざる>ところの>ものを>なし>あたう。>これを>てんゆうと>いう」>こうに>てんゆうを>とおる>けたる>わがはいが>いっしょうけんめい>もちの>まと>たたかっていると、>なんだか>あしおとが>しておくより>ひとが>くる>ような>きあいである。>ここで>ひとに>こ>られては>たいへんだと>おもって、>いよいよ>やっきと>なってだいどころを>かけ>めぐる。>あしおとは>だんだんちかづいてくる。>ああ>ざんねんだがてんゆうが>すこしたりない。>とうとう>しょうともに>みつけ>られた。「>あら>ねこが>ごぞうにを>たべておどりを>おどっている」と>おおきなこえを>する。>このこえを>だいいちに>ききつけた>のが>ご>さんである。>はねも>はごいたも>うち>つかってかってから「>あら>まあ」と>とびこんでくる。>さいくんは>ちりめんの>もんつきで「>いやな>ねこねえ」と>おおせ>られる。>しゅじん>さえ>しょさいから>でてきて「>このばか>やろう」と>いった。>おもしろい>おもしろいと>いう>のは>しょうともばかりである。>そうしてみんな>もうしあわせた>ように>げらげら>わらっている。>はらは>たつ、>くるしくは>ある、>おどりは>やめる>わけに>ゆかぬ、>よわった。>ようやく>わらいが>やみ>そうに>なったら、>いつつに>なる>おんなのこが「>ごか>あ>よう、>ねこも>ずいぶんね」と>いったのできょうらんを>きとうに>なんとかするという>ぜいで>またたいへん>わらわ>れた。>にんげんの>どうじょうに>とぼしい>じっこうも>だいぶ>けんぶんしたが、>このときほど>うらめしく>かんじた>ことはなかった。>ついに>てんゆうも>どっかへ>きえうせて、>ざいらいの>とおり>よっつ>這に>なって、>めを>しろくろする>の>しゅうたいを>えんずるまでに>へいこうした。>さすが>みごろしに>する>のも>きのどくと>みえて「>まあ>もちを>とってやれ」と>しゅじんが>ご>さんに>めいずる。>ご>さんは>もっと>おどら>せようじゃ>ありませんかという>め>づけで>さいくんを>みる。>さいくんは>おどりは>みたいが、>ころしてまで>みる>きはないのでだまっている。「>とってやらんと>しんでしまう、>はやく>とってやれ」と>しゅじんは>ふたたびげじょを>かえりみる。>ご>さんは>ごちそうを>はんぶん>たべ>かけてゆめから>おこさ>れた>ときの>ように、>きの>ない>かおを>してもちを>つかんでぐいと>ひく。>かんげつ>きみじゃないがまえばが>みんな>おれるかと>おもった。>どうも>いたい>の>いたくない>のって、>もちの>なかへ>かたく>くいこんでいる>はを>なさけ>ようしゃも>なく>ひっぱる>のだからたまらない。>わがはいが「>すべての>あんらくは>こんくを>つうかせざるべからず」と>いう>だいよんの>しんりを>けいけんして、>けろけろと>あたりを>みまわした>ときには、>かじんは>すでに>おく>ざしきへ>はいいってしまっておった。　>こんなしっぱいを>した>ときには>うちに>いてご>さんなんぞに>かおを>み>られる>のも>なんとなく>ばつが>わるい。>いっその>こと>きを>えき>えてしんどうの>にげんきんの>ごししょう>さんの>ところの>みけ>こでも>ほうもんしようと>だいどころから>うらへ>でた。>みけ>こは>このきんぺんで>ゆうめいな>びぼう>かである。>わがはいは>ねこには>そういないがものの>なさけは>いちとおり>こころえている。>うちで>しゅじんの>にがい>かおを>みたり、>ご>さんの>けん>突を>くってきぶんが>すぐれん>ときは>かならずこの>いせいの>ほうゆうの>もとを>ほうもんしていろいろな>はなしを>する。>すると、>いつのまにか>こころが>はればれしていままでの>しんぱいも>くろうも>なにもかも>わすれて、>うまれかわった>ような>こころもちに>なる。>じょせいの>えいきょうという>ものは>じつに>ばくだいな>ものだ。>すぎ>かきの>すきから、>いるかなと>おもってみわたすと、>みけ>こは>しょうがつだからくびわの>あたらしい>のを>してぎょうぎ>よく>椽>がわに>すわっている。>そのせなかの>まる>さ>かげんが>いうに>いわ>れん>ほど>うつくしい。>きょくせんの>びを>つくしている。>しっぽの>まがり>かげん、>あしの>おり>ぐあい、>ものう>げに>みみを>ちょいちょい>ふる>けしきなども>とうてい>けいようが>できん。>ことに>よく>ひの>あたる>ところに>あたたか>そうに、>しな>よく>ひかえている>ものだから、>しんたいは>せいしゅく>たんせいの>たいどを>ゆうするにも>かんらず、>てん>がもうを>あざむくほどの>なめらかな>まんしんの>けは>はるの>ひかりを>はんしゃしてかぜ>なきに>むらむらと>びどうする>ごとくに>おもわ>れる。>わがはいは>しばらくこうこつとして>ながめていたが、>やがて>われに>かえるとどうじに、>ひくい>こえで「>みけ>こ>さん>みけ>こ>さん」と>いいながらまえあしで>まねいた。>みけ>こは「>あら>せんせい」と>椽を>おりる。>あかい>くびわに>つけた>すずが>ちゃ>ら>ちゃ>らと>なる。>おや>しょうがつに>なったら>すずまで>つけたな、>どうも>いい>おとだと>かんしんしている>あいだに、>わがはいの>そばに>きて「>あら>せんせい、>おめでとう」と>おを>ひだりりへ>ふる。>われ>とう｜>ねこ>しょくかんで>ごかたみに>あいさつを>する>ときには>おを>ぼうのごとく>たてて、>それを>ひだりりへ>ぐるりと>まわす>のである。>ちょうないで>わがはいを>せんせいと>よんでくれる>のは>このみけ>こばかりである。>わがはいは>ぜんかい>ことわった>とおり>まだなはない>のであるが、>きょうしの>いえに>いる>ものだからみけ>こだけは>そんけいしてせんせい>せんせいと>いってくれる。>わがはいも>せんせいと>いわ>れてまんざら>わるい>こころもちも>しないから、>はい>はいと>へんじを>している。「>やあ>おめでとう、>たいそう>りっぱに>ごけしょうが>できましたね」「>え>え>きょねんの>くれ｜>ごししょう>さんに>かっていただいた>の、>むべ>いでしょう」と>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ならしてみせる。「>なるほど>よい>おとですな、>われ>やからなどは>うまれてから、>そんなりっぱな>ものは>みた>ことが>ないですよ」「>あら>いやだ、>みんな>ぶらさげるのよ」と>またちゃ>ら>ちゃ>ら>ならす。「>いい>おとでしょう、>あたし>うれしいわ」と>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ちゃ>ら>つづけざまに>ならす。「>あなたの>うちの>ごししょう>さんは>たいへん>あなたを>かわいがっていると>みえますね」と>われ>みに>ひき>くらべてあんに>欣>ともの>いを>もらす。>みけ>こは>むじゃきな>ものである「>ほんとよ、>まるで>じぶんの>しょうともの>ようよ」と>あどけなく>わらう。>ねこだって>わらわないとは>かぎらない。>にんげんは>じぶんより>ほかに>わらえる>ものが>ない>ように>おもっている>のは>まちがいである。>わがはいが>わらう>のは>はなの>あなを>さんかくに>していんこう>ほとけを>しんどうさ>せてわらう>のだからにんげんには>わからぬ>はずである。「>いったい>あなたの>ところの>ごしゅじんは>なにですか」「>あら>ごしゅじんだって、>みょうなのね。>ごししょう>さんだわ。>にげんきんの>ごししょう>さんよ」「>それは>わがはいも>しっていますがね。>そのおんみ>ぶんは>なにな>んです。>いずれ>むかし>しは>りっぱな>ほうな>んで>しょうな」「>ええ」　　>きみを>まつ>あいだの>ひめこまつ……………　>しょうじの>うちで>ごししょう>さんが>にげんきんを>はじきだす。「>むべ>い>こえでしょう」と>みけ>こは>じまんする。「>むべ>い>ようだが、>わがはいには>よく>わからん。>ぜんたい>なにという>ものですか」「>あれ？　>あれは>なんとかって>ものよ。>ごししょう>さんは>あれが>だいすきな>の。……>ごししょう>さんは>あれで>ろくじゅう>によ。>ずいぶんじょうぶだわね」>ろくじゅう>にで>いきているくらいだからじょうぶと>いわねばなるまい。>わがはいは「>はあ」と>へんじを>した。>すこしかんが>ぬけた>ようだがべつに>めいとうも>でてこなかったからしかたが>ない。「>あれでも、>もとは>みぶんが>たいへん>よかった>んだって。>いつでも>そうおっしゃる>の」「>へえ>もとは>なにだった>んです」「>なんでもてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった>さき>きの>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んだって」「>なにで>すって？」「>あのてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった……」「>なるほど。>すこしまってください。>てんしょういん>さまの>いもうとの>ごゆうひつの……」「>あらそうじゃない>の、>てんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの……」「>よろしい>わかりました>てんしょういん>さま>のでしょう」「>ええ」「>ごゆうひつ>のでしょう」「>そうよ」「>ごよめに>いった」「>いもうとの>ごよめに>いったですよ」「>そうそう>まちがった。>いもうとの>ごよめに>はいった>さき>きの」「>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んですとさ」「>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んですか」「>ええ。>わかったでしょう」「>いいえ。>なんだか>こんざつしてようりょうを>えないですよ。>つまる>ところ>てんしょういん>さまの>なにに>なる>んですか」「>あなたも>よっぽど>わからないのね。>だからてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった>さき>きの>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んだって、>さき>っ>きっからいっ>てる>んじゃ>ありませんか」「>それは>すっかり>わかっている>んですがね」「>それが>わかりさえ>すればいい>んでしょう」「>ええ」と>しかたが>ないからこうさんを>した。>われ々は>ときと>すると>りづめの>きょげんを>はかねばならぬ>ことが>ある。　>しょうじの>なかで>にげんきんの>おとが>ぱったり>やむと、>ごししょう>さんの>こえで「>みけや>みけや>ごはんだよ」と>よぶ。>みけ>こは>うれし>そうに「>あら>ごししょう>さんが>よんでいらっしゃるから、>わたし>し>かえるわ、>よくって？」>わるいと>いったって>しかたが>ない。「>それじゃまたあそびに>いらっしゃい」と>すずを>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ならしてにわさきまで>かけていったがきゅうに>もどってきて「>あなた>たいへん>しょくが>わるくってよ。>どうか>し>や>しなくって」と>しんぱいそうに>といかける。>まさか>ぞうにを>くっておどりを>おどったとも>いわ>れないから「>なに>べつだんの>ことも>ありませんが、>すこしかんがえごとを>したら>ずつうが>してね。>あなたと>はなしでも>したら>なおるだろうと>おもってじつは>でかけてきた>のですよ」「>そう。>ごだいじに>なさいまし。>さようなら」>すこしは>な>のこりおし>げに>みえた。>これで>ぞうにの>げんきも>さっぱりと>かいふくした。>いい>こころもちに>なった。>かえりに>れいの>ちゃえんを>とおりぬけようと>おもってしもばしらの>とけ>かかった>のを>ふみつけな>がら>けんにんじの>くずれから>かおを>だすとまたくるまやの>くろが>枯>きくの>うえに>せを>やまに>してあくびを>している。>ちかごろは>くろを>みてきょうふする>ような>わがはいではないが、>はなしを>さ>れると>めんどうだからしらぬかおを>していきすぎようと>した。>くろの>せいしつとして>たが>おのれれを>けいぶしたと>認>むるや>いなや>けっして>だまっていない。「>おい、>な>なしの>ごんべえ、>ちかごろじゃ>おつ>う>たかく>とまっ>てる>じゃあ>ねえか。>いくら>きょうしの>めしを>くったって、>そんなこうまんちきな>めん>ら>あ>するねえ。>ひと>つけ>おもしろくもねえ」>くろは>わがはいの>ゆうめいに>なった>のを、>まだしらんと>みえる。>せつめいしてやりたいがとうてい>わかる>やつではないから、>まず>いちおうの>あいさつを>してでき>える>かぎり>はやく>ごめん>こうむるに>わかくはないと>けっしんした。「>いやくろ>くん>おめでとう。>ふそう>へん>げんきが>いいね」と>しっぽを>たててひだりへ>くるりと>まわり>わ>す。>くろは>しっぽを>たて>たぎり>あいさつも>しない。「>なに>おめでてえ？　>しょうがつで>おめでたけりゃ、>ごめ>え>なん>ざ>あ>としが>ねんじゅうおめでてえ>かただろう。>きを>つけろ>い、>このふい>この>むこう>めん>め」>ふい>この>むこう>づらという>くは>ばりの>げんごである>ようだが、>わがはいには>りょうかいが>できなかった。「>ちょっと伺がうが>ふい>この>むこう>づらと>いう>のは>どういう>いみかね」「>へん、>て>め>えが>わる>たいを>つか>れ>てる>くせに、>そのわけを>ききゃ>せわあねえ、>だからしょうがつ>やろうだって>ことよ」>しょうがつ>やろうは>してきであるが、>そのいみに>いたると>ふい>この>なんとかよりも>いっそうふめいりょうな>もんくである。>さんこうの>ため>ちょっときいておきたいが、>きいたって>めいりょうな>とうべんは>え>られぬ>に>きわまっているから、>めんと>たいった>まま>むごんで>たっておった。>いささか>てもちぶさたの>からだである。>するととつぜんくろの>うちの>かみ>さんが>おおきなこえを>はり>あげて「>おや>たなへ>あげておいた>さけが>ない。>たいへんだ。>またあの>くろの>ちくしょうが>とった>んだよ。>ほんとに>にくらしい>ねこだっちゃありゃ>あし>ない。>いまに>かえってきたら、>どうするか>みていやがれ」と>どなる。>しょしゅんの>のどかな>くうきを>ぶえんりょに>しんどうさ>せて、>えだを>ならさぬ>きみが>みよを>だいに>ぞく>りょう>してしまう。>くろは>どなるなら、>どなり>たいだけ>どなっていろと>いわぬ>ば>かりに>おうちゃくな>かおを>して、>しかくな>顋を>まえへ>だしながら、>あれを>きいたかと>あいずを>する。>いままでは>くろとの>おうたいで>きがつかなかったが、>みるとかれの>あしの>したには>いちきれ>にせん>さんりんに>そうとうする>さけの>ほねが>どろ>だらけに>なってころがっている。「>きみ｜>ふそう>へん>やっ>てるな」と>いままでの>ゆきがかりは>わすれて、>つい>かん>とう>しを>ほうていした。>くろは>そのくらいな>ことでは>なかなかきげんを>なおさない。「>なにが>やっ>てるで>え、>このやろう。>しゃけの>いっさいや>にせつで>そう>かわらずた>あ>なんだ。>ひとを>みくび>び>った>ことを>いうねえ。>はばかりながら>くるまやの>くろだ>あ」と>うでまくりの>かわりに>みぎの>まえあしを>ぎゃくかに>かたの>あたりまで>かき>あげた。「>きみが>くろ>くんだと>いう>ことは、>はじめから>しっ>てるさ」「>しっ>てるのに、>あいかわらず>やっ>てるた>あ>なんだ。>なにだて>え>ことよ」と>あつい>のを>しきりに>ふき>かける。>にんげんなら>むなぐらを>とら>れてこづき>まわさ>れる>ところである。>しょうしょう｜>へきえきしてないしん>こまった>ことに>なったなと>おもっていると、>ふたたびれいの>かみ>さんの>おおごえが>きこえる。「>ちょいと>にしかわ>さん、>おい>にしかわ>さんて>ば、>ようが>ある>んだよ>この>ひと>あ。>ぎゅうにくを>いち｜>きん>すぐもってくる>んだよ。>いい>かい、>わかった>かい、>ぎゅうにくの>かたくない>ところを>いちきんだよ」と>ぎゅうにく>ちゅうもんの>こえが>しりんの>せきばくを>やぶる。「>へん>としに>いっぺん>ぎゅうにくを>あつらえると>おもって、>いやに>おおきなこえを>だしゃ>あ>がら>あ。>ぎゅうにく>いちきんが>となり>きんじょへ>じまんなんだからしまつに>つい>え>ねえ>おもね>まだ」と>くろは>あざけりながらよっつ>あしを>踏>はる。>わがはいは>あいさつの>しようも>ないからだまってみている。「>いちきん>くらい>じゃあ、>しょうちが>できねえ>んだが、>しかたが>ね>え、>いいからとっ>ときゃ、>いまに>くってやら>あ」と>じぶんの>ために>あつらえた>もののごとく>いう。「>こんどは>ほんとうの>ごちそうだ。>けっこう>けっこう」と>わがはいは>なるべくかれを>きそうと>する。「>ごめ>っ>ちの>しった>ことじゃねえ。>だまっていろ。>うる>せ>え>や」と>いいながらとつぜん｜>あとあしで>しもばしらの>くずれた>やつを>わがはいの>あたまへ>ば>さりと>あびせ>かける。>わがはいが>おどろき>ろ>いて、>からだの>どろを>はらっている>あいだに>くろは>かきねを>もぐって、>どこかへ>すがたを>かくした。>おおがた>にしかわの>うしを>覘に>いった>ものであろう。　>いえへ>かえるとざしきの>なかが、>いつに>なく>はるめいてしゅじんの>わらいごえ>さえ>ようきに>きこえる。>はてなと>あけはなした>椽>がわから>のぼってしゅじんの>そばへ>よってみると>みなれぬ>きゃくが>きている。>あたまを>きれいに>わけて、>もめんの>もんつきの>はおりに>こくらの>はかまを>つけてしごく>まじめ>そうな>しょ>せいたいの>おとこである。>しゅじんの>て>あぶりの>かくを>みるとしゅんけい>ぬりの>まきたばこ>はいれと>ならんでおち>こち>くんを>しょうかい致｜>こう>みずしま>かんげつという>めいしが>ある>ので、>このきゃくの>なまえも、>かんげつ>くんの>ゆうじんであると>いう>ことも>しれた。>しゅきゃくの>たいわは>とちゅうからであるからぜんごが>よく>わからんが、>なにでも>わがはいが>ぜんかいに>しょうかいした>びがく>しゃ>迷>てい>くんの>ことに>かんしているらしい。「>それでおもしろい>しゅこうが>あるからぜひいっしょに>らいいと>おっしゃるので」と>きゃくは>おちついていう。「>なにですか、>そのせいよう>りょうりへ>おこなってうま>めしを>くう>のについて>しゅこうが>あると>いう>のですか」と>しゅじんは>ちゃを>ぞくぎ>たしてきゃくの>まえへ>おしやる。「>さあ、>そのしゅこうという>のが、>そのときは>わたしにも>わからなかった>んですが、>いずれ>あのほうの>ことですから、>なにか>おもしろい>たねが>ある>のだろうと>おもいまして……」「>いっしょに>いきましたか、>なるほど」「>ところがおどろいた>のです」>しゅじんは>それ>みたかと>いわぬ>ば>かりに、>ひざの>うえに>のった>わがはいの>あたまを>ぽかと>たたく。>すこしいたい。「>またばかな>ちゃばん>みた>ような>ことな>んでしょう。>あのおとこは>あれが>くせでね」と>きゅうに>あんどれあ・>でる・>さると>じけんを>おもいだす。「>へ>へー。>きみ>なにか>かわった>ものを>くおうじゃないかと>おっしゃるので」「>なにを>くいました」「>まず>こんだてを>みながらいろいろりょうりについての>ごはなししが>ありました」「>あつらえ>ら>えない>まえ>にですか」「>ええ」「>それから」「>それからくびを>ひねってぼいの>ほうを>ごらんに>なって、>どうも>かわった>ものもない>ようだなと>おっしゃると>ぼいは>まけぬ>きで>かもの>ろーすか>こうじの>ちゃっぷなどは>いかがですというと、>せんせいは、>そんなつきなみを>くいに>わざわざここまで>らいやしないと>おっしゃる>んで、>ぼいは>つきなみという>いみが>わからん>ものですからみょうな>かおを>してだまっていましたよ」「>そうでしょう」「>それからわたしの>ほうを>ごむきに>なって、>きみ｜>ふらんすや>えい>よしとしへ>いくとずいぶん｜>てんめい>ちょうや>まんよう>ちょうが>くえる>んだが、>にち>ほんじゃどこへ>おこなったって>ばんで>おした>ようで、>どうも>せいよう>りょうりへ>はいいる>きが>しないと>いう>ような>たいき※で――>ぜんたい>あのほうは>ようこうなすった>ことが>ある>のですかな」「>なに>迷>ていが>ようこうなんか>する>もんですか、>そりゃきんもあり、>ときもあり、>いこうと>おもえばいつでも>いか>れる>んですがね。>おおかたこれから>いく>つもりの>ところを、>かこに>みたてた>しゃらくな>んでしょう」と>しゅじんは>じぶんながらうまい>ことを>いった>つもりで>さそい>で>ししょうを>する。>きゃくは>さまで>かんぷくした>ようすも>ない。「>そうですか、>わたしは>またいつのまに>ようこうなさったかと>おもって、>つい>まじめに>はいちょうしていました。>それに>みてきた>ように>なめくじの>そっぷの>ごはなしや>かえるの>しちゅの>けいようを>なさる>ものですから」「>そりゃだれかに>きいた>んでしょう、>うそを>つく>ことは>なかなかめいじんですからね」「>どうも>そうの>ようで」と>かびんの>すいせんを>ながめる。>すこしく>ざんねんの>きしょくにも>とら>れる。「>じゃしゅこうという>のは、>それな>んですね」と>しゅじんが>ねんを>おす。「>いえそれは>ほんのぼうとうなので、>ほんろんは>これからな>のです」「>ふーん」と>しゅじんは>こうき>てきな>かん>とう>しを>はさむ。「>それから、>とてもなめくじや>かえるは>くおうっても>くえ>やしないから、>まあ>とち>めん>ぼーくらいな>ところで>まけ>とく>ことに>しようじゃないか>きみと>ごそうだんなさる>ものですから、>わたしは>つい>なにの>き>なしに、>それが>いいでしょう、と>いってしまったので」「>へー、>とち>めん>ぼうは>みょうですな」「>え>え>まったくみょうな>のですが、>せんせいが>あまりまじめだ>ものですから、>つい>きがつきませんでした」と>あたかも>しゅじんに>むかって麁>忽を>わびている>ように>みえる。「>それからどうしました」と>しゅじんは>むとんじゃくに>きく。>きゃくの>しゃざいには>いっこう>どうじょうを>あらわしておらん。「>それからぼい>におい>とち>めん>ぼーを>ににん>まえ>もってこいと>いうと、>ぼいが>めんち>ぼーですかと>きき>なおしましたが、>せんせいは>ますますまじめな>貌で>めんち>ぼーじゃない>とち>めん>ぼーだと>ていせいさ>れました」「>な>ある。>そのとち>めん>ぼーという>りょうりは>いったい>ある>んですか」「>さあわたしも>すこしおかしいとは>おもいましたがいかにも>せんせいが>ちんちゃくで>あるし、>そのうえ>あのとおりの>せいよう>どおりで>いらっしゃるし、>ことに>そのときは>ようこうなすった>ものと>しんじ>きっていた>ものですから、>わたしも>くちを>そえてとち>めん>ぼーだ>とち>めん>ぼーだと>ぼいに>おしえてやりました」「>ぼいは>どうしました」「>ぼいが>ね、>いま>かんがえるとじつに>こっけいな>んですがね、>しばらくしあんしていましてね、>はなはだ>ごきのどく>さまですがきょうは>とち>めん>ぼーは>ごあいにく>さまで>めんち>ぼーな>ら>ご>ににん>まえ>すぐに>できますというと、>せんせいは>ひじょうに>ざんねんな>ようすで、>それじゃせっかく>ここまで>きた>かいが>ない。>どうか>とち>めん>ぼーを>つごう>してくわせてもらう>わけには>いくまいかと、>ぼいに>にじゅう>せんぎんかを>やら>れると、>ぼいは>それでは>ともかくも>りょうりばんと>そうだんしてまいりましょうと>おくへ>いきましたよ」「>たいへん>とち>めん>ぼーが>くいたかったと>みえますね」「>しばらくしてぼいが>でてきてしんに>ごあいにくで、>ごあつらえなら>こしらえますがしょうしょうじかんが>かかります、と>いうと>迷>てい>せんせいは>おちついた>もので、>どうせ>われわれは>しょうがつで>ひま>なんだから、>すこしまってくっていこうじゃないかと>いいながらぽっけっとから>はまきを>だしてぷ>かり>ぷ>かり>ふかし>はじめ>られた>ので、>わたし>しも>しかたが>ないから、>ふところから>にっぽん>しんぶんを>だしてよみ>だしました、>するとぼいは>またおくへ>そうだんに>いきましたよ」「>いやに>てすうが>かかります>な」と>しゅじんは>せんそうの>つうしんを>よむくらいの>いき>こみで>せきを>まえ>める。「>するとぼいが>またでてきて、>ちかごろは>とち>めん>ぼーの>ざいりょうが>ふっていで>かめやへ>おこなっても>よこはまの>じゅうご>ばんへ>おこなっても>かわ>れませんからとうぶんの>あいだは>ごあいにく>さまでと>きのどく>そうに>いうと、>せんせいは>そりゃこまったな、>せっかく>きた>のになあと>わたしの>ほうを>ごらんに>なってしきりに>くりかえさるる>ので、>わたしも>だまっている>わけにも>まいりませんから、>どうも>いかんですな、>いかん｜>きょくるですなと>ちょうしを>あわせた>のです」「>ごもっともで」と>しゅじんが>さんせいする。>なにが>ごもっともだか>わがはいには>わからん。「>するとぼいも>きのどくだと>みえて、>そのうち>ざいりょうが>まいりましたら、>どうか>ねがいますって>んでしょう。>せんせいが>ざいりょうは>なにを>つかうかねと>とわ>れると>ぼいは>へへ>へへと>わらってへんじを>しない>んです。>ざいりょうは>にっぽん>はの>はいじんだろうと>せんせいが>おしかえしてきくと>ぼいは>へえ>さようで、>それだ>ものだからちかごろは>よこはまへ>おこなっても>かわ>れませんので、>まことに>おきのどく>さまと>いいましたよ」「>あははは>それが>おちな>んですか、>こりゃ>おもしろい」と>しゅじんは>いつに>なく>おおきなこえで>わらう。>ひざが>ゆれてわがはいは>おち>かかる。>しゅじんは>それにも>とんじゃくなく>わらう。>あんどれあ・>でる・>さるとに>かかった>のは>じぶん>いちにんでないと>いう>ことを>しったのできゅうに>ゆかいに>なった>ものと>みえる。「>それから>ににんで>ひょうへ>でると、>どうだ>きみ>うまく>おこなったろう、>とち>めん>ぼうを>たねに>つかった>ところが>おもしろかろうと>だいとくいな>んです。>けいふくの>いたりですといっておわかれ>した>ようなもののじつは>うま>めしの>じこくが>のびたのでたいへん>くうふくに>なってよわりましたよ」「>それは>ごめいわくでしたろう」と>しゅじんは>はじめてどうじょうを>ひょうする。>これには>わがはいも>いぞんはない。>しばらくはなしが>とぎれてわがはいの>いんこうを>ならす>おとが>しゅきゃくの>みみに>はいる。　>こち>くんは>さめたく>なった>ちゃを>ぐっと>のみほして「>じつはきょう>まいりました>のは、>しょうしょうせんせいに>ごがんが>あってまいったので」と>あらたまる。「>はあ、>なにか>ごようで」と>しゅじんも>まけずに>すます。「>ごしょうちの>とおり、>ぶんがく>びじゅつが>すきな>ものですから……」「>けっこうで」と>あぶらを>さす。「>どうしだけが>よりましてせんだってから>ろうどくかいという>のを>そしきしまして、>まいつき>いちかい>かいごうしてこの>ほうめんの>けんきゅうを>これからつづけたい>つもりで、>すでに>だいいち>かいは>きょねんの>くれに>ひらいた>くらいであります」「>ちょっとうかがっておきますが、>ろうどくかいと>いうとなにか>せっそうでも>つけて、>しいか>ぶんしょうの>るいを>よむ>ように>きこえますが、>いったい>どんなかぜに>やる>んです」「>まあ>はじめは>こじんの>さくから>はじめて、>つい々は>どうひとの>そうさくな>んかも>やる>つもりです」「>こじんの>さくと>いうとはくらくてんの>びわ>いきの>ような>ものででもある>んですか」「>いいえ」「>ぶそんの>しゅんぷう>ば>つつみ>きょくの>しゅるいですか」「>いいえ」「>それじゃ、>どんなものを>やった>んです」「>せんだっては>ちかまつの>しんじゅうぶつを>やりました」「>ちかまつ？　>あのじょうるりの>ちかまつですか」>ちかまつに>ににんはない。>ちかまつと>いえばぎきょく>かの>ちかまつに>きょくって>いる。>それを>きき>なおす>しゅじんは>よほど>ぐだと>おもっていると、>しゅじんは>なににも>わからずに>わがはいの>あたまを>ていねいに>なでている。>やぶ>にらみから>ほれ>られたと>じにんしている>にんげんも>ある>よのなかだから>このくらいの>ごびゅうは>けっして>おどろくに>たらんと>なで>ら>るるが>ままに>すましていた。「>ええ」と>こたえてこち>こは>しゅじんの>かおいろを>うかがう。「>それじゃ>いちにんで>ろうどくする>のですか、>またはやくわりを>きわめてやる>んですか」「>やくを>きわめて>かか>ごうで>やってみました。>そのしゅいは>なるべく>さくちゅうの>じんぶつに>どうじょうを>もってその>せいかくを>はっきする>のを>だいいちとして、>それに>てまねや>みぶりを>そえます。>しろは>なるべくその>じだいの>ひとを>うつしだす>のが>おもで、>ごじょう>さんでも>でっちでも、>そのじんぶつが>でてきた>ように>やる>んです」「>じゃ、>まあ>しばいみた>ような>ものじゃ>ありませんか」「>え>え>いしょうと>かきわりが>ないくらいな>ものですな」「>しつれいながらうまく>いきますか」「>まあ>だいいち>かいとしては>せいこうした>ほうだと>おもいます」「>それでこの>まえ>やったと>おっしゃる>しんじゅうぶつと>いうと」「>その、>せんどうが>ごきゃくを>のせてよしはらへ>いく>ところなんで」「>たいへんな>まくを>やりましたな」と>きょうしだけに>ちょっとくびを>かたむける。>はなから>ふきだした>ひのでの>けむりが>みみを>かすめてかおの>よこでへ>めぐる。「>なあに、>そんなに>たいへんな>ことも>ない>んです。>とうじょうの>じんぶつは>ごきゃくと、>せんどうと、>おいらんと>なかいと>やりてと>けんばんだけですから」と>こち>こは>へいきな>ものである。>しゅじんは>おいらんという>なを>きいてちょっとにがい>かおを>したが、>なかい、>やりて、>けんばんという>じゅつごについて>めいりょうの>ちしきが>なかったと>みえてまず>しつもんを>ていしゅつした。「>なかいという>のは>しょうかの>かひにあたる>ものですかな」「>まだよく>けんきゅうは>してみませんがなかいは>ちゃやの>げじょで、>やりてという>のが>おんな>へやの>じょやく>みた>ような>ものだろうと>おもいます」>あずま>ふうこは>さっき、>そのじんぶつが>でてくる>ように>かりいろを>つかうと>いった>くせに>やりてや>なかいの>せいかくを>よく>かいしておらんらしい。「>なるほど>なかいは>ちゃやに>れいぞくする>もので、>やりては>しょうかに>きがする>ものですね。>つぎに>けんばんと>いう>のは>にんげんですか>またはいっていの>ばしょを>さす>のですか、>もし>にんげんと>すればおとこですか>おんなですか」「>けんばんは>なんでも>おとこの>にんげんだと>おもいます」「>なにを>つかさ>どっている>んですかな」「>さあそこまでは>まだしらべが>とどいておりません。>そのうち>しらべてみましょう」>これで>かか>ごうを>やった>ひには>とんちんかんな>ものが>できるだろうと>わがはいは>しゅじんの>かおを>ちょっとみあげた。>しゅじんは>ぞんがい>まじめである。「>それで>ろうどくかは>きみの>ほかに>どんなひとが>くわわった>んですか」「>いろいろおりました。>おいらんが>ほうがく>しのけい>くんでしたが、>くち>ひげを>はやして、>おんなの>あまったるい>せりふを>し>かう>のですからちょっとみょうでした。>それにその>おいらんが>しゃくを>おこす>ところが>ある>ので……」「>ろうどくでも>しゃくを>おこさなくっちゃ、>いけない>んですか」と>しゅじんは>しんぱいそうに>たずねる。「>え>え>とにかく>ひょうじょうが>だいじですから」と>こち>こは>どこまでも>ぶんげい>かの>きで>いる。「>うまく>しゃくが>おこりましたか」と>しゅじんは>けいくを>はく。「>しゃくだけは>だいいち>かいには、>ちと>むりでした」と>こち>こも>けいくを>はく。「>ところできみは>なにの>やくわりでした」と>しゅじんが>きく。「>わたし>しは>せんどう」「>へー、>きみが>せんどう」>くんに>してせんどうが>つとまる>ものなら>ぼくにも>けんばんくらいは>やれると>いった>ような>ごきを>もらす。>やがて「>せんどうは>むりでしたか」と>ごせじの>ない>ところを>うちあける。>あずま>ふうこは>べつだんしゃくに>さわった>ようすも>ない。>やはり>ちんちゃくな>くちょうで「>そのせんどうで>せっかくの>もよおしも>りゅうとうだびに>おわりました。>じつはかいじょうの>となりに>じょがくせいが>よんご>にんげしゅくしていましてね、>それが>どうして>きいた>ものか、>そのひは>ろうどくかいが>あると>いう>ことを、>どこかで>たんちしてかいじょうの>まど>かへ>きてぼうちょうしていた>ものと>みえます。>わたし>しが>せんどうの>かりいろを>つかって、>ようやく>ちょうしづいてこれなら>だいじょうぶと>おもってとくいに>やっていると、……>つまり>みぶりが>あまりすぎた>のでしょう、>いままで>耐>ら>えていた>じょがくせいが>いちどに>わっと>わらい>だした>ものですから、>おどろき>ろ>いたことも>おどろき>ろ>いたし、>きまりが>あくるい>ごとも>あくるい>し、>それで>こしを>おら>れてから、>どうしても>あとが>つづけ>られないので、>とうとう>それ>かぎりで>さんかいしました」>だいいち>かいとしては>せいこうだと>しょうする>ろうどくかいが>これでは、>しっぱいは>どんなものだろうと>そうぞうすると>わらわずに>はいら>れない。>おぼえず>いんこう>ほとけが>ごろごろ>なる。>しゅじんは>いよいよ>やわらかに>あたまを>なでてくれる。>ひとを>わらってかわいがら>れる>のは>ありがたいが、>いささか>ぶきみな>ところもある。「>それは>とんだ>ことで」と>しゅじんは>しょうがつ>そうそう｜>ちょうしを>のべている。「>だいに>かいからは、>もっと>ふんぱつしてせいだいに>やる>つもりなので、>きょう>でました>のも>まったくその>ためで、>じつはせんせいにも>ひとつ>ごにゅうかいの>うえ>ごじんりょくを>あおぎたいので」「>ぼくには>とてもしゃくなんか>おこせませんよ」と>しょうきょく>てきの>しゅじんは>すぐに>ことわり>かける。「>いえ、>しゃくなどは>おこしていただかんでも>よろしいので、>ここに>さんじょいんの>めいぼが」と>いいながらむらさきの>ふろしきから>だいじ>そうに>こぎく>ばんの>ちょうめんを>だす。「>これへ>どうか>ごしょめいの>うえ｜>ごなついんを>ねがいたいので」と>ちょうめんを>しゅじんの>ひざの>まえへ>ひらいた>まま>おく。>みるとげんこん>ちめいな>ぶんがく>はかせ、>ぶんがく>し>れんちゅうの>なが>ぎょうぎ>よく>ぜい>そろいを>している。「>はあ>さんせいいんに>ならん>ことも>ありませんが、>どんなぎむが>ある>のですか」と>かき>せんせいは>かけ>ねんの>からだに>みえる。「>ぎむと>もうしてべつだんぜひねがう>こともないくらいで、>ただごなまえだけを>ごきにゅうくださってさんせいの>い>さえ>ごあらわし>ひくだればそれで>けっこうです」「>そんなら>はいいります」と>ぎむの>かからぬ>ことを>しる>や>いなや>しゅじんは>きゅうに>きがるに>なる。>せきにんさえ>ないと>いう>ことが>わかっておればむほんの>れんばんじょうへでも>なを>かきいれますという>かお>づけを>する。>か>これ>こうちめいの>がくしゃが>なまえを>つらねている>なかに>せいめいだけでも>にゅうせきさ>せる>のは、>いままで>こんなことに>であった>ことの>ない>しゅじんにとっては>むじょうの>こうえいであるからへんじの>ぜいの>ある>のも>むりはない。「>ちょっとしっけい」と>しゅじんは>しょさいへ>しるしを>とりに>はいいる。>わがはいは>ぼたりと>たたみの>うえへ>おちる。>あずま>ふうこは>かし>さらの>なかの>かすてらを>つまんでひとくちに>ほおばる。>もごもご>しばらくは>くるし>そうである。>わがはいは>けさの>ぞうに>じけんを>ちょっとおもいだす。>しゅじんが>しょさいから>いんぎょうを>もってでてきた>ときは、>あずま>ふうこの>いの>なかに>かすてらが>おちついた>ときであった。>しゅじんは>かし>さらの>かすてらが>いっさい>たりなく>なった>ことには>きが>つかぬらしい。>もし>きがつくと>すれば>だいいちに>うたがわ>れる>ものは>わがはいであろう。　>あずま>ふうこが>かえってから、>しゅじんが>しょさいに>はいってつくえの>うえを>みると、>いつのまにか>迷>てい>せんせいの>てがみが>きている。「>しんねんの>ぎょけい>めで>ど>さる>おさめ>こう。……」　>いつに>なく>でが>まじめだと>しゅじんが>おもう。>迷>てい>せんせいの>てがみに>まじめな>のは>ほとんど>ないので、>このあいだなどは「>其>ご>べつに>こい>きせる>ふじんも>む>これ、>いず>かたより>つや>しょも>まいらず、>まず>まず>ぶじに>しょうこう｜>まかり>あり>こう>かん、>乍>憚>ごきゅうしん｜>かひした>こう」と>いう>のが>きた>くらいである。>それに>くらべるとこの>ねんし>じょうは>れいがいにも>せけん>てきである。「>いっすん>さんどうつかまつり>ど>こう>え>ども、>たいけいの>しょうきょく>しゅぎに>はんして、>でき>える>かぎり>せっきょく>てき>ほうしんをもって、>此>せんこ｜>みぞうの>しんねんを>むかえ>うる>けいかくゆえ、>まいにち>まいにち>めの>めぐる>ほどの>たぼう、>ごすいさつねがい>じょう｜>こう……」　>なるほど>あの>おとこの>ことだからしょうがつは>あそび>めぐる>のに>忙が>しいに>ちがいないと、>しゅじんは>はらのうちで>迷>てい>くんに>どういする。「>きのうは>いっこくの>ひまを>偸>み、>こち>こに>とち>めん>ぼーの>ごちそうを>いたさんと>ぞんじ>こう>しょ、>あいにく>ざいりょう>ふっていの>ため>め>其>いを>はたさず、>いかん>せんばんに>そんこう。……」　>そろそろれいの>とおりに>なってきたと>しゅじんは>むごんで>びしょうする。「>あしたは>其>だんしゃくの>かるた>かい、>みょうごにちは>しんび>がく>きょうかいの>しんねん>えんかい、>其>あしたは>とり>ぶ>きょうじゅ>かんげいかい、>其>また>あしたは……」　>うるさいなと、>しゅじんは>よみ>とばす。「>みぎのごとく>ようきょく>かい、>はいく>かい、>たんか>かい、>しんたいし>かい>とう、>かいの>れんぱつにてとうぶんの>あいだは、>のべつ>まく>なしに>しゅっきんいたし>こう>ため>め、>ふとく>已>がじょうをもって>はいすうの>れいに>えき>え>こう>だん>ふあくごゆうじょひした>ど>こう。……」　>べつだんくるにも>およばん>さと、>しゅじんは>てがみに>へんじを>する。「>こんど>ごこうらいの>ふしは>ひさしぶりにて>ばんさんでも>きょうし>ど>こころえに>ぎょざ｜>こう。>かん>くりや>なにの>ちんみも>む>これ>こう>え>ども、>せめては>とち>めん>ぼーで>もと>ただいまより>こころ>かけ｜>いそうろう。……」　>まだとち>めん>ぼーを>ふり>まわしている。>しっけいなと>しゅじんは>ちょっとむっと>する。「>しかしとち>めん>ぼーは>ちかごろ>ざいりょう>ふっていの>ため>め、>ことに>よると>まにあい>けんこうも>はかりが>たきに>つき、>其>ぶしは>くじゃくの>したでも>ごふうみに>はいれ>か>さる>こう。……」　>りょうてんびんを>かけたなと>しゅじんは、>あとが>よみたく>なる。「>ごしょうちの>とおり>くじゃく>いちわに>つき、>した>にくの>ぶんりょうは>こゆびの>なかばにも>たらぬ>ほど>こ｜>けんたん>なる>たいけいの>い>嚢を>みたす>ためには……」　>うそを>つけと>しゅじんは>うち>つかった>ように>いう。「>ぜひとも>にさん>じゅうわの>くじゃくを>ほかくいたさざる>か>らずと>そんこう。>しか>る>ところ>くじゃくは>どうぶつ>えん、>あさくさ>はなやしき>とうには、>ちらほら>みうけ>こう>え>ども、>ふつうの>とりや｜>抔には>いっこう>みあたり>ふさる、>くしん此>ごとに>ぎょざ｜>こう。……」　>ひとりで>かってに>くしんしている>のじゃないかと>しゅじんは>ごうも>かんしゃの>いを>ひょうしない。「>此>くじゃくの>したの>りょうりは>おうせき>ら>うま>ぜんせいの>みぎりり、>いちじ>ひじょうに>りゅうこういたし>こうもの>にて、>ごうしゃ>ふりゅうの>きょくどと>へいぜいより>ひそかに>しょくしを>うごかし>いそうろう>しだい｜>ごりょうさつか>ひした>こう。……」　>なにが>ごりょうさつだ、>ばかなと>しゅじんは>すこぶる>れいたんである。「>ふって>じゅうろく>ななせいきの>ころまでは>ぜんおうをつうじて>くじゃくは>えんせきに>かくべからざる>よしみ>あじと>そう>なる>いそうろう。>れ>すたー>はくが>えりざべす>おんな>すめらぎを>けにるうぉーすに>しょうたいいたし>こう>ぶしも>たしか>くじゃくを>しよういたし>こう>さま>きおく｜>致>こう。>ゆうめい>なる>れんぶらんとが>えがき>こう>きょうえんの>ずにも>くじゃくが>おを>ひろげたる>儘>たくじょうに>よこ>わり>おり>こう……」　>くじゃくの>りょうりしを>かくくらいなら、>そんなに>たぼうでもな>さ>そうだと>ふへいを>こぼす。「>とにかく>ちかごろのごとく>ごちそうの>たべ>つづけ>にては、>さすがの>しょうせいも>とおからぬ>うちに>たいけいのごとく>いじゃくと>あいなるは>ひつじょう……」　>たいけいの>ごとくは>よけいだ。>なにも>ぼくを>いじゃくの>ひょうじゅんに>しなくても>すむとしゅじんは>つぶやいた。「>れきし>かの>せつに>よればら>うま>じんは>にちに>にど>さんども>えんかいを>ひらき>こう>よし。>にちに>にども>さんども>ほうじょうの>しょく>饌に>つき>そうろえばいかなる>けん>いの>ひと>にても>しょうかきのうに>ふちょうを>かもすべく、>したがってしぜんは>たいけいの>ごとく……」　>またたいけいの>ごとくか、>しっけいな。「>しかるに>ぜいたくと>えいせいとを>りょうりつせし>めんと>けんきゅうを>つくし>たる>かれらは>ふそうとうに>たりょうの>じみを>むさぼるとどうじに>いちょうを>じょうたいに>ほじする>の>ひつようを>みとめ、>ここに>いちの>ひほうを>あんしゅついたし>こう……」　>はてねと>しゅじんは>きゅうに>ねっしんに>なる。「>かれらは>しょくご>かならずにゅうよく｜>致>こう。>にゅうよくご>いっしゅの>ほうほうに>よりてよくまえに>えんかせる>ものを>ことごとく>おうとし、>い>ないを>そうじいたし>こう。>い>ない>かくせいの>こうを>そうしたる>あと>また>しょくたくに>つき、>あくまで>ちんみを>かぜ>よし、>かぜ>よしみ>し>りょう>ればまた>ゆに>はいりてこれを>としゅつ致>こう。>かくのごとく>すればこうぶつは>むさぼ>ぼり>しだい>むさぼり>こうも>ごうも>ないぞうの>しょきかんに>しょうがいを>しょうぜず、>いっきょりょうとくとは>此>とうの>ことを>かさるかと>ぐこう｜>致>こう……」　>なるほど>いっきょりょうとくに>そういない。>しゅじんは>うらやまし>そうな>かおを>する。「>にじゅう>せいきの>きょう>こうつうの>ひんぱん、>えんかいの>ぞうかは>もうすまでも>なく、>ぐんこく>たじ>せいろの>だいに>ねんとも>しょう>なる｜>こう>おり>がら、>われ>じん>せんしょうこくの>こくみんは、>ぜひとも｜>ら>うま>じんに>傚って>此>にゅうよくおうとの>すべを>けんきゅうせざるべからざる>きかいに>とうちゃくいたし>こう>ごとと>じしん｜>致>こう。>ひだりも>なく>ば>せつ>かくの>だいこくみんも>ちかき>しょう>らいに>於て>ことごとく>たいけいのごとく>いびょう>かんじゃと>あいなる>ことと>ひそかに>しんつう｜>まかり>あり>こう……」　>またたいけいの>ごとくか、>しゃくに>さわる>おとこだと>しゅじんが>おもう。「>此>ぎわ>われ>じん>せいようの>じじょうに>つうずる>ものが>こし>でんせつを>こうきゅうし、>すでに>はいぜつせる>ひほうを>はっけんし、>これを>めいじの>しゃかいに>おうよういたし>こう>わ>ば>しょ>いい>かを>みもえに>ふせぐの>くどくにも>あいなり>へいそ｜>いつらくを>擅に>いたし>こう>ごおん>かえも>あいたち>かさると>そんこう……」　>なんだか>みょうだなと>くびを>ひねる。「>よて此>かん｜>ちゅうより>ぎぼん、>もん>せん、>すみす>ひとし>しょかの>ちょじゅつを>しょうりょういたし>いそうろう>え>ども>いまだに>はっけんの>たんしょをも>みだし>とく>ざるは>ざんねんの>いたりに>そんこう。>しかしごぞんじの>しく>しょうせいは>いちど>おもいたち>こう>ごとは>せいこうするまでは>けっして>ちゅうぜつ｜>つかまつらざる>せいしつに>そうろえばおうとかたを>さいこういたし>こうも>とおからぬ>うちと>しんじ>おり>こう>しだい。>みぎは>はっけんしだい>ごほうどう｜>かつかまつ>こうに>つき、>さよう>ごしょうち｜>かひした>こう。>就ては>さきに>さる>じょう｜>こう>とち>めん>ぼー>およびくじゃくの>したの>ごちそうも>か>しょう>なるは>みぎ>はっけんごに>いたし>ど、>ひだり>すればしょうせいの>つごうは>もちろん、>すでに>いじゃくに>なやみ>おらるる>たいけいの>ためにも>ごべんぎかと>そんこう>そうそう>ふび」　>なにだ>とうとう>かつが>れた>のか、>あまりかきかたが>まじめだ>ものだからつい>しまいまで>ほんきに>してよんでいた。>しんねん｜>そうそう>こんなあくぎを>やる>迷>ていは>よっぽど>ひま>じんだなあと>しゅじんは>わらいながらいった。　>それから>よんご>にちは>べつだんの>ことも>なく>すぎさった。>はくじの>すいせんが>だんだんしぼんで、>あお>じくの>うめが>びんながらだんだんひらき>かかる>のを>ながめ>くらしてばかり>いても>つまらんと>おもって、>いちりょうど>みけ>こを>ほうもんしてみたがあわ>れない。>さいしょは>るすだと>おもったが、>に｜>かえ>めには>びょうきで>ねていると>いう>ことが>しれた。>しょうじの>なかで>れいの>ごししょう>さんと>げじょが>はなしを>している>のを>て>すいばちの>はらんの>かげに>かくれてきいているとこうであった。「>みけは>ごはんを>たべる>かい」「>いいえ>けさから>まだなににも>たべません、>あったかに>してごこたつに>ねかしておきました」>なんだか>ねこらしく>ない。>まるで>にんげんの>とりあつかいを>うけている。　>いっぽうでは>じぶんの>きょうぐうと>くらべてみてうらやましくもあるが、>いっぽうでは>おのれが>あいしている>ねこが>かくまで>こうぐうを>うけていると>おもえばうれしくもある。「>どうも>こまるね、>ごはんを>たべないと、>しんたいが>つかれるばかりだからね」「>そうでございますとも、>わたし>ともでさえ>いちにち｜>ご※を>いただかないと、>あくるひは>とてもはたらけません>もの」　>げじょは>じぶんより>ねこの>ほうが>じょうとうな>どうぶつである>ような>へんじを>する。>じっさいこの>いえでは>げじょより>ねこの>ほうが>たいせつかも>しれない。「>ごいしゃ>さまへ>つれていった>のか>い」「>ええ、>あのごいしゃは>よっぽど>みょうでございますよ。>わたしが>みけを>だいてしんさつじょうへ>いくと、>かぜでも>ひいた>のかって>わたしの>みゃくを>とろうと>する>んでしょう。>いえ>びょうにんは>わたしではございません。>これですって>みけを>ひざの>うえへ>なおしたら、>にやにや>わらいながら、>ねこの>びょうきは>わしにも>わからん、>ほうっておいたら>いまに>癒るだろうって>んです>もの、>あんまり苛>い>じゃございませんか。>はらが>たったから、>それじゃみていただかなくっても>ようございます>これでも>だいじの>ねこな>んですって、>みけを>ふところへ>いれてさっさと>かえってまいりました」「>ほんにねえ」「>ほんにねえ」は>とうてい>わがはいの>うちなどで>きか>れる>ことばではない。>やはり>てんしょういん>さまの>なんとかの>なんとかでなくては>つかえない、>はなはだ>みやびであると>かんしんした。「>なんだか>しくしく>いう>ようだが……」「>え>え>きっと>かぜを>ひいていんこうが>いたむ>んでございますよ。>かぜを>ひくと、>どなたでも>ごせきが>でますからね……」　>てんしょういん>さまの>なんとかの>なんとかの>げじょだけに>ばか｜>ていねいな>ことばを>つかう。「>それに>ちかごろは>はいびょうとか>いう>ものが>できてのう」「>ほんとに>このころの>ように>はいびょうだの>ぺすとだ>のって>あたらしい>びょうきばかり>ふえた>ひにゃ>ゆだんも>すきも>なりゃ>しません>のでございますよ」「>きゅうばく>じだいに>ない>ものに>ろくな>ものはないからおまえも>きを>つけないと>いかんよ」「>そうでございましょうかねえ」　>げじょは>だいに>かんどうしている。「>かぜを>ひくと>いっても>あまりで>あるきも>しない>ようだったに……」「>いえね、>あなた、>それが>ちかごろは>わるい>ともだちが>できましてね」　>げじょは>こくじの>ひみつでも>かたる>ときの>ように>だいとくいである。「>わるい>ともだち？」「>ええ>あの>おもてどおりの>きょうしの>ところに>いる>うすぎたない>ゆう>ねこでございますよ」「>きょうしと>いう>のは、>あのまいあさ>ぶさほうな>こえを>だす>ひとか>え」「>え>え>かおを>あらう>たんびに>鵝>とりが>しめころさ>れる>ような>こえを>だす>ひとでござん>す」　>鵝>とりが>しめころさ>れる>ような>こえは>うまい>けいようである。>わがはいの>しゅじんは>まいあさ>ふろ>じょうで>がんそうを>やる>とき、>ようじで>いんこうを>つっ>ついてみょうな>こえを>ぶえんりょに>だす>くせが>ある。>きげんの>わるい>ときは>やけにが>あ>があ>やる、>きげんの>よい>ときは>もときづいてなおが>あ>があ>やる。>つまりきげんの>いい>ときも>わるい>ときも>やすみ>なく>ぜい>よくが>あ>があ>やる。>さいくんの>はなししでは>ここへ>ひっこす>まえまでは>こんなくせはなかった>そうだが、>あるとき>ふと>やり>だしてから>きょうまで>いちにちも>やめた>ことが>ないと>いう。>ちょっとやっかいな>くせであるが、>なぜこんな>ことを>こんき>よく>つづけている>のか>われ>とう>ねこなどには>とうてい>そうぞうも>つかん。>それも>まず>よいとして「>うすぎたない>ねこ」とは>ずいぶんこくひょうを>やる>ものだと>なお>みみを>たててあとを>きく。「>あんな>こえを>だしてなにの>のろいに>なるか>しらん。>ごいしん>まえは>ちゅうかんでも>ぞうりとりでも>そうおうの>さほうは>こころえた>もので、>やしき>まちなどで、>あんな>かおの>あらい>かたを>する>ものは>いちにんも>おらなかったよ」「>そうでございましょうともねえ」　>げじょは>む>あんに>かんぷくしては、>む>あんに>ねえを>しようする。「>あんな>しゅじんを>もっている>ねこだから、>どうせ>のらねこ>さ、>こんど>きたら>すこしたたいておやり」「>たたいてやりますとも、>みけの>びょうきに>なった>のも>まったくあいつの>おかげに>そういございません>もの、>きっと>讐を>とってやります」　>とんだ>えんざいを>こうむった>ものだ。>こいつは>めったに>こんか>よれないと>みけ>こには>とうとう>あわずに>かえった。　>かえってみるとしゅじんは>しょさいの>なかで>なにか>ちんぎんの>からだで>ふでを>とっている。>にげんきんの>ごししょう>さんの>ところで>きいた>ひょうばんを>はなしたら、>さぞ>おこるだろうが、>しらぬがほとけとやらで、>うん>うん>いいながらしんせいな>しじんに>なりすましている。　>ところへ>とうぶん>たぼうで>いか>れないと>いって、>わざわざねんし>じょうを>よこした>迷>てい>くんが>ひょうぜんと>やってくる。「>なにか>しんたいしでも>つくっている>のかね。>おもしろい>のが>できたら>みせ>たまえ」と>いう。「>うん、>ちょっとうまい>ぶんしょうだと>おもったからいま>ほんやくしてみようと>おもってね」と>しゅじんは>おもた>そうに>くちを>ひらく。「>ぶんしょう？　>だれれの>ぶんしょう>だい」「>だれれのか>わからんよ」「>むめいしか、>むめいしの>さくにも>ずいぶんよい>のが>あるからなかなかばかに>できない。>ぜんたい>どこに>あった>のか」と>とう。「>だいに>どくほん」と>しゅじんは>おちつき>はらってこたえる。「>だいに>どくほん？　>だいに>どくほんが>どうした>んだ」「>ぼくの>ほんやくしている>めいぶんと>いう>のは>だいに>どくほんの>なかに>あると>いう>こと>さ」「>じょうだんじゃない。>くじゃくの>したの>讐を>きわどい>ところで>うとうと>いう>すんぽう>なんだろう」「>ぼくは>きみの>ような>ほらふきとは>ちがうさ」と>くち>ひげを>ひねる。>たいぜんたる>ものだ。「>むかし>し>ある>ひとが>さんように、>せんせい>ちかごろ>めいぶんは>ござらぬかと>いったら、>さんようが>まごの>かいた>しゃっきんの>さいそくじょうを>しめしてきんらいの>めいぶんは>まず>これでしょうと>いったという>はなしが>あるから、>きみの>しんび>めも>ぞんがい>たしかかも>しれん。>どれ>よんでみ>たまえ、>ぼくが>ひひょうしてやるから」と>迷>てい>せんせいは>しんび>めの>ほんけの>ような>ことを>いう。>しゅじんは>ぜん>ぼうずが>だい燈>こくしの>いかいを>よむ>ような>こえを>だしてよみ>はじめる。「>きょじん、>いんりょく」「>なんだ>いその>きょじん>いんりょくと>いう>のは」「>きょじん>いんりょくと>いう>だい>さ」「>みょうな>だいだな、>ぼくには>いみが>わからんね」「>いんりょくと>いう>なを>もっている>きょじんという>つもり>さ」「>すこしむりな>つもりだがひょうだいだからまず>まけておくと>しよう。>それからそうそうほんぶんを>よむさ、>きみは>こえが>よいからなかなかおもしろい」「>ざつぜ>かえしては>いかんよ」と>予じ>め>ねんを>おしてまたよみ>はじめる。>けーとは>まどから>がいめんを>ながめる。>しょうにが>たまを>なげてあそんでいる。>かれらは>たかく>たまを>くうちゅうに>なげうつ。>たまは>うえへ>うえへと>のぼる。>しばらくすると>おちてくる。>かれらは>またたまを>たかく>なげうつ。>ふたたび>さんど。>なげうつ>たびに>たまは>おちてくる。>なぜおちる>のか、>なぜうえへ>うえへと>のみ>のぼらぬかと>けーとが>きく。「>きょじんが>ちちゅうに>すむ>ゆえに」と>ははが>こたえる。「>かれは>きょじん>いんりょくである。>かれは>つよい。>かれは>ばんぶつを>おのれれの>ほうへと>ひく。>かれは>かおくを>ちじょうに>ひく。>ひかねばとんでしまう。>しょうにも>とんでしまう。>はが>おちる>のを>みたろう。>あれは>きょじん>いんりょくが>よぶ>のである。>ほんを>おとす>ことが>あろう。>きょじん>いんりょくが>らいいと>いうからである。>たまが>そらに>あがる。>きょじん>いんりょくは>よぶ。>よぶと>おちてくる」「>それ>ぎ>りか>い」「>む>む、>あまいじゃないか」「>いやこれは>おそれいった。>とんだ>ところで>とち>めん>ぼーの>ごへんれいに>あずかった」「>ごへんれいでも>なんでも>ないさ、>じっさいうまいからやくしてみた>の>さ、>きみは>そうおもわんかね」と>きんぶちの>めがねの>おくを>みる。「>どうも>おどろき>ろ>いたね。>きみに>してこの>ぎりょう>あらんとは、>まったく此>どという>こんどは>かつが>れたよ、>こうさんこうさん」と>いちにんで>しょうちして>いちにんで>ちょう>したる。>しゅじんには>いっこう>つうじない。「>なにも>きみを>こうさんさ>せる>かんがえは>ないさ。>ただおもしろい>ぶんしょうだと>おもったからやくしてみ>たばかり>さ」「>いやじつに>おもしろい。>そうこなくっちゃほん>ものでない。>すごい>ものだ。>きょうしゅくだ」「>そんなに>きょうしゅくするには>およばん。>ぼくも>ちかごろは>すいさい>がを>やめたから、>そのかわりに>ぶんしょうでも>やろうと>おもってね」「>どうして>えんきん>むさべつ>くろしろ>びょうどうの>すいさい>がの>ひじゃない。>かんぷくの>いたりだよ」「>そうほめてくれると>ぼくも>のりきに>なる」と>しゅじんは>あくまでも>かん>ちがいを>している。　>ところへ>かんげつ>くんが>せんじつは>しつれいしましたと>はいいってくる。「>いやしっけい。>いま>たいへんな>めいぶんを>はいちょうしてとち>めん>ぼーの>ぼうこんを>たいじられた>ところで」と>迷>てい>せんせいは>わけの>わからぬ>ことを>ほのめかす。「>はあ、>そうですか」と>これも>わけの>わからぬ>あいさつを>する。>しゅじんだけは>ひだりのみ>うか>れた>きしょくも>ない。「>せんじつは>きみの>しょうかいで>おち>こちと>いう>ひとが>きたよ」「>ああ>のぼりましたか、>あのおち>こちと>いう>おとこは>いたって>しょうじきな>おとこですがすこしかわっている>ところが>ある>ので、>あるいはごめいわくかと>おもいましたが、>ぜひしょうかいしてくれと>いう>ものですから……」「>べつに>めいわくの>ことも>ないがね……」「>こちらへ>のぼっても>じぶんの>せいめいの>ことについて>なにか>べんじていきゃ>しませんか」「>いいえ、>そんなはなしも>なかった>ようだ」「>そうですか、>どこへ>おこなっても>しょたいめんの>ひとには>じぶんの>なまえの>こうしゃくを>する>のが>くせでしてね」「>どんなこうしゃくを>する>ん>だい」と>こと>あれ>かしと>まちかまえた>迷>てい>くんは>くちを>いれる。「>あのこちと>いう>のを>おとで>よま>れると>たいへん>きに>するので」「>はてね」と>迷>てい>せんせいは>きむ>からかわの>たばこ>いりから>たばこを>つまみだす。「>わたし>しの>なは>おち>こちではありません、>おち>こ>ちですとかならずことわりますよ」「>みょうだね」と>くもいを>はらの>そこまで>のみこむ。「>それが>まったくぶんがく>ねつから>きた>ので、>こ>ちと>よむとえんきんと>いう>せいごに>なる、>のみ>ならず>そのせいめいが>いんを>ふんでいると>いう>のが>とくいな>んです。>それだからこちを>おとで>よむとぼくが>せっかくの>くしんを>ひとが>かってくれないと>いってふへいを>いう>のです」「>こりゃ>なるほど>かわっ>てる」と>迷>てい>せんせいは>ずに>のってはらの>そこから>くもいを>はなの>あなまで>はき>かえす。>とちゅうで>けむりが>と>まよいを>していんこうの>でぐちへ>ひき>かかる。>せんせいは>えんかんを>にぎってごほん>ごほんとむせび>かえる。「>せんじつ>きた>ときは>ろうどくかいで>せんどうに>なってじょがくせいに>わらわ>れたと>いっていたよ」と>しゅじんは>わらいながらいう。「>うむ>それ>それ」と>迷>てい>せんせいが>えんかんで>ひざがしらを>たたく。>わがはいは>けん>呑に>なったからすこしそばを>はなれる。「>そのろうどくかいさ。>せんだって>とち>めん>ぼーを>ごちそうした>ときにね。>そのはなししが>でたよ。>なにでも>だいに>かいには>ちめいの>ぶんしを>しょうたいしてたいかいを>やる>つもりだから、>せんせいにも>ぜひ>ごりんせきを>ねがいたいって。>それからぼくが>こんども>ちかまつの>せわものを>やる>つもりか>いと>きくと、>いえこの>つぎは>ずっと>あたらしい>ものを>えらんできんいろ>やしゃに>しましたと>いうから、>くんにゃ>なにの>やくが>あたっ>てるかと>きいたら>わたしは>おみやですといった>の>さ。>こちの>おみやは>おもしろかろう。>ぼくは>ぜひしゅっせきしてかっさいしようと>おもっ>てるよ」「>おもしろいでしょう」と>かんげつ>くんが>みょうな>わらい>かたを>する。「>しかしあの>おとこは>どこまでも>せいじつで>けいはくな>ところがないからよい。>迷>ていなどとは>だいちがいだ」と>しゅじんは>あんどれあ・>でる・>さるとと>くじゃくの>したと>とち>めん>ぼーの>ふくしゅうを>いちどに>とる。>迷>てい>くんは>きにも>とめない>ようすで「>どうせ>しもべなどは>ぎょうとくの>まないたと>いう>かくだからなあ」と>わらう。「>まず>そんなところだろう」と>しゅじんが>いう。>じつはぎょうとくの>まないたと>いう>かたりを>しゅじんは>かいさない>のであるが、>さすが>えいねん>きょうしを>してえびす>ま>かし>つけている>ものだから、>こんなときには>きょうじょうの>けいけんを>しゃこう>じょうにも>おうようする>のである。「>ぎょうとくの>まないたという>のは>なにの>ことですか」と>かんげつが>しんそつに>きく。>しゅじんは>ゆかの>ほうを>みて「>あのすいせんは>くれに>ぼくが>ふろの>かえりがけに>かってきてさした>のだが、>よく>もつじゃないか」と>ぎょうとくの>まないたを>むりに>ねじふせる。「>くれと>いえば、>きょねんの>くれに>ぼくは>じつに>ふしぎな>けいけんを>したよ」と>迷>ていが>えんかんを>だいかぐらのごとく>ゆびの>とがで>まわり>わ>す。「>どんなけいけんか、>きかし>たま>え」と>しゅじんは>ぎょうとくの>まないたを>とおく>ごに>みすてた>きで、>ほっと>いきを>つく。>迷>てい>せんせいの>ふしぎな>けいけんという>のを>きくとひだりの>ごとくである。「>たしか>くれの>にじゅう>ななにちと>きおくしているがね。>れいの>こちから>さんどうの>うえ>ぜひぶんげい>じょうの>ごこうわを>うかがいたい>から>ございしゅくを>ねがうと>いう>さき>き>ふれが>あった>ので、>あさから>こころまちに>まっていると>せんせい>なかなか>らいな>いやね。>ひるめしを>くってすとーぶの>まえで>ばりー・>ぺーんの>こっけい>ぶつを>よんでいる>ところ>へ>しずおかの>ははから>てがみが>きたからみると、>としよりだけに>いつまでも>ぼくを>しょうともの>ように>おもってね。>かんちゅうは>やかん>がいしゅつを>するなとか、>れいすい>よくも>いいが>すとーぶを>たいてしつを>煖かに>してやらないと>かぜを>ひくとか>いろいろの>ちゅういが>ある>の>さ。>なるほど>おやは>ありがたい>ものだ、>たにんでは>とてもこうは>いかないと、>のんきな>ぼくも>そのときだけは>だいに>かんどうした。>それに>つけても、>こんなにのらくら>していては>もったいない。>なにか>だいちょじゅつでも>してかめいを>あげなくては>ならん。>ははの>いきている>うちに>てんかを>してめいじの>ぶんだんに>迷>てい>せんせい>あるを>ち>ら>しめたいと>いう>きに>なった。>それからなお>よんでいくとおまえ>なんぞは>じつに>しあわせ>しゃだ。>ろしあと>せんそうが>はじまってわかい>ひとたちは>たいへんな>しんくを>しておくにの>ために>働>ら>いているのにせっき>しわすでも>おしょうがつの>ように>きらくに>あそんでいると>かいてある。――>ぼくは>これでも>ははの>おもっ>てる>ように>あそん>じゃいな>いやね――>そのあとへ>以てきて、>ぼくの>しょうがっこう>じだいの>ほうゆうで>こんどの>せんそうに>でてしんだり>まけ>きず>したもののなまえが>れっきょしてある>の>さ。>そのなまえを>いちいち>よんだ>ときには>なんだか>よのなかが>あじけなく>なってにんげんも>つまらないと>いう>きが>たったよ。>いちばん｜>しまいに>ね。>わたし>しも>とる>としに>そうろえばしょしゅんの>ごぞうにを>いわいこうも>こんど>かぎりかと……>なんだか>こころぼそい>ことが>かいてある>んで、>なおのこと>きが>くさくさ>してしまってはやく>こちが>くればよいと>おもったが、>せんせい>どうしても>こない。>そのうち>とうとう>ばん>めしに>なったから、>ははへ>へんじでも>かこうと>おもってちょいと>じゅうに>さんこう>かいた。>ははの>てがみは>ろくしゃく>いじょうも>ある>のだがぼくには>とてもそんな>げいは>できんから、>いつでも>じゅうこう>ないがいで>ごめん｜>こうむる>ことに>きわめて>ある>の>さ。>すると>いちにち>うごかずに>おった>ものだから、>いの>ぐあいが>みょうで>くるしい。>こちが>きたら>また>せておけと>いう>きに>なって、>ゆうびんを>いれながらさんぽに>でかけたと>おもい>たまえ。>いつに>なく>ふじみちょうの>ほうへは>あしが>むかないでどて>さんばん>まちの>ほうへ>われれ>しらず>でてしまった。>ちょうど>そのばんは>すこしくもって、>から>ふうが>ごほりの>むこうから>ふきつける、>ひじょうに>さむい。>かぐらざかの>ほうから>きしゃが>ひゅーと>なってどてしたを>とおりすぎる。>たいへん｜>さびしい>かんじが>する。>くれ、>せんし、>ろうすい、>むじょう>じんそくなどと>いう>やつが>あたまの>なかを>ぐるぐる>馳>け>めぐる。>よく>ひとが>くびを>縊ると>いうが>こんなときに>ふと>さそわ>れてしぬ>きに>なる>のじゃないかと>おもいだす。>ちょいと>くびを>あげてどての>うえを>みると、>いつのまにか>れいの>まつの>ましたに>きている>の>さ」「>れいの>まつた、>なに>だい」と>しゅじんが>だん>くを>なげいれる。「>くび>かかの>まつ>さ」と>迷>ていは>りょうを>ちぢめる。「>くび>かかの>まつは>おおとりの>だいでしょう」>かんげつが>はもんを>ひろげる。「>おおとりの>だい>のは>かね>かかの>まつで、>どて>さんばん>まちのは>くび>かかの>まつ>さ。>なぜこういう>なが>ついたかと>いうと、>むかし>しからの>いいつたえで>だれでも>このまつの>したへ>くると>くびが>縊りたく>なる。>どての>うえに>まつは>なんじゅう>ほんと>なく>あるが、>そら>くびくくりだと>きてみるとかならずこの>まつへ>ぶらさがっている。>としに>にさん｜>かえは>きっと>ぶらさがっている。>どうしても>たの>まつでは>しぬ>きに>ならん。>みると、>うまい>ぐあいに>えだが>おうらいの>ほうへ>よこに>でている。>ああ>よい>えだぶりだ。>あのままに>しておく>のは>おしい>ものだ。>どうか>してあすこの>ところへ>にんげんを>さげてみたい、>だれか>こない>かしらと、>しへんを>みわたすとあいにく>だれも>こない。>しかたが>ない、>じぶんで>さがろうか>しらん。>いやいや>じぶんが>さがっては>いのちが>ない、>あぶないからよ>そう。>しかしむかしの>まれ>臘>じんは>えんかいの>せきで>くびくくりの>まねを>してよきょうを>そえたと>いう>はなししが>ある。>いちにんが>だいの>うえへ>のぼってなわの>むすびめへ>くびを>いれる>とたんに>たの>ものが>だいを>けかえす。>くびを>いれた>とうにんは>だいを>ひか>れるとどうじに>なわを>ゆるめてとびおりるという>しゅこうである。>はたして>それが>じじつなら>べつだんおそれ>るるにも>およばん、>ぼくも>ひとつ>こころみようと>えだへ>てを>かけてみるとよい>ぐあいに>しわる。>しわり>あんばいが>じつに>びてきである。>くびが>かかってふわふわする>ところを>そうぞうしてみるとうれしくてたまらん。>ぜひ>やる>ことに>しようと>おもったが、>もし>こちが>きてまっていると>きのどくだと>かんがえだした。>それではまず>こちに>あってやくそくどおり>はなししを>して、>それから>でなおそうと>いう>きに>なってついに>うちへ>かえった>の>さ」「>それで>しが>さかえた>のか>い」と>しゅじんが>きく。「>おもしろいですな」と>かんげつが>にやにや>しながらいう。「>うちへ>かえってみるとこちは>きていない。>しかしきょうは>むよりどころ>しょさしつかえが>あってで>られぬ、>いずれ>えいじつ>ごめんごを>きすという>はしがきが>あった>ので、>やっと>あんしんして、>これなら>こころおき>なく>くびが>くびれる>うれしいと>おもった。>でさっそくげたを>ひき>かけて、>いそぎあしで>もとの>ところへ>ひきかえしてみる……」と>いってしゅじんと>かんげつの>かおを>みてすましている。「>みるとどうした>ん>だい」と>しゅじんは>すこしじれる。「>いよいよ>かきょうに>はいりますね」と>かんげつは>はおりの>ひもを>ひねくる。「>みると、>もう>だれか>きてさきへ>ぶらさがっている。>たったひとあし>ちがいでねえ>くん、>ざんねんな>ことを>したよ。>かんがえるとなんでも>そのときは>しにがみに>とり>つか>れた>んだね。>ぜーむすなどに>いわ>せると>ふくいしきかの>ゆうめい>かいと>ぼくが>そんざいしている>げんじつ>かいが>いっしゅの>いんが>ほうによって>かたみに>かんのうした>んだろう。>じつに>ふしぎな>ことが>ある>ものじゃないか」>迷>ていは>すまし>かえっている。　>しゅじんは>またやら>れたと>おもいながらなにも>いわずに>くうや>もちを>ほおばってくちを>もごもご>いわ>している。　>かんげつは>ひばちの>はいを>ていねいに>かき>ならして、>俯>むいてにやにや>わらっていたが、>やがて>くちを>ひらく。>きわめて>しずかな>ちょうしである。「>なるほど>うかがってみるとふしぎな>ことで>ちょっとあり>そうにも>おもわ>れませんが、>わたしなどは>じぶんで>やはり>にた>ような>けいけんを>つい>ちかごろ>した>ものですから、>すこしも>うたぐが>う>げに>なりません」「>おや>きみも>くびを>縊りたく>なった>のか>い」「>いえわたし>のは>くびじゃないんで。>これも>ちょうど>あければさくねんの>くれの>ことで>しかもせんせいと>どうじつ>どうこくくらいに>たった>できごとですからなおさらふしぎに>おもわ>れます」「>こりゃ>おもしろい」と>迷>ていも>くうや>もちを>ほおばる。「>そのひは>むこうじまの>ちじんの>いえで>ぼうねんかい｜>けんがっそうかいが>ありまして、>わたしも>それへ>ヴぁいおりんを>たずさえていきました。>じゅうご>ろくにん>れいじょうやら>れいふじんが>つどってなかなかせいかいで、>きんらいの>かいじと>おもうくらいに>ばんじが>ととのっていました。>ばんさんも>すみ>がっそうも>すんで>しほうの>はなししが>でてじこくも>だいぶ>おそく>なったから、>もう>いとまごいを>してかえろうかと>おもっていますと、>ぼうはかせの>ふじんが>わたしの>そばへ>きてあなたは○○>こ>さんの>ごびょうきを>ごしょうちですかと>こごえで>ききますので、>じつはその>りょうさんにち>まえに>あった>ときは>へいじょうの>とおり>どこも>わるい>ようには>みうけませんでしたから、>わたしも>おどろき>ろ>いてくわしく>ようすを>きいてみますと、>わたし>しの>あった>そのばんから>きゅうに>はつねつして、>いろいろな>譫>ごを>たえま>なく>くちばしる>そうで、>それだけなら>むべ>いですがその>譫>ごの>うちに>わたしの>なが>ときどき>でてくると>いう>のです」　>しゅじんは>むろん、>迷>てい>せんせいも「>おやすくないね」などという>つきなみは>いわず、>せいしゅくに>きんちょうしている。「>いしゃを>よんでみてもらうと、>なんだか>びょうめいは>わからんが、>なにしろ>ねつが>げき>しい>ので>のうを>おかしているから、>もし>すいみんざいが>おもう>ように>こうを>そうしないと>きけんであると>いう>しんだんだ>そうで>わたしは>それを>きく>や>いなや>いっしゅ>いやな>かんじが>たった>のです。>ちょうど>ゆめで>うなされる>ときの>ような>かさね>くるしい>かんじで>しゅういの>くうきが>きゅうに>こけい>たいに>なってしほうから>わがみを>しめつける>ごとく>おもわ>れました。>かえりみちにも>そのことばかりが>あたまの>なかに>あってくるしくてたまらない。>あのきれいな、>あのかいかつな>あのけんこうな○○>こ>さんが……」「>ちょっとしっけいだがまってくれ>たまえ。>さっきから>うかがっていると○○>こ>さんと>いう>のが>に｜>かえばかり>きこえる>ようだが、>もし>さしつかえが>なければうけたまわ>わりたいね、>きみ」と>しゅじんを>かえりみると、>しゅじんも「>うむ」と>なまへんじを>する。「>いやそれだけは>とうにんの>めいわくに>なるかも>しれませんからはいしましょう」「>すべて>曖々>しかとして>昧々>しか>たる>かたで>いく>つもりかね」「>れいしょうな>さっては>いけません、>ごく>まじめな>はなししな>んですから……>とにかく>あのふじんが>きゅうに>そんなびょうきに>なった>ことを>かんがえると、>じつに>ひからくようの>かんがいで>むねが>いっぱいに>なって、>そうしんの>かっきが>いちどに>すとらいきを>おこした>ように>げんきが>にわかに>めいってしまいまして、>ただ蹌々として>踉々という>かたち>ちで>あづまばしへ>きかかった>のです。>らんかんに>倚って>したを>みるとまんちょうか>かんちょうか>わかりませんが、>くろい>みずが>かたまってただ>うごいている>ように>みえます。>はなかわどの>ほうから>じんりきしゃが>いちだい｜>馳>けてきてはしの>うえを>とおりました。>そのちょうちんの>ひを>みおくっていると、>だんだんしょう>く>なってさっぽろ>びーるの>ところで>きえました。>わたしは>またみずを>みる。>するとはるかの>かわかみの>ほうで>わたしの>なを>よぶ>こえが>きこえる>のです。>はてな>いまじぶん>じんに>よば>れる>わけはないがだれだろうと>みずの>めんを>すかしてみましたがくらくてなににも>わかりません。>きの>せいに>ちがいない>そうそうかえろうと>おもっていっそく>にそく>あるき>だすと、>またかすかな>こえで>とおくから>わたしの>なを>よぶ>のです。>わたしは>またたち>とまってみみを>たててききました。>さんどめに>よば>れた>ときには>らんかんに>つかまっていながらひざがしらが>がくがく>悸>え>だした>のです。>そのこえは>とおくの>ほうか、>かわの>そこから>でる>ようですがまぎれも>ない○○>この>こえな>んでしょう。>わたしは>おぼえず「>はーい」と>へんじを>した>のです。>そのへんじが>おおきかった>ものですからしずかな>みずに>ひびいて、>じぶんで>じぶんの>こえに>おどろかさ>れて、>はっと>しゅういを>みわたしました。>ひとも>いぬも>つきも>なににも>みえません。>そのときに>わたしは>この「>よる」の>なかに>まきこま>れて、>あのこえの>でる>ところへ>いきたいと>いう>きが>むらむらと>たった>のです。○○>この>こえが>またくるし>そうに、>うったえる>ように、>救を>もとめる>ように>わたしの>みみを>さしとおした>ので、>こんどは「>いま｜>じかに>いきます」と>こたえてらんかんから>はんしんを>だしてくろい>みずを>ながめました。>どうも>わたしを>よぶ>こえが>なみの>したから>むりに>もれてくる>ように>おもわ>れましてね。>このみずの>しただなと>おもいながらわたしは>とうとう>らんかんの>うえに>のりましたよ。>こんど>よんだら>とびこもうと>けっしんしてりゅうを>みつめているとまたあわれな>こえが>いとの>ように>ういてくる。>ここだと>おもってちからを>こめていったん>とびあがっておいて、>そしてこいしか>なぞの>ように>みれん>なく>おちてしまいました」「>とうとう>とびこんだ>のか>い」と>しゅじんが>めを>ぱちつかせてとう。「>そこまで>いこうとは>おもわなかった」と>迷>ていが>じぶんの>はなの>あたまを>ちょいと>つまむ。「>とびこんだ>あとは>きが>とおく>なって、>しばらくは>むちゅうでした。>やがて>めが>さめてみるとさむくは>あるが、>どこも>ぬれた>ところも>なにも>ない、>みずを>のんだ>ような>かんじも>しない。>たしかに>とびこんだ>はずだがじつに>ふしぎだ。>こりゃ>へんだと>きがついてそこ>い>らを>みわたすと>おどろきましたね。>みずの>なかへ>とびこんだ>つもりでいた>ところが、>つい>まちがってはしの>まんなかへ>とびおりた>ので、>そのときは>じつに>ざんねんでした。>まえと>うしろの>あいだ>違だけで>あのこえの>でる>ところへ>いく>ことが>できなかった>のです」>かんげつは>にやにや>わらいながられいのごとく>はおりの>ひもを>にやっかいに>している。「>はははは>これは>おもしろい。>ぼくの>けいけんと>よく>にている>ところが>きだ。>やはり>ぜーむす>きょうじゅの>ざいりょうに>なるね。>にんげんの>かんのうと>いう>だいで>しゃせいぶんに>したら>きっと>ぶんだんを>おどろかすよ。……>そしてその○○>こ>さんの>びょうきは>どうなったかね」と>迷>てい>せんせいが>ついきゅうする。「>にさん>にちまえ>ねんしに>いきましたら、>もんの>うちで>げじょと>はねを>ついていましたからびょうきは>ぜんかいした>ものと>みえます」　>しゅじんは>さいぜんから>ちんしの>からだであったが、>このとき>ようやく>くちを>ひらいて、「>ぼくにもある」と>まけぬ>きを>だす。「>あるって、>なにが>ある>ん>だい」>迷>ていの>がんちゅうに>しゅじんなどは>むろん>ない。「>ぼく>のも>きょねんの>くれの>ことだ」「>みんな>きょねんの>くれは>あんごうで>みょうですな」と>かんげつが>わらう。>かけた>まえばの>うちに>くうや>もちが>ついている。「>やはり>どうじつ>どうこくじゃないか」と>迷>ていが>まぜかえす。「>いやにちは>ちがう>ようだ。>なにでも>にじゅう>にちころだよ。>さいくんが>おせいぼの>かわりに>せっつ>だいじょうを>きかしてくれろと>いうから、>つれていってやらん>ことも>ないがきょうの>かたりものは>なにだと>きいたら、>さいくんが>しんぶんを>さんこうしてうなぎだにだと>いう>の>さ。>うなぎだには>きらいだからきょうは>よそうと>そのひは>やめに>した。>よくじつに>なるとさいくんが>またしんぶんを>もってきてきょうは>ほりかわだからいいでしょうと>いう。>ほりかわは>しゃみせん>もので>にぎわいや>かなばかりで>みが>ないからよ>そうと>いうと、>さいくんは>ふへいな>かおを>してひきさがった。>そのよくじつに>なるとさいくんが>いうには>きょうは>さんじゅう>さんけん>どうです、>わたしは>ぜひ｜>せっつの>さんじゅう>さんけん>どうが>ききたい。>あなたは>さんじゅう>さんけん>どうも>ごきらいか>しらないが、>わたしに>きか>せる>のだからいっしょに>いってくだすっても>むべ>いでしょうと>て>つめの>だんぱんを>する。>おまえが>そんなに>いきたい>なら>おこなっても>むべ>ろ>しい、>しかしいっせいちだいと>いうのでたいへんな>おおいりだからとうてい>突>かけに>いったって>はいいれる>きづかいはない。>がんらい>ああ>いう>ばしょへ>いくには>ちゃやと>いう>ものが>あってそれと>こうしょうしてそうとうの>せきを>よやくする>のが>せいとうの>てつづきだから、>それを>ふまないでつねただしを>だっした>ことを>する>のは>よくない、>ざんねんだがきょうは>やめようと>いうと、>さいくんは>すごい>め>づけを>して、>わたしは>おんな>ですからそんな>むずかしい>てつづきなんか>しりませんが、>おおはらの>おはは>あ>さんも、>すずきの>きみよ>さんも>せいとうの>てつづきを>ふまないでりっぱに>きいてきた>んですから、>いくら>あなたが>きょうしだからって、>そうてすうの>かかる>けんぶつを>しないでも>すみましょう、>あなたは>あんまりだと>なく>ような>こえを>だす。>それじゃだめでも>まあ>いく>ことに>しよう。>ばん>めしを>くってでんしゃで>いこうと>こうさんを>すると、>いくなら>よんじまでに>むこうへ>つく>ように>しなくっちゃいけません、>そんなぐずぐずしてはいら>れませんと>きゅうに>ぜいが>いい。>なぜ>よんじまでに>いかなくては>だめな>んだと>ききかえすと、>そのくらい>はやく>おこなってばしょを>とらなくちゃはいいれないからですとすずきの>きみよ>さんから>おしえ>られた>とおりを>のべる。>それじゃ>よんじを>すぎればもう>だめな>んだねと>ねんを>おしてみたら、>ええ>だめですともと>こたえる。>するときみ>ふしぎな>ことには>そのときから>きゅうに>おかんが>し>だしてね」「>おくさん>がですか」と>かんげつが>きく。「>なに>さいくんは>ぴんぴん>してい>ら>あね。>ぼくが>さ。>なんだか>あなの>あいた>ふうせん>だまの>ように>いちどに>いしゅくする>かんじが>おこると>おもうと、>もう>めが>ぐらぐら>してうごけなく>なった」「>きゅうびょうだね」と>迷>ていが>ちゅうしゃくを>くわえる。「>ああ>こまった>ことに>なった。>さいくんが>としに>いちどの>がんだからぜひ｜>かなえてやりたい。>へいぜい>しかりつけたり、>くちを>きかなかったり、>しんじょうの>くろうを>さ>せたり、>しょうともの>せわを>さ>せたり>するばかりで>なにひとつ>洒>掃>しんすいの>ろうに>むくいた>ことはない。>きょうは>さいわいじかんも>ある、>のうちゅうには>よんご>まいの>と>ぶつもある。>つれていけばいか>れる。>さいくんも>いき>たいだろう、>ぼくも>つれていってやりたい。>ぜひつれていってやりたいがこうおかんが>してめが>くらんでは>でんしゃへ>のるどころか、>くつ>だっへ>おりる>ことも>できない。>ああ>きのどくだ>きのどくだと>おもうとなお>おかんが>してなお>めが>くらんでくる。>はやく>いしゃに>みてもらってふくやくでも>したら>よんじ>まえには>ぜんかいするだろうと、>それから>さいくんと>そうだんを>してあまぎ>いがく>しを>むかいに>やるとあいにく>さくやが>とうばんで>まだだいがくから>かえらない。>にじ>ころには>ごかえりに>なりますから、>かえり>しだい>すぐあげますという>へんじである。>こまったなあ、>いま｜>きょうにん>みずでも>のめば>よんじ>まえには>きっと>癒>るに>きょくって>いる>んだが、>うんの>わるい>ときには>なにごとも>おもう>ように>いかん>もので、>たまさか>さいくんの>よろこぶ>えがおを>みてらく>もうと>いう>よさんも、>がらりと>はずれ>そうに>なってくる。>さいくんは>うらめしい>かお>づけを>して、>とうてい>いらっしゃれませんかと>きく。>いくよ>かならずいくよ。>よんじまでには>きっと>なおってみせるからあんしんしているがいい。>はやく>かおでも>あらってきものでも>き>かえてまっているがいい、と>くちでは>いった>ような>ものの>きょうちゅうは>むげんの>かんがいである。>おかんは>ますますげき>しく>なる、>めは>いよいよ>ぐらぐら>する。>もしや>よんじまでに>ぜんかいしてやくそくを>りこうする>ことが>できなかったら、>きの>せまい>おんなの>ことだからなにを>するかも>しれない。>なさけない>しぎに>なってきた。>どうしたら>よかろう。>まんいちの>ことを>かんがえるといまの>うちに>ういてんぺんの>り、>しょうじゃひつめつの>みちを>とき>きかして、>もしもの>へんが>たった>とき>とりみださないくらいの>かくごを>さ>せる>のも、>おっとの>つまにたいする>ぎむではあるまいかと>かんがえだした。>ぼくは>そくかに>さいくんを>しょさいへ>よんだよ。>よんでおまえは>おんな>だけれどもえむえいえぬわいえいえすえるあいぴー>'twixtてぃーえっちいーしーゆーぴーえいえぬでぃーてぃーえっちいーえるあいぴーと>いう>せいようの>ことわざくらいは>こころえているだろうと>きくと、>そんなよこもじ>なんか>だれが>しる>もんですか、>あなたは>ひとが>えいごを>しらない>のを>ごぞんじの>くせに>わざと>えいごを>つかってひとに>からかう>のだから、>むべ>しゅう>ございます、>どうせ>えいごな>んかは>できない>んですから、>そんなに>えいごが>ごすきなら、>なぜ耶>そ>がっこうの>そつぎょうせいかな>んかを>おもらい>なさらなかった>んです。>あなたくらい>れいこくな>ひとは>ありは>しないと>ひじょうな>けんまく>なんで、>ぼくも>せっかくの>けいかくの>こしを>おら>れてしまった。>きみ>とうにも>べんかいするがぼくの>えいごは>けっして>あくいで>つかった>わけじゃない。>まったくつまを>あいする>しじょうから>でた>ので、>それを>つまの>ように>かいしゃくさ>れては>ぼくも>たつせが>ない。>それに>さっきからの>おかんと>めまいで>すこしのうが>みだれていた>ところへ>もってきて、>はやく>ういてんぺん、>しょうじゃひつめつの>りを>のみこま>せようと>すこしせきこんだ>ものだから、>つい>さいくんの>えいごを>しらないと>いう>ことを>わすれて、>なにの>きも>つかずに>つかってしまった>わけ>さ。>かんがえるとこれは>ぼくが>あくるい、>まったくておちであった。>このしっぱいで>おかんは>ますますつよく>なる。>めは>いよいよ>ぐらぐら>する。>さいくんは>めいぜ>られた>とおり>ふろ>じょうへ>おこなってりょうはだを>ぬいでごけしょうを>して、>たんすから>きものを>だしてき>かえる。>もう>いつでも>でかけ>られますという>ふぜいで>まちかまえている。>ぼくは>きが>きでない。>はやくあまぎ>くんが>きてくれればよいがと>おもってとけいを>みるともう>さんじだ。>よんじには>もう>いちじかんしか>ない。「>そろそろでかけましょうか」と>さいくんが>しょさいの>ひらきどを>あけてかおを>だす。>じぶんの>つまを>ほめる>のは>おかしい>ようであるが、>ぼくは>このときほど>さいくんを>うつくしいと>おもった>ことはなかった。>もろはだを>ぬいでせっけんで>みがき>あげた>ひふが>ぴか>ついてくろ>ちりめんの>はおりと>はんえいしている。>そのかおが>せっけんと>せっつ>だいじょうを>きこうと>いう>きぼうとの>ふたつで、>ゆうけい>むけいの>りょうほうめんから>てるや>いてみえる。>どうしても>そのきぼうを>まんぞくさ>せてでかけてやろうと>いう>きに>なる。>それじゃふんぱつしていこうかな、と>いっぷくふかしていると>ようやく>あまぎ>せんせいが>きた。>うまい>ちゅうもんどおりに>いった。>がようだいを>はなすと、>あまぎ>せんせいは>ぼくの>したを>ながめて、>てを>にぎって、>むねを>たたいてせを>なでて、>まぶちを>ひっくりかえして、>ずがいこつを>さすって、>しばらくかんがえこんでいる。「>どうも>すこしけん>呑の>ような>きが>しまして」と>ぼくが>いうと、>せんせいは>おちついて、「>いえ>かくべつの>ことも>ござい>ますまい」と>いう。「>あの>ちょっとくらい>がいしゅついたしても>さしつかえはございます>ま>いね」と>さいくんが>きく。「>さよう」と>せんせいは>またかんがえこむ。「>ごきぶん>さえ>ごわるくなければ……」「>きぶんは>わるいですよ」と>ぼくが>いう。「>じゃともかくも>とんぷくと>みずぐすりを>あげますから」「>へえ>どうか、>なんだか>ちと、>あぶない>ように>なり>そうですな」「>いやけっして>ごしんぱいに>なるほどの>こと>じゃございません、>しんけいを>ごおこしに>なるといけませんよ」と>せんせいが>かえる。>さんじは>さんじゅう>ふんすぎた。>げじょを>くすり>とりに>やる。>さいくんの>げんめいで>馳け>で>していって、>馳け>で>してかえってくる。>よんじ>じゅうご>ふんまえである。>よんじには>まだ>じゅうご>ふんある。>すると>よんじ>じゅうご>ふんまえ>ころから、>いままで>なんとも>なかったのに、>きゅうに>嘔>きを>催>おしてきた。>さいくんは>みずぐすりを>ちゃわんへ>そそいでぼくの>まえへ>おいてくれたから、>ちゃわんを>とりあげてのもうと>すると、>いの>なか>からげ>ーと>いう>ものが>とっかんしてでてくる。>やむをえず>ちゃわんを>したへ>おく。>さいくんは「>はやくごのみに>なったら>むべ>いでしょう」と>逼る。>はやく>のんではやく>でかけなくては>ぎりが>わるい。>おもいきってのんでしまおうと>またちゃわんを>くちびるへ>つけるとまたげーが>しゅうねんぶかく>ぼうがいを>する。>のもうとしては>ちゃわんを>おき、>のもうとしては>ちゃわんを>おいていると>ちゃのまの>はしらどけいが>ちんちんちんちんと>よんじを>うった。>さあ>よんじだ>ぐず>ぐず>してはおら>れんと>ちゃわんを>またとりあげると、>ふしぎだね>え>きみ、>じつに>ふしぎとは>このことだろう、>よんじの>おととともに>はきけが>すっかり>とまってみずぐすりが>なにの>く>なしに>のめたよ。>それから>よんじ>じゅうふん>ころに>なると、>あまぎ>せんせいの>めいいという>ことも>はじめてりかいする>ことが>できた>んだが、>せなかが>ぞくぞくする>のも、>めが>ぐらぐら>する>のも>ゆめの>ように>きえて、>とうぶん>たつ>ことも>できまいと>おもった>びょうきが>たちまちぜんかいした>のは>うれしかった」「>それからかぶきざへ>いっしょに>いった>のか>い」と>迷>ていが>ようりょうを>えんと>いう>かお>づけを>してきく。「>いきたかったが>よんじを>すぎちゃ、>はいいれないと>いう>さいくんの>いけんなんだからしかたが>ない、>やめに>したさ。>もう>じゅうご>ふんばかり>はやく>あまぎ>せんせいが>きてくれたら>ぼくの>ぎりも>たつし、>つまも>まんぞくしたろうに、>わずか>じゅうご>ぶんのさでね、>じつに>ざんねんな>ことを>した。>かんがえだすとあぶない>ところだったと>いまでも>おもう>の>さ」　>かたり>りょう>った>しゅじんは>ようやく>じぶんの>ぎむを>すました>ような>かぜを>する。>これで>りょうにんにたいして>かおが>たつと>いう>きかも>しれん。　>かんげつは>れいのごとく>かけた>はを>だしてわらいながら「>それは>ざんねんでしたな」と>いう。　>迷>ていは>とぼけた>かおを>して「>きみの>ような>しんせつな>おっとを>もった>さいくんは>じつに>しあわせだな」と>ひとりごとの>ように>いう。>しょうじの>かげで>えへんと>いう>さいくんの>せきばらいが>きこえる。　>わがはいは>おとなしく>さんにんの>はなししを>じゅんばんに>きいていたがおかしくも>かなしくも>なかった。>にんげんという>ものは>じかんを>つぶす>ために>しいてくちを>うんどうさ>せて、>おかしくも>ない>ことを>わらったり、>おもしろくも>ない>ことを>うれし>がったり>する>ほかに>のうも>ない>ものだと>おもった。>わがはいの>しゅじんの>わがままで>へんきょうな>ことは>まえから>しょうちしていたが、>へいじょうは>ことば>すうを>つかわないのでなんだか>りょうかいし>かねる>てんが>ある>ように>おもわ>れていた。>そのりょうかいし>かねる>てんに>すこしは>おそれ>し>いと>いう>かんじも>あったが、>いまの>はなしを>きいてから>きゅうに>けいべつしたく>なった。>かれは>なぜりょうにんの>はなししを>ちんもくしてきいてい>られない>のだろう。>まけぬ>きに>なってぐにも>つかぬ>だべんを>ろうすればなにの>しょとくが>あるだろう。>えぴくてたすに>そんなことを>しろと>かいてある>のか>しらん。>ようするに>しゅじんも>かんげつも>迷>ていも>たいへいの>いつみんで、>かれらは>へちまのごとく>かぜに>ふか>れてちょうぜんと>すまし>きっている>ようなものの、>そのみは>やはり>しゃばけも>あり>よく>きもある。>きょうそうの>ねん、>かとう>かち>とうの>こころは>かれらが>にちじょうの>だんしょうちゅうにも>ちらちらと>ほのめいて、>いちほ>すすめばかれらが>へいじょう｜>ばとうしている>ぞっこつ>ともと>ひとつあなの>どうぶつに>なる>のは>ねこより>みてきのどくの>いたりである。>ただその>げんご>どうさが>ふつうの>はんかつうのごとく、>ぶん>ぎり>かたちの>いやみを>おび>てない>のは>いささかの>とりどくでもあろう。　>こうかんがえるときゅうに>さんにんの>だんわが>おもしろくなく>なった>ので、>みけ>この>ようすでも>みてこようかと>にげんきんの>ごししょう>さんの>にわぐちへ>めぐる。>かどまつ>ちゅうもくかざりは>すでに>とりはらわ>れてしょうがつも>はやや>じゅうにちと>なったが、>うららかな>しゅんじつは>いちながれの>くもも>みえぬ>ふかき>そらより>しかい>てんかを>いちどに>てらして、>じゅうつぼに>たらぬ>にわの>めんも>がんじつの>しょこうを>うけた>ときより>鮮かな>かっきを>ていしている。>椽>がわに>ざぶとんが>ひとつ>あってひとかげも>みえず、>しょうじも>たて>きってある>のは>ごししょう>さんは>ゆにでも>おこなった>のか>しらん。>ごししょう>さんは>るすでも>かまわんが、>みけ>こは>すこしは>むべ>い>ほうか、>それが>きがかりである。>ひっそりしてひとの>きあいも>しないから、>どろあしの>まま>椽>がわへ>のぼってざぶとんの>まんなかへ>ね>てん>ろ>んで>みると>いい>こころもちだ。>つい>うとうとと>して、>みけ>この>ことも>わすれてうたたねを>していると、>きゅうに>しょうじの>うちで>ひとごえが>する。「>ごくろうだった。>できたか>え」>ごししょう>さんは>やはり>るすではなかった>のだ。「>はい>おそく>なりまして、>ぶっし>やへ>まいりましたら>ちょうど>でき>のぼった>ところだと>もうしまして」「>どれ>おみせ>なさい。>ああ>きれいに>できた、>これで>みけも>うかば>れましょう。>きんは>はげる>ことはあるまいね」「>え>え>ねんを>おしましたら>じょうとうを>つかったからこれなら>にんげんの>いはいよりも>もつと>もうしておりました。……>それからねこ>ほまれ>しんにょの>ほまれの>じは>くずした>ほうが>かっこうが>いいからすこし劃を>えき>えたと>もうしました」「>どれどれ>さっそくごぶつだんへ>あげてごせんこうでも>あげましょう」　>みけ>こは、>どうか>した>のかな、>なんだか>ようすが>へんだと>ふとんの>うえへ>たちのぼる。>ちー>ん>みなみ>むねこ>ほまれ>しんにょ、>なむあみだぶつ>なむあみだぶつと>ごししょう>さんの>こえが>する。「>おまえも>えこうを>しておやり>なさい」　>ちー>ん>みなみ>むねこ>ほまれ>しんにょ>なむあみだぶつ>なむあみだぶつと>こんどは>げじょの>こえが>する。>わがはいは>きゅうに>どうきが>してきた。>ざぶとんの>うえに>たった>まま、>きぼりの>ねこの>ように>めも>うごかさない。「>ほんとに>ざんねんな>ことを>いたしましたね。>はじめは>ちょいと>かぜを>ひいた>んでございましょうがねえ」「>あまぎ>さんが>くすりでも>くださると、>よかったかも>しれないよ」「>いったい>あの>あまぎ>さんが>あく>うございますよ、>あんまりみけを>ばかに>し>すぎ>ま>さあね」「>そうひとさまの>ことを>わるく>いう>ものではない。>これも>じゅみょうだから」　>みけ>こも>あまぎ>せんせいに>しんさつしてもらった>ものと>みえる。「>つまるところおもてどおりの>きょうしの>うちの>のらねこが>む>あんに>さそいだしたからだと、>わたしは>おもうよ」「>ええ>あの>ちくしょうが>みけ>のか>たきでございますよ」　>すこしべんかいしたかったが、>ここが>がまんの>しどころと>つばを>のんできいている。>はなしは>しばしとぎれる。「>よのなかは>じゆうに>ならん>ものでの>う。>みけの>ような>きりょう>よしは>はやじにを>するし。>ぶきりょうな>のらねこは>たっしゃで>いたずらを>しているし……」「>そのとおりでございますよ。>みけの>ような>かわいらしい>ねこは>かねと>たいこで>さがしてある>いたって、>ににんと>はおりませんからね」　>にひきと>いう>かわりに>にたりと>いった。>げじょの>かんがえでは>ねこと>にんげんとは>どうしゅぞく>ものと>おもっているらしい。>そういえばこの>げじょの>かおは>われ>とう｜>ねこ>しょくと>はなはだ>るいじしている。「>できる>ものなら>みけの>かわりに……」「>あのきょうしの>ところの>のらが>しぬとごあつらえ>どおりに>まいった>んでございますがねえ」　>ごあつらえ>どおりに>なっては、>ちと>こまる。>しぬと>いう>ことは>どんなものか、>まだけいけんした>ことが>ないからすきとも>きらいとも>うん>えないが、>せんじつ>あまりさむいのでひけし>つぼの>なかへ>もぐりこんでいたら、>げじょが>わがはいが>いる>のも>しらんでうえから>ふたを>した>ことが>あった。>そのときの>くるし>さは>かんがえても>おそれ>しく>なるほどであった。>はく>くんの>せつめいに>よるとあの>くるしみが>いま>すこしつづくと>しぬ>ので>ある>そうだ。>みけ>この>みがわりに>なる>のなら>くじょうも>ないが、>あのくるしみを>うけなくては>しぬ>ことが>できない>のなら、>だれの>ためでも>しに>たくはない。「>しかしねこでも>ぼうさんの>ごけいを>よんでもらったり、>かいみょうを>こしらえてもらった>のだからこころのこりはあるまい」「>そうでございますとも、>まったくかほうものでございますよ。>ただよくを>いうとあの>ぼうさんの>ごけいが>あまりけいしょうだった>ようでございますね」「>すこしたんか>すぎた>ようだったから、>たいへん>ごはや>うございますねと>ごたずねを>したら、>げっけいじ>さんは、>ええ>ききめの>ある>ところを>ちょいと>やっておきました、>なに>ねこだから>あのくらいで>じゅうぶん>じょうどへ>いか>れますとおっしゃったよ」「>あら>まあ……>しかしあの>のらな>んかは……」　>わがはいは>なまえはないとしばしば>ことわっておくのに、>このげじょは>のら>のらと>わがはいを>よぶ。>しっけいな>やっこだ。「>つみが>ふかい>んですから、>いくら>ありがたい>ごけいだって>うかば>れる>ことはございませんよ」　>わがはいは>そのご>のらが>なんひゃく>へんくりかえさ>れたかを>しらぬ。>わがはいは>このさいげん>なき>だんわを>ちゅうとで>きき>すてて、>ふとんを>すべり>おちて椽>がわから>とびおりた>とき、>はちまん>はちせん>はちひゃく>はちじゅう>ほんの>もうはつを>いちど>にたててみぶるいを>した。>そのご>にげんきんの>ごししょう>さんの>きんじょへは>よりついた>ことが>ない。>いまごろは>ごししょう>さん>じしんが>げっけいじ>さんから>けいしょうな>ごえこうを>うけているだろう。　>ちかごろは>がいしゅつする>ゆうきも>ない。>なんだか>せけんが>慵>うく>かんぜ>ら>るる。>しゅじんに>おとらぬ>ほどの>むせい>ねこと>なった。>しゅじんが>しょさいにのみ>とじ>こもっている>のを>ひとが>しつれんだ>しつ>こいだと>ひょうする>のも>むりはないと>おもう>ように>なった。　>ねずみは>まだとった>ことが>ないので、>いちじは>ご>さんから>ほうちくろんさえ>ていしゅつさ>れた>ことも>あったが、>しゅじんは>わがはいの>ふつう>いっぱんの>ねこでないと>いう>ことを>しっている>ものだからわがはいは>やはり>のらくら>してこの>いえに>きがしている。>このてんについては>ふかく>しゅじんの>おんを>かんしゃするとどうじに>そのかつがんにたいして>けいふくの>いを>ひょう>するに>ちゅうちょしない>つもりである。>ご>さんが>わがはいを>しらず>してぎゃくたいを>する>のは>べつに>はらも>たたない。>いまに>ひだり>じんごろうが>でてきて、>わがはいの>しょうぞうを>ろうもんの>はしらに>きざみ、>にっぽんの>す>たん>らんが>このんでわがはいの>にがおを>かんヴぁすの>うえに>えがく>ように>なったら、>かれら｜>どん瞎>かんは>はじめてじこの>ふめいを>はじ>ずるであろう。　　　　　　　　>さん　>みけ>こは>しぬ。>くろは>あいてに>ならず、>いささか>せきばくの>かんは>あるが、>さいわいにんげんに>ちきが>できたのでさほど>たいくつとも>おもわぬ。>せんだっては>しゅじんの>もとへ>わがはいの>しゃしんを>おくってくれと>てがみで>いらいした>おとこが>ある。>このあいだは>おかやまの>めいさん｜>きび>だんごを>わざわざわがはいの>なあてで>とどけてくれた>ひとが>ある。>だんだんにんげんから>どうじょうを>よせ>ら>るるにしたがって、>おのれが>ねこである>ことは>ようやく>ぼうきゃくしてくる。>ねこよりは>いつのまにか>にんげんの>ほうへ>せっきんしてきた>ような>こころもちに>なって、>どうぞくを>きゅうごうして>にほん>あしの>せんせいと>しゆうを>けっし>ようなどと>いう>りょう>みは>さっこんの>ところ>もうとうない。>それの>みか>おりおりは>わがはいも>またにんげん>せかいの>いちにんだと>おもう>おりさえ>あるくらいに>しんかした>のは>たのもしい。>あえて>どうぞくを>けいべつする>しだいではない。>ただせいじょうの>ちかき>ところに>むかっていっしんの>やすきを>おくは>ぜいの>しから>しむ>る>ところで、>これを>へんしんとか、>けいはくとか、>うらぎりとか>ひょうせら>れては>ちと>めいわく>する。>かような>げんごを>ろうしてひとを>ばりする>ものに>かぎってゆうずうの>きかぬ>びんぼうしょうの>おとこが>おおい>ようだ。>こうねこの>しゅうへきを>だっかしてみるとみけ>こや>くろの>ことばかり>にやっかいに>している>わけには>いかん。>やはり>にんげん>どうとうの>きぐらいで>かれらの>しそう、>げんこうを>ひょう隲>したく>なる。>これも>むりはあるまい。>ただそのくらいな>けんしきを>ゆうしている>わがはいを>やはり>いっぱん｜>ねこ>じの>けの>はえた>ものくらいに>おもって、>しゅじんが>わがはいに>ひとことの>あいさつも>なく、>きび>だんごを>わがものがおに>くい>つくした>のは>ざんねんの>しだいである。>しゃしんも>まだとっておくらぬ>ようすだ。>これも>ふへいと>いえばふへいだが、>しゅじんは>しゅじん、>わがはいは>わがはいで、>そうごの>けんかいが>しぜん｜>ことなる>のは>いたしかたもあるまい。>わがはいは>どこまでも>にんげんに>なりすましている>のだから、>こうさいを>せぬ>ねこの>どうさは、>どうしても>ちょいと>ふでに>のぼり>にくい。>迷>てい、>かんげつ>しょせんせいの>ひょうばんだけで>ごめん｜>こうむる>ことに>いたそう。　>きょうは>うえ>てんきの>にちようなので、>しゅじんは>のそのそ>しょさいから>でてきて、>わがはいの>そばへ>ひっけんと>げんこう>ようしを>ならべてはら>這に>なって、>しきりに>なにか>うなっている。>おおがた>そうこうを>かき>おろす>じょびらきとして>みょうな>こえを>はっする>のだろうと>ちゅうもくしていると、>やや>しばらくしてふでぶとに「>こう>いち※」と>かいた。>はてな>しに>なるか、>はいくに>なるか、>こう>いち※とは、>しゅじんに>しては>すこししゃれ>すぎているがと>おもう>まもなく、>かれは>こう>いち※を>かき>はなしに>して、>あらたに>ぎょうを>あらためて「>さっきから>てんねん>こじの>ことを>かこうと>かんがえている」と>ふでを>はしら>せた。>ふでは>それだけで>はたと>とまっ>たぎり>うごかない。>しゅじんは>ふでを>もってくびを>ひねったがべつだんめいあんも>ない>ものと>みえてふでの>ほを>甞>め>だした。>くちびるが>まっくろに>なったと>みていると、>こんどは>そのしたへ>ちょいと>まるを>かいた。>まるの>なかへ>てんを>ふたつ>うってめを>つける。>まなかへ>こばなの>ひらいた>はなを>かいて、>まいちもんじに>くちを>よこへ>ひっぱった、>これでは>ぶんしょうでも>はいくでもない。>しゅじんも>じぶんで>あいそが>つきたと>みえて、>そこそこに>かおを>ぬり>けしてしまった。>しゅじんは>またぎょうを>あらためる。>かれの>こうに>よるとぎょうさえ>あらためればしか>さんか>ごか>ろくか>なにかに>なるだろうと>ただ>あても>なく>かんがえているらしい。>やがて「>てんねん>こじは>くうかんを>けんきゅうし、>ろんごを>よみ、>しょういもを>くい、>はなしるを>たらす>ひとである」と>げんぶん>いっちたいで>いっきかせいに>かきながした、>なんとなく>ごたごたした>ぶんしょうである。>それからしゅじんは>これを>えんりょなく>ろうどくして、>いつに>なく「>はははは>おもしろい」と>わらったが「>はなしるを>たらす>のは、>ちと>こくだからけそう」と>そのくだけ>へ>ぼうを>ひく。>いちほんで>すむ>ところを>にほん>びき>さんほん>ひき、>きれいな>へいこうせんを>えがく、>せんが>ほかの>ぎょうまで>はみだしても>かまわず>ひいている。>せんが>はちほん>ならんでも>あとの>くが>できないと>みえて、>こんどは>ふでを>すててひげを>ひねってみる。>ぶんしょうを>ひげから>ひねりだしてごらんに>いれますという>けんまくで>もうれつに>ひねっては>ねじあげ、>ねじ>おろしている>ところへ、>ちゃのまから>さいくんが>でてきてぴたりと>しゅじんの>はなの>さきへ>すわ>わる。「>あなた>ちょっと」と>よぶ。「>なんだ」と>しゅじんは>すいちゅうで>どらを>たたく>ような>こえを>だす。>へんじが>きにいらないと>みえてさいくんは>また「>あなた>ちょっと」と>でなおす。「>なんだよ」と>こんどは>はなの>あなへ>おやゆびと>ひとさしゆびを>いれてはなげを>ぐっと>ぬく。「>こんげつは>ちっと>たりませんが……」「>たりん>はずはない、>いしゃへも>やくれいは>すましたし、>ほんやへも>せんげつ>はらった>じゃないか。>こんげつは>あまらなければならん」と>すましてぬきとった>はなげを>てんかの>きかんのごとく>ながめている。「>それでもあなたが>ごはんを>めし>のぼらんでめん>麭を>おたべに>なったり、>じゃむを>おなめに>なる>ものですから」「>がんらい>じゃむは>いくかん>なめた>のか>い」「>こんげつは>やっつ>はいりましたよ」「>やっつ？　>そんなに>なめた>おぼえはない」「>あなたばかりじゃありません、>こどもも>なめます」「>いくら>なめたって>ごろく>えんくらいな>ものだ」と>しゅじんは>へいきな>かおで>はなげを>いちほん>いちほん>ていねいに>げんこう>しの>うえ>へ>しょく>つける。>にくが>ついているのでぴんと>はりを>たてた>ごとくに>たつ。>しゅじんは>おもわぬ>はっけんを>してかんじいった>からだで、>ふっと>ふいてみる。>ねんちゃくりょくが>つよいのでけっして>とばない。「>いやに>がんこだな」と>しゅじんは>いっしょうけんめいに>ふく。「>じゃむばかりじゃない>んです、>ほかに>かわなけりゃ、>ならない>ものも>あります」と>さいくんは>だいに>ふへいな>きしょくを>りょうほおに>みなぎら>す。「>あるかも>しれ>ないさ」と>しゅじんは>またゆびを>つっこんでぐいと>はなげを>ぬく。>あかい>のや、>くろい>のや、>しゅじゅの>いろが>交>る>なかに>いちほん>まっしろな>のが>ある。>だいに>おどろいた>ようすで>あなの>ひらくほど>ながめていた>しゅじんは>ゆびの>こへ>はさんだ>まま、>そのはなげを>さいくんの>かおの>まえへ>だす。「>あら、>いやだ」と>さいくんは>かおを>しかめて、>しゅじんの>てを>つきもどす。「>ちょっとみ>ろ、>はなげの>はくはつだ」と>しゅじんは>だいに>かんどうした>ようすである。>さすがの>さいくんも>わらいながらちゃのまへ>はいいる。>けいざい>もんだいは>だんねんしたらしい。>しゅじんは>またてんねん>こじに>とり>かかる。　>はなげで>さいくんを>おいはらった>しゅじんは、>まず>これで>あんしんと>いわぬ>ば>かりに>はなげを>ぬいては>げんこうを>かこうと>あせる>からだであるがなかなかふでは>うごかない。「>しょういもを>くうも>だそくだ、>かつあいしよう」と>ついに>このくも>まっさつする。「>こう>いち※」に>ぼうてん］も>あまりとうとつだからやめろ」と>惜>きも>なく>ひっちゅうする。>あます>ところは「>てんねん>こじは>くうかんを>けんきゅうし>ろんごを>よむ>ひとである」と>いう>いっくに>なってしまった。>しゅじんは>これでは>なんだか>かんたん>すぎる>ようだなと>かんがえていたが、>ええ>めんどうくさい、>ぶんしょうは>ごはいしに>して、>めいだけに>しろと、>ふでを>じゅうもんじに>ふるってげんこう>しの>うえへ>へたな>ぶんじん>がの>らんを>ぜい>よく>かく。>せっかくの>くしんも>いちじ>のこらず>らくだいと>なった。>それからうらを>かえして「>くうかんに>うまれ、>くうかんを>きわめ、>くうかんに>しす。>そら>たり>かん>たり>てんねん>こじ>噫」と>いみふめいな>かたりを>つらねている>ところへ>れいのごとく>迷>ていが>はいいってくる。>迷>ていは>ひとの>いえも>じぶんの>いえも>おなじものと>こころえている>のか>あんないも>こわず、>ずかずか>のぼってくる、>のみ>ならず>ときには>かってぐちから>ひょうぜんと>まいこむ>ことも>ある、>しんぱい、>えんりょ、>き>けん>、くろう、を>うまれる>とき>どこかへ>ふり>おとした>おとこである。「>またきょじん>いんりょくかね」と>たった>まま>しゅじんに>きく。「>そう、>いつでも>きょじん>いんりょくばかり>かいては>おらん>さ。>てんねん>こじの>はか>めいを>せんしている>ところ>なんだ」と>おおげさな>ことを>いう。「>てんねん>こじと>いうな>あ>やはり>ぐうぜん>どうじの>ような>かいみょうかね」と>迷>ていは>ふそう>へん>でたらめを>いう。「>ぐうぜん>どうじと>いう>のも>ある>のか>い」「>なに>ありゃ>しないがまず>そのけんとうだろうと>おもってい>ら>あね」「>ぐうぜん>どうじと>いう>のは>ぼくの>しった>ものじゃない>ようだがてんねん>こじと>いう>のは、>きみの>しっ>てる>おとこだぜ」「>いったい>だれが>てんねん>こじなんて>なを>つけてすましている>ん>だい」「>れいの>曾>りょ>さきの>ことだ。>そつぎょうしてだいがくいんへ>はいいってくうかん>ろんと>いう>だいもくで>けんきゅうしていたが、>あまりべんきょうし>すぎてふくまくえんで>しんでしまった。>曾>りょ>さきは>あれでも>ぼくの>しんゆう>なんだからな」「>しんゆうでも>いい>さ、>けっして>わるいと>うんや>しない。>しかしその>曾>りょ>さきを>てんねん>こじに>へんかさ>せた>のは>いったい>だれの>しょさ>だい」「>ぼくさ、>ぼくが>つけてやった>んだ。>がんらい>ぼうずの>つける>かいみょうほど>ぞくな>ものは>ないからな」と>てんねん>こじは>よほど>みやびな>なの>ように>じまんする。>迷>ていは>わらいながら「>まあ>そのぼひめいと>いう>やっこを>みせ>たまえ」と>げんこうを>とりあげて「>なんだ……>くうかんに>うまれ、>くうかんを>きわめ、>くうかんに>しす。>そら>たり>かん>たり>てんねん>こじ｜>噫」と>おおきなこえで>よみ>のぼる。「>なるほど>こりゃ>あ>よい、>てんねん>こじ>そうとうの>ところだ」>しゅじんは>うれし>そうに「>よいだろう」と>いう。「>このはか>めいを>たくあん>せきへ>ほり>つけてほんどうの>うらてへ>ちから>せきの>ように>ほうりだしておく>んだね。>みやびで>いいや、>てんねん>こじも>うかば>れる>わけだ」「>ぼくも>そうしようと>おもっている>の>さ」と>しゅじんは>しごく>まじめに>こたえたが「>ぼく>あ>ちょっとしっけいするよ、>じき>かえるからねこにでも>からかっていてくれ>たまえ」と>迷>ていの>へんじも>またず>かぜ>しかと>でていく。　>はからずも>迷>てい>せんせいの>せったいかかりを>めいぜ>られてぶあいそうな>かおも>してい>られないから、>にゃーにゃーと>あいきょうを>ふり>まいてひざの>うえへ>はい>のぼってみた。>すると迷>ていは「>いよー>だいぶ>ふとったな、>どれ」と>ぶさほうにも>わがはいの>えりがみを>つかんでちゅうへ>つる>す。「>あと>あしを>こうぶらさげては、>ねずみは>とれ>そうも>ない、……>どうです>おくさん>このねこは>ねずみを>とりますかね」と>わがはいばかりでは>ふそくだと>みえて、>となりの>しつの>さいくんに>はなしかける。「>ねずみ>どころじゃございません。>ごぞうにを>たべておどりを>おどる>んです>もの」と>さいくんは>とんだ>ところで>きゅうあくを>あばく。>わがはいは>ちゅうのりを>しながらも>しょうしょうきまりが>わるかった。>迷>ていは>まだわがはいを>おろしてくれない。「>なるほど>おどりでも>おどり>そうな>かおだ。>おくさん>このねこは>ゆだんの>ならない>そうごうですぜ。>むかし>しの>くさぞうしに>ある>ねこまたに>にていますよ」と>かってな>ことを>いいながら、>しきりに>さいくんに>はなしかける。>さいくんは>めいわく>そうに>はりしごとの>てを>やめてざしきへ>でてくる。「>どうも>ごたいくつ>さま、>もう>かえりましょう」と>ちゃを>そそぎ>えき>えて迷>ていの>まえへ>だす。「>どこへ>おこなった>んですかね」「>どこへ>まいるにも>ことわっていった>ことの>ない>おとこですからわかり>かねますが、>おおかたごいしゃへでも>おこなった>んでしょう」「>あまぎ>さんですか、>あまぎ>さんも>あんな>びょうにんに>つかまっちゃさいなんですな」「>へえ」と>さいくんは>あいさつの>しようも>ないと>みえてかんたんな>こたえを>する。>迷>ていは>いっこう>とんじゃくしない。「>ちかごろは>どうです、>すこしは>いの>かげんが>あたい>んですか」「>あたいか>わるいか>とみと>わかりません、>いくら>あまぎ>さんに>かかったって、>あんなにじゃむばかり>甞>めては>いびょうの>なおる>わけが>ないと>おもいます」と>さいくんは>せんこくの>ふへいを>あんに>迷>ていに>もらす。「>そんなに>じゃむを>甞>め>る>んですか>まるで>しょうともの>ようですね」「>じゃむばかりじゃない>んで、>このころは>いびょうの>くすりだとか>いってだいこんおろし>しを>む>あんに>甞>め>ます>ので……」「>おどろき>ろ>いたな」と>迷>ていは>かんたんする。「>なにでも>だいこんおろしの>なかには>じやすたーぜが>あるとか>いう>はなししを>しんぶんで>よんでからです」「>なるほど>それでじゃむの>そんがいを>つぐなおうと>いう>しゅこうですな。>なかなかかんがえてい>ら>あ>はははは」と>迷>ていは>さいくんの>訴を>きいてだいに>ゆかいな>きしょくである。「>このあいだなどは>あかんぼうにまで>甞>めさ>せまして……」「>じゃむを>で>すか」「>いいえ>だいこんおろしを……>あなた。>ぼうや>ごとうさまが>うまい>ものを>やるからおいで>てって、――>たまに>しょうともを>かわいがってくれるかと>おもうとそんな>ばかな>ことばかり>する>んです。>にさん>にちまえには>ちゅうの>むすめを>いだいてたんすの>うえへ>あげましてね……」「>どういう>しゅこうが>ありました」と>迷>ていは>なにを>きいても>しゅこう>ずくめに>かいしゃくする。「>なに>しゅこうも>なにも>ありゃ>しません、>ただその>うえから>とびおりてみろと>いう>んですわ、>みっつや>よっつの>おんなのこです>もの、>そんなごてん>ばばな>ことが>できる>はずが>ないです」「>なるほど>こりゃ>しゅこうが>な>さ>すぎましたね。>しかしあれで>はらのうちは>どくの>ない>ぜんにんですよ」「>あのうえ>はらのうちに>どくが>あっちゃ、>からし>ぼうは>できません>わ」と>さいくんは>だいに>きえんを>あげる。「>まあ>そんなに>ふへいを>いわんでも>よいで>さあ。>こうやってふそくなく>そのひ>そのひが>くらしていか>れればうえの>ぶんですよ。>く>さや>くんなどは>どうらくは>せず、>ふくそうにも>かまわず、>じみに>せたい>むきに>でき>のぼった>ひとで>さあ」と>迷>ていは>えに>ない>せっきょうを>ようきな>ちょうしで>やっている。「>ところがあなた>だい>ちがいで……」「>なにか>ないないで>やりますかね。>ゆだんの>ならない>よのなかだからね」と>ひょうぜんと>ふわふわした>へんじを>する。「>ほかの>どうらくはないですが、>む>あんに>よみも>しない>ほんばかり>かいましてね。>それも>よい>かげんに>みはからってかってくれると>よい>んですけれど、>かってに>まるぜんへ>おこなっちゃ>なんさつでも>とってきて、>げつまつに>なるとしらんかおを>している>んです>もの、>きょねんの>くれなんか、>つきづき>のが>たまってたいへん>こまりました」「>なあに>しょもつなんか>とってくるだけ>とってきてかまわんですよ。>はらいを>とりに>きたら>いまに>やる>いまに>やると>いっていりゃ>かえってしまい>ま>さあ」「>それでも、>そういつまでも>ひっぱる>わけにも>まいりませんから」と>さいくんは>ぶぜんと>している。「>それじゃ、>わけを>はなしてしょせき>ひを>さくげんさ>せるさ」「>どうして、>そんなげんを>いったって、>なかなかきく>ものですか、>このあいだなどは>きさまは>がくしゃの>つまにも>にあわん、>ごうも>しょせきの>かちを>かいしておらん、>むかし>し>ら>うまに>こういう>はなししが>ある。>こうがくの>ため>きいておけと>いう>んです」「>そりゃおもしろい、>どんなはなししですか」>迷>ていは>の>きに>なる。>さいくんに>どうじょうを>あらわしていると>いうより>むしろ>こうき>こころに>から>れている。「>なに>んでも>むかし>し>ら>うまに>たる>きんとか>いう>おうさまが>あって……」「>たる>きん？　>たる>きんは>ちと>みょうですぜ」「>わたしは>とうじんの>なな>んか>むずかしくておぼえ>られません>わ。>なにでも>ななだいめ>なんだ>そうです」「>なるほど>ななだいめ>たる>きんは>みょうですな。>ふん>その>ななだいめ>たる>きんが>どうか>しましたかい」「>あら、>あなたまで>ひやかしては>たつせが>ありません>わ。>しっていらっしゃるなら>おしえてくださればいいじゃ>ありませんか、>ひとの>わるい」と、>さいくんは>迷>ていへ>くってかかる。「>なに>ひやかすなんて、>そんなひとの>わるい>ことを>する>ぼくじゃない。>ただ>ななだいめ>たる>きんは>ふっ>てると>おもってね……>ええ>おまちな>さいよ>ら>うまの>ななだいめの>おうさまですね、>こうっとたしかには>おぼえていないがたーくいん・>ぜ・>ぷらう>どの>ことでしょう。>まあ>だれでも>いい、>そのおうさまが>どうしました」「>そのおうさまの>ところへ>いちにんの>おんなが>ほんを>きゅうさつ>もってきてかってくれないかと>いった>んだ>そうです」「>なるほど」「>おうさまが>いくらなら>うると>いってきいたら>たいへんな>たかい>ことを>いう>んですって、>あまりたかい>もんだからすこしまけないかと>いうとその>おんなが>いきなり>きゅうさつの>うちの>さんさつを>ひに>くべてたいてしまった>そうです」「>おしい>ことを>しましたな」「>そのほんの>うちには>よげんか>なにか>ほかで>み>られない>ことが>かいてある>んですって」「>へえー」「>おうさまは>きゅうさつが>ろくさつに>なったからすこしは>あたいも>へったろうと>おもって>ろくさつで>いくらだと>きくと、>やはり>もとの>とおり>いちぶんも>ひかない>そうです、>それは>らんぼうだと>いうと、>そのおんなは>また>さんさつを>とってひに>くべた>そうです。>おうさまは>まだみれんが>あったと>みえて、>あまった>さんさつを>いくらで>うると>きくと、>やはり>きゅうさつ>ぶんの>ねだ>んを>くれと>いう>そうです。>きゅうさつが>ろくさつに>なり、>ろくさつが>さんさつに>なっても>だいかは、>もとの>とおり>いちりんも>ひかない、>それを>ひか>せようと>すると、>のこっ>てる>さんさつも>ひに>くべるかも>しれないので、>おうさまは>とうとう>たかい>ごきんを>だしてたけ>あまりの>さんさつを>かった>んですって……>どうだ>このはなししで>すこしは>しょもつの>ありがたみが>わかったろう、>どうだと>ちから>あじ>む>のですけれど、>わたしにゃ>なにが>ありがたい>んだか、>まあ>わかりませんね」と>さいくんは>いっかの>けんしきを>たてて迷>ていの>へんとうを>促が>す。>さすがの>迷>ていも>しょうしょうきゅうしたと>みえて、>たもとから>はんけちを>だしてわがはいを>じゃらしていたが「>しかしおくさん」と>きゅうに>なにか>かんがえついた>ように>おおきなこえを>だす。「>あんなにほんを>かってや>たらに>つめこむ>ものだからひとから>すこしは>がくしゃだとか>なんとか>いわ>れる>んですよ。>このあいだ>ある>ぶんがく>ざっしを>みたら>く>さや>くんの>ひょうが>でていましたよ」「>ほんとに？」と>さいくんは>むきなおる。>しゅじんの>ひょうばんが>きに>かかる>のは、>やはり>ふうふと>みえる。「>なんとか>いてあった>んです」「>なあに>にさん>こうばかりですがね。>く>さや>くんの>ぶんは>こううんりゅうすいのごとしと>ありましたよ」>さいくんは>すこしにこにこして「>それ>ぎりで>すか」「>そのつぎにね――>で>ずるかと>おもえばたちまち>きえ、>ゆいては>ながえに>かえるを>忘ると>ありましたよ」>さいくんは>みょうな>かおを>して「>しょう>め>たんでしょうか」と>こころ>もとない>ちょうしである。「>まあ>しょう>めた>ほうで>しょうな」と>迷>ていは>すましてはんけちを>わがはいの>めの>まえに>ぶらさげる。「>しょもつは>しょう>がい>どうぐで>しかたもござん>すまいが、>よっぽど>へんくつでし>てねえ」>迷>ていは>またべっとの>ほうめんから>きたなと>おもって「>へんくつは>しょうしょうへんくつですね、>がくもんを>する>ものは>どうせ>あん>なですよ」と>ちょうしを>あわせる>ような>べんごを>する>ような>ふそくふりの>みょう>こたえを>する。「>せんだってなどは>がっこうから>かえってすぐわきへ>でる>のに>きものを>き>かえる>のが>めんどうだ>ものですから、>あなた>がいとうも>ぬがないで、>つくえへ>こしを>かけてごはんを>たべる>のです。>ごぜんを>こたつ>やぐらの>うえへ>のせまして――>わたしは>ごひつを>かかえてすわっておりましたがおかしくって……」「>なんだか>はいからの>くびじっけんの>ようですな。>しかしそんな>ところが>く>さや>くんの>く>さや>くん>たる>ところで――>とにかく>つきなみでない」と>せつない>ほめ>かたを>する。「>つきなみか>つきなみでないか>おんなには>わかりませんが、>なんぼなにでも、>あまりらんぼうですわ」「>しかしつきなみより>よいですよ」と>む>あんに>かせいすると>さいくんは>ふまんな>ようすで「>いったい、>つきなみ>つきなみと>みなさんが、>よく>おっしゃいますが、>どんなのが>つきなみな>んです」と>ひらきなおってつきなみの>ていぎを>しつもんする、「>つきなみですか、>つきなみと>いうと――>さよ>うちと>せつめいし>にくい>のですが……」「>そんなあいまいな>ものなら>つきなみだって>よ>さ>そうな>ものじゃ>ありませんか」と>さいくんは>にょにん>いちりゅうの>ろんり>ほうで>つめ>よせる。「>あいまいじゃ>ありませんよ、>ちゃんと>わかっています、>ただせつめいし>にくいだけの>ことで>さあ」「>なにでも>じぶんの>きらいな>ことを>つきなみと>いう>んでしょう」と>さいくんは>われ>しらず>うがった>ことを>いう。>迷>ていも>こうなるとなんとか>つきなみの>しょちを>つけなければならぬ>しぎと>なる。「>おくさん、>つきなみと>いう>のはね、>まず>としは>にはちか>にきゅう>からぬと>いわず>かたらず>ものおもいの>あいだに>ねころんでいて、>このひや>てんき>せいろうと>くるとかならずいっぴょうを>たずさえてすみ>つつみに>あそぶ>れんちゅうを>いう>んです」「>そんなれんちゅうが>あるでしょうか」と>さいくんは>わからん>ものだから>こうかげんな>あいさつを>する。「>なんだか>ごたごたしてわたしには>わかりません>わ」と>ついに>われを>おる。「>それじゃばきんの>どうへ>めじょお・>ぺん>でにすの>くびを>つけて>いちに>ねんおうしゅうの>くうきで>つつんでおく>んですね」「>そうするとつきなみが>できるでしょうか」>迷>ていは>へんじを>しないでわらっている。「>なに>そんなてすうの>かかる>ことを>しないでも>できます。>ちゅうがっこうの>せいとに>しらきやの>ばんがしらを>くわえて>にで>わるとりっぱな>つきなみが>でき>のぼります」「>そうでしょうか」と>さいくんは>くびを>ひねった>まま>なっとくし>かねたと>いう>ふぜいに>みえる。「>きみ>まだいる>のか」と>しゅじんは>いつのまにや>ら>かえってきて迷>ていの>そばへ>すわ>わる。「>まだいる>のかは>ちと>こくだな、>すぐかえるからまってい>たまえと>いった>じゃないか」「>ばんじ>あれな>んです>もの」と>さいくんは>迷>ていを>かえりみる。「>いま>くんの>るすちゅうに>きみの>いつわを>のこらず>きいてしまったぜ」「>おんなは>とかく>たべんで>いかん、>にんげんも>このねこくらい>ちんもくを>まもるといいがな」と>しゅじんは>わがはいの>あたまを>なでてくれる。「>きみは>あかんぼうに>だいこんおろし>しを>甞>めさ>した>そうだな」「>ふむ」と>しゅじんは>わらったが「>あかんぼうでも>ちかごろの>あかんぼうは>なかなかりこうだぜ。>それ>いらい、>ぼうや>つらい>のは>どこと>きくときっと>したを>だすからみょうだ」「>まるで>いぬに>げいを>しこむ>きでいるからざんこくだ。>ときに>かんげつは>もう>き>そうな>ものだな」「>かんげつが>くる>のか>い」と>しゅじんは>ふしんな>かおを>する。「>くる>んだ。>ごご>いちじまでに>く>さやの>いえへ>らいいと>はしがきを>だしておいたから」「>ひとの>つごうも>きかんで>かってな>ことを>する>おとこだ。>かんげつを>よんでなにを>する>ん>だい」「>なあに>きょうのは>こっちの>しゅこうじゃない>かんげつ>せんせい>じしんの>ようきゅうさ。>せんせい>なんでもりがく>きょうかいで>えんぜつを>するとか>いう>のでね。>そのけいこを>やるからぼくに>きいてくれと>いうから、>そりゃちょうど>いい>く>さやにも>きかしてやろうと>いう>のでね。>そこできみの>いえへ>よぶ>ことに>しておいた>の>さ――>なあに>きみは>ひま>じんだからちょうど>い>いやね――>さしつかえ>なんぞ>ある>おとこじゃない、>きくがいい>さ」と>迷>ていは>ひとりで>のみこんでいる。「>ぶつり>がくの>えんぜつなんか>しもべにゃ>わからん」と>しゅじんは>しょうしょう迷>ていの>せんだんを>いきどおった>ものの>ごとくに>いう。「>ところがその>もんだいが>まぐね>つけ>られた>のっずるに>ついてなどと>いう>かんそうむみな>ものじゃない>んだ。>くびくくりの>りきがくと>いう>だつぞくちょうぼんな>えんだいな>のだからけいちょうする>かちが>あるさ」「>きみは>くびを>縊り>そん>く>なった>おとこだからけいちょうするがよいがぼくな>ん>ざ>あ……」「>かぶきざで>おかんが>するくらいの>にんげんだからきか>れないと>いう>けつろんは>で>そうも>ないぜ」と>れいのごとく>かるくちを>たたく。>さいくんは>ほ>ほと>わらってしゅじんを>かえりみながらつぎのまへ>しりぞく。>しゅじんは>むごんの>まま>わがはいの>あたまを>なでる。>このとき>のみは>ひじょうに>ていねいな>なで>かたであった。　>それから>やくなな>ふんくらい>すると>ちゅうもんどおり>かんげつ>くんが>くる。>きょうは>ばんに>演>したを>すると>いうのでれいに>なく>りっぱな>ふろっくを>きて、>せんたくし>だての>しろ>えりを>そびやかして、>おとこぶりを>にわり>かた>あげて、「>すこしおくれまして」と>おちつき>はらって、>あいさつを>する。「>さっきから>ににんで>だいまちに>まった>ところ>なんだ。>さっそくねがおう、な>あ>きみ」と>しゅじんを>みる。>しゅじんも>やむをえず「>うむ」と>なまへんじを>する。>かんげつ>くんは>いそがない。「>こっぷへ>みずを>いっぱい>ちょうだいしましょう」と>いう。「>いよー>ほんしきに>やる>のか>つぎには>はくしゅの>せいきゅうと>おいで>なさるだろう」と>迷>ていは>ひとりで>さわぎたてる。>かんげつ>くんは>うちかくしから>そうこうを>とりだしてじょ>ろに「>けいこですから、>ごえんりょなく>ごひひょうを>ねがいます」と>ぜん置を>して、>いよいよ>演>したの>ごさらいを>はじめる。「>つみびとを>しぼ>ざいの>けいに>しょすると>いう>ことは>おもに>あんぐろさくそん>みんぞく>かんに>おこなわ>れた>ほうほうでありまして、>それより>こだいに>さかのぼってかんがえますとくびくくりは>おもに>じさつの>ほうほうとして>おこなわ>れた>ものであります。>なお>ふと>じん>ちゅうに>あっては>つみびとを>いしを>ほう>げ>つけてころす>しゅうかんであった>そうでございます。>きゅうやく>ぜんしょを>けんきゅうしてみますといわゆる>はんぎんぐ>なる>かたりは>つみびとの>したいを>つる>してやじゅう>またはにくしょくとりの>えじきと>する>いぎと>みとめ>られます。>へろどたすの>せつにしたがって>みますとなお>ふと>じんは>えじぷとを>さる>いぜんから>よなか>しがいを>さらさ>れる>ことを>いたく>いみきらった>ように>おもわ>れます。>えじぷと>じんは>つみびとの>くびを>きってどうだけを>じゅうじかに>くぎづけに>してよなか>さらし>ぶつに>した>そうでございます。>なみ>斯>じんは……」「>かんげつ>くん>くびくくりと>えんが>だんだんとおく>なる>ようだがだいじょうぶ>かい」と>迷>ていが>くちを>いれる。「>これからほんろんに>はいいる>ところですから、>しょうしょう｜>ごからし>ぼうを>ねがいます。……>さてなみ>斯>じんは>どうかと>もうしますとこれも>やはり>しょけいには>はりつけを>もちいた>ようでございます。>ただしいきている>うちに>はりつけに>いたした>ものか、>しんでから>くぎを>うった>ものか>そのへんは>ちと>わかり>かねます……」「>そんなことは>わからんでも>いいさ」と>しゅじんは>たいくつ>そうに>あくびを>する。「>まだいろいろごはなしし>いたしたい>こともございますが、>ごめいわくで>あ>らっしゃいましょうから……」「>あ>らっしゃいましょうより、>いらっしゃいましょう>の>かたが>きき>いいよ、>ねえ>く>さや>くん」と>また迷>ていが>とがめ>りつを>すると>しゅじんは「>どっちでも>おなじことだ」と>きの>ない>へんじを>する。「>さていよいよ>ほんだいに>はいりましてべんじます」「>べんじます>なんか>こうしゃくしの>うん>いぐさだ。>演>した>かは>もっと>じょうひんな>しを>つかってもらいたいね」と>迷>てい>せんせい>またまぜかえす。「>べんじますがげひんなら>なにと>いったら>いいでしょう」と>かんげつ>くんは>しょうしょうむっと>した>ちょうしで>といかける。「>迷>ていのは>きいている>のか、>まぜかえしている>のか>はんぜんしない。>かんげつ>くん>そんなわたる>つぎ>ばに>かまわず、>さっさと>やるがよい」と>しゅじんは>なるべく>はやく>なんかんを>きりぬけようと>する。「>むっと>してべんじ>まし>たる>やなぎかな、>かね」と>迷>ていは>あいかわらず>ひょうぜんたる>ことを>いう。>かんげつは>おもわずふきだす。「>しんに>しょけいとして>こうさつを>もちいました>のは、>わたしの>しらべました>けっかにより>ますると、>おでぃせーの>にじゅう>にかん>めに>でております。>すなわちかれの>てれまかすが>ぺねろぴーの>じゅうに>にんの>じじょを>こうさつするという>じょうりでございます。>まれ>臘>ごで>ほんぶんを>ろうどくしても>むべ>しゅう>ございますが、>ちと>てらう>ような>きみにも>なりますからやめに>いたします。>よんひゃく>ろくじゅう>ごこうから、>よんひゃく>ななじゅう>さんこうを>ごらんに>なると>わかります」「>まれ>臘>ご｜>しかじかは>よした>ほうが>いい、>さも>まれ>臘>ごが>できますといわんばかりだ、>ねえ>く>さや>くん」「>それは>ぼくも>さんせいだ、>そんなものほしそうな>ことは>いわん>ほうが>おくゆかしくてよい」と>しゅじんは>いつに>なく>ただちに>迷>ていに>かたんする。>りょうにんは>ごうも>まれ>臘>ごが>よめない>のである。「>それではこの>りょうさん>くは>こんばん>ぬく>ことに>いたしましてつぎを>べんじ――>ええ>もうしあげます。　>このこうさつを>いまから>そうぞうしてみますと、>これを>しっこうするに>ふたつの>ほうほうが>あります。>だいいちは、>かれの>てれまかすが>ゆーみあす>およびふ※>りーしゃすの>援を>藉りてなわの>いったんを>はしらへ>くくり>つけます。>そしてその>なわの>ところどころへ>むすびめを>あなに>あけてこの>あなへ>おんなの>あたまを>ひとつずつ>いれておいて、>かたほうの>たんを>ぐいと>ひっぱってつり>し>あげた>ものと>みる>のです」「>つまりせいよう>せんたくやの>しゃつの>ように>おんなが>ぶら>くだったと>みればよい>んだろう」「>そのとおりで、>それから>だいには>なわの>いったんを>まえのごとく>はしらへ>くくり>つけてたの>いったんも>はじめから>てんじょうへ>たかく>つる>のです。>そしてその>たかい>なわから>なんほんか>べつの>なわを>さげて、>それに>むすびめの>わに>なった>のを>つけておんなの>頸を>いれておいて、>いざと>いう>ときに>おんなの>あし>だいを>とりはずすと>いう>しゅこうな>のです」「>たとえていうとなわのれんの>さきへ>ちょうちん>だまを>つり>した>ような>けしきと>おもえばあいだ>違はあるまい」「>ちょうちん>だまと>いう>たまは>みた>ことが>ないからなんとも>もうさ>れませんが、>もし>あると>すればその>あたりの>ところかと>おもいます。――>それで>これからりきがく>てきに>だいいちの>ばあいは>とうてい>せいりつすべき>ものでないと>いう>ことを>しょうこだててごらんに>いれます」「>おもしろいな」と>迷>ていが>いうと「>うん>おもしろい」と>しゅじんも>いっちする。「>まず>おんなが>どうきょりに>つら>れると>かていします。>またいちばん>じめんに>ちかい>ににんの>おんなの>くびと>くびを>つないでいる>なわは>ほりぞん>たると>かていします。>そこであるふぁ>いちあるふぁ>に……あるふぁ>ろくを>なわが>ちへいせんと>かたちづくる>かくどと>し、てぃー>いちてぃー>に……てぃー>ろくを>なわの>かくぶが>うける>ちからと>み>做>し、てぃー>なな＝えっくすは>なわの>もっとも>ひくい>ぶぶんの>うける>ちからと>します。だぶりゅーは>もちろん>おんなの>たいじゅうと>ごしょうちください。>どうで>すごわかりに>なりましたか」　>迷>ていと>しゅじんは>かおを>みあわせて「>たいてい>わかった」と>いう。>ただしこの>たいていと>いう>どあいは>りょうにんが>かってに>つくった>のだからたにんの>ばあいには>おうようが>できないかも>しれない。「>さてたかく>かたちにかんする>ごぞんじの>へいきんせい>りろんに>よりますと、>したの>ごとく>じゅうにの>ほうていしきが>たちます。てぃー>いちしーおーえすあるふぁ>1=T2cosあるふぁ>に……>いちてぃー>にしーおーえすあるふぁ>2=T3cosあるふぁ>さん……>に……］」「>ほうていしきは>そのくらいで>たくさんだろう」と>しゅじんは>らんぼうな>ことを>いう。「>じつはこの>しきが>えんぜつの>しゅのうな>んですが」と>かんげつ>くんは>はなはだ>のこりおし>げに>みえる。「>それじゃしゅのうだけは>おってうかがう>ことに>しようじゃないか」と>迷>ていも>しょうしょうきょうしゅくの>からだに>みうけ>られる。「>このしきを>りゃくしてしまうとせっかくの>りきがく>てき>けんきゅうが>まるで>だめに>なる>のですが……」「>なに>そんなえんりょはいらんから、>ずんずん>りゃく>すさ……」と>しゅじんは>へいきで>いう。「>それではおおせにしたがって、>むりですがりゃくしましょう」「>それが>よかろう」と>迷>ていが>みょうな>ところで>てを>ぱちぱちと>たたく。「>それからえいこくへ>うつってろんじますと、>べおうるふの>なかに>こうしゅ>かすなわち>がる>がと>もうす>じが>みえますからしぼ>ざいの>けいは>このじだいから>おこなわ>れた>ものに>違>ないと>おもわ>れます。>ぶら>くす>とーんの>せつに>よるともし>しぼ>ざいに>しょせ>られる>つみびとが、>まんいちなわの>ぐあいで>しに>きれぬ>ときは>さいどどうようの>けいばつを>受>くべ>き>ものだと>してありますが、>みょうな>ことには>ぴやーす・>ぷろーまんの>なかには>たとえ>きょうかんでも>にど｜>しめる>ほうはないと>いう>くが>ある>のです。>まあ>どっちが>ほんとうか>しりませんが、>わるく>すると>いちどで>しねない>ことが>おうおう>じつれいに>あるので。>せんなな>ひゃくはち>じゅうろく>ねんに>ゆうめいな>ふ※>つ・>ぜらるどと>いう>あっかんを>しめた>ことが>ありました。>ところがみょうな>はずみで>いちどめには>だいから>とびおりる>ときに>なわが>きれてしまった>のです。>またやりなおすとこんどは>なわが>なが>すぎてあしが>じめんへ>ついたのでやはり>しねなかった>のです。>とうとう>さんかえ>めに>けんぶつにんが>てつだっておうじょうさしたと>いう>はなししです」「>やれやれ」と>迷>ていは>こんなところへ>くると>きゅうに>げんきが>でる。「>ほんとうに>しに>そん>いだな」と>しゅじんまで>うかれだす。「>まだおもしろい>ことが>あります>くびを>縊ると>せが>いっすんばかり>のびる>そうです。>これは>たしかに>いしゃが>はかってみた>のだからあいだ>違は>ありません」「>それは>しんくふうだね、>どうだい>く>さやなどは>ちと>つってもらっちゃあ、>ちょっと>のびたら>にんげんなみに>なるかも>しれ>ないぜ」と>迷>ていが>しゅじんの>ほうを>むくと、>しゅじんは>あんがいまじめで「>かんげつ>くん、>いっすんくらい>せが>のびていきかえる>ことが>あるだろうか」と>きく。「>それは>だめに>きょくって>います。>つら>れてせきずいが>のびるからなんで、>はやく>いうとせが>のびると>いうより>こわれる>んですからね」「>それじゃ、>まあ>とめよう」と>しゅじんは>だんねんする。　>えんぜつの>つづきは、>まだなかなかながく>あってかんげつ>くんは>くびくくりの>せいり>さようにまで>ろんきゅうする>はずでいたが、>迷>ていが>む>あんに>ふうらいぼうの>ような>ちん>ごを>はさむ>のと、>しゅじんが>ときどき>えんりょなく>あくびを>する>ので、>ついに>ちゅうとで>やめてかえってしまった。>そのばんは>かんげつ>くんが>いかなるたいどで、>いかなるゆうべんを>ふったか>とお>かたで>たった>できごとの>ことだからわがはいには>しれよう>わけが>ない。　>にさん>にちは>ことも>なく>すぎたが、>あるる>ひの>ごご>にじ>ころ>また迷>てい>せんせいは>れいのごとく>くうくうとして>ぐうぜん>どうじのごとく>まいこんできた。>ざに>つくと、>いきなり「>きみ、>おち>こちの>たかなわ>じけんを>きいたかい」と>りょじゅん>かんらくの>ごうがいを>しらせに>きたほどの>ぜいを>しめす。「>しらん、>ちかごろは>あわんから」と>しゅじんは>へいぜいの>とおり>いんきである。「>きょうは>そのこち>この>しっさくものがたりを>ごほうどうに>およぼうと>おもっていそがしい>ところを>わざわざきた>んだよ」「>またそんな>ぎょうさんな>ことを>いう、>きみは>ぜんたい｜>ふらちな>おとこだ」「>ははははは>ふらちと>うん>わんより>むしろ>むらちの>ほうだろう。>それだけは>ちょっとくべつしておいてもらわんと>めいよに>かんけいするからな」「>おんな>し>ことだ」と>しゅじんは>うそぶいている。>じゅんぜんたる>てんねん>こじの>さいらいだ。「>このまえの>にちように>こち>こが>たかなわ>せんがくじに>いった>んだ>そうだ。>このさむい>のに>よせばいいのに――>だいいち｜>いまどき>せんがくじなどへ>まいる>のは>さも>とうきょうを>しらない、>いなかものの>ようじゃないか」「>それは>こちの>かって>さ。>きみが>それを>とめる>けんりはない」「>なるほど>けんりは>まさに>ない。>けんりは>どうでも>いいが、>あのてらうちに>ぎし>いぶつ>ほぞんかいと>いう>みせものが>あるだろう。>きみ>しっ>てるか」「>うんにゃ」「>しらない？　>だってせんがくじへ>おこなった>ことは>あるだろう」「>いいや」「>ない？　>こりゃ>おどろき>ろ>いた。>どうりで>たいへん>こちを>べんごすると>おもった。>えど>っこが>せんがくじを>しらない>のは>なさけない」「>しらなくても>きょうしは>つとまるからな」と>しゅじんは>いよいよ>てんねん>こじに>なる。「>そりゃよいが、>そのてんらんじょうへ>こちが>はいいってけんぶつしていると、>そこ>へ>どいつ>じんが>ふうふ｜>れんで>きた>んだって。>それが>さいしょは>にほんごで>こちに>なにか>しつもんした>そうだ。>ところがせんせい>れいの>とおり>どいつ>ごが>つかってみたくてたまらん>おとこだろう。>そら>ふたくち>みつくち>べらべら>やってみたと>さ。>するとぞんがい>うまく>できた>んだ――>あとで>かんがえるとそれが>わざわいの>ほん>さね」「>それからどうした」と>しゅじんは>ついに>つりこま>れる。「>どいつ>じんが>おおたか>はじめ>われの>まきえの>いんろうを>みて、>これを>かいたいがうってくれるだろうかと>きく>んだ>そうだ。>そのとき>こちの>へんじが>おもしろいじゃないか、>にっぽんじんは>せいれんの>くんしばかりだからとうてい>だめだと>いった>んだと>さ。>そのへんは>おおいた>けいきが>よかったが、>それからどいつ>じんの>ほうでは>かっこうな>つうべんを>えた>つもりで>しきりに>きく>そうだ」「>なにを？」「>それが>さ、>なんだか>わかるくらいなら>しんぱいはない>んだが、>はやくちで>む>あんに>といかける>ものだからすこしも>ようりょうを>えない>の>さ。>たまに>わかるかと>おもうととびぐちや>かけやの>ことを>きか>れる。>せいようの>とびぐちや>かけやは>せんせい>なんと>ほんやくしてよい>のか>ならった>ことが>ない>んだからじゃく>わら>あね」「>もっともだ」と>しゅじんは>きょうしの>みのうえに>ひき>くらべてどうじょうを>ひょうする。「>ところへ>ひまじんが>ものめずらし>そうに>ぽつぽつ>つどってくる。>しまいには>こちと>どいつ>じんを>しほうから>とりまいてけんぶつする。>こちは>かおを>あかく>してへどもど>する。>はじめの>ぜいに>ひき>えき>えてせんせい>だいよわりの>からだ>さ」「>けっきょく>どうなった>ん>だい」「>しまいに>こちが>がまんできなく>なったと>みえてさいならと>にほんごで>いってぐんぐん>かえってきた>そうだ、>さいな>らは>すこしへんだ>きみの>くにでは>さよならを>さいならと>いうかって>きいてみたら>なに>やっぱり>さよならですがあいてが>せいよう>じんだからちょうわを>はかる>ために、>さいな>らに>した>んだって、>あずま>ふうこは>くるしい>ときでも>ちょうわを>わすれない>おとこだと>かんしんした」「>さいな>らは>いいが>せいよう>じんは>どうした」「>せいよう>じんは>あっけに>とら>れてぼうぜんと>みていた>そうだはははは>おもしろいじゃないか」「>べつだんおもしろい>こともない>ようだ。>それを>わざわざほうちに>くる>くんの>ほうが>よっぽど>おもしろいぜ」と>しゅじんは>まきたばこの>はいを>ひおけの>なかへ>はたき>おとす。>おり>がら>こうしどの>べるが>とび>のぼるほど>なって「>ごめん>なさい」と>するど>どい>おんなの>こえが>する。>迷>ていと>しゅじんは>おもわずかおを>みあわせてちんもくする。　>しゅじんの>うちへ>おんな>きゃくは>けうだなと>みていると、>かのするど>どい>こえの>しょゆうぬしは>ちりめんの>にまいがさねを>たたみへ>すりつけながらはいいってくる。>としは>よんじゅうの>うえを>すこしこした>くらいだろう。>ぬけ>のぼった>はえぎわから>まえがみが>ていぼう>こうじの>ように>たかく>そびえて、>すくなくとも>かおの>なが>さの>にふんの>はじめだけ>てんに>むかってせりだしている。>めが>きりどおしの>さかくらいな>こうばいで、>ちょくせんに>つるしあげ>られてさゆうに>たいりつする。>ちょくせんとは>くじらより>ほそいという>けいようである。>はなだけは>む>あんに>おおきい。>ひとの>はなを>ぬすんできてかおの>まんなかへ>すえつけた>ように>みえる。>さんつぼほどの>しょうにわへ>しょうこん>しゃの>いし>とう>かごを>うつした>ときのごとく、>ひとりで>はばを>きかしているが、>なんとなく>おちつかない。>そのはなは>いわゆるかぎ>はなで、>ひとたびは>せいいっぱい>たかく>なってみたが、>これでは>あんまりだと>ちゅうとから>けんそんして、>さきの>ほうへ>いくと、>はじめの>ぜいに>にず>たれ>かかって、>したに>ある>くちびるを>のぞき>こんでいる。>かく>ちょるし>い>はなだから、>このおんなが>ものを>いう>ときは>くちが>ものを>いうとうん>わんより、>はなが>くちを>きいているとしか>おもわ>れない。>わがはいは>このいだいなる>はなに>けいいを>ひょうする>ため、>いらいは>このおんなを>しょうしてはな>こ>はな>こと>よぶ>つもりである。>はな>こは>まず>しょたいめんの>あいさつを>おわって「>どうも>けっこうな>ごじゅうきょです>こと」と>ざしき>ちゅうを>にらめ>まわり>わ>す。>しゅじんは「>うそを>つけ」と>はらのうちで>いった>まま、>ぷかぷか>たばこを>ふかす。>迷>ていは>てんじょうを>みながら「>きみ、>ありゃ>あめ>もりか、>いたの>もくめか、>みょうな>もようが>でているぜ」と>あんに>しゅじんを>促が>す。「>むろん>あめの>もり>さ」と>しゅじんが>こたえると「>けっこうだなあ」と>迷>ていが>すましていう。>はな>こは>しゃこうを>しらぬ>ひとたちだと>はらのうちで>いきどおる。>しばらくは>さんにん｜>ていざの>まま>むごんである。「>ちと>うかがいたい>ことが>あって、>まいった>んですが」と>はな>こは>ふたたびはなしの>くちを>きる。「>はあ」と>しゅじんが>きわめて>れいたんに>うける。>これでは>ならぬと>はな>こは、「>じつはわたしは>つい>ごきんじょで――>あのむこう>よこちょうの>かどやしきな>んですが」「>あの>おおきなせいよう>かんの>くらの>ある>うちですか、>どうりで>あすこには>かねでんと>いう>ひょうさつが>でています>な」と>しゅじんは>ようやく>かねでんの>せいよう>かんと、>かねでんの>くらを>にんしきした>ようだがかねだ>ふじんにたいする>そんけいの>どあいは>まえと>どうようである。「>じつはやどが>でまして、>ごはなしを>うかがう>んですがかいしゃの>ほうが>たいへん>忙が>しい>もんですから」と>こんどは>すこしきいたろうという>め>づけを>する。>しゅじんは>いっこう>どうじない。>はな>この>せんこくからの>ことばづかいが>しょたいめんの>おんなとしては>あまりそんざいすぎるのですでに>ふへいな>のである。「>かいしゃでも>ひとつじゃない>んです、>ふたつも>みっつも>かねている>んです。>それにどの>かいしゃでも>じゅうやく>なんで――>たぶん>ごぞんじでしょうが」>これでも>おそれいらぬかと>いう>かお>づけを>する。>がんらい>ここの>しゅじんは>はかせとか>だいがく>きょうじゅとか>いうと>ひじょうに>きょうしゅくする>おとこであるが、>みょうな>ことには>じつぎょう>かにたいする>そんけいの>たびは>きわめて>ひくい。>じつぎょう>かよりも>ちゅうがっこうの>せんせいの>ほうが>えらいと>しんじている。>よし>しんじておらんでも、>ゆうずうの>きかぬ>せいしつとして、>とうてい>じつぎょう>か、>きんまん>かの>おんこを>こうむる>ことは>さとし>たば>ないと>たい>ら>めている。>いくら>せんぽうが>せいりょく>かでも、>ざいさん>かでも、>じぶんが>せわに>なる>みこみの>ないと>おもいきった>ひとの>りがいには>きわめて>むとんじゃくである。>それだからがくしゃ>しゃかいを>のぞいてたの>ほうめんの>ことには>きわめて>まが>濶で、>ことに>じつぎょう>かいなどでは、>どこに、>だれが>なにを>しているか>いっこう>しらん。>しっても>そんけいいふくの>ねんは>ごうも>おこらん>のである。>はな>この>ほうでは>あめがしたの>いちぐうに>こんなへんじんが>やはり>にっこうに>てらさ>れてせいかつしていようとは>ゆめにも>しらない。>いままで>よのなかの>にんげんにも>だいぶ>せっしてみたが、>かねでんの>つまですとなのって、>きゅうに>とりあつかいの>かわらない>ばあいはない、>どこの>かいへ>でても、>どんなみぶんの>たかい>ひとの>まえでも>りっぱに>かねでん>ふじんで>とおしていか>れる、>いわんや>こんな>いぶり>かえった>ろうしょせいに>おいてを>やで、>わたしの>いえは>むかう>よこちょうの>かどやしきですとさえ>いえばしょくぎょうなどは>きかぬ>さきから>おどろくだろうと>よきしていた>のである。「>かなだって>ひとを>しっ>てるか」と>しゅじんは>むぞうさに>迷>ていに>きく。「>しっ>てるとも、>かねだ>さんは>ぼくの>おじの>ともだちだ。>このあいだな>ん>ざ>えんゆうかいへ>おいでに>なった」と>迷>ていは>まじめな>へんじを>する。「>へえ、>きみの>おじ>さんて>えな>だれ>だい」「>まきやま>だんしゃく>さ」と>迷>ていは>いよいよ>まじめである。>しゅじんが>なにか>いおうとして>いわぬ>さきに、>はな>こは>きゅうに>むきなおって迷>ていの>ほうを>みる。>迷>ていは>おおしまつむぎに>ふっと>さらさか>なにか>かさねてすましている。「>おや、>あなたが>まきやま>さまの――>なにで>いらっしゃいますか、>ちっとも>ぞんじませんで、>はなはだ>しつれいを>いたしました。>まきやま>さまには>しじゅうごせわに>なると、>やどで>まいまい｜>ごうわさを>いたしております」と>きゅうに>ていねいな>ことば>しを>して、>おまけにごじぎまで>する、>迷>ていは「>へええ>なに、>はははは」と>わらっている。>しゅじんは>あっけに>とら>れてむごんで>ににんを>みている。「>たしか>むすめの>えんぺんの>ことにつきましても>いろいろまきやま>さまへ>ごしんぱいを>ねがいました>そうで……」「>へえー、>そうですか」と>こればかりは>迷>ていにも>ちと>とうとつ>すぎたと>みえてちょっとたまげた>ような>こえを>だす。「>じつはかたがたから>くれ>くれと>もうし>こみはございますが、>こちらの>みぶんも>ある>ものでございますから、>めったな>ところへも>かたづけ>られません>ので……」「>ごもっともで」と>迷>ていは>ようやく>あんしんする。「>それについて、>あなたに>うかがおうと>おもってあがった>んですがね」と>はな>こは>しゅじんの>ほうを>みてきゅうに>そんざいな>ことばに>かえる。「>あなたの>ところへ>みず>しま>かんげつという>おとこが>たびたびあがる>そうですが、>あのひとは>ぜんたい>どんなかぜな>ひとでしょう」「>かんげつの>ことを>きいて、>なにに>する>んです」と>しゅじんは>にがにがしく>いう。「>やはり>ごれいじょうの>ごこんぎ>じょうの>かんけいで、>かんげつ>くんの>せいこうの>いちまだらを>ごしょうちに>なりたいと>いう>わけでしょう」と>迷>ていが>きてんを>きかす。「>それが>うかがえればたいへん>つごうが>よろしい>のでございますが……」「>それじゃ、>ごれいじょうを>かんげつに>おやりに>なりたいと>おっしゃるんで」「>やり>たいなんて>えんじゃない>んです」と>はな>こは>きゅうに>しゅじんを>まいらせる。「>ほかにも>だんだんくちが>ある>んですから、>むりに>もらっていただかないだって>こまりゃ>しません」「>それじゃかんげつの>ことなんか>きかんでも>よいでしょう」と>しゅじんも>やっきと>なる。「>しかしごかくし>なさる>わけも>ないでしょう」と>はな>こも>しょうしょうけんかごしに>なる。>迷>ていは>そうほうの>あいだに>すわって、>ぎん>えんかんを>ぐんばい>うちわの>ように>もって、>こころの>うらで>はっけよ>いや>よいやと>どなっている。「>じゃあかんげつの>ほうで>ぜひ>もらいたいとでも>いった>のですか」と>しゅじんが>しょうめんから>てっぽうを>くわ>せる。「>もらいたいと>いった>んじゃない>んで>すけれども……」「>もらい>たいだろうと>おもっていらっしゃる>んですか」と>しゅじんは>このふじん>てっぽうに>かぎると>さとったらしい。「>はなしは>そんなに>はこん>でる>んじゃ>ありませんが――>かんげつ>さんだって>まんざら>うれしくない>ことも>ないでしょう」と>どひょうぎわで>もちなおす。「>かんげつが>なにか>そのごれいじょうに>れんちゃくしたと>いう>ような>ことでもありますか」>あるなら>いってみろと>いう>けんまくで>しゅじんは>そりかえる。「>まあ、>そんなけんとうでしょうね」>こんどは>しゅじんの>てっぽうが>すこしも>こうを>そうしない。>いままで>おもじろ>きに>ぎょうじ>きどりで>けんぶつしていた>迷>ていも>はな>この>ひとことに>こうき>こころを>ちょうはつさ>れた>ものと>みえて、>えんかんを>おいてまえへ>のりだす。「>かんげつが>ごじょう>さんに>つけぶみでも>した>んですか、>こりゃ>ゆかいだ、>しんねんに>なっていつわが>またひとつ>ふえてはなしの>こうざいりょうに>なる」と>いちにんで>よろこんでいる。「>つけぶみじゃない>んです、>もっと>はげしい>んで>さあ、>ご>ににんとも>ごしょうちじゃ>ありませんか」と>はな>こは>おつに>からまってくる。「>きみ>しっ>てるか」と>しゅじんは>きつねつきの>ような>かおを>して迷>ていに>きく。>迷>ていも>ばか>きた>ちょうしで「>ぼくは>しらん、>しっていりゃ>くんだ」と>つまらん>ところで>けんそんする。「>いえ>ごりょうにん>とも>ごぞんじの>ことですよ」と>はな>こだけ>だい>とくいである。「>へえー」と>ごりょうにんは>いちどに>かんじいる。「>ごわすれに>なったら>わたし>しから>ごはなしを>しましょう。>きょねんの>くれ>むこうじまの>あべ>さんの>ごやしきで>えんそうかいが>あってかんげつ>さんも>でかけた>じゃありませんか、>そのばん>がえりに>あづまばしで>なにか>あったでしょう――>くわしい>ことは>いい>ますまい、>とうにんの>ごめいわくに>なるかも>しれませんから――>あれだけの>しょうこが>ありゃ>じゅうぶんだと>おもいますが、>どんなものでしょう」と>こんごうせき>いりの>ゆび>わの>はまった>ゆびを、>ひざの>うえへ>併べて、>つんと>いず>まいを>なおす。>いだいなる>はなが>ますますいさいを>はなって、>迷>ていも>しゅじんも>あれどもむ>きがごとき>ありさまである。　>しゅじんは>むろん、>さすがの>迷>ていも>このふい>撃には>たんを>ぬか>れた>ものと>みえて、>しばらくは>ぼうぜんと>しておこりの>おちた>びょうにんの>ように>すわっていたが、>きょうがくの>たがが>ゆるんでだんだんもちまえの>ほんたいに>ふくするとともに、>こっけいと>いう>かんじが>いちどに>とっかんしてくる。>りょうにんは>もうしあわせた>ごとく「>ははははは」と>わらい>くずれる。>はな>こばかりは>すこしあてが>はずれて、>このさい>わらう>のは>はなはだ>しつれいだと>りょうにんを>にらみつける。「>あれが>ごじょう>さんですか、>なるほど>こりゃ>いい、>おっしゃる>とおりだ、>ねえ>く>さや>くん、>まったくかんげつは>おじょうさんを>こい>っ>てるに>そういないね……>もう>かくしたって>しようがないからはくじょうしようじゃないか」「>うふん」と>しゅじんは>いった>ままである。「>ほんとうに>ごかくし>なさっても>いけませんよ、>ちゃんと>たねは>のぼっ>てる>んですからね」と>はな>こは>またとくいに>なる。「>こうなりゃ>しかたが>ない。>なんでも>かんげつ>くんにかんする>じじつは>ごさんこうの>ために>ちんじゅつするさ、>おい>く>さや>くん、>きみが>しゅじんだ>のに、>そう、>にやにや>わらっていては>らちが>あかんじゃないか、>じつに>ひみつという>ものは>おそろしい>ものだねえ。>いくら>かくしても、>どこからか>ろけんするからな。――>しかしふしぎと>いえばふしぎですねえ、>かねでんの>おくさん、>どうして>このひみつを>ごたんちに>なった>んです、>じつに>おどろき>ろ>きます>な」と>迷>ていは>いちにんで>ちょう>したる。「>わたし>しの>ほうだって、>ぬかりは>ありま>せんやね」と>はな>こは>したりがおを>する。「>あんまり、>ぬかりが>な>さ>すぎる>ようですぜ。>いったい>だれに>ごききに>なった>んです」「>じき>このうらに>いる>くるまやの>かみ>さんからです」「>あのくろ>ねこの>いる>くるま>やですか」と>しゅじんは>めを>まるく>する。「>ええ、>かんげつ>さんの>ことじゃ、>よっぽど>つかいましたよ。>かんげつ>さんが、>ここへ>くる>たびに、>どんなはなししを>するかと>おもってくるまやの>かみ>さんを>たのんでいちいち>しら>せてもらう>んです」「>そりゃ苛>い」と>しゅじんは>おおきなこえを>だす。「>なあに、>あなたが>なにを>なさろうと>おっしゃろうと、>それに>かまっ>てる>んじゃない>んです。>かんげつ>さんの>ことだけですよ」「>かんげつの>ことだって、>だれの>ことだって――>ぜんたい>あのくるま>やの>かみ>さんは>きに>くわん>やつだ」と>しゅじんは>いちにん｜>おこり>だす。「>しかしあなたの>かきねの>そと>へ>きてたっている>のは>むこうの>かってじゃ>ありませんか、>はなししが>きこえてわるけりゃ>もっと>ちいさい>こえで>なさるか、>もっと>おおきなうちへ>ごはいいんな>さるが>いいでしょう」と>はな>こは>すこしも>せきめんした>ようすが>ない。「>くるま>やばかりじゃありません。>しんどうの>にげんきんの>ししょうからも>だいぶ>いろいろな>ことを>きいています」「>かんげつの>ことを>で>すか」「>かんげつ>さんばかりの>ことじゃ>ありません」と>すこしすごい>ことを>いう。>しゅじんは>おそれいるかと>おもうと「>あのししょうは>いやに>じょうひん>ぶってじぶんだけ>にんげんらしい>かおを>している、>ばか>やろうです」「>はばかりさま、>おんなですよ。>やろうは>みかど>ちがいです」と>はな>この>ことば>づかいは>ますますごさとを>あらわしてくる。>これでは>まるで>けんかを>しに>きた>ような>ものであるが、>そこへ>いくと>迷>ていは>やはり>迷>ていで>このだんぱんを>おもしろ>そうに>きいている。>てつ>枴>せんにんが>しゃもの>けあいを>みる>ような>かおを>してへいきで>きいている。　>わるぐちの>こうかんでは>とうてい>はな>この>てきでないと>じかくした>しゅじんは、>しばらくちんもくを>まもる>の>やむをえ>ざるに>いたり>ら>しめ>られていたが、>ようやく>おもいついたか「>あなたは>かんげつの>ほうから>ごじょう>さんに>れんちゃくしたよ>うにばかり>おっしゃるが、>わたしの>きいた>んじゃ、>すこしちがい>ますぜ、>ねえ>迷>てい>くん」と>迷>ていの>すくいを>もとめる。「>うん、>あのときの>はなししじゃごじょう>さんの>ほうが、>はじめ>びょうきに>なって――>なんだか>譫>ごを>いった>ように>きいたね」「>なに>そんなことは>ありません」と>かねだ>ふじんは>はんぜんたる>ちょくせん>りゅうの>ことば>づかいを>する。「>それでもかんげつは>たしかに○○>はかせの>ふじんから>きいたと>いっていましたぜ」「>それが>こっちの>て>なんで>さあ、○○>はかせの>おくさんを>たよんで>かんげつ>さんの>きを>ひいてみた>んで>さあね」「○○の>おくさんは、>それを>しょうちで>ひきうけた>んですか」「>ええ。>ひきうけてもらう>たって、>ただじゃできませんやね、>それ>や>これ>やで>いろいろ>ぶつを>つかっている>んですから」「>ぜひ>かんげつ>くんの>ことを>ねほりり>ようほりり>おききに>ならなくっちゃごかえりに>ならないと>いう>けっしんですかね」と>迷>ていも>すこしきもちを>わるく>したと>みえて、>いつに>なく>て>さわりの>あらい>ことばを>つかう。「>いい>や>くん、>はなしたって>そんの>いく>ことじゃ>なし、>はなそうじゃないか>く>さや>くん――>おくさん、>わたしでも>く>さやでも>かんげつ>くんにかんする>じじつで>さしつかえの>ない>ことは、>みんな>はなしますからね、――>そう、>じゅんを>たててだんだんきいてくださるとつごうが>いいですね」　>はな>こは>ようやく>なっとくしてそろそろしつもんを>ていしゅつする。>いちじ>あらだてた>ことば>づかいも>迷>ていにたいしては>またもとのごとく>ていねいに>なる。「>かんげつ>さんも>りがく>しだ>そうですが、>ぜんたい>どんなことを>せんもんに>している>のでございます」「>だいがくいんでは>ちきゅうの>じきの>けんきゅうを>やっています」と>しゅじんが>まじめに>こたえる。>ふこうに>してその>いみが>はな>こには>わからん>ものだから「>へえー」とは>いったがけげんな>かおを>している。「>それを>べんきょうすると>はかせに>なれましょうか」と>きく。「>はかせに>ならなければやれないと>おっしゃる>んですか」と>しゅじんは>ふゆかい>そうに>たずねる。「>ええ。>ただの>がくし>じゃね、>いくらでも>ありますからね」と>はな>こは>へいきで>こたえる。>しゅじんは>迷>ていを>みていよいよ>いやな>かおを>する。「>はかせに>なるか>ならんかは>ぼく>とうも>ほしょうする>ことが>できんから、>ほかの>ことを>きいていただく>ことに>しよう」と>迷>ていも>あまりよい>きげんではない。「>ちかごろでも>そのちきゅうの――>なにかを>べんきょうしている>んでございましょうか」「>にさん>にちまえは>くびくくりの>りきがくと>いう>けんきゅうの>けっかを>りがく>きょうかいで>えんぜつしました」と>しゅじんは>なにの>きも>つかずに>いう。「>おや>いやだ、>くびくくりだなんて、>よっぽど>へんじんですねえ。>そんなくびくくりや>なにか>やっ>てた>んじゃ、>とてもはかせに>はなれ>ますまいね」「>ほんにんが>くびを>縊>っちゃあむずかしいですが、>くびくくりの>りきがくなら>なれないとも>かぎらんです」「>そうでしょうか」と>こんどは>しゅじんの>ほうを>みてかおいろを>うかがう。>かなしい>ことに>りきがくと>いう>いみが>わからんのでおちつき>かねている。>しかしこれしきの>ことを>たずねては>かねでん>ふじんの>めんぼくにかんするとおもってか、>ただあいての>かおいろで>はっけを>たててみる。>しゅじんの>かおは>しぶい。「>そのほかに>なにか、>わかり>やすい>ものを>べんきょうしており>ますまいか」「>そうですな、>せんだって>どんぐりの>すたびりちーを>ろんじてあわせててんたいの>うんこうに>およぶと>いう>ろんぶんを>かいた>ことが>あります」「>どんぐり>なんぞでも>だいがっこうで>べんきょうする>ものでしょうか」「>さあぼくも>しろうとだからよく>わからんが、>なにしろ、>かんげつ>くんが>やるくらい>なんだから、>けんきゅうする>かちが>あると>みえます>な」と>迷>ていは>すましてひやかす。>はな>こは>がくもんじょうの>しつもんは>てに>あわんと>だんねんした>ものと>みえて、>こんどは>わだいを>てんずる。「>ごはなしは>ちがいますが――>このごしょうがつに>しいたけを>たべてまえばを>にまい>おった>そう>じゃございませんか」「>え>え>そのかけた>ところに>くうや>もちが>くっ>ついていましてね」と>迷>ていは>このしつもんこそ>われ｜>なわばり>ないだと>きゅうに>うかれだす。「>いろけの>ない>ひと>じゃございませんか、>なにだって>ようじを>つかわない>んでしょう」「>こんど｜>あったら>ちゅういしておきましょう」と>しゅじんが>くすくす>わらう。「>しいたけで>はが>かける>くらいじゃ、>よほど>はの>せいが>わるいと>おもわ>れますが、>いかがな>ものでしょう」「>よいとは>いわ>れます>ま>いな――>ねえ>迷>てい」「>よい>ことはないがちょっとあいきょうが>あるよ。>あれ>ぎり、>まだはめない>ところが>みょうだ。>こんだに>くうや>もち｜>引>かけ>しょに>なっ>てるな>あ>きかんだぜ」「>はを>はめる>こづかいが>ないのでかけ>なりに>しておく>んですか、>またはものずきで>かけ>なりに>しておく>んでしょうか」「>なにも>ながく>まえば>けつ>なるを>なのる>わけでもないでしょうか>ら>ごあんしんな>さ>いよ」と>迷>ていの>きげんは>だんだんかいふくしてくる。>はな>こは>またもんだいを>あらためる。「>なにか>ごたくに>てがみか>なんぞ>とうにんの>かいた>ものでもございます>ならちょっとはいけんしたい>もんでございますが」「>はしがきなら>たくさん>あります、>ごらん>なさい」と>しゅじんは>しょさいから>さんよん>じゅうまい>もってくる。「>そんなに>たくさん>はいけんしないでも――>そのうちの>にさん>まいだけ……」「>どれどれ>ぼくが>よい>のを>せんって>やろう」と>迷>てい>せんせいは「>これな>ざ>あ>おもしろいでしょう」と>いちまいの>えはがきを>だす。「>おや>えも>かく>んでございますか、>なかなかきようですね、>どれ>はいけんしましょう」と>ながめていたが「>あら>いやだ、>たぬきだよ。>なにだって>せんりに>せんって>たぬき>なんぞ>かく>んでしょうね――>それでもたぬきと>みえるからふしぎだよ」と>すこしかんしんする。「>そのもんくを>よんでごらん>なさい」と>しゅじんが>わらいながらいう。>はな>こは>げじょが>しんぶんを>よむ>ように>よみ>だす。「>きゅうれきの>としの>よる、>やまの>たぬきが>えんゆうかいを>やってさかりに>ぶとうします。>そのうたに>いわく、>らいい>さ、と>しの>よるで、>おやま>ふみも>らいまいぞ。>すっぽこぽんのぽん」「>なにです>こりゃ、>ひとを>ばかに>している>じゃございませんか」と>はな>こは>ふへいの>からだである。「>このてんにょは>ごきにいりませんか」と>迷>ていが>また>いちまい>だす。>みるとてんにょが>はごろもを>きてびわを>ひいている。「>このてんにょの>はなが>すこしちいさ>すぎる>ようですが」「>なに、>それが>ひとなみですよ、>はなより>もんくを>よんでごらん>なさい」>もんくには>こうある。「>むかし>し>ある>ところに>いちにんの>てんもんがく>しゃが>ありました。>あるよる>いつもの>ように>たかい>だいに>のぼって、>いっしんに>ほしを>みていますと、>そらに>うつくしい>てんにょが>あらわれ、>このよでは>きか>れぬ>ほどの>びみょうな>おんがくを>そうし>だした>ので、>てんもんがく>しゃは>みに>しむ>さむ>さも>わすれてききほれてしまいました。>あさ>みるとその>てんもんがく>しゃの>しがいに>しもが>まっしろに>ふっていました。>これは>ほんとうの>はなしだと、>あのうそ>つきの>じい>やが>もうしました」「>なにの>ことです>こりゃ、>いみも>なにもないじゃありませんか、>これでも>りがく>しで>とおる>んですかね。>ちっと>ぶんげい>くらぶでも>よんだら>よ>さ>そうな>ものですがねえ」と>かんげつ>くん>さんざんに>やら>れる。>迷>ていは>おもしろ>はんぶんに「>こりゃ>どうです」と>さんまいめを>だす。>こんどは>かっぱんで>ほ>かか>ふねが>いんさつしてあって、>れいの>ごとく>そのしたに>なにか>かきちらしてある。「>よべの>とまりの>じゅうろく>しょうじょろう、>おやが>ないとて、>ありその>ちどり、>さよの>ね>さとしの>ちどりに>ないた、>おやは>ふなのり>なみの>そこ」「>うまいのねえ、>かんしんだ>こと、>はなせるじゃ>ありませんか」「>はなせますかな」「>え>え>これなら>しゃみせんに>のりますよ」「>しゃみせんに>のりゃ>ほんものだ。>こりゃ>いかがです」と>迷>ていは>む>あんに>だす。「>いえ、>もう>これだけ>はいけんすれば、>ほかのは>たくさんで、>そんなに>やぼでない>んだと>いう>ことは>わかりましたから」と>いちにんで>がてんしている。>はな>こは>これで>かんげつにかんする>たいていの>しつもんを>そつ>えた>ものと>みえて、「>これは>はなはだ>しつれいを>いたしました。>どうか>わたしの>まいった>ことは>かんげつ>さんへは>ないないに>ねがいます」と>えてかってな>ようきゅうを>する。>かんげつの>ことは>なにでも>きかなければならないが、>じぶんの>ほうの>ことは>いっさい>かんげつへ>しらしては>ならないと>いう>ほうしんと>みえる。>迷>ていも>しゅじんも「>はあ」と>きの>ない>へんじを>すると「>いずれ>そのうち>おんれいは>いたしますから」と>ねんを>いれていいながらたつ。>みおくりに>でた>りょうにんが>せきへ>かえる>や>いなや>迷>ていが「>ありゃ>なんだ>い」と>いうとしゅじんも「>ありゃ>なんだ>い」と>そうほうから>おなじといを>かける。>おくの>へやで>さいくんが>怺>え>きれなかったと>みえてくつくつ>わらう>こえが>きこえる。>迷>ていは>おおきなこえを>だして「>おくさん>おくさん、>つきなみの>ひょうほんが>きましたぜ。>つきなみも>あのくらいに>なるとなかなかふっています>な>あ。>さあえんりょはいらんから、>ぞんぶん>ごわらい>なさい」　>しゅじんは>ふまんな>こうきで「>だいいち>きに>くわん>かおだ」と>わる>ら>し>そうに>いうと、>迷>ていは>すぐひき>うけて「>はなが>かおの>ちゅうおうに>じんどっておつに>かまえているなあ」と>あとを>つける。「>しかもまがってい>ら>あ」「>すこしねこぜだね。>ねこぜの>はなは、>ちと>きばつ>すぎる」と>おもしろ>そうに>わらう。「>おっとを>剋>する>かおだ」と>しゅじんは>なお>くちおし>そうである。「>じゅうきゅう>せいきで>うれのこって、>にじゅう>せいきで>みせ>さらしに>あうと>いう>そうだ」と>迷>ていは>みょうな>ことばかり>いう。>ところへ>さいくんが>おくの>あいだから>でてきて、>おんなだけに「>あんまりわるぐちを>おっしゃると、>またくるまやの>かみ>さんに>い>つけ>られますよ」と>ちゅういする。「>すこしい>つける>ほうが>くすりですよ、>おくさん」「>しかしかおの>ざんそなどを>なさる>のは、>あまりかとうですわ、>だれだって>このんであんな>はなを>もっ>てる>わけでもありませんから――>それに>あいてが>ふじんですからね、>あんまり苛>い>わ」と>はな>この>はなを>べんごすると、>どうじに>じぶんの>ようぼうも>かんせつに>べんごしておく。「>なに>ひどい>ものか、>あんな>のは>ふじんじゃない、>ぐじんだ、>ねえ>迷>てい>くん」「>ぐじんかも>しれんが、>なかなかえら>しゃだ、>だいぶ>ひき>かか>れた>じゃないか」「>ぜんたい>きょうしを>なんと>こころえている>んだろう」「>うらの>くるま>やくらいに>こころえている>の>さ。>ああ>いう>じんぶつに>そんけいさ>れるには>はかせに>なるに>かぎるよ、>いったい>はかせに>なっておかん>のが>きみの>ふりょうけんさ、>ねえ>おくさん、>そうでしょう」と>迷>ていは>わらいながらさいくんを>かえりみる。「>はかせなんて>とうてい>だめですよ」と>しゅじんは>さいくんにまで>みはなさ>れる。「>これでも>いまに>なるかも>しれん、>けいべつするな。>きさま>なぞは>しるまいがむかし>し>あいそくらちすと>いう>ひとは>きゅうじゅう>よんさいで>だいちょじゅつを>した。>そふぉくりすが>けっさくを>だしててんかを>おどろかした>のは、>ほとんど>ひゃくさいの>こうれいだった。>しもにじすは>はちじゅうで>みょう>しを>つくった。>おれ>だって……」「>ばかばかしいわ、>あなたの>ような>いびょうで>そんなに>ながく>いき>られる>ものですか」と>さいくんは>ちゃんと>しゅじんの>じゅみょうを>よさん>している。「>しっけいな、――>あまぎ>さんへ>おこなってきいてみろ――>がんらい>おまえが>こんなしわ>く>ちゃな>くろ>もめんの>はおりや、>つぎ>だらけの>きものを>きせておくから、>あんな>おんなに>ばかに>さ>れる>んだ。>あしたから>迷>ていの>きている>ような>やっこを>きるからだしておけ」「>だしておけって、>あんな>りっぱな>おめしはござん>せん>わ。>かねでんの>おくさんが>迷>てい>さんに>ていねいに>なった>のは、>おじ>さんの>なまえを>きいてからですよ。>きものの>とが>じゃございません」と>さいくん>うまく>せきにんを>逃が>れる。　>しゅじんは>おじ>さんと>いう>ことばを>きいてきゅうに>おもいだした>ように「>きみに>おじが>あると>いう>ことは、>きょう>はじめてきいた。>いままで>ついに>うわさを>した>ことが>ないじゃないか、>ほんとうに>ある>のか>い」と>迷>ていに>きく。>迷>ていは>まっ>てたと>いわぬ>ば>かりに「>うん>そのおじ>さ、>そのおじが>ばかに>頑>ぶつでねえ――>やはり>その>じゅうきゅう>せいきから>れんめんと>きょうまで>いきのびている>んだがね」と>しゅじん>ふうふを>はんはんに>みる。「>おほほほほほ>おもしろい>ことばかり>おっしゃって、>どこに>いきていらっしゃる>んです」「>しずおかに>いき>てますがね、>それが>ただいき>てる>んじゃないです。>あたまに>ちょんまげを>いただいていき>てる>んだからきょうしゅく>しま>さあ。>ぼうしを>こうむれって>えと、>おれは>このとしに>なるが、>まだぼうしを>こうむるほど>さむ>さを>かんじた>ことはないと>いばっ>てる>んです――>さむいから、>もっと>ねていらっしゃいと>いうと、>にんげんは>よんじかん>ねればじゅうぶんだ。>よんじかん>いじょう>ねる>のは>ぜいたくの>さただって>あさ>くらい>うちから>おきてくる>んです。>それでね、>おれも>すいみんじかんを>よんじかんに>ちぢめるには、>えいねん>しゅうぎょうを>した>もんだ、>わかい>うちは>どうしても>ねむたくていか>なんだが、>ちかごろに>いたってはじめてずいしょ>にんいの>庶>さかいに>はいってはなはだ>うれしいと>じまんする>んです。>ろくじゅう>ななに>なってね>られなく>なるな>あ>あたりまえで>さあ。>しゅうぎょうも>へちまも>はいった>ものじゃないのにとうにんは>まったくこっきの>ちからで>せいこうしたと>おもっ>てる>んですからね。>それで>がいしゅつする>ときには、>きっと>てっせんを>もってでる>んですがね」「>なにに>する>ん>だい」「>なにに>する>んだか>わからない、>ただもってでる>んだね。>まあ>すてっきの>かわりくらいに>かんがえ>てるかも>しれんよ。>ところがせんだって>みょうな>ことが>ありましてね」と>こんどは>さいくんの>ほうへ>はなしかける。「>へえー」と>さいくんが>さし>ごうの>ない>へんじを>する。「>此>としの>はる>とつぜんてがみを>よこしてやまたかぼうしと>ふろっく>こーとを>しきゅう>おくれと>いう>んです。>ちょっとおどろき>ろ>いたから、>ゆうびんで>といかえした>ところが>ろうじん>じしんが>きると>いう>へんじが>きました。>にじゅう>さんにちに>しずおかで>しゅくしょう>かいが>あるからそれまでに>まにあう>ように、>しきゅう>ちょうたつしろと>いう>めいれいな>んです。>ところがおかしい>のは>めいれいちゅうに>こうある>んです。>ぼうしは>いいかげんな>だいきさのを>かってくれ、>ようふくも>すんぽうを>みはからってだいまるへ>ちゅうもんしてくれ……」「>ちかごろは>だいまるでも>ようふくを>したてる>のか>い」「>なあに、>せんせい、>しらきやと>まちがえた>んだ>あね」「>すんぽうを>み>はかってくれたって>むりじゃないか」「>そこが>おじの>おじたる>ところ>さ」「>どうした？」「>しかたが>ないからみはからっておくってやった」「>きみも>らんぼうだな。>それで>まにあった>のか>い」「>まあ、>どうにか、>こうに>かおっ>ついた>んだろう。>くにの>しんぶんを>みたら、>とうじつ>まきやま>おきなは>ちんらしく>ふろっく>こーとにて、>れいの>てっせんを>もち……」「>てっせんだけは>はなさなかったと>みえるね」「>うん>しんだら>かんの>なかへ>てっせんだけは>いれてやろうと>おもっているよ」「>それでもぼうしも>ようふくも、>うまい>ぐあいに>き>られてよかった」「>ところがだいま>違さ。>ぼくも>ぶじに>おこなってありがたいと>おもっ>てると、>しばらくしてくにから>こづつみが>とどいたから、>なにか>れいでも>くれた>ことと>おもってあけてみたら>れいの>やまたかぼうし>さ、>てがみが>そえてあってね、>せっかく>ごもとめ>ひした>こう>え>ども>しょうしょうおおきく>こう>かん、>ぼうし>やへ>ごつかわしの>うえ、>おちぢめ>ひした>ど>こう。>ちぢめ>ちんは>こがわせにて>此>かたより>ごおく>かさる>じょう>こうと>ある>の>さ」「>なるほど>まが>濶だな」と>しゅじんは>おのれれ>より>まが>濶な>ものの>てんかに>ある>ことを>はっけんしてだいに>まんぞくの>からだに>みえる。>やがて「>それから、>どうした」と>きく。「>どうする>ったって>しかたが>ないからぼくが>ちょうだいしてこうむってい>ら>あ」「>あのぼうしか>あ」と>しゅじんが>にやにや>わらう。「>そのほうが>だんしゃくで>いらっしゃる>んですか」と>さいくんが>ふしぎ>そうに>たずねる。「>だれ>がです」「>そのてっせんの>おじ>さまが」「>なあに>かんがく>しゃで>さあ、>わかい>とき｜>せいどうで>しゅしがくか、>なにか>にこり>かたまった>ものだから、>でんき>とうの>したで>うやうやしく>ちょんまげを>いただいている>んです。>しかたが>ありません」と>やたらに>顋を>なで>まわす。「>それでもきみは、>さっきの>おんなに>まきやま>だんしゃくと>いった>ようだぜ」「>そうおっしゃいましたよ、>わたしも>ちゃのまで>きいておりました」と>さいくんも>これだけは>しゅじんの>いけんに>どういする。「>そうでしたかな>あははははは」と>迷>ていは>わけも>なく>わらう。「>そりゃうそですよ。>ぼくに>だんしゃくの>おじが>ありゃ、>いまごろは>きょくちょうくらいに>なっていま>さあ」と>へいきな>ものである。「>なんだか>へんだと>おもった」と>しゅじんは>うれし>そうな、>しんぱいそうな>かお>づけを>する。「>あら>まあ、>よく>まじめで>あんな>うそが>つけますねえ。>あなたも>よっぽど>ほらが>ごじょうずで>いらっしゃる>こと」と>さいくんは>ひじょうに>かんしんする。「>ぼくより、>あのおんなの>ほうが>うえ>わ>しゅで>さあ」「>あなただって>ごまけ>なさる>きづかいは>ありません」「>しかしおくさん、>ぼくの>ほらは>たんなるほらですよ。>あのおんな>のは、>みんな>こんたんが>あって、>いわくつきの>うそですぜ。>たちが>わるいです。>さる>ちえから>わりだした>じゅっすうと、>てんらいの>こっけい>しゅみと>こんどうさ>れちゃ、>こめでぃーの>かみさまも>かつがんの>し>なきを>たんぜざるを>えざる>わけに>たちいたりますからな」>しゅじんは>俯>めに>なって「>どうだか」と>いう。>さいくんは>わらいながら「>おなじことですわ」と>いう。　>わがはいは>いままで>むかう>よこちょうへ>あしを>ふみこんだ>ことはない。>かどやしきの>かねだとは、>どんなかまえか>みた>ことは>むろん>ない。>きいた>こと>さえ>いまが>はじめてである。>しゅじんの>いえで>じつぎょう>かが>わとうに>のぼった>ことは>いちかえも>ないので、>しゅじんの>めしを>くう>わがはいまでが>このほうめんには>たんに>むかんけい>なるのみ>ならず、>はなはだ>れいたんであった。>しかるに>せんこく｜>はからずも>はな>この>ほうもんを>うけて、>よそながらその>だんわを>はいちょうし、>そのれいじょうの>つや>びを>そうぞうし、>またその>ふうき、>けんせいを>おもい>うかべてみると、>ねこながらあんかんとして>椽>がわに>ねころんでい>られなく>なった。>しかのみ>ならず>わがはいは>かんげつ>くんにたいして>はなはだ>どうじょうの>いたりに>こたえん。>せんぽうでは>はかせの>おくさんやら、>くるまやの>かみ>さんや>ら、>にげんきんの>てんしょういんまで>ばいしゅうしてしらぬ>あいだに、>まえばの>かけた>のさえ>たんていしているのに、>かんげつ>くんの>ほうでは>ただにやにやしてはおりの>ひもばかり>きに>している>のは、>いかに>そつぎょうしたての>りがく>しに>せよ、>あまりのうが>な>さ>すぎる。と>いって、>ああいう>いだいな>はなを>かおの>なかに>あんちしている>おんなの>ことだから、>めったな>ものでは>よりつける>わけの>ものではない。>こういう>じけんにかんしては>しゅじんは>むしろ>むとんじゃくで>かつあまりにせんが>な>さ>すぎる。>迷>ていは>ぜにに>ふじゆうは>しないが、>あんな>ぐうぜん>どうじだから、>かんげつに>援>けを>あたえる>べんぎは>尠>かろう。>してみるとかわいそうな>のは>くびくくりの>りきがくを>えんぜつする>せんせいばかりと>なる。>わがはいでも>ふんぱつして、>てき>じょうへ>のりこんでその>どうせいを>ていさつしてやらなくては、>あまりふこうへいである。>わがはいは>ねこだけれど、>えぴくてたすを>よんでつくえの>うえへ>たたきつけるくらいな>がくしゃの>いえに>きぐうする>ねこで、>せけん>いっぱんの>痴>ねこ、>ぐ>ねことは>すこしく>せんを>ことに>している。>このぼうけんを>あえて>するくらいの>ぎきょう>しんは>かたより>しっぽの>さきに>たたみこんである。>なにも>かんげつ>くんに>おんに>なったと>いう>わけも>ないが、>これは>ただに>こじんの>ために>する>けっき>そうきょうの>さたではない。>おおきく>いえばこうへいを>このみ>ちゅうようを>あいする>てんいを>げんじつに>する>てん>はれな>びきょだ。>ひとの>きょだくを>へず>してあづまばし>じけんなどを>いたる>ところに>ふり>まわり>わ>す>いじょうは、>ひとの>のきしたに>いぬを>しのばして、>そのほうどうを>とくとくとして>あう>ひとに>ふいちょうする>いじょうは、>しゃふ、>ばてい、>ぶらいかん、>ごろつき>しょせい、>ひやとい>ばば、>さんば、>妖>ばば、>あんま、>とみ>ばに>いたるまでを>しようしてこっか>ゆうようの>ざいに>はんを>およぼしてかえりみ>ざる>いじょうは――>ねこにも>かくごが>ある。>さいわいてんきも>よい、>しも>かいは>しょうしょうへいこうするがみちの>ためには>いちめいも>すてる。>あしの>うらへ>どろが>ついて、>椽>がわへ>うめの>はなの>しるしを>おすくらいな>ことは、>ただご>さんの>めいわくには>なるか>しれんが、>わがはいの>くつうとは>もうさ>れない。>よくじつとも>いわず>これから>でかけようと>ゆうもう>しょうじんの>だいけっしんを>おこしてだいどころまで>とんででたが「>まてよ」と>かんがえた。>わがはいは>ねことして>しんかの>きょくどに>たっしている>のみ>ならず、>のう>りょくの>はったつにおいては>あえて>ちゅうがくの>さんねんせいに>おとらざる>つもりであるが、>かなしいかな>いんこうの>こうぞうだけは>どこまでも>ねこなのでにんげんの>げんごが>じょうぜつ>れない。>よし>しゅび>よく>かねでん>ていへ>しのびこんで、>じゅうぶん>てきの>じょうせいを>みとどけた>ところで、>かんじんの>かんげつ>くんに>おしえてやる>わけに>いかない。>しゅじんにも>迷>てい>せんせいにも>はなせない。>はなせないと>すればどちゅうに>ある>こんごうせきの>ひを>うけてひからぬと>おなじことで、>せっかくの>ちしきも>むようの>ちょうぶつと>なる。>これは>ぐだ、>やめようか>しらんと>のぼり>くちで>たたずんでみた。　>しかしいちど>おもいたった>ことを>ちゅうとで>やめる>のは、>はくうが>くるかと>まっている>とき>くろくも｜>きょうりんごくへ>とおりすぎた>ように、>なんとなく>のこりおしい。>それも>ひが>こっちに>あればかくべつだが、>いわゆるせいぎの>ため、>じんどうの>ためなら、>たとい>むだ>しを>やるまでも>すすむ>のが、>ぎむを>しる>だんじの>ほんかいであろう。>むだぼねを>おり、>むだあしを>よごすくらいは>ねことして>てきとうの>ところである。>ねこと>うまれた>いんがで>かんげつ、>迷>てい、>く>さや>しょせんせいと>さんずんの>ぜっとうに>そうごの>しそうを>こうかんする>わざ>倆はないが、>ねこだけに>しのびの>すべは>しょせんせいより>たっしゃである。>たにんの>できぬ>ことを>じょうじゅする>のは>それ>じしんにおいて>ゆかいである。>われ>いち箇でも、>かねでんの>うちまくを>しる>のは、>だれも>しらぬ>より>ゆかいである。>ひとに>つげ>られんでも>ひとに>しら>れているなと>いう>じかくを>かれらに>あずか>うるだけが>ゆかいである。>こんなにゆかいが>ぞくぞくでてきては>いかずに>はいら>れない。>やはり>いく>ことに>いたそう。　>むこう>よこちょうへ>きてみると、>きいた>とおりの>せいよう>かんが>かどち>めんを>われ>ぶつ>かおに>せんりょうしている。>このしゅじんも>このせいよう>かんのごとく>ごうまんに>かまえている>んだろうと、>もんを>はいいってその>けんちくを>ながめてみたがただひとを>いあつしようと、>にかい>づくりが>むいみに>つったっている>ほかに>なんらの>のうも>ない>こうぞうであった。>迷>ていの>いわゆるつきなみとは>これであろうか。>げんかんを>みぎに>みて、>うえ>こみの>なかを>とおりぬけて、>かってぐちへ>めぐる。>さすがに>かっては>ひろい、>く>さや>せんせいの>だいどころの>じゅうばいは>たしかに>ある。>せんだって>にっぽん>しんぶんに>くわしく>かいてあった>おおくま>はくの>かってにも>おとるまいと>おもうくらい>せいぜんと>ぴかぴか>している。「>もはん>かってだな」と>はいいり>こむ。>みるとしっくいで>たたきあげた>につぼほどの>どまに、>れいの>くるまやの>かみ>さんが>たちながら、>ごはん>たきと>しゃふを>あいてに>しきりに>なにか>べんじている。>こいつは>けんのんだと>みず>おけの>うらへ>かくれる。「>あのきょうし>あ、>うちの>だんなの>なを>しらない>のかね」と>めし>焚が>いう。「>しらねえ>ことが>ある>もんか、>このかいわいで>かねだ>さんの>ごやしきを>ち>ら>なけりゃ>めも>みみもねえ>かた>わだ>あ>な」>これは>かかえ>しゃふの>こえである。「>なんとも>うん>えないよ。>あのきょうしと>きたら、>ほんより>ほかに>なににも>しらない>へんじん>なんだからねえ。>だんなの>ことを>すこしでも>しっ>てりゃ>おそれるかも>しれないが、>だめだよ、>じぶんの>しょうともの>としさえ>しらない>んだ>もの」と>かみ>さんが>いう。「>かねだ>さんでも>おそれねえ>かな、>やっかいな>とうへんぼくだ。>構>あ>こと>あねえ、>みんなで>いかくか>してやろうじゃねえか」「>それが>よいよ。>おくさまの>はなが>おおき>すぎる>の、>かおが>きに>くわない>のって――>そりゃあ>ひどい>ことを>いう>んだよ。>じぶんの>めん>あ>いまど>しょうの>たぬき>みた>ような>くせに――>あれで>いちにんまえだと>おもっている>んだからやれ>きれないじゃないか」「>かおばかりじゃない、>てぬぐいを>さげてゆに>いく>ところから>して、>いやに>こうまんちきじゃないか。>じぶん>くらい>えらい>ものは>ない>つもりでいる>んだよ」と>く>さや>せんせいは>めし>焚にも>だいに>ふじんぼうである。「>なにでも>たいせいで>あいつの>かきねの>そばへ>おこなってわるぐちを>さんざんいってやる>んだね」「>そうしたら>きっと>おそれいるよ」「>しかしこっちの>すがたを>みせちゃあおもしろくねえ>から、>こえだけ>きかして、>べんきょうの>じゃまを>した>うえに、>できるだけ>じらしてやれって、>さっきおくさまが>いいつけておいで>なすったぜ」「>そりゃわかっているよ」と>かみ>さんは>わるぐちの>さんぶんの>いちを>ひきうけると>いう>いみを>しめす。>なるほど>このてあいが>く>さや>せんせいを>ひやかしに>くるなと>さんにんの>よこを、>そっと>とおりぬけておくへ>はいいる。　>ねこの>あしは>あれどもむ>きがごと>し、>どこを>あるいても>ぶきような>おとの>した>ためしが>ない。>そらを>ふむがごとく、>くもを>いくがごとく、>すいちゅうに>かおるを>うつがごとく、>ほら>うらに>瑟を>こするがごとく、>だいごの>みょうみを>甞>めて>げん>せんの>ほかに>ひや>だんを>じち>するがごとし。>つきなみな>せいよう>かんも>なく、>もはん>かっても>なく、>くるまやの>かみ>さんも、>ごんすけも、>めし>焚も、>ごじょう>さまも、>なかばたらきも、>はな>こ>ふじんも、>ふじんの>だんな>さまも>ない。>いきたい>ところへ>おこなってききたい>はなしを>きいて、>したを>だし>しっぽを>掉って、>ひげを>ぴんと>たててゆうゆうと>かえるのみである。>ことに>わがはいは>このみちに>かけては>にっぽんいちの>かんのうである。>くさぞうしに>ある>ねこまたの>けちみゃくを>うけておりは>せぬかと>みずから>うたがうくらいである。>ひきがえるの>がくには>やこうの>あきら>たまが>あると>いうが、>わがはいの>しっぽには>じんぎ>しゃっきょう>こい>むじょうは>むろんの>こと、>まんてんかの>にんげんを>ばかに>する>いっか>そうでんの>みょうやくが>つめこんである。>かねでん>かの>ろうかを>ひとの>しらぬ>あいだに>おうこうするくらいは、>ひとし>おうさまが>ところてんを>ふみ>つぶすよりも>よういである。>このとき>わがはいは>われながら、>わがりきりょうに>かんぷくして、>これも>ふだん>だいじに>する>しっぽの>おかげだなと>きがついてみるとただおか>れない。>わがはいの>そんけいする>しっぽ>だいみょうじんを>れいはいしてにゃん>うん>ちょうきゅうを>いのら>ば>やと、>ちょっとていとうしてみたが、>どうも>すこしけんとうが>ちがう>ようである。>なるべくしっぽの>ほうを>みて>さんはいしなければならん。>しっぽの>ほうを>みようと>しんたいを>まわすとしっぽも>しぜんと>めぐる。>おいつこうと>おもってくびを>ねじると、>しっぽも>おなじかんかくを>とって、>さきへ>馳>け>だす。>なるほど>てんちげんこうを>さんずん｜>うらに>おさめるほどの>れい>ぶつだけ>あって、>とうてい>わがはいの>てに>あわない、>しっぽを>わ>る>こと｜>ななど>び>はんに>してくたびれたからやめに>した。>しょうしょうめが>くらむ。>どこに>いる>のだか>ちょっとほうがくが>わからなく>なる。>かまう>ものかと>めちゃくちゃに>あるき>めぐる。>しょうじの>うらで>はな>この>こえが>する。>ここだと>たち>とまって、>さゆうの>みみを>はすに>きって、>いきを>こらす。「>びんぼう>きょうしの>くせに>なまいきじゃ>ありませんか」と>れいの>かなきりごえを>ふりたてる。「>うん、>なまいきな>やっこだ、>ちと>こらしめの>ために>いじめてやろう。>あのがっこうにゃ>こくの>ものも>いるからな」「>だれが>いるの？」「>つ>き>ぴん>すけや>ふくじ>きしゃごが>いるから、>たのんでから>かわしてやろう」>わがはいは>かねだ>くんの>しょうごくは>わからんが、>みょうな>なまえの>にんげんばかり>そろった>ところだと>しょうしょうおどろいた。>かねだ>くんは>なお>かたりを>ついで、「>あいつは>えいごの>きょうし>かい」と>きく。「>はあ、>くるまやの>かみ>さんの>はなしでは>えいごの>りー>どるか>なにか>せんもんに>おしえる>んだって>いいます」「>どうせ>ろくな>きょうしじゃ>ある>め>え」>ある>め>えにも>尠>なからず>かんしんした。「>このあいだ>ぴんすけに>あったら、>わたしの>がっこうにゃ>みょうな>やっこが>おります。>せいとから>せんせい>ばんちゃは>えいごで>なんと>いいますときか>れて、>ばんちゃはえすえいぶいえいじーいーてぃーいーえいであると>まじめに>こたえた>んで、>きょういん>かんの>ものわらいと>なっています、>どうも>あんな>きょういんが>あるから、>ほかの>ものの、>めいわくに>なってこまりますといったが、>おおかたあいつの>ことだぜ」「>あいつに>きょくって>いま>さあ、>そんなことを>いい>そうな>つらがまえですよ、>いやに>ひげなんか>はやして」「>あやしからん>やつだ」>ひげを>はやしてかい>しからなければねこなどは>いっぴきだって>かい>しかり>ようが>ない。「>それにあの>迷>ていとか、>へべれけとか>いう>やつは、>まあ>なにて>え、>とんきょうな>跳>かえりな>んでしょう、>おじの>まきやま>だんしゃくだなんて、>あんな>かおに>だんしゃくの>おじな>ん>ざ、>ある>はずが>ないと>おもった>んです>もの」「>おまえが>どこの>うまのほねだか>わからん>ものの>いう>ことを>しんに>うける>のも>わるい」「>あくいって、>あんまりひとを>ばかに>し>すぎるじゃ>ありませんか」と>たいへん>ざんねん>そうである。>ふしぎな>ことには>かんげつ>くんの>ことは>いちごんはんくも>でない。>わがはいの>しのんでくる>まえに>ひょうばん>きは>すんだ>ものか、>またはすでに>らくだいと>ことが>きょくって>ねんとうに>ない>ものか、>そのへんは>けねんもあるがしかたが>ない。>しばらくたたずんでいると>ろうかを>へだててむこうの>ざしきで>べるの>おとが>する。>そら>あすこにも>なにか>ことが>ある。>おくれぬ>さきに、と>そのほうがくへ>ふを>むける。　>きてみるとおんなが>ひとりで>なにか>おおごえで>はなしている。>そのこえが>はな>こと>よく>にている>ところを>もっておすと、>これが>すなわち>とうけの>れいじょう>かんげつ>くんを>してみすい>じゅすいを>あえて>せしめたる>しろものだろう。>惜>哉>しょうじ>ごしで>たまの>ごすがたを>はいする>ことが>できない。>したがってかおの>まんなかに>おおきなはなを>まつり>こんでいるか、>どうだか>うけあえない。>しかしだんわの>もようから>はないきの>あらい>ところなどを>そうごうしてかんがえてみると、>まんざら>ひとの>ちゅういを>ひかぬ>獅>はなとも>おもわ>れない。>おんなは>しきりに>ちょう>したって>いるがあいての>こえが>すこしも>きこえない>のは、>うわさに>きく>でんわという>ものであろう。「>おまえは>やまと>かい。>あしたね、>いく>んだからね、>うずらの>さんを>とっておいておくれ、>いいかえ――>わかった>かい――>なに>わからない？　>おや>いやだ。>うずらの>さんを>とる>んだよ。――>なんだって、――>とれない？　>とれない>はずはない、>とる>んだよ――へ>へへ>へへ>ごじょうだんを>だって――>なにが>ごじょうだん>なんだよ――>いやに>ひとを>おひゃらかすよ。>ぜんたい>おまえは>だれ>だい。>ちょうきちだ？　>ちょうきち>なんぞじゃ>わけが>わからない。>おかみ>さんに>でんわぐちへ>しゅつろって>ごいいな――>なに？　>わたし>しで>なんでも>べんじます？――>おまえは>しっけいだよ。>そばめ>しを>だれだか>しっ>てる>のか>い。>かなだだよ。――へ>へへ>へへ>よく>ぞんじております>だって。>ほんとに>ばかだよ>この>ひと>あ。――>かねだだって>え>ば>さ。――>なに？――>まいど｜>ごひいきに>あずかりましてありがとうございます？――>なにが>ありがたい>んだね。>おんれいなんか>ききたか>あな>いやね――>おや>またわらっ>てるよ。>おまえは>よっぽど>ぐぶつだね。――>おおせの>とおりだって？――>あんまりひとを>ばかに>すると>でんわを>きってしまうよ。>いい>のか>い。>こまらない>のかよ――>だまっ>てちゃわからないじゃないか、>なんとか>ごいい>なさいな」>でんわは>ちょうきちの>ほうから>きった>ものか>なにの>へんじも>ないらしい。>れいじょうは>かんしゃくを>おこしてやけに>べるを>じゃらじゃらと>まわす。>あしもとで>ちんが>おどろき>ろ>いてきゅうに>ほえ>だす。>これは>まが>濶に>できないと、>きゅうに>とびおりて椽の>したへ>もぐりこむ。　>おり>がら>ろうかを>ちかく>あしおとが>してしょうじを>あける>おとが>する。>だれか>きたなと>いっしょうけんめいに>きいていると「>ごじょう>さま、>だんな>さまと>おくさまが>よんでいらっしゃいます」と>こまづかいらしい>こえが>する。「>しらないよ」と>れいじょうは>けんつくを>くわせる。「>ちょっとようが>あるからじょうを>よんでこいと>おっしゃいました」「>うるさいね、>しらないて>ば」と>れいじょうは>だいにの>けんつくを>くわせる。「……>みずしま>かんげつ>さんの>ことで>ごようが>ある>んだ>そうでございます」と>こまづかいは>きを>きかしてきげんを>なおそうと>する。「>かんげつでも、>すいげつでも>しらない>んだよ――>だいきらいだわ、>へちまが>と>まよいを>した>ような>かおを>して」>だいさんの>けんつくは、>あわれ>なる>かんげつ>くんが、>るすちゅうに>ちょうだいする。「>おや>おまえ>いつ>そくはつに>ゆった>の」>こまづかいは>ほっと>ひといき>ついて「>きょう」と>なるべくたんかんな>あいさつを>する。「>なまいきだねえ、>こまづかいの>くせに」と>だいよんの>けんつくを>べつ>ほうめんから>くわす。「>そうしてあたらしい>はんえりを>かけた>じゃないか」「>へえ、>せんだって>ごじょう>さまから>いただきました>ので、>けっこう>すぎてもったいないと>おもってこうりの>なかへ>しまっておきましたが、>いままで>のが>あまりよごれましたからかけ>えき>えました」「>いつ、>そんなものを>あげた>ことが>ある>の」「>このごしょうがつ、>しらきやへ>いらっしゃいまして、>おもとめ>あそばした>ので――>うぐいす>ちゃへ>すもうの>ばん>ふを>そめだした>のでございます。>そばめ>しには>じみ>すぎていやだからおまえに>あげようと>おっしゃった、>あれでございます」「>あら>いやだ。>よく>にあうのね。>にくらしいわ」「>おそれいります」「>ほめた>んじゃない。>にくらしい>んだよ」「>へえ」「>そんなに>よく>にあう>ものを>なぜだまってもらった>ん>だい」「>へえ」「>おまえにさえ、>そのくらい>にあうなら、>そばめ>しに>だっておかしい>こと>あ>ないだろうじゃないか」「>きっと>よく>ごにあい>あそばします」「>に>あう>のが>わかっ>てる>くせに>なぜだまっている>ん>だい。>そうしてすましてかけている>んだよ、>ひとの>わるい」>けんつくは>とめ>めども>なく>れんぱつさ>れる。>このさき、>こと>きょくは>どうはってんするかと>きんちょうしている>とき、>むこうの>ざしきで「>とみこや、>とみこ>や」と>おおきなこえで>かねだ>くんが>れいじょうを>よぶ。>れいじょうは>やむをえず「>はい」と>でんわしつを>でていく。>わがはいより>すこしおおきな>ちんが>かおの>ちゅうしんに>めと>くちを>ひき>あつめた>ような>めんを>してついていく。>わがはいは>れいの>しのびあしで>ふたたびかってから>おうらいへ>でて、>いそいでしゅじんの>いえに>かえる。>たんけんは>まず>じゅうにぶんの>せいせきである。　>かえってみると、>きれいな>いえから>きゅうに>きたな>ない>ところへ>うつった>ので、>なんだか>ひあたりの>よい>やまのうえから>うすくろい>どうくつの>なかへ>はいりこんだ>ような>こころもちが>する。>たんけんちゅうは、>ほかの>ことに>きを>うばわ>れてへやの>そうしょく、>ふすま、>しょうじの>ぐあいなどには>めも>とまらなかったが、>わがじゅうきょの>かとうなるを>かんずると>どうじに>かれの>いわゆるつきなみが>こいしく>なる。>きょうしよりも>やはり>じつぎょう>かが>えらい>ように>おもわ>れる。>わがはいも>すこしへんだと>おもって、>れいの>しっぽに>うかがいを>たててみたら、>そのとおり>そのとおりと>しっぽの>さきから>ごたくせんが>あった。>ざしきへ>はいいってみると>おどろいた>のは>迷>てい>せんせい>まだかえらない、>まきたばこの>すいがらを>はちのすのごとく>ひばちの>なかへ>つきたてて、>だいこざで>なにか>はなし>たてている。>いつのまにか>かんげつ>きみ>さえ>きている。>しゅじんは>てまくらを>しててんじょうの>あめ>もを>よねんも>なく>ながめている。>あいかわらず>たいへいの>いつみんの>かいごうである。「>かんげつ>くん、>きみの>ことを>譫>ごにまで>いった>ふじんの>なは、>とうじ>ひみつであった>ようだが、>もう>はなしても>よかろう」と>迷>ていが>からかい>だす。「>ごはなししを>しても、>わたしだけにかんする>ことなら>さしつかえない>んですが、>せんぽうの>めいわくに>なる>ことですから」「>まだだめかなあ」「>それに○○>はかせ>ふじんに>やくそくを>してしまった>もんですから」「>たごんを>しないと>いう>やくそくかね」「>ええ」と>かんげつ>くんは>れいのごとく>はおりの>ひもを>ひねくる。>そのひもは>ばいひんに>あるまじき>むらさきいろである。「>そのひもの>いろは、>ちと>てんぽう>ちょうだな」と>しゅじんが>ねながらいう。>しゅじんは>かねでん>じけんなどには>むとんじゃくである。「>そうさ、>とうてい>にち>ろ>せんそうじだいの>ものではないな。>じんがさに>たちあおいの>もんの>つけ>いたぶっ>さき>はおりでも>きなくっちゃおさまりの>つかない>ひもだ。>おだ>のぶながが>むこ>いりを>する>とき>あたまの>かみを>ちゃせんに>ゆったと>いうが>そのせつよう>いた>のは、>たしか>そんなひもだよ」と>迷>ていの>もんくは>あいかわらず>ながい。「>じっさいこれは>じいが>ちょうしゅう>せいばつの>ときに>もちいた>のです」と>かんげつ>くんは>まじめである。「>もう>いいかげんに>はくぶつかんへでも>けんのうしては>どうだ。>くびくくりの>りきがくの>えんじゃ、>りがく>し>みずしま>かんげつ>くんとも>あろう>ものが、>うれのこりの>はたもとの>ような>しゅつで>たつを>する>のは>ちと>たいめんにかんする>わけだから」「>ごちゅうこくの>とおりに>いたしても>いい>のですが、>このひもが>たいへん>よく>にあうと>いってくれる>ひとも>あります>ので――」「>だれ>だい、>そんなしゅみの>ない>ことを>いう>のは」と>しゅじんは>ねがえりを>うちながらおおきな>こえを>だす。「>それは>ごぞんじの>ほうな>んじゃない>んで――」「>ごぞんじでなくても>いいや、>いったい>だれ>だい」「>さるじょせいな>んです」「>ははははは>よほど>ちゃじんだなあ、>あててみようか、>やはり>すみだがわの>そこから>きみの>なを>よんだ>おんな>なんだろう、>そのはおりを>きてもう>いちかえ｜>ご>だほとけを>きめこんじゃどうだい」と>迷>ていが>よこ>ごうから>とびだす。「>へへ>へ>へへ>もう>すいていから>よんではおりません。>ここから>いぬいの>ほうがくにあたる>せいじょうな>せかいで……」「>あんまりせいじょうでもな>さ>そうだ、>どくどくしい>はなだぜ」「>へえ？」と>かんげつは>ふしんな>かおを>する。「>むこう>よこちょうの>はなが>さっきおしかけてきた>んだよ、>ここへ、>じつに>ぼく>とう>ににんは>おどろいたよ、>ねえ>く>さや>くん」「>うむ」と>しゅじんは>ねながらちゃを>のむ。「>はなって>だれの>ことです」「>きみの>しんあい>なる>くおんの>じょせいの>ごぼどう>さまだ」「>へえー」「>かねでんの>つまという>おんなが>きみの>ことを>ききに>きたよ」と>しゅじんが>まじめに>せつめいしてやる。>おどろくか、>うれし>がるか、>はずかし>がるかと>かんげつ>くんの>ようすを>うかがってみるとべつだんの>ことも>ない。>れいの>とおり>しずかな>ちょうしで「>どうか>わたしに、>あのむすめを>もらってくれと>いう>いらいな>んでしょう」と、>またむらさきの>ひもを>ひねくる。「>ところがだい違さ。>そのごぼどう>なる>ものが>いだいなる>はなの>しょゆう｜>おもでね……」>迷>ていが>なかば>いい>かけると、>しゅじんが「>おい>くん、>ぼくは>さっきから、>あのはなについて>俳>からだ>しを>かんがえている>んだがね」と>きに>たけを>ついだ>ような>ことを>いう。>となりの>しつで>さいくんが>くすくす>わらい>だす。「>ずいぶんきみも>のんきだな>あ>できた>のか>い」「>すこしできた。>だいいち>くが>このかおに>はな>まつりと>いう>のだ」「>それから？」「>つぎが>このはなに>みき>そなえというの>さ」「>つぎの>くは？」「>まだそれ>ぎりしか>できておらん」「>おもしろいですな」と>かんげつ>くんが>にやにや>わらう。「>つぎへ>あな>ふたつ>かすかなりと>つけちゃどうだ」と>迷>ていは>すぐできる。>するとかんげつが「>おくふかく>けも>みえずは>いけ>ますまいか」と>おのおの>でたらめを>ならべていると、>かきねに>ちかく、>おうらいで「>いまど>しょうの>たぬき>いまど>しょうの>たぬき」と>よんご>にんわいわい>いう>こえが>する。>しゅじんも>迷>ていも>ちょっとおどろき>ろ>いてひょうの>ほうを、>かきの>すきから>すかしてみると「>わははははは」と>わらう>こえが>してとおくへ>ちる>あしの>おとが>する。「>いまど>しょうの>たぬきと>いうな>なに>だい」と>迷>ていが>ふしぎ>そうに>しゅじんに>きく。「>なんだか>わからん」と>しゅじんが>こたえる。「>なかなかふっています>な」と>かんげつ>くんが>ひひょうを>くわえる。>迷>ていは>なにを>おもいだしたか>きゅうに>たちのぼって「>わがはいは>ねんらい>びがく>じょうの>けんちから>このはなについて>けんきゅうした>ことが>ございますから、>その>いちまだらを>ひれきして、>ごりょうくんの>せいちょうを>わずらわしたいと>おもいます」と>演>したの>まねを>やる。>しゅじんは>あまりの>とつぜんに>ぼんやりしてむごんの>まま>迷>ていを>みている。>かんげつは「>ぜひ｜>うけたまわりたい>ものです」と>こごえで>いう。「>いろいろしらべてみましたがはなの>きげんは>どうも>確と>わかりません。>だいいちの>ふしんは、>もし>これを>じつようじょうの>どうぐと>かていすればあなが>ふたつで>たくさんである。>なにも>こんなにおうふうに>まんなかから>つきだしてみる>ひつようが>ない>のである。>ところがどうして>だんだんごらんの>ごとく>かように>せりだしてまいったか」と>じぶんの>はなを>つまんでみせる。「>あんまりせりだしても>おらんじゃないか」と>しゅじんは>ごせじの>ない>ところを>いう。「>とにかく>ひっこんではおりませんからな。>ただ>にこの>あなが>併>んで>いる>じょう>からだと>こんどうなすっては、>ごかいを>なまずるに>いたるかも>はから>れませんから、>あらかじめ>ごちゅういを>しておきます。――で>ぐけんに>よりますとはなの>はったつは>われ々>にんげんが>はなしるを>かむと>もうす>びさいなる>こういの>けっかが>しぜんと>ちくせきしてかく>ちょ>めい>なる>げんしょうを>ていしゅつした>ものでございます」「>佯りの>ない>ぐけんだ」と>またしゅじんが>すんぴょうを>そうにゅうする。「>ごしょうちの>とおり>はなしるを>かむ>ときは、>ぜひはなを>つまみます、>はなを>つめんで、>ことに>このきょくぶだけに>しげきを>あたえますと、>しんかろんの>だいげんそくによって、>このきょくぶは>このしげきに>おうずる>がた>め>たに>ひれいしてふそうとうな>はったつを>いたします。>かわも>しぜん>かたく>なります、>にくも>しだいに>かたく>なります。>ついに>こってほねと>なります」「>それは>すこし――>そうじゆうに>にくが>ほねに>ひとあし>ひに>へんかは>でき>ますまい」と>りがく>しだけ>あってかんげつ>くんが>こうぎを>もうしこむ。>迷>ていは>なに>くわぬ>かおで>のべ>つづける。「>いやごふしんは>ごもっともですがろんより>しょうこ>このとおり>ほねが>あるからしかたが>ありません。>すでに>ほねが>できる。>ほねは>できても>はなしるは>でます>な。>でればかまずに>はいら>れません。>このさようで>ほねの>さゆうが>けずりとら>れてほそい>たかい>りゅうきと>へんかしてまいります――>じつに>おそろしい>さようです。>てんてきの>いしを>うがつがごとく、>賓>あたま>顱の>あたまが>じから>こうみょうを>はなつがごとく、>ふしぎ>かおる>ふしぎ>しゅうの>喩のごとく、>かように>はなすじが>とおってかたく>なります。「>それでもきみのなんぞ、>ぶくぶくだぜ」「>えんじゃ>じしんの>きょくぶは>かい>まもるの>おそれが>ありますから、>わざと>ろんじません。>かのかねでんの>ごぼどうの>もた>せ>ら>るる>はなのごときは、>もっとも>はったつせる>もっとも>いだいなる>てんかの>ちんぴんとして>ごりょうくんに>しょうかいしておきたいと>おもいます」>かんげつ>くんは>おもわずひやややと>いう。「>しかしぶつも>きょくどに>たっしますといかんには>そういございませんが>なんとなく>こわし>くて>ちかづき>がたい>ものであります。>あのびりょうなどは>もと>はれ>しいには>ちがいございませんが、>しょうしょう｜>しゅんけん>すぎるかと>おもわ>れます。>こじんの>うち>にても>そくらちす、>ごーる>どす>みすもしくはさっかれーの>はななどは>こうぞうの>うえから>いうとずいぶんもうしぶんはございましょうが>そのもうしぶんの>ある>ところに>あいきょうが>ございます。>はなだか>きがゆえに>とうとからず、>き>なるが>ために>とうとしとは>このゆえでもございましょうか。>げせわにも>はなより>だんごと>さる>しま>すればびてき>かちから>もうしますとまず>迷>ていくらいの>ところが>てきとうかと>ぞんじます」>かんげつと>しゅじんは「>ふふふふ」と>わらい>だす。>迷>てい>じしんも>ゆかい>そうに>わらう。「>さてただいままで>べんじました>のは――」「>せんせい>べんじ>ま>したは>すこしこうしゃくしの>ようで>げひんですから、>よしていただきましょう」と>かんげつ>くんは>せんじつの>ふくしゅうを>やる。「>さよう>しから>ば>かおを>あらってでなおしましょうかな。――>ええ――>これからはなと>かおの>けんこうに>ひとこと>ろんきゅうしたいと>おもいます。>たに>かんけいなく>たんどくに>はな>ろんを>やりますと、>かのごぼどうなどは>どこへ>だしても>はずかしからぬ>はな――>くらまやまで>てんらんかいが>あっても>おそらく>いっとう>しょうだろうと>おもわ>れるくらいな>はなを>しょゆうしていらせられますが、>かなしいかな>あれは>め、>くち、>そのたの>しょせんせいと>なんらの>そうだんも>なく>でき>のぼった>はなであります。>じゅりあ>す・>しーざーの>はなは>たいしたものに>そういございません。>しかししーざーの>はなを>鋏で>ちょん>きって、>とうけの>ねこの>かおへ>あんちしたら>どんなものでございましょうか。>たとえにも>ねこの>がくと>いうくらいな>じめんへ、>えいゆうの>はなばしらが>突>兀として>そびえたら、>ごばんの>うえ>へ>ならの>だいぶつを>すえつけた>ような>もので、>すこしく>ひれいを>しっする>の>ごく、>そのびてき>かちを>おとす>ことだろうと>おもいます。>ごぼどうの>はなは>しーざーの>それのごとく、>まさしく>えいし>さっそうたる>りゅうきに>そういございません。>しかしその>しゅういを>いにょうする>がんめん>てき>じょうけんは>いかがな>ものでありましょう。>むろん>とうけの>ねこのごとく>れっとうではない。>しかしてんかん>やみの>ごかめのごとく>まゆの>ねに>はちじを>きざんで、>ほそい>めを>つるしあげ>ら>るるのは>じじつであります。>しょくん、>このかおに>してこの>はな>ありと>たんぜざるを>えんではありませんか」>迷>ていの>ことばが>すこしとぎれる>とたん、>うらの>ほうで「>まだはなの>はなししを>している>んだよ。>なにて>え>ごう>つく>はりだろう」と>いう>こえが>きこえる。「>くるまやの>かみ>さんだ」と>しゅじんが>迷>ていに>おしえてやる。>迷>ていは>またやり>そめる。「>はからざる>うらてにあたって、>あらたに>いせいの>ぼうちょうしゃの>ある>ことを>はっけんした>のは>えんじゃの>ふかく>めいよと>おもう>ところであります。>ことに>あて>てんたる>嬌>おんをもって、>かんそうなる>こうえんに>いちてんの>つや>あじを>そえ>られた>のは>じつに>ぼうがいの>こうふくであります。>なるべくつうぞく>てきに>ひき>なおしてかじん>しゅくじょの>けんこに>せ>かざらん>ことを>きする>わけでありますが、>これからは>しょうしょうりきがく>じょうの>もんだいに>たちいりますので、>ぜい>ごふじん>かたには>ごわかり>にくいかも>しれません、>どうか>ごからし>ぼうを>ねがいます」>かんげつ>くんは>りきがくと>いう>かたりを>きいてまたにやにや>する。「>わたしの>しょうこだてようと>する>のは、>このはなと>このかおは>とうてい>ちょうわしない。>つぁいしんぐの>おうごん>りつを>しっしていると>いう>ことな>んで、>それを>げんかくに>りきがく>じょうの>こうしきから>えんえきしてごらんに>いれようと>いう>のであります。>まずえいちを>はなの>たか>さと>します。あるふぁは>はなと>かおの>へいめんの>こうさより>しょうずる>かくどであります。だぶりゅーは>むろん>はなの>じゅうりょうと>ごしょうちください。>どうです>たいてい>おわかりに>なりましたか。……」「>わかる>ものか」と>しゅじんが>いう。「>かんげつ>くんは>どうだい」「>わたしに>もちと>わかり>かねます>な」「>そりゃこまったな。>く>さやは>とにかく、>きみは>りがく>しだからわかるだろうと>おもったのに。>このしきが>えんぜつの>しゅのう>なんだからこれを>りゃくしては>いままで>やった>かいが>ない>のだが――>まあ>しかたが>ない。>こうしきは>りゃくしてけつろんだけ>はなそう」「>けつろんが>あるか」と>しゅじんが>ふしぎ>そうに>きく。「>あたりまえ>さ>けつろんの>ない>演>したは、>でざーとの>ない>せいよう>りょうりの>ような>ものだ、――>いいか>りょうくん｜>のう>く>きき>たまえ、>これからが>けつろんだぜ。――>さていじょうの>こうしきに>うぃるひょう、>わいす>まん>しょかの>せつを>さんしゃくしてかんがえてみますと、>せんてんてき>けいたいの>いでんは>むろんの>こと>ゆるさねばなりません。>またこの>けいたいに>つい陪>しておこる>しんい>てき>じょうきょうは、>たとい>こうてん>せいは>いでんする>ものに>あらずとの>ゆうりょくな>るせつあるにも>かんせず、>あるていどまでは>ひつぜんの>けっかと>みとめねばなりません。>したがってかくのごとく>みぶんに>ふにあい>なる>はなの>もちぬしの>うんだ>こには、>そのはなにも>なにか>いじょうが>ある>ことと>さっせ>られます。>かんげつ>くんなどは、>まだとしが>ごわかいから>かねでん>れいじょうの>はなの>こうぞうにおいて>とくべつの>いじょうを>みとめ>られんかも>しれませんが、>かかる>いでんは>せんぷくきの>ながい>ものでありますから、>いつ>いつ>きこうの>げきへんとともに、>きゅうに>はったつしてごぼどうの>それのごとく、>とっさの>あいだに>ぼうちょうするかも>しれません、>それ>ゆえにこの>ごこんぎは、>迷>ていの>がくり>てき>ろんしょうに>よりますと、>いまの>なか>ごだんねんに>なった>ほうが>あんぜんかと>おもわ>れます、>これには>とうけの>ごしゅじんは>むろんの>こと、>そこに>ねておらるる>ねこ>また>しんがりにも>ごいぞんは>なかろうと>ぞんじます」>しゅじんは>ようよう>おき>かえって「>そりゃむろん>さ。>あんな>ものの>むすめを>だれが>もらう>ものか。>かんげつ>くん>もらっちゃいかんよ」と>たいへん>ねっしんに>しゅちょうする。>わがはいも>いささか>さんせいの>いを>ひょうする>ためににゃ>ーにゃ>ーと>にこえばかり>ないてみせる。>かんげつ>くんは>べつだんさわいだ>ようすも>なく「>せんせい>かたの>ごいこうが>そうなら、>わたしは>だんねんしても>いい>んですが、>もし>とうにんが>それを>きに>してびょうきにでも>なったら>つみですから――」「>ははははは>つや>ざいと>いう>わけだ」>しゅじんだけは>だいに>むきに>なって「>そんなばかが>ある>ものか、>あいつの>むすめなら>ろくな>ものでないに>きょくって>ら>あ。>はじめて>ひとの>うちへ>きておれを>やりこめに>かかった>やつだ。>ごうまんな>やっこだ」と>ひとりで>ぷんぷん>する。>するとまたかきねの>そばで>さんよん>にんが「>わははははは」と>いう>こえが>する。>いちにんが「>こうまんちきな>とうへんぼくだ」と>いうと>いちにんが「>もっと>おおきないえへ>はいいりてえだろう」と>いう。>また>いちにんが「>ごきのどくだが、>いくら>いばったって>かげ>べんけいだ」と>おおきなこえを>する。>しゅじんは>椽>がわへ>でてまけない>ような>こえで「>やかましい、>なんだ>わざわざそんな>へいの>したへ>きて」と>どなる。「>わはははははさヴぇじ・>ちーだ、>さヴぇじ・>ちーだ」と>くちぐちに>ののし>しる。>しゅじんは>だいに>げきりんの>からだで>とつぜん｜>たってすてっきを>もって、>おうらいへ>とびだす。>迷>ていは>てを>はくって「>おもしろい、>やれやれ」と>いう。>かんげつは>はおりの>ひもを>よってにやにや>する。>わがはいは>しゅじんの>あとを>つけてかきの>くずれから>おうらいへ>でてみたら、>まんなかに>しゅじんが>てもちぶさたに>すてっきを>ついてたっている。>ひとどおりは>いちにんも>ない、>ちょっときつねに>つまま>れた>からだである。　　　　　　　　>よん　>れいによって>かねでん>ていへ>しのびこむ。　>れいに>よってとは>いまさら>かいしゃくする>ひつようも>ない。>しばしばを>じじょうしたほどの>どあいを>しめす>かたりである。>いちど>やった>ことは>にど>やりたい>もので、>にど>こころみた>ことは>さんど>こころみたい>のは>にんげんにのみ>かぎらるる>こうき>こころではない、>ねこと>いえどもこの>しんり>てき>とっけんを>ゆうしてこの>せかいに>うまれ>で>でた>ものと>にんていしていただかねばならぬ。>さんど>いじょう>くりかえす>とき>はじめてしゅうかん>なる>かたりを>かんせ>られて、>このこういが>せいかつじょうの>ひつようと>しんかする>のも>またにんげんと>そういはない。>なにの>ために、>かくまで>あし>しげく>かねだ>ていへ>かよう>のかと>ふしんを>おこすなら>そのまえに>ちょっとにんげんに>はんもんしたい>ことが>ある。>なぜにんげんは>くちから>けむりを>すいこんではなから>はきだす>のであるか、>はらの>たしにも>ちのみちの>くすりにも>ならない>ものを、>はじ>かし>きも>なく>吐>呑>して憚から>ざる>いじょうは、>わがはいが>かねでんに>しゅつにゅうする>のを、>あまりおおきな>こえで>とがめだてを>してもらいたくない。>かねでん>ていは>わがはいの>たばこである。　>しのびこむと>いうとごへいが>ある、>なんだか>どろぼうか>まおとこの>ようで>ききぐるしい。>わがはいが>かねでん>ていへ>いく>のは、>しょうたいこそ>うけないが、>けっして>かつおの>きりみを>ちょろまかしたり、>め>はなが>かおの>ちゅうしんに>けいれんてきに>みっちゃくしている>ちん>くんなどと>みつだんする>ためではない。――>なんたんてい？――>もってのほかの>ことである。>およそよのなかに>なにが>賤>し>い>かぎょうだと>いってたんていと>こうりかしほど>かとうな>しょくはないと>おもっている。>なるほど>かんげつ>くんの>ために>ねこに>あるまじき>ほどの>ぎきょう>こころを>おこして、>いちどは>かねでん>かの>どうせいを>よそながらうかがった>ことは>あるが、>それは>ただの>いっぺんで、>そのごは>けっして>ねこの>りょうしんに>はじ>ずる>ような>ろうれつな>ふるまいを>いたした>ことはない。――>そんなら、>なぜしのびこむと>いう>ような>うろんな>もじを>しようした？――>さあ、>それが>すこぶる>いみの>ある>ことだて。>がんらい>わがはいの>こうに>よるとおおぞらは>ばんぶつを>おおう>ため>だいちは>ばんぶつを>のせる>ために>できている――>いかに>しつような>ぎろんを>このむ>にんげんでも>このじじつを>ひていする>わけには>いくまい。>さてこの>おおぞら>だいちを>せいぞうする>ために>かれら>じんるいは>どのくらいの>ろうりょくを>ついやしているかと>いうとしゃくすんの>て>でんも>しておらぬではないか。>じぶんが>せいぞうしておらぬ>ものを>じぶんの>しょゆうと>きわめる>ほうはなかろう。>じぶんの>しょゆうと>きわめても>さしつかえないがたの>しゅつにゅうを>きんずる>りゆうはあるまい。>このぼうぼうたる>だいちを、>こざかしくも>かきを>囲>ら>し>ぼう>くいを>たててぼうぼう>しょゆうちなどと>かくし>かぎる>のは>あたかも>かのそうてんに>なわばり>して、>このぶぶんは>われの>てん、>あのぶぶんは>かれの>てんと>とどけでる>ような>ものだ。>もし>とちを>きりきざんで>いちつぼ>いくらの>しょゆうけんを>ばいばいするなら>われ>とうが>こきゅうする>くうきを>いちしゃく>りっぽうに>わってきりうりを>しても>よい>わけである。>くうきの>きりうりが>できず、>そらの>なわばりが>ふとうなら>じめんの>しゆうも>ふごうりではないか。>にょぜ>かんに>よりて、>にょぜ>ほうを>しんじている>わがはいは>それだからどこへでも>はいいっていく。>もっともいきたくない>ところへは>いかぬが、>こころざす>ほうがくへは>とうざい>なんぼくの>さべつは>はいらぬ、>へいきな>かおを>して、>のそのそと>まいる。>かねでん>ごと>きものに>えんりょを>する>わけが>ない。――>しかしねこの>かなし>さは>ちからずくでは>とうてい>にんげんには>かなわない。>つよ>ぜいは>けんりなりとの>かくげんさえ>ある>このうきよに>そんざいする>いじょうは、>いかに>こっちに>どうりが>あっても>ねこの>ぎろんは>とおらない。>むりに>とおそうと>するとくるまやの>くろのごとく>ふいに>さかな>やの>てんびんぼうを>くう>おそれが>ある。>りは>こっちに>あるがけんりょくは>むこうに>あると>いう>ばあいに、>りを>まげて>いちも>にも>なく>くつじゅうするか、>またはけんりょくの>めを>かすめてわれ>りを>つらぬくかと>いえば、>わがはいは>むろん>こうしゃを>えらぶ>のである。>てんびんぼうは>さけざるべからざるが>ゆえに、>しのばざるべからず。>ひとの>てい>ないへは>はいいり>こんでさしつかえ>なき>ゆえ>こまざるを>えず。>このゆえに>わがはいは>かねでん>ていへ>しのびこむ>のである。　>しのびこむ>たびが>かさなるにつけ、>たんていを>する>きはないがしぜん>かねだ>くん>いっかの>じじょうが>みたくも>ない>わがはいの>めに>えいじておぼえたくも>ない>わがはいの>のうりに>いんしょうを>とめ>む>るに>いたる>のは>やむをえない。>はな>こ>ふじんが>かおを>あらう>たんびに>ねんを>いれてはなだけ>ふく>ことや、>とみこ>れいじょうが>あべ>かわ>もちを>む>あんに>めしあがらるる>ことや、>それから>かねだ>くん>じしんが――>かねだ>くんは>さいくんに>にあわず>はなの>ひくい>おとこである。>たんに>はなのみではない、>かお>ぜんたいが>ひくい。>しょうともの>じぶん>けんかを>して、>がきだいしょうの>ために>頸>すじを>捉>まえ>られて、>うんと>せいいっぱいに>どべいへ>おし>つけ>られた>ときの>かおが>よんじゅう>ねんごの>きょうまで、>いんがを>なしておりは>せぬかと>かい>ま>るる>くらい>へいたんな>かおである。>しごく>穏かで>きけんの>ない>かおには>そういないが、>なんとなく>へんかに>とぼしい。>いくら>おこっても>たいら>かな>かおである。――>そのかねだ>くんが>まぐろの>さしみを>くってじぶんで>じぶんの>はげあたまを>ぴちゃぴちゃ>たたく>ことや、>それから>かおが>ひくいばかりでなく>せが>ひくいので、>む>あんに>たかい>ぼうしと>たかい>げたを>はく>ことや、>それを>しゃふが>おかし>がってしょせいに>はなす>ことや、>しょせいが>なるほど>くんの>かんさつは>きびんだと>かんしんする>ことや、――>いちいち>かぞえきれない。　>ちかごろは>かってぐちの>よこを>にわへ>とおりぬけて、>つくやまの>かげから>むこうを>みわたしてしょうじが>たて>きってものしずかで>あるなと>みきわめが>つくと、>じょじょ>のぼり>こむ。>もし>ひとごえが>にぎわいかであるか、>ざしきから>みすかさるる>おそれが>あると>おもえばいけを>ひがしへ>めぐってせっちんの>よこから>しらぬ>あいだに>椽の>したへ>でる。>わるい>ことを>した>さとしはないからなにも>かくれる>ことも、>おそれる>ことも>ない>のだが、>そこが>にんげんと>いう>むほうものに>あっては>ふうんと>あきらめる>より>しかたが>ないので、>もし>せけんが>くまさか>ちょう>はんばかりに>なったら>いかなるせいとくの>くんしも>やはり>わがはいの>ような>たいどに>で>ずるであろう。>かねだ>くんは>どうどうたるじつぎょう>かであるからかた>より>くまさか>ながのりの>ように>ごしゃく>さんずんを>ふり>まわす>き>やはあるまいが、>うけたまわる>ところに>よればひとを>ひとと>おもわぬ>びょうきが>ある>そうである。>ひとを>ひとと>おもわないくらいなら>ねこを>ねことも>おもうまい。>してみればねこたる>ものは>いかなるせいとくの>ねこでも>かれの>てい>ないで>けっして>ゆだんは>できぬ>わけである。>しかしその>ゆだんの>できぬ>ところが>わがはいには>ちょっとおもしろいので、>わがはいが>かくまでに>かねでん>かの>もんを>しゅつにゅうする>のも、>ただこの>きけんが>おかしてみた>いばかりかも>しれぬ。>それは>おってとくと>かんがえた>うえ、>ねこの>のうりを>のこり>なく>かいぼうし>えた>とき>あらためて>ごふいちょうつかまつろう。　>きょうは>どんなもようだなと、>れいの>つきやまの>しばふの>うえに>あごを>おしつけてぜんめんを>みわたすと>じゅうご>じょうの>きゃくまを>やよいの>はるに>あけはなって、>ちゅうには>かねでん>ふうふと>いちにんの>らいきゃくとの>ごはなしさいちゅうである。>あいにく>はな>こ>ふじんの>はなが>こっちを>むいていけ>ごしに>わがはいの>がくの>うえを>しょうめんから>ねめ>つけている。>はなに>にらま>れた>のは>うまれてきょうが>はじめてである。>かねだ>くんは>さいわいよこがおを>むけてきゃくと>あいたいしているかられいの>へいたんな>ぶぶんは>はんぶん>かくれてみえぬが、>そのかわり>はなの>ざいしょが>はんぜんしない。>ただごましお>しょくの>くち>ひげが>いいかげんな>ところから>らんざつに>しげる>しょうしているので、>あのうえに>あなが>ふたつ>ある>はずだと>けつろんだけは>くも>なく>できる。>しゅんぷうも>ああいう>なめら>かな>かおばかり>ふいていたら>さだめて>らくだろうと、>ついでながらそうぞうを>たくましゅうしてみた。>ごきゃく>さんは>さんにんの>なかで>いちばん>ふつうな>ようぼうを>ゆうしている。>ただしふつうなだけに、>これぞと>とりたててしょうかいするに>たる>ような>ぞうさは>ひとつも>ない。>ふつうと>いうとけっこうな>ようだが、>ふつうの>きょく>へいぼんの>どうに>のぼり、>いさお>ぞくの>しつに>はいった>のは>むしろ>びんぜんの>いたりだ。>かかる>むいみな>めん>構を>ゆうすべき>しゅくめいを>おびてめいじの>しょうだいに>うまれてきた>のは>だれだろう。>れいのごとく>椽の>したまで>いってその>だんわを>うけたまわ>わらなくては>わからぬ。「……>それで>つまが>わざわざあの>おとこの>ところまで>でかけていってようすを>きいた>んだがね……」と>かねだ>くんは>れいのごとく>よこ>ふうな>ことば>しである。>おうふうではあるがごうも>しゅんけんな>ところがない。>げんごも>かれの>がんめんのごとく>へいばん>むく>だいである。「>なるほど>あの>おとこが>みずしま>さんを>おしえた>ことが>ございます>ので――>なるほど、>よい>ごおもいつきで――>なるほど」と>なる>ほど>ずくめのは>ごきゃく>さんである。「>ところがなんだか>ようりょうを>えんので」「>え>え>く>さや>じゃようりょうを>えない>わけで――>あのおとこは>わたしが>いっしょに>げしゅくを>している>じぶんから>じつに>にえ>きらない――>そりゃごこまりでございましたろう」と>ごきゃく>さんは>はな>こ>ふじんの>ほうを>むく。「>こまる>の、>こまらない>のって>あなた、>わたし>しゃこの>としに>なるまで>ひとの>うちへ>おこなって、>あんな>ふとりあつかいを>うけた>ことは>ありゃ>しません」と>はな>こは>れいによって>はな>あらしを>ふく。「>なにか>ぶれいな>ことでも>もうしましたか、>むかし>しから>がんこな>しょうぶんで――>なにしろ>じゅうねんいちじつの>ごとく>りー>どる>せんもんの>きょうしを>している>のでも>だいたい>ごわかりに>なりましょう」と>ごきゃく>さんは>からだ>よく>ちょうしを>あわせている。「>いやごはなしにも>な>ら>んくらいで、>つまが>なにか>きくとまるで>けんも>ほろ>ろの>あいさつだ>そうで……」「>それは>あやしからん>わけで――>いったい>すこしがくもんを>していると>とかく>まんしんが>きざす>もので、>そのうえ>びんぼうを>すると>まけおしみが>でますから――>いえ>よのなかには>ずいぶんむほうな>やっこが>おりますよ。>じぶんの>はたらきの>ない>のにゃ>きがつかないで、>む>あんに>ざいさんの>ある>ものに>くってかかるなんて>え>のが――>まるで>かれらの>ざいさんでも>まき>あげた>ような>きぶんですからおどろきますよ、>あは>はは」と>ごきゃく>さんは>だいきょうえつの>からだである。「>いや、>まことに>げんご>どうだんで、>ああいう>のは>必>竟>せけん>みずの>わがままから>おこる>のだから、>ちっと>こらしめの>ために>いじめてやるがよかろうと>おもって、>すこしあたってやったよ」「>なるほど>それではだいぶ>こたえましたろう、>まったくほんにんの>ためにも>なる>ことですから」と>ごきゃく>さんは>いかなるあたり>ほうか>うけたまわらぬ>さきから>すでに>かねだ>くんに>どういしている。「>ところがすずき>さん、>まあ>なんて>がんこな>おとこな>んでしょう。>がっこうへ>でても>ふくち>さんや、>つ>き>さんには>くちも>きかない>んだ>そうです。>おそれいってだまっている>のかと>おもったら>このあいだは>つみも>ない、>たくの>しょせいを>すてっきを>もっておっ>かけたって>んです――>さんじゅう｜>めん>さげて、>よく、>まあ、>そんなばかな>まねが>できた>もんじゃ>ありませんか、>まったくやけで>すこしきが>へんに>なっ>てる>んですよ」「>へえ>どうして>またそんな>らんぼうな>ことを>やった>んで……」と>これには、>さすがの>ごきゃく>さんも>すこしふしんを>おこしたと>みえる。「>なあに、>ただあの>おとこの>まえを>なんとか>いってとおった>んだ>そうです、>すると、>いきなり、>すてっきを>もってはだし>あしで>とびだしてきた>んだ>そうです。>よしんば、>ちっとや>そっと、>なにか>いったって>しょうともじゃ>ありませんか、>ひげ>めんの>だいそうの>くせに>しかもきょうしじゃ>ありませんか」「>さよう>きょうしですからな」と>ごきゃく>さんが>いうと、>かねだ>くんも「>きょうしだからな」と>いう。>きょうしたる>いじょうは>いかなるぶじょくを>うけても>もくぞうの>ように>おとなしく>しておらねばならぬとは>この>さんにんの>き>せず>していっちした>ろんてんと>みえる。「>それに、>あの迷>ていって>おとこは>よっぽどな>よい>こうじんですね。>やくにも>たたない>うそはっぴゃくを>ならべたてて。>わたしゃ>あんな>へん>てこな>ひとにゃ>そめてあいましたよ」「>ああ>迷>ていですか、>あいかわらず>ほらを>ふくと>みえますね。>やはり>く>さやの>ところで>ごあいに>なった>んですか。>あれに>かかっちゃたまりません。>あれも>むかし>し>じすいの>なかまでしたがあんまりひとを>ばかに>する>ものですからのう>く>けんかを>しましたよ」「>だれだって>いかり>ま>さあね、>あんな>じゃ。>そりゃうそを>つく>のも>むべ>うござん>しょうさ、ね、>ぎりが>あくるいとか、>ばつを>あわせなくっちゃあならないとか――>そんなときには>だれ>しも>こころに>ない>ことを>いう>もんで>さあ。>しかしあの>おとこ>のは>はかなくってすむ>のに>や>たらに>はく>んだからしまつに>りょう>えないじゃありませんか。>なにが>ほしくって、>あんな>でたらめを――>よく>まあ、>しらじらしく>いえると>おもいますよ」「>ごもっともで、>まったくどうらくから>くる>うそだからこまります」「>せっかく>あなた>まじめに>ききに>いった>みずしまの>ことも>めちゃめちゃに>なってしまいました。>わたしゃ>ごうふくで>いまいましくって――>それでもぎりは>ぎりで>さあ、>ひとの>うちへ>ものを>ききに>いってしらんかおの>はんべえも>あんまりですから、>あとで>しゃふに>びーるを>いちだーす>もた>せてやった>んです。>ところがあなた>どうでしょう。>こんなものを>うけとる>りゆうが>ない、>もってかえれって>いう>んだ>そうで。>いえ>おれいだから、>どうか>ごとり>した>さ>いってしゃふが>いったら――>わるく>い>じゃあ>ありませんか、>おれは>じゃむは>まいにち｜>なめるがびーるの>ような>にがい>ものは>のんだ>ことがな>いって、>ふいと>おくへ>はいいってしまったって――>いいぐさに>ことを>かいて、>まあ>どうでしょう、>しつれいじゃ>ありませんか」「>そりゃ、>ひどい」と>ごきゃく>さんも>こんどは>ほんきに>苛>いと>かんじたらしい。「>そこできょう>わざわざきみを>まねいた>のだがね」と>しばらくとぎれてかねだ>くんの>こえが>きこえる。「>そんなばか>しゃは>かげから、>からかってさえ>いればすむ>ようなものの、>しょうしょうそれでも>こまる>ことが>ある>じゃて……」と>まぐろの>さしみを>くう>ときのごとく>はげあたまを>ぴちゃぴちゃ>たたく。>もっともわがはいは>椽の>したに>いるからじっさいたたいたか>たたかないか>みえよう>はずが>ないが、>このはげあたまの>おとは>きんらい｜>おおいた>聞>なれている。>びくにが>もくぎょの>おとを>ききわける>ごとく、>椽の>したからでも>おと>さえ>たしかであればすぐはげあたまだなと>しゅっしょを>かんていする>ことが>できる。「>そこでちょっときみを>わずらわしたいと>おもってな……」「>わたしに>できます>ことなら>なんでもおえんりょなく>どうか――>こんど>とうきょう>きんむと>いう>ことに>なりました>のも>まったくいろいろごしんぱいを>かけた>けっかに>ほかならん>わけでありますから」と>ごきゃく>さんは>かいよく>かねだ>くんの>いらいを>しょうだくする。>このくちょうで>みるとこの>ごきゃく>さんは>やはり>かねだ>くんの>せわに>なる>ひとと>みえる。>いや>だんだんじけんが>おもしろく>はってんしてくるな、>きょうは>あまりてんきが>むべ>い>ので、>くる>きも>なしに>きた>のであるが、>こういう>こうざいりょうを>えようとは>まったくおもい>かけ>なんだ。>ごひがんに>おてら>まいりを>してぐうぜん｜>ほうじょうで>ぼたもちの>ごちそうに>なる>ような>ものだ。>かねだ>くんは>どんなことを>きゃくじんに>いらいするかなと、>椽の>したから>みみを>すまして>きいている。「>あのく>さやと>いう>へんぶつが、>どういう>わけか>みずしまに>はいれ>ちえを>する>ので、>あのかねでんの>むすめを>もらっては>ぎょう>かんなどと>ほのめかす>そうだ――な>あ>はな>こ>そうだな」「>ほのめかす>どころじゃない>んです。>あんな>やつの>むすめを>もらう>ばかが>どこの>くにに>ある>ものか、>かんげつ>くん>けっしてもらっちゃいかん>よっていう>んです」「>あんな>やつとは>なんだ>しっけいな、>そんならんぼうな>ことを>いった>のか」「>いった>どころじゃ>ありません、>ちゃんと>くるまやの>かみ>さんが>しらせに>きてくれた>んです」「>すずき>くん>どうだい、>ご聞の>とおりの>しだい>さ、>ずいぶんやっかいだろうが？」「>こまりますね、>ほかの>ことと>ちがって、>こういう>ことには>たにんが>みだりに>ようかいするべき>はずの>ものではありませんからな。>そのくらいな>ことは>いかな>く>さやでも>こころえている>はずですが。>いったい>どうした>わけな>んでしょう」「>それでの、>きみは>がくせい>じだいから>く>さやと>どうやどを>していて、>いまは>とにかく、>むかしは>しんみつな>あいだがらであった>そうだから>ごいらいする>のだが、>きみ>とうにんに>あってな、>よく>りがいを>さとしてみてくれんか。>なにか>おこっているかも>しれんが、>おこる>のは>むかいが>あくるいからで、>せんぽうが>おとなしく>してさえ>いればいっしんじょうの>べんぎも>じゅうぶん>はかってやるし、>きに>さわ>わる>ような>ことも>やめてやる。>しかしむかいが>むかいなら>こっちも>こっちと>いう>きに>なるからな――>つまりそんな>われを>はる>のは>とうにんの>そんだからな」「>え>え>まったくおっしゃる>とおり>ぐな>ていこうを>する>のは>ほんにんの>そんに>なるばかりで>なにの>えきも>ない>ことですから、>よく>もうしきけましょう」「>それからむすめは>いろいろと>もうし>こみも>ある>ことだから、>かならずみずしまに>やると>きわめる>わけにも>いかんが、>だんだんきいてみると>がくもんも>じんぶつも>わるくもない>ようだから、>もし>とうにんが>べんきょうしてちかい>うちに>はかせにでも>なったら>ある>いは>もらう>ことが>できるかも>しれ>んくらいは>それとなく>ほのめかしても>かまわん」「>そういってやったら>とうにんも>はげみに>なってべんきょうする>ことでしょう。>むべ>しゅう>ございます」「>それから、>あのみょうな>ことだが――>みずしまにも>にあわん>ことだと>おもうが、>あのへんぶつの>く>さやを>せんせい>せんせいと>いってく>さやの>いう>ことは>たいてい>きく>ようすだからこまる。>なに>そりゃなにも>みずしまに>かぎる>わけでは>むろん>ない>のだからく>さやが>なんと>いってじゃまを>しようと、>わしの>ほうは>べつに>さしつかえも>せんが……」「>みずしま>さんが>かわいそうですからね」と>はな>こ>ふじんが>くちを>だす。「>みずしまと>いう>ひとには>あった>こともございませんが、>とにかく>こちらと>ごえんぐみが>できればしょうがいの>こうふくで、>ほんにんは>むろん>いぞんはない>のでしょう」「>ええ>みずしま>さんは>もらいた>がっている>んですが、>く>さやだ>の>迷>ていだ>のって>かわりものが>なにだとか、>かんだとか>いう>ものですから」「>そりゃ、>よくない>ことで、>そうとうの>きょういくの>ある>ものにも>にあわん>しょさですな。>よく>わたしが>く>さやの>ところへ>まいってだんじ>ま>しょう」「>ああ、>どうか、>ごめんどうでも、>ひとつ>ねがいたい。>それからじつはみずしまの>ことも>く>さやが>いちばん｜>くわしい>のだがせんだって>つまが>おこなった>ときは>いまの>しまつで>ろくろく>きく>ことも>できなかった>わけだから、>きみから>いま>いちおうほんにんの>せいこう>がくさい>とうを>よく>きいてもらいたいて」「>かしこまりました。>きょうは>どようですからこれからめぐったら、>もう>かえっておりましょう。>ちかごろは>どこに>すんでおりますか>しらん」「>ここの>まえを>みぎへ>つきあたって、>ひだりへ>いちちょうばかり>いくと>くずれ>かかった>くろ>へいの>ある>うちです」と>はな>こが>おしえる。「>それじゃ、>つい>きんじょですな。>わけは>ありません。>かえりに>ちょっとよってみましょう。>なあに、>だいたい>わかりましょう>ひょうさつを>みれば」「>ひょうさつは>ある>ときと、>ない>ときと>ありますよ。>めいしを>ご饌>つぶで>もんへ>はり>つける>のでしょう。>あめが>ふると>はがれてしまいましょう。>するとごてんきの>ひに>またはり>つける>のです。>だからひょうさつは>とうにゃ>なりませんよ。>あんな>めんどうくさい>ことを>するより>せめて>きふだでも>かけたら>よ>さ>そうな>もんですがねえ。>ほんとうに>どこまでも>きの>しれない>ひとですよ」「>どうも>おどろきます>な。>しかしくずれた>くろ>へいの>うちと>きいたら>たいがい>わかるでしょう」「>ええ>あんな>きたな>ない>うちは>ちょうないに>いちけんしか>ないから、>すぐわかりますよ。>あ、>そうそう>それで>わからなければ、>よい>ことが>ある。>なにでも>やねに>くさが>はえた>うちを>さがしていけばまちがっ>こありませんよ」「>よほど>とくしょくの>ある>いえで>すな>あはははは」　>すずき>くんが>ごこうらいに>なる>まえに>かえらないと、>すこしつごうが>わるい。>だんわも>これだけ>きけばだいじょうぶ>だくさんである。>椽の>したを>つたわってせっちんを>にしへ>めぐってつきやまの>かげから>おうらいへ>でて、>いそぎあしで>やねに>くさの>はえている>うちへ>かえってきてなに>くわぬ>かおを>してざしきの>椽へ>めぐる。　>しゅじんは>椽>がわへ>しろ>もうふを>しいて、>はら>這に>なってうららかな>しゅんじつに>こうらを>ほしている。>たいようの>こうせんは>ぞんがい>こうへいな>もので>やねに>ぺんぺんぐさの>もくひょうの>ある>陋>やでも、>かねだ>くんの>きゃくまのごとく>ようきに>あたたか>そうであるが、>きのどくな>ことには>もうふだけが>はるらしく>ない。>せいぞうもとでは>しろの>つもりで>おり>だして、>とうぶつ>やでも>しろの>きで>うりさばいたのみ>ならず、>しゅじんも>しろと>いう>ちゅうもんで>かってきた>のであるが――>なにしろ>じゅうに>さんねん>いぜんの>ことだからしろの>じだいは>とくに>とおりこしてただいまは>こ>はいいろ>なる>へんしょくの>じきに>そうぐうしつつある。>このじきを>けいかしてたの>あんこく>しょくに>ばけるまで>もうふの>いのちが>つづくか>どうだかは、>ぎもんである。>いまでも>すでに>まんへん>なく>すりきれて、>たて>よこの>すじは>あきらかに>よま>れるくらいだから、>もうふと>しょうする>のは>もはやせんじょうの>さたであって、>けの>じは>はぶいてたんに>っ>ととでも>もうす>のが>てきとうである。>しかししゅじんの>かんがえでは>いちねん>もち、>にねん>もち、>ごねん>もち>じゅうねん>もった>いじょうは>しょうがい>もたねばならぬと>おもっているらしい。>ずいぶん｜>のんきな>ことである。>さてその>いんねんの>ある>もうふの>うえへ>まえ>もうす>とおり>はら>這に>なってなにを>しているかと>おもうとりょうてで>でばった>顋を>ささえて、>みぎての>ゆびの>こに>まきたばこを>はさんでいる。>ただそれだけである。>もっともかれが>ふけ>だらけの>あたまの>うらには>うちゅうの>だいしんりが>ひのくるまのごとく>かいてんしつつあるかも>しれないが、>がいぶから>はいけんした>ところでは、>そんなこととは>ゆめにも>おもえない。　>たばこの>ひは>だんだんすいくちの>ほうへ>逼って、>いっすんばかり>もえ>つくした>はいの>ぼうが>ぱたりと>もうふの>うえに>おつ>る>のも>かまわず>しゅじんは>いっしょうけんめいに>たばこから>たちのぼる>けむりの>ぎょうまつを>みつめている。>そのけむりは>しゅんぷうに>うきつ>しずみつ、>ながれる>わを>いくえにも>えがいて、>むらさき>ふかき>さいくんの>せんぱつの>こんぽんへ>ふき>よせつつある。――>おや、>さいくんの>ことを>はなしておく>はずだった。>わすれていた。　>さいくんは>しゅじんに>しりを>むけて――>なに>しつれいな>さいくんだ？　>べつに>しつれいな>ことは>ないさ。>れいも>ひれいも>そうごの>かいしゃくしだいで>どうでも>なる>ことだ。>しゅじんは>へいきで>さいくんの>しりの>ところへ>ほおづえを>つき、>さいくんは>へいきで>しゅじんの>かおの>さきへ>そうごんなる>しりを>すえたまでの>ことで>ぶれいも>へちまも>ない>のである。>ごりょうにんは>けっこんご>いちかねんも>たたぬ>あいだに>れいぎ>さほうなどと>きゅうくつな>きょうぐうを>だっきゃくせら>れた>ちょうぜん>てき>ふうふである。――>さてかくのごとく>しゅじんに>しりを>むけた>さいくんは>どういう>りょうけんか、>きょうの>てんきに>じょうじて、>しゃくに>あまる>みどりの>くろかみを、>ふすま>のりと>なまたまごで>ごしごし>せんたくせら>れた>ものと>みえてくせの>ない>やっこを、>みよが>しに>かたから>せへ>ふりかけて、>むごんの>まま>しょうともの>そで>なしを>ねっしんに>ぬっている。>じつはその>せんぱつを>かわかす>ために>とうちりめんの>ふとんと>はりばこを>椽>がわへ>だして、>うやうやしく>しゅじんに>しりを>むけた>のである。>あるいはしゅじんの>ほうで>しりの>ある>けんとうへ>かおを>もってきた>のかも>しれない。>そこでせんこく>ごはなししを>した>たばこの>けむりが、>ゆたかに>なびく>くろかみの>あいだに>ながれ>ながれて、>とき>ならぬ>かげろうの>もえる>ところを>しゅじんは>よねんも>なく>ながめている。>しかしながらけむりは>かたより>いっしょに>とま>まるものではない、>そのせいしつとして>うえへ>うえへと>たち>のぼる>のだからしゅじんの>めも>このけむりの>かみ>けと>もつれ>あう>きかんを>おちなく>みようと>すれば、>ぜひとも>めを>うごかさなければならない。>しゅじんは>まず>こしの>あたりから>かんさつを>はじめてじょじょと>せなかを>つたって、>かたから>頸>すじに>かかったが、>それを>とおりすぎてようよう>のうてんに>たっした>とき、>おぼえず>あっと>おどろいた。――>しゅじんが>かいろうどうけつを>ちぎった>ふじんの>のうてんの>まんなかには>まんまるな>おおきなかむろが>ある。>しかもその>かむろが>あたたかい>にっこうを>はんしゃして、>いまや>ときを>え>かおに>かがやいている。>おもわざる>へんに>このふしぎな>だいはっけんを>なした>ときの>しゅじんの>めは>まばゆ>ゆい>ちゅうに>じゅうぶんの>おどろきを>しめして、>はげしい>こうせんで>どうこうの>ひらく>のも>かまわず>いっしんふらんに>みつめている。>しゅじんが>このかむろを>みた>とき、>だいはじめ>かれの>のうりに>うかんだ>のは>かのいえ>でんらいの>ぶつだんに>いくよと>なく>かざりつけ>られ>たる>ごとうみょう>さらである。>かれの>いっかは>しんしゅうで、>しんしゅうでは>ぶつだんに>みぶん>ふそうおうな>きんを>かける>のが>これいである。>しゅじんは>ようしょうの>とき>そのいえの>くらの>なかに、>うすぐらく>かざりつけ>られ>たる>きんぱく>あつき>ずしが>あって、>そのずしの>なかには>いつでも>しんちゅうの>とうみょう>さらが>ぶら>くだって、>そのとうみょう>さらには>ひるでも>ぼんやりした>あかりが>ついていた>ことを>きおくしている。>しゅういが>くらい>なかに>このとうみょう>さらが>ひかくてき>めいりょうに>てるや>いていたのでしょうとも>こころに>このあかりを>なんへんと>なく>みた>ときの>いんしょうが>さいくんの>かむろに>よび>おこさ>れてとつぜんとびだした>ものであろう。>とうみょう>さらは>いちふん>たたぬ>あいだに>きえた。>このたびは>かんのん>さまの>はとの>ことを>おもいだす。>かんのん>さまの>はとと>さいくんの>かむろとは>なんらの>かんけいもない>ようであるが、>しゅじんの>あたまでは>ふたつの>あいだに>みっせつな>れんそうが>ある。>おなじく>しょうともの>じぶんに>あさくさへ>いくとかならずはとに>まめを>かってやった。>まめは>いちさらが>ぶんきゅう>ふたつで、>あかい>どきへ>はいいっていた。>そのどきが、>いろと>いい>だいさと>いい>このかむろに>よく>にている。「>なるほど>にているな」と>しゅじんが、>さも>かんしんしたらしく>いうと「>なに>がです」と>さいくんは>みむきも>しない。「>なにだって、>おまえの>あたまにゃ>おおきなかむろが>あるぜ。>しっ>てるか」「>ええ」と>さいくんは>いぜんとして>しごとの>てを>やめずに>こたえる。>べつだんろけんを>おそれた>ようすも>ない。>ちょうぜんたるもはん>さいくんである。「>よめに>くる>ときから>ある>のか、>けっこんご>あらたに>できた>のか」と>しゅじんが>きく。>もし>よめに>くる>まえから>はげているなら>欺>さ>れた>のであると>くちへは>ださないがこころの>なかで>おもう。「>いつ>できた>んだか>おぼえ>ちゃいません>わ、>かむろな>ん>ざ>どうだって>むべ>いじゃ>ありませんか」と>だいに>さとった>ものである。「>どうだって>むべ>いって、>じぶんの>あたまじゃないか」と>しゅじんは>しょうしょうどきを>おびている。「>じぶんの>あたまだから、>どうだって>むべ>いんだわ」と>いったが、>さすが>すこしは>きに>なると>みえて、>みぎの>てを>あたまに>のせて、>くるくる>かむろを>なでてみる。「>おや>だいぶ>おおきく>なった>こと、>こんなじゃないと>おもっていた」と>いった>ところをもって>みると、>としに>あわしてかむろが>あまりおおき>すぎると>いう>ことを>ようやく>じかくしたらしい。「>おんなは>まげに>ゆうと、>ここが>つれますからだれでも>はげる>んですわ」と>すこしく>べんごし>だす。「>そんなそくどで、>みんな>はげたら、>よんじゅうくらいに>なれば、>から>やかんばかり>できなければならん。>そりゃびょうきに>ちがいない。>でんせんするかも>しれん、>いまの>うち>はやくあまぎ>さんに>みてもらえ」と>しゅじんは>しきりに>じぶんの>あたまを>なで>まわしてみる。「>そんなに>ひとの>ことを>おっしゃるが、>あなただって>はなの>あなへ>はくはつが>はえ>てるじゃ>ありませんか。>かむろが>でんせんするなら>はくはつだって>でんせんし>ますわ」と>さいくん>しょうしょうぷりぷり>する。「>はなの>なかの>はくはつは>みえんからがいはないが、>のうてんが――>ことに>わかい>おんなの>のうてんが>そんなに>はげちゃみぐるしい。>ふぐだ」「>ふぐなら、>なぜごもらいに>なった>のです。>ごじぶんが>すきで>もらっておいてふぐだなんて……」「>しらなかった>から>さ。>まったくきょうまで>しらなかった>んだ。>そんなに>いばるなら、>なぜよめに>くる>とき>あたまを>みせなかった>んだ」「>ばかな>ことを！　>どこの>くにに>あたまの>しけんを>してきゅうだいしたら>よめに>くるなんて、>ものが>ある>もんですか」「>かむろは>まあ>がまんも>するが、>おまえは>せ>いが>ひとなみ｜>はずれてひくい。>はなはだ>みぐるしくていかん」「>せ>いは>みればすぐわかるじゃ>ありませんか、>せの>ひくい>のは>さいしょから>しょうちで>ごもらいに>なった>んじゃ>ありませんか」「>それは>しょうちさ、>しょうちには>そういないがまだのびるかと>おもったからもらった>の>さ」「>にじゅうにも>なってせ>いが>のびるなんて――>あなたも>よっぽど>じんを>ばかに>なさるのね」と>さいくんは>そで>なしを>ほうりだしてしゅじんの>ほうに>ねじ>むく。>へんとうしだいでは>そのぶんには>すまさんと>いう>けんまくである。「>にじゅうに>なったって>せ>いが>のびてならんと>いう>ほうはあるまい。>よめに>きてから>じよう>ぶんでも>くわしたら、>すこしは>のびる>みこみが>あると>おもった>んだ」と>まじめな>かおを>してみょうな>りくつを>のべていると>かどぐちの>べるが>ぜい>よく>なり>たててたのむと>いう>おおきなこえが>する。>いよいよ>すずき>くんが>ぺんぺんぐさを>もくてきに>く>さや>せんせいの>がりょう>窟を>たずね>あてたと>みえる。　>さいくんは>けんかを>ごじつに>ゆずって、>そうこう>はりばこと>そで>なしを>かかえてちゃのまへ>にげこむ。>しゅじんは>ねずみいろの>もうふを>まるめてしょさいへ>なげこむ。>やがて>げじょが>もってきた>めいしを>みて、>しゅじんは>ちょっとおどろき>ろ>いた>ような>かお>づけであったが、>こちらへ>ごとおし>もうしてと>いい>すてて、>めいしを>にぎった>まま>こうかへ>はいいった。>なにの>ために>こうかへ>きゅうに>はいいったか>いっこう>ようりょうを>えん、>なにの>ために>すずき>とうじゅうろう>くんの>めいしを>こうかまで>もっていった>のか>なおさらせつめいに>くるしむ。>とにかく>めいわくな>のは>くさい>ところへ>ずいこうを>めいぜ>られた>めいし>くんである。　>げじょが>さらさの>ざぶとんを>ゆかの>まえへ>なおして、>どうぞ>これへと>ひきさがった、>あとで、>すずき>くんは>いちおうしつないを>み>まわり>わ>す。>ゆかに>かけた>はな>ひらき>ばんこく>はると>ある>き>菴の>にせものや、>きょう>せいの>やすせいじに>いけた>ひがんざくらなどを>いちいち>じゅんばんに>てんけんした>あとで、>ふと>げじょの>すすめた>ふとんの>うえを>みるといつのまにか>いち｜>疋の>ねこが>すましてすわっている。>もうすまでも>なく>それは>かく>もうす>わがはいである。>このとき>すずき>くんの>むねの>うちに>ちょっとの>あいだ>かおいろにも>でぬ>ほどの>ふうはが>たった。>このふとんは>うたがいも>なく>すずき>くんの>ために>しか>れた>ものである。>じぶんの>ために>しか>れた>ふとんの>うえに>じぶんが>のらぬ>さきから、>ことわりも>なく>みょうな>どうぶつが>へいぜんと>そんきょしている。>これが>すずき>くんの>こころの>へいきんを>やぶる>だいいちの>じょうけんである。>もし>このふとんが>すすめ>られた>まま、>おも>なく>してしゅんぷうの>ふくに>まかせてあったなら、>すずき>くんは>わざと>けんそんの>いを>あらわして、>しゅじんが>さあどうぞと>いうまでは>かたい>たたみの>うえで>がまんしていたかも>しれない。>しかしそうばん>じぶんの>しょゆうすべき>ふとんの>うえに>あいさつも>なく>のった>ものは>だれであろう。>にんげんなら>ゆずる>ことも>あろうがねことは>あやしからん。>のりてが>ねこであると>いう>のが>いちだんと>ふゆかいを>かんぜ>しめる。>これが>すずき>くんの>こころの>へいきんを>やぶる>だいにの>じょうけんである。>さいごに>そのねこの>たいどが>もっとも>しゃくに>さわる。>すこしは>きのどく>そうにでも>している>ことか、>のる>けんりも>ない>ふとんの>うえに、>ごうぜんと>かまえて、>まるい>ぶあいきょうな>めを>ぱちつかせて、>おまえは>だれ>だいと>いわぬ>ば>かりに>すずき>くんの>かおを>みつめている。>これが>へいきんを>はかいする>だいさんの>じょうけんである。>これほど>ふへいが>あるなら、>わがはいの>頸>ねっこを>とらえてひきずり>おろしたら>むべ>さそうな>ものだが、>すずき>くんは>だまってみている。>どうどうたるにんげんが>ねこに>おそれててだしを>せぬと>いう>ことは>あろう>はずが>ないのに、>なぜはやく>わがはいを>しょぶんしてじぶんの>ふへいを>もらさないかと>いうと、>これは>まったくすずき>くんが>いちこの>にんげんとして>じこの>たいめんを>いじする>じじゅう>こころの>ゆえであると>さっせらるる。>もし>わんりょくに>うったえたなら>さんじゃくの>どうじも>わがはいを>じゆうに>じょうげし>えるであろうが、>たいめんを>おもんずる>てんより>かんがえるといかに>かねだ>くんの>ここう>たる>すずき>とうじゅうろう>そのひとも>この>にしゃく>しほうの>まんなかに>ちんざまします>ねこ>だいみょうじんを>いかがとも>する>ことが>できぬ>のである。>いかに>ひとの>みていぬ>ばしょでも、>ねこと>ざせき>あらそいを>したと>あっては>いささか>にんげんの>いげんにかんする。>まじめに>ねこを>あいてに>してきょくちょくを>あらそう>のは>いかにも>おとなげない。>こっけいである。>このふめいよを>さける>ためには>たしょうの>ふべんは>しのばねばならぬ。>しかししのばねばならぬ>だけ>それだけねこにたいする>ぞうおの>ねんは>ます>わけであるから、>すずき>くんは>ときどき>わがはいの>かおを>みては>にがい>かおを>する。>わがはいは>すずき>くんの>ふへいな>かおを>はいけんする>のが>おもしろいからこっけいの>ねんを>おさえてなるべくなに>くわぬ>かおを>している。　>わがはいと>すずき>くんの>あいだに、>かくのごとき>むごん>げきが>おこなわ>れつつある>あいだに>しゅじんは>えもんを>つくろってこうかから>でてきて「>やあ」と>せきに>ついたが、>てに>もっていた>めいしの>かげさえ>みえぬ>ところをもって>みると、>すずき>とうじゅうろう>くんの>なまえは>くさい>ところへ>むき>とけいに>しょせ>られた>ものと>みえる。>めいしこそ>とんだ>わざわい>うんに>さいかいした>ものだと>おもう>まもなく、>しゅじんは>このやろうと>わがはいの>えりが>みを>つかんで>えいとばかりに>椽>がわへ>擲>きつけた。「>さあ>しき>たまえ。>ちん>ら>しいな。>いつ>とうきょうへ>でてきた」と>しゅじんは>きゅうゆうに>むかってふとんを>すすめる。>すずき>くんは>ちょっとこれを>うらがえした>うえで、>それへ>すわる。「>つい>まだ忙が>しい>ものだからほうちも>しなかったが、>じつはこの>あいだから>とうきょうの>ほんしゃの>ほうへ>かえる>ように>なってね……」「>それは>けっこうだ、>だいぶ>ながく>あわなかったな。>きみが>いなかへ>おこなってから、>はじめて>じゃないか」「>うん、>もう>じゅうねん>ちかくに>なるね。>なに>そのご>ときどき>とうきょうへは>でてくる>ことも>ある>んだが、>つい>ようじが>おおい>もんだから、>いつでも>しっけいする>ような>わけ>さ。>わる>る>く>おもってくれた>もうな。>かいしゃの>ほうは>きみの>しょくぎょうとは>ちがってずいぶん忙が>し>いんだから」「>じゅうねん>たつ>うちには>だいぶ>ちがう>もんだな」と>しゅじんは>すずき>くんを>みあげたり>みおろしたり>している。>すずき>くんは>あたまを>びれいに>わけて、>えいこく>したての>とうぃーどを>きて、>はでな>えりかざりを>して、>むねに>きむ>くさり>りさ>え>ぴか>つか>せている>ていさい、>どうしても>く>さや>くんの>きゅうゆうとは>おもえない。「>うん、>こんなものまで>ぶらさげなくちゃ、>ならんよ>うに>なってね」と>すずき>くんは>しきりに>きん>くさりりを>きに>してみせる。「>そりゃほんもの>かい」と>しゅじんは>ぶさほうな>しつもんを>かける。「>じゅうはち>きんだよ」と>すずき>くんは>わらいながらこたえたが「>きみも>おおいた>としを>とったね。>たしか>しょうともが>ある>はずだったが>いちにん>かい」「>いいや」「>ににん？」「>いいや」「>まだある>のか、>じゃ>さんにんか」「>うん>さんにん>ある。>このさき｜>いくにん>できるか>わからん」「>そう>かわらず>きらくな>ことを>いっ>てるぜ。>いちばん>おおきい>のは>いくつに>なるかね、>もう>よっぽどだろう」「>うん、>いくつか>のう>く>しらんがおおかた>むっつか、>ななつかだろう」「>ははは>きょうしは>のんきで>いいな。>ぼくも>きょういんにでも>なればよかった」「>なってみ>ろ、>さんにちで>いやに>なるから」「>そうかな、>なんだか>じょうひんで、>きらくで、>かんかが>あって、>すきな>べんきょうが>できて、>よ>さ>そうじゃないか。>じつぎょう>かも>わるくも>ないがわれわれの>うちは>だめだ。>じつぎょう>かに>なるなら>ずっと>うえに>ならなくっちゃいかん。>したの>ほうに>なるとやはり>つまらん>ごせじを>ふりまいたり、>こうかん>ちょこを>いただきに>でたり>ずい>ぶん｜>ぐな>もんだよ」「>ぼくは>じつぎょう>かは>がっこう>じだいから>だいいやだ。>きんさえ>とれればなんでもする、>むかしで>いえばもと>ちょうにんだからな」と>じつぎょう>かを>まえに>ひかえてたいへいらくを>ならべる。「>まさか――>そうば>かりも>うん>えんがね、>すこしは>げひんな>ところも>ある>の>さ、>とにかく>きんと>じょうしを>する>かくごでなければやり>とおせないから――>ところがその>きんと>いう>やつが>くせもので、――>いまも>ある>じつぎょう>かの>ところへ>おこなってきいてきた>んだが、>きんを>つくるにも>さんかく>じゅつを>つかわなくちゃいけないと>いう>の>さ――>ぎりを>かく、>にんじょうを>かく、>はじを>かく>これで>さんかくに>なる>そうだおもしろいじゃないか>あはははは」「>だれだ>そんなばかは」「>ばかじゃない、>なかなかりこうな>おとこ>なんだよ、>じつぎょう>かいで>ちょっとゆうめいだがね、>きみ>しらんか>しら、>つい>このさきの>よこちょうに>いる>んだが」「>かなだか？　>なに>んだ>あんなやっこ」「>たいへん>おこっ>てるね。>なあに、>そりゃ、>ほんのじょうだんだろうがね、>そのくらいに>せんと>きんは>たまらんと>いう>喩さ。>きみの>ように>そうまじめに>かいしゃくしちゃこまる」「>さんかく>じゅつは>じょうだんでも>いいが、>あすこの>にょうぼうの>はなは>なんだ。>きみ>おこなった>んなら>みてきたろう、>あのはなを」「>さいくんか、>さいくんは>なかなかさばけた>ひとだ」「>はなだよ、>おおきなはなの>ことを>いっ>てる>んだ。>せんだって>ぼくは>あのはなについて>俳>からだ>しを>つくったがね」「>なんだ>い>俳>からだ>しと>いう>のは」「>俳>からだ>しを>しらない>のか、>きみも>ずいぶんじせいに>くらいな」「>ああ>ぼくの>ように>忙が>し>いと>ぶんがくなどは>とうてい>だめ>さ。>それにいぜんから>あまりすうきでない>ほうだから」「>きみ>しゃーれ>まんの>はなの>かっこうを>しっ>てるか」「>あはははは>ずいぶんきらくだな。>しらんよ」「>える>りん>とんは>ぶかの>ものから>はな々と>いみょうを>つけ>られていた。>きみ>しっ>てるか」「>はなの>ことばかり>きに>して、>どうした>ん>だい。>よいじゃないか>はなな>んか>まるくても>とがん>がっ>てても」「>けっして>そうでない。>きみ>ぱすかるの>ことを>しっ>てるか」「>またしっ>てるかか、>まるで>しけんを>うけに>きた>ような>ものだ。>ぱすかるが>どうした>ん>だい」「>ぱすかるが>こんなことを>いっている」「>どんなことを」「>もし>くれおぱとらの>はなが>すこしたん>かかったならばせかいの>ひょうめんに>たいへん>かを>きたしたろうと」「>なるほど」「>それだからきみの>ように>そうむぞうさに>はなを>ばかに>しては>いかん」「>まあ>いい>さ、>これからだいじに>するから。>そりゃそうと>して、>きょう>きた>のは、>すこしきみに>ようじが>あってきた>んだがね――>あのはじめ>くんの>おしえたとか>いう、>みずしま――>ええ>みず>しま>え>え>ちょっとおもいだせない。――>そら>きみの>ところへ>しじゅうくると>いうじゃないか」「>かんげつか」「>そうそう>かんげつ>かんげつ。>あのひとの>ことについて>ちょっとききたい>ことが>あってきた>んだがね」「>けっこんじけんじゃないか」「>まあ>たしょうそれに>るいじの>こと>さ。>きょう>かねでんへ>おこなったら……」「>このまはなが>じぶんで>きた」「>そうか。>そうだって、>さいくんも>そういっていたよ。>く>さや>さんに、>よく>うかがおうと>おもってのぼったら、>あいにく>迷>ていが>きていてちゃちゃを>いれてなにが>なんだか>わからなく>してしまったって」「>あんな>はなを>つけてくるからあく>るいや」「>いえきみの>ことを>いう>んじゃないよ。>あの迷>てい>くんが>おった>もんだから、>そうたちいった>ことを>きく>わけにも>いかなかったのでざんねんだったから、>もう>いっぺん>ぼくに>いってよく>きいてきてくれないかって>たのま>れた>ものだからね。>ぼくも>いままで>こんなせわは>した>ことはないが、>もし>とうにん>どうしが>いや>やでないなら>ちゅうへ>たってまとめる>のも、>けっして>わるい>ことはないからね――>それで>やってきた>の>さ」「>ごくろう>さま」と>しゅじんは>れいたんに>こたえたが、>はらの>うちでは>とうにん>どうしと>いう>かたりを>きいて、>どういう>わけか>わからんが、>ちょっとこころを>うごかした>のである。>むし>あつい>なつの>よるに>いちるの>れいふうが>そでぐちを>もぐった>ような>きぶんに>なる。>がんらい>このしゅじんは>ぶっ>きら>ぼうの、>がんこ>こうたく>けしを>むねとして>せいぞうさ>れた>おとこであるが、>さればと>いってれいこく>ふにんじょうな>ぶんめいの>さんぶつとは>じから>そのせんを>ことに>している。>かれが>なぞと>いうと、>むかっぱらを>たててぷんぷん>する>のでも>這>うらの>しょうそくは>えとくできる。>せんじつ>はなと>けんかを>した>のは>はなが>きに>くわぬからで>はなの>むすめには>なにの>つみも>ない>はなししである。>じつぎょう>かは>きらいだから、>じつぎょう>かの>かたわれ>なる>かねでん>ぼうも>いやに>そういないがこれも>むすめ>そのひととは>ぼっこうしょうの>さたと>いわねばならぬ。>むすめには>おんも>うらみも>なくて、>かんげつは>じぶんが>みの>おとうとよりも>あいしている>もんかせいである。>もし>すずき>くんの>いう>ごとく、>とうにん>どうしが>すいた>なかなら、>かんせつにも>これを>ぼうがいする>のは>くんしの>なすべき>しょさでない。――>く>さや>せんせいは>これでも>じぶんを>くんしと>おもっている。――>もし>とうにん>どうしが>すいているなら――>しかしそれが>もんだいである。>このじけんにたいして>じこの>たいどを>あらためるには、>まず>そのしんそうから>確>め>なければならん。「>きみ>そのむすめは>かんげつの>ところへ>らいたがっ>てる>のか。>かねでんや>はなは>どうでも>かまわんが、>むすめ>じしんの>いこうは>どうなんだ」「>そりゃ、>その――>なにだね――>なんでも――>え、>らいたがっ>てる>んだろうじゃないか」>すずき>くんの>あいさつは>しょうしょう｜>あいまいである。>じつはかんげつ>くんの>ことだけ>きいてふくめいさえ>すればいい>つもりで、>ごじょう>さんの>いこうまでは>たしかめてこなかった>のである。>したがってえんてん｜>かつだつの>すずき>くんも>ちょっとろうばいの>きみに>みえる。「だろ>うた>はんぜんしない>ことばだ」と>しゅじんは>なにごとに>よらず、>しょうめんから、>どやし>つけないと>きが>すまない。「>いや、>これ>ゃ>ちょっとぼくの>いい>ようが>わるかった。>れいじょうの>ほうでも>たしかに>いが>ある>んだよ。>いえ>まったくだよ――>え？――>さいくんが>ぼくに>そういったよ。>なにでも>ときどきは>かんげつ>くんの>わるぐちを>いう>ことも>ある>そうだがね」「>あのむすめがか」「>ああ」「>あやしからん>やつだ、>わるぐちを>いうなんて。>だいはじめ>それじゃかんげつに>いが>ない>んじゃないか」「>そこが>さ、>よのなかは>みょうな>もので、>じぶんの>すいている>ひとの>わるぐちなどは>ことさら>いってみる>ことも>あるからね」「>そんなぐな>やっこが>どこの>くにに>いる>ものか」と>しゅじんは>かような>にんじょうの>きびに>たちいった>ことを>いわ>れても>とみと>かんじが>ない。「>そのぐな>やっこが>ずいぶんよのなかにゃ>あるからしかたが>ない。>げんに>かねでんの>さいくんも>そうかいしゃくしている>の>さ。>とまどいを>した>へちまの>ようだなんて、>ときどき>かんげつ>さんの>わるぐちを>いいますから、>よっぽど>こころの>なかでは>おもっ>てるに>そういありませんと」　>しゅじんは>このふかしぎな>かいしゃくを>きいて、>あまりおもい>かけない>ものだから、>めを>まるく>して、>へんとうも>せず、>すずき>くんの>かおを、>おおみち>えきしゃの>ように>眤と>みつめている。>すずき>くんは>こいつ、>このようすでは、>ことに>よると>やり>そこなうなと>かん>づいたと>みえて、>しゅじんにも>はんだんの>でき>そうな>ほうめんへと>わとうを>うつす。「>きみ>かんがえても>わかるじゃないか、>あれだけの>ざいさんが>あってあれだけの>きりょうなら、>どこ>へだって>そうおうの>いえへ>やれるだろうじゃないか。>かんげつだって>えらいかも>しれんがみぶんから>うん>や――>いやみぶんと>いっちゃしつれいかも>しれない。――>ざいさんと>いう>てんから>うんや、>まあ、>だれが>みたって>つりあわん>のだからね。>それを>ぼくが>わざわざしゅっちょうするくらい>りょうしんが>きを>もん>でる>のは>ほんにんが>かんげつ>くんに>いが>あるからの>こと>じゃあ>ないか」と>すずき>くんは>なかなかうまい>りくつを>つけてせつめいを>あたえる。>こんどは>しゅじんにも>なっとくが>できたらしい>ので>ようやく>あんしんしたが、>こんなところに>まごまごしているとまたとっかんを>くう>きけんが>あるから、>はやく>はなしの>ふを>すすめて、>いっこくも>はやく>しめいを>かん>う>する>ほうが>ばんぜんの>さくと>こころづいた。「>それでね。>いま>いう>とおりの>わけであるから、>せんぽうで>いうには>なにも>きんせんや>ざいさんは>いらんからその>かわり>とうにんに>ふぞくした>しかくが>ほしい――>しかくと>いうと、>まあ>かたがきだね、――>はかせに>なったら>やっても>いいなんて>いばっ>てる>しだいじゃない――>ごかいしちゃいかん。>せんだって>さいくんの>きた>ときは>迷>てい>くんが>いてみょうな>ことばかり>いう>ものだから――>いえ>くんが>わるい>のじゃない。>さいくんも>きみの>ことを>ごせじの>ない>しょうじきな>いい>ほうだと>しょう>めていたよ。>まったく迷>てい>くんが>わるかった>んだろう。――>それでさ>ほんにんが>はかせにでも>なってくれればせんぽうでも>せけんへ>たいしてかたみが>ひろい、>めんぼくが>あると>いう>んだがね、>どうだろう、>ちかぢかの>うちみずしま>くんは>はかせ>ろんぶんでも>ていしゅつして、>はかせの>がくいを>うける>ような>はこびには>いくまいか。>なあに――>かねでんだけなら>はかせも>がくしも>いらん>の>さ、>ただせけんと>いう>ものが>あるとね、>そうてがるにも>いかんからな」　>こういわ>れてみると、>せんぽうで>はかせを>せいきゅうする>のも、>あながち>むりでもない>ように>おもわ>れてくる。>むりではない>ように>おもわ>れてくれば、>すずき>くんの>いらいどおりに>してやりたく>なる。>しゅじんを>いかす>のも>ころす>のも>すずき>くんの>いの>ままである。>なるほど>しゅじんは>たんじゅんで>しょうじきな>おとこだ。「>それじゃ、>こんど>かんげつが>きたら、>はかせ>ろんぶんを>かく>ように>ぼくから>すすめてみよう。>しかしとうにんが>かねでんの>むすめを>もらう>つもりか>どうだか、>それからまず>とい>ただしてみなくちゃいかんからな」「>とい>ただすなんて、>きみ>そんなかくばった>ことを>してものが>まとまる>ものじゃない。>やっぱり>ふつうの>だんわの>さいに>それとなく>きを>ひいてみる>のが>いちばん>ちかみちだよ」「>きを>ひいてみる？」「>うん、>きを>ひくと>いうとごへいが>あるかも>しれん。――>なに>きを>ひかんでもね。>はなしを>していると>しぜん>わかる>もんだよ」「>くんにゃ>わかるかも>しれんが、>しもべにゃ>はんぜんと>きかん>ことは>わからん」「>わからなけりゃ、>まあ>よいさ。>しかし迷>てい>きみ>みた>ように>よけいな>ちゃちゃを>いれてうち>壊>わ>す>のは>よくないと>おもう。>たとえ>すすめないまでも、>こんなことは>ほんにんの>ずいいに>すべき>はずの>ものだからね。>こんど>かんげつ>くんが>きたら>なるべく>どうか>じゃまを>しない>ように>してくれ>たまえ。――>いえ>くんの>ことじゃない、>あの迷>てい>くんの>こと>さ。>あのおとこの>くちに>かかるととうてい>たすかり>っ>こない>んだから」と>しゅじんの>だいりに>迷>ていの>わるぐちを>きいていると、>うわさを>すればかげの>喩に>もれず>迷>てい>せんせい>れいのごとく>かってぐちから>ひょうぜんと>しゅんぷうに>じょうじてまいこんでくる。「>いやー>ちんきゃくだね。>ぼくの>ような>狎>きゃくに>なるとく>さやは>とかく>そりゃくに>した>がっていかん。>なにでも>く>さやの>うちへは>じゅうねんに>いっぺんくらい>くるに>かぎる。>このかしは>いつも>より>じょうとうじゃないか」と>ふじむらの>ようかんを>むぞうさに>ほおばる。>すずき>くんは>もじもじ>している。>しゅじんは>にやにや>している。>迷>ていは>くちをもが>もが>さ>している。>わがはいは>このしゅんじの>こうけいを>椽>がわから>はいけんしてむごん>げきと>いう>ものは>ゆうに>せいりつし>えると>おもった。>ぜんけで>むごんの>もんどうを>やる>のが>いしんでんしんで>あるなら、>このむごんの>しばいも>あきらかに>いしんでんしんの>まくである。>すこぶる>たん>かい>けれどもすこぶる>するど>どい>まくである。「>きみは>いっしょう｜>たびがらすかと>おもっ>てたら、>いつのまにか>まいもどったね。>ちょうせいは>したい>もんだな。>どんなぎょうこうに>めぐり>あわんとも>かぎらんからね」と>迷>ていは>すずき>くんにたいしても>しゅじんにたいする>ごとく>ごうも>えんりょと>いう>ことを>しらぬ。>いかに>じすいの>なかまでも>じゅうねんも>あわなければ、>なんとなく>きの>おける>ものだが迷>てい>くんに>かぎって、>そんなもと>ふも>みえぬ>のは、>えらい>のだか>ばかな>のか>ちょっとけんとうが>つかぬ。「>かわいそうに、>そんなに>ばかに>した>ものでもない」と>すずき>くんは>あたらず>さわらずの>へんじは>したが、>なんとなく>おちつき>かねて、>れいの>きむ>くさりを>しんけい>てきに>いじっている。「>きみ>でんき>てつどうへ>のったか」と>しゅじんは>とつぜんすずき>くんにたいして>きもんを>はっする。「>きょうは>しょくんから>ひやかさ>れ>に>きた>ような>ものだ。>なんぼいなかものだって――>これでも>まち>てつを>ろくじゅう>かぶもっ>てるよ」「>そりゃばかに>できないな。>ぼくは>はちひゃく>はちじゅう>はちかぶ>はん>もっていたが、>おしい>ことに>おおかた>むしが>くってしまって、>いまじゃ>はん>かぶばかり>しかない。>もうすこしはやく>きみが>とうきょうへ>でてくれば、>むしの>くわない>ところを>じゅうかぶばかり>やる>ところだったがおしい>ことを>した」「>そう>かわらず>くちが>あくるい。>しかしじょうだんは>じょうだんとして、>ああいう>かぶは>もっ>ててそんはないよ、>ねんねん>たかく>なるばかりだから」「>そうだ>たとえ>はんかぶだって>ちとせも>もっ>てる>うちにゃ>くらが>みっつくらい>たつからな。>きみも>ぼくも>そのあたりに>ぬかりはない>とうせいの>さいしだが、>そこへ>いくとく>さやなどは>あわれな>ものだ。>かぶと>いえばだいこんの>きょうだいぶんくらいに>かんがえている>んだから」と>またようかんを>つまんでしゅじんの>ほうを>みると、>しゅじんも>迷>ていの>くいけが>でんせんしておのずから>かし>さらの>ほうへ>てが>でる。>よのなかでは>ばんじ>せっきょく>てきの>ものが>ひとから>まねら>るる>けんりを>ゆうしている。「>かぶなどは>どうでも>かまわんが、>ぼくは>曾>りょ>さきに>いちどで>いいからでんしゃへ>のら>してやりたかった」と>しゅじんは>くい>かけた>ようかんの>は>こんを>撫>しかとして>ながめる。「>曾>りょ>さきが>でんしゃへ>のったら、>のる>たんびに>しながわまで>いってしまうは、>それより>やっぱり>てんねん>こじで>たくあん>せきへ>ほり>つけ>られ>てる>ほうが>ぶじで>いい」「>曾>りょ>さきと>いえばしんだ>そうだな。>きのどくだねえ、>いい>あたまの>おとこだったがおしい>ことを>した」と>すずき>くんが>いうと、>迷>ていは>ただちに>ひきうけて「>あたまは>よかったが、>めしを>たく>ことは>いちばん>へただったぜ。>曾>りょ>さきの>とうばんの>ときには、>ぼく>あいつでも>がいしゅつを>してそばで>しのいでいた」「>ほんとに>曾>りょ>さきの>たいた>めしは>こげくさくってこころが>あってぼくも>よわった。>ごまけに>ごなに>かならずとうふを>な>まで>くわせる>んだから、>つめたくてくわ>れ>やせん」と>すずき>くんも>じゅうねん>まえの>ふへいを>きおくの>そこから>よび>おこす。「>く>さやは>あのじだいから>曾>りょ>さきの>しんゆうで>まいばん>いっしょに>しるこを>くいに>でたが、>そのたたりで>いまじゃ>まんせい>いじゃくに>なってくるしんでいる>んだ。>みを>いうとく>さやの>ほうが>しるこの>かずを>よけい>くっ>てるから曾>りょ>さきより>さきへ>しんでむべ>い>やく>なんだ」「>そんなろんりが>どこの>くにに>ある>ものか。>おれの>しるこより>きみは>うんどうと>ごうして、>まいばん｜>しないを>もってうらの>たまご>とうばへ>でて、>せきとうを>たたい>てる>ところを>ぼうずに>みつかってけんつくを>くった>じゃないか」と>しゅじんも>まけぬ>きに>なって迷>ていの>きゅうあくを>曝>く。「>あははは>そうそう>ぼうずが>ふつ>さまの>あたまを>たたいては>あんみんの>ぼうがいに>なるからよしてくれって>いったっけ。>しかしぼく>のは>しないだが、>このすずき>しょうぐん>のは>て>暴だぜ。>いしどうと>すもうを>とってだいしょう>さんこばかり>ころがしてしまった>んだから」「>あのときの>ぼうずの>いかり>かたは>じつに>はげしかった。>ぜひもとの>ように>おこせと>いうからにんそくを>やとうまで>まってくれと>いったら>にんそくじゃ>いかん>ざんげの>いを>ひょうする>ために>あなたが>じしんで>おこさなくては>ふつの>いに>そむくと>いう>んだからね」「>そのときの>きみの>ふうさいはなかったぜ、>かなきん>のしゃつ>に>えっちゅうふんどしで>あめあがりの>みず>たまりの>なかで>うん>うん>うなって……」「>それを>きみが>すました>かおで>しゃせいする>んだから苛>い。>ぼくは>あまりはらを>たてた>ことの>ない>おとこだが、>あのときばかりは>しっけいだと>こころからおもったよ。>あのときの>きみの>げん>そうを>まだおぼえているがきみは>しっ>てるか」「>じゅうねん>まえの>げん>くさ>なんか>だれが>おぼえている>ものか、>しかしあの>せきとうに>きいずみ>いん>しんがり>き>つる>だいこじ>やすなが>ごねん｜>たつ>しょうがつと>ほってあった>のだけは>いまだに>きおくしている。>あのせきとうは>こがに>できていたよ。>ひき>こす>ときに>ぬすんでいきたかった>くらいだ。>じつに>びがく>じょうの>げんりに>かなって、>ごしっく>しゅみな>せきとうだった」と>迷>ていは>またいいかげんな>びがくを>ふり>まわす。「>そりゃいいが、>きみの>げん>くさ>がさ。>こうだぜ――>わがはいは>びがくを>せんこうする>つもりだからてんち>かんの>おもしろい>できごとは>なるべくしゃせいしておいてしょうらいの>さんこうに>とも>さ>なければならん、>きのどくだの、>かわいそうだ>のと>いう>しじょうは>がくもんに>ちゅうじつなる>わがはい>ごと>きものの>くちに>すべき>ところでないと>へいきで>いう>のだろう。>ぼくも>あんまりな>ふにんじょうな>おとこだと>おもったからどろ>だらけの>てで>きみの>しゃせいじょうを>ひきさいてしまった」「>ぼくの>ゆうぼうな>がさいが>とんざしていっこう>ふ>わ>なく>なった>のも>まったくあの>ときからだ。>きみに>きほうを>おら>れた>のだね。>ぼくは>きみに>恨が>ある」「>ばかに>しちゃいけない。>こっちが>うらめしいくらいだ」「>迷>ていは>あのじぶんから>ほら>吹だったな」と>しゅじんは>ようかんを>くい>りょうって>ふたたび>ににんの>はなしの>なかに>わりこんでくる。「>やくそくな>んか>りこうした>ことが>ない。>それで>きつもんを>うけるとけっして>わびた>ことが>ない>なんとかかとか>いう。>あのてらの>けいだいに>さるすべりが>さいていた>じぶん、>このさるすべりが>ちるまでに>びがく>げんろんと>いう>ちょじゅつを>すると>いうから、>だめだ、>とうてい>できる>き>やはないと>いった>の>さ。>すると迷>ていの>こたえに>ぼくは>こうみえても>みかけに>よらぬ>いしの>つよい>おとこで>ある、>そんなに>うたがうなら>かけを>しようと>いうからぼくは>まじめに>うけてなにでも>かんだの>せいよう>りょうりを>おごり>っ>こか>なにかに>きわめた。>きっと>しょもつなんか>かく>き>やはないと>おもったからかけを>した>ような>ものの>ないしんは>しょうしょうおそろしかった。>ぼくに>せいよう>りょうりなんか>おごる>きんはない>んだからな。>ところがせんせい｜>いっこう>こうを>おこす>けしきが>ない。>ななにち>たっても>にじゅう>にちたっても>いちまいも>かかない。>いよいよ>さるすべりが>ちっていちりんの>はなも>なく>なっても>とうにん>へいきで>いるから、>いよいよ>せいよう>りょうりに>あり>ついたなと>おもってけいやくりこうを>逼ると>迷>てい>すましてとりあわない」「>またなんとか>りくつを>つけた>のかね」と>すずき>くんが>そうの>てを>いれる。「>うん、>じつに>ずうずうしい>おとこだ。>わがはいは>ほかに>のうはないがいしだけは>けっして>きみ>かたに>まけは>せんと>ごう>じょうを>はる>の>さ」「>いちまいも>かかんのにか」と>こんどは>迷>てい>くん>じしんが>しつもんを>する。「>むろん>さ、>そのとき>きみは>こういったぜ。>わがはいは>いしの>いちてんにおいては>あえて>なにびとにも>いっぽも>ゆずらん。>しかしざんねんな>ことには>きおくが>ひといちばい>ない。>びがく>げんろんを>ちょ>わ>そうと>する>いしは>じゅうぶん>あった>のだがその>いしを>きみに>はっぴょうした>よくじつから>わすれてしまった。>それだからさるすべりの>ちるまでに>ちょしょが>できなかった>のは>きおくの>つみで>いしの>つみではない。>いしの>つみでない>いじょうは>せいよう>りょうりなどを>おごる>りゆうが>ないと>いばっている>の>さ」「>なるほど>迷>てい>くん>いちりゅうの>とくしょくを>はっきしておもしろい」と>すずき>くんは>なぜだか>おもしろ>がっている。>迷>ていの>おらぬ>ときの>ごきとは>よほど>ちがっている。>これが>りこうな>ひとの>とくしょくかも>しれない。「>なにが>おもしろい>ものか」と>しゅじんは>いまでも>おこっている>ようすである。「>それは>ごきのどく>さま、>それだからその>うま>あわせを>する>ために>くじゃくの>したなんかを>きんと>たいこで>さがしているじゃないか。>まあ>そうおこらずに>まっているさ。>しかしちょしょと>いえばきみ、>きょうは>いちだい>ちん>ほうを>齎>ら>してきた>んだよ」「>きみは>くる>たびに>ちん>ほうを>齎>ら>すおとこだからゆだんが>できん」「>ところがきょうの>ちん>ほうは>しんの>ちん>ほうさ。>しょうふだ>づけ>いちりんも>ひけ>なしの>ちん>ほうさ。>きみ>かんげつが>はかせ>ろんぶんの>こうを>おこした>のを>しっているか。>かんげつは>あんな>みょうに>けんしきばった>おとこだからはかせ>ろんぶんなんて>むしゅみな>ろうりょくは>やるまいと>おもったら、>あれで>やっぱり>いろけが>あるからおかしいじゃないか。>きみ>あのはなに>ぜひつうちしてやるがいい、>このころは>どんぐり>はかせの>ゆめでも>みているかも>しれない」　>すずき>くんは>かんげつの>なを>きいて、>はなしては>いけぬ>はなしては>いけぬと>顋と>めで>しゅじんに>あいずする。>しゅじんには>いっこう>いみが>つうじない。>さっきすずき>くんに>あってせっぽうを>うけた>ときは>かねでんの>むすめの>ことばかりが>きのどくに>なったが、>いま>迷>ていから>はな々と>いわ>れるとまたせんじつ>けんかを>した>ことを>おもいだす。>おもいだすとこっけいでもあり、>またしょうしょうは>わる>ら>しくも>なる。>しかしかんげつが>はかせ>ろんぶんを>くさ>し>かけた>のは>なによりの>ごみ>や>げで、>こればかりは>迷>てい>せんせい>じさんのごとく>まず>まず>きんらいの>ちん>ほうである。>ただに>ちん>ほうのみ>ならず、>うれしい>かいよい>ちん>ほうである。>かねでんの>むすめを>もらおうが>もらうまいが>そんなことは>まず>どうでも>よい。>とにかく>かんげつの>はかせに>なる>のは>けっこうである。>じぶんの>ように>でき>そん>いの>もくぞうは>ぶっし>やの>すみで>むしが>くうまで>しろきの>まま>いぶっていても>いかんはないが、>これは>うまく>しあがったと>おもう>ちょうこくには>いちにちも>はやく>はくを>ぬってやりたい。「>ほんとうに>ろんぶんを>かき>かけた>のか」と>すずき>くんの>あいずは>そっち>のけに>して、>ねっしんに>きく。「>よく>ひとの>いう>ことを>うたぐ>ぐる>おとこだ。――>もっとも>もんだいは>どんぐりだか>くびくくりの>りきがくだか>確と>わからんがね。>とにかく>かんげつの>ことだからはなの>きょうしゅくする>ような>ものに>ちがいない」　>さっきから>迷>ていが>はな々と>ぶえんりょに>いう>のを>きく>たんびに>すずき>くんは>ふあんの>ようすを>する。>迷>ていは>すこしも>きがつかないからへいきな>ものである。「>そのご>はなについて>またけんきゅうを>したが、>このころ>とり>すと>らむ・>しゃん>でーの>なかに>はな>ろんが>ある>のを>はっけんした。>かねでんの>はななども>すたーんに>みせたら>よい>ざいりょうに>なった>ろうに>ざんねんな>ことだ。>はな>めいを>せんざいに>たれる>しかくは>じゅうぶん>ありながら、>あのままで>くち>はて>つるとは>ふびん>せんばんだ。>こんど>ここへ>きたら>びがく>じょうの>さんこうの>ために>しゃせいしてやろう」と>そう>かわらず>くちから>でまかせに>ちょう>したり>たてる。「>しかしあの>むすめは>かんげつの>ところへ>きた>い>のだ>そうだ」と>しゅじんが>いま>すずき>くんから>きいた>とおりを>のべると、>すずき>くんは>これは>めいわくだと>いう>かお>づけを>してしきりに>しゅじんに>め>くば>せを>するが、>しゅじんは>ふどうたいのごとく>いっこう>でんきに>かんせんしない。「>ちょっとおつだな、>あんな>ものの>こでも>こいを>する>ところが、>しかしたいした>こいじゃなかろう、>おおがた｜>はな>こいくらいな>ところだぜ」「>はな>こいでも>かんげつが>もらえばいいが」「>もらえばい>いがって、>きみは>せんじつ>だいはんたいだった>じゃないか。>きょうは>いやに>なんかしているぜ」「>なんかは>せん、>ぼくは>けっして>なんかは>せん>しかし……」「>しかしどうか>した>んだろう。>ねえ>すずき、>きみも>じつぎょう>かの>まっせきを>よごす>いちにんだからさんこうの>ために>いってきか>せるがね。>あの>かねでん>ぼう>なる>しゃさ。>あの>ぼうなる>ものの>そくじょなどを>てんかの>しゅうさい>みずしま>かんげつの>れいふじんと>あがめ>まつる>のは、>しょうしょう｜>ちょうちんと>つりがねと>いう>しだいで、>われわれ｜>ほうゆうたる>ものが>ひや々>もっかする>わけに>いかん>ことだと>おもう>んだが、>たとい>じつぎょう>かの>きみでも>これには>いぞんはあるまい」「>そう>かわらず>げんきが>いいね。>けっこうだ。>きみは>じゅうねん>まえと>ようすが>すこしも>かわっていないからえらい」と>すずき>くんは>やなぎに>うけて、>ごま>かそうと>する。「>えらいと>ほめるなら、>もうすこしはくがくな>ところを>ごめに>かけるがね。>むかし>しの>まれ>臘>じんは>ひじょうに>たいいくを>おもんじた>もので>あらゆるきょうぎに>きちょうなる>けんしょうを>だしてひゃっぽう>しょうれいの>さくを>こうじた>ものだ。>しかるに>ふしぎな>ことには>がくしゃの>ちしきにたいして>のみは>なんらの>ほうびも>あたえたと>いう>きろくが>なかった>ので、>きょうまで>みは>だいに>あやしんでいた>ところ>さ」「>なるほど>すこしみょうだね」と>すずき>くんは>どこまでも>ちょうしを>あわせる。「>しかるに>つい>りょう>さんにち>まえに>いたって、>びがく>けんきゅうの>さい>ふと>そのりゆうを>はっけんしたのでたねんの>ぎだんは>いちどに>ひょうかい。>うるし>おけを>ぬくがごとく>つうかい>なる>さとりを>えて歓>てん>き>ちの>しきょうに>たっした>の>さ」　>あまり迷>ていの>ことばが>ぎょうさんなので、>さすが>ごじょうずものの>すずき>くんも、>こりゃ>てに>あわないと>いう>かお>づけを>する。>しゅじんは>またはじまったなと>いわぬ>ば>かりに、>ぞうげの>はしで>かし>さらの>えんを>かんかん>たたいて俯つ>むいている。>迷>ていだけは>だいとくいで>べんじ>つづける。「>そこでこの>むじゅんなる>げんしょうの>せつめいを>めいきして、>あんこくの>ふちから>われ>じんの>うたぐを>せんざいの>したに>すくいだしてくれた>ものは>だれだと>おもう。>がくもんあっていらいの>がくしゃと>しょうせらるる>かれの>まれ>臘の>てつじん、>しょうようはの>がんそ>ありすとーとる>その>ひとである。>かれの>せつめいに>いわく>さ――>おい>かし>さらなどを>たたかんできんちょうしていなくちゃいかん。――>かれら>まれ>臘>じんが>きょうぎにおいて>える>ところの>しょうよは>かれらが>えんずる>ぎげい>そのものより>きちょうな>ものである。>それ>ゆえに>ほうびにも>なり、>しょうれいの>ぐとも>なる。>しかしちしき>そのものに>いたっては>どうである。>もし>ちしきにたいする>ほうしゅうとして>なに>ぶつをか>あたえんと>するならばちしき>いじょうの>かち>ある>ものを>あたえざるべからず。>しかしちしき>いじょうの>ちんぽうが>よのなかに>あろうか。>むろん>ある>はずが>ない。>へたな>ものを>やればちしきの>いげんを>そんする>わけに>なるばかりだ。>かれらは>ちしきにたいして>せんりょうばこを>おりむぱすの>やまほど>つみ、>くりーさすの>とみを>かたむけ>つくしても>そうとうの>ほうしゅうを>あたえんと>した>のであるが、>いかに>かんがえても>とうてい>つりあう>はずが>ないと>いう>ことを>み>やぶ>して、>それより>いらいと>いう>ものは>きれい>さっぱりなににも>やらない>ことに>してしまった。>こうはく>あお>ぜにが>ちしきの>ひってきでない>ことは>これで>じゅうぶん>りかいできるだろう。>さてこの>げんりを>ふくようした>うえで>じじ>もんだいに>のぞんでみるがいい。>かねでん>ぼうは>なに>だい>しへいに>め>はなを>つけただけの>にんげんじゃないか、>きけいなる>かたりをもって>けいようするならばかれは>いちこの>かつどうしへいに>よぎん>のである。>かつどうしへいの>むすめなら>かつどうきってくらいな>ところだろう。>ひるがえって>かんげつ>くんは>いかがと>みればどうだ。>辱>け>なくも>がくもんさいこうの>ふを>だいいち>いに>そつぎょうしてごうも>けんたいの>ねん>なく>ちょう>しゅう>せいばつじだいの>はおりの>ひもを>ぶらさげて、>にちや｜>どんぐりの>すたびりちーを>けんきゅうし、>それでもなお>まんぞくする>ようすも>なく、>ちかぢかの>ちゅう>ろーど・>けるヴぃんを>あっとうするほどな>だいろんぶんを>はっぴょうしようと>しつつあるではないか。>たまたま>あづまばしを>とおりかかってみなげの>げいを>しそんじた>ことは>あるが、>これも>ねっせい>なる>せいねんに>あり>がちの>ほっさ>てき>しょいで>ごうも>かれが>ちしきの>とんや>たるに>わずらいを>およぼすほどの>できごとではない。>迷>てい>いちりゅうの>喩をもって>かんげつ>くんを>ひょうすればかれは>かつどうとしょかんである。>ちしきを>もってこね>あげ>たる>にじゅう>はち｜>珊の>だんがんである。>このだんがんが>いちたび>じきを>えてがっかいに>ばくはつするなら、――>もし>ばくはつしてみ>たまえ――>ばくはつするだろう――」>迷>ていは>ここに>いたって迷>てい>いちりゅうと>じしょうする>けいようしが>おもう>ように>でてこないのでぞくに>いう>りゅうとうだびの>かんに>たしょうひるんでみえたがたちまち「>かつどうきってなどは>なんせん>まんまい>あったって>こなな>みじんに>なってしまうさ。>それだからかんげつには、>あんな>つりあわない>じょせいは>だめだ。>ぼくが>ふしょうちだ、>ひゃくじゅうの>なかで>もっとも>そうめい>なる>だいぞうと、>もっとも>どんらん>なる>しょうぶたと>けっこんする>ような>ものだ。>そうだろう>く>さや>くん」と>いってしりぞけると、>しゅじんは>まただまってかし>さらを>たたき>だす。>すずき>くんは>すこしへこんだ>きみで「>そんなことも>なかろう」と>すべな>げに>こたえる。>さっきまで>迷>ていの>わるぐちを>ずいぶんついた>あげく>ここで>むくら>な>ことを>いうと、>しゅじんの>ような>むほうものは>どんなことを>すっぱぬくか>しれない。>なるべくここは>こうかげんに>迷>ていの>えいほうを>あしらってぶじに>きりぬける>のが>じょうふんべつな>のである。>すずき>くんは>りこう>しゃである。>い>ら>ざる>ていこうは>さけ>ら>るるだけ>さける>のが>とうせいで、>むようの>こうろんは>ほうけん>じだいの>いぶつと>こころえている。>じんせいの>もくてきは>こうぜつではない>じっこうに>ある。>じこの>おもいどおりに>ちゃくちゃくじけんが>しんちょくすれば、>それで>じんせいの>もくてきは>たっせ>られた>のである。>くろうと>しんぱいと>そうろんとが>なくてじけんが>しんちょくすればじんせいの>もくてきは>ごくらく>りゅうに>たっせ>られる>のである。>すずき>くんは>そつぎょうご>このごくらく>しゅぎによって>せいこうし、>このごくらく>しゅぎによって>きむ>とけいを>ぶらさげ、>このごくらく>しゅぎで>かねでん>ふうふの>いらいを>うけ、>おなじく>このごくらく>しゅぎで>まんまと>しゅび>よく>く>さや>くんを>とき>おとしてとうがい>じけんが>じゅっちゅうはっくまで>じょうじゅした>ところへ、>迷>てい>なる>つねただしをもって>りつ>すべから>ざる、>ふつうの>にんげん>いがいの>しんり>さようを>ゆうするかと>かい>ま>るる>ふうらいぼうが>とびこんできたのでしょうしょうその>とつぜんなるに>めん>くっている>ところである。>ごくらく>しゅぎを>はつめいした>ものは>めいじの>しんしで、>ごくらく>しゅぎを>じっこうする>ものは>すずき>とうじゅうろう>くんで、>いま>このごくらく>しゅぎで>こんきゃくしつつある>ものも>またすずき>とうじゅうろう>くんである。「>きみは>なににも>しらんからそうでも>なか>ろうなどと>すまし>かえって、>れいに>なく>ことば>寡>なに>じょうひんに>ひかえ>こむが、>せんだって>あのはなの>おもが>きた>ときの>ようすを>みたら>いかに>じつぎょう>か｜>贔>まけの>そんこうでも>へきえきするに>きょく>っ>てるよ、>ねえ>く>さや>くん、>きみ｜>だいに>ふんとうした>じゃないか」「>それでもきみより>ぼくの>ほうが>ひょうばんが>いい>そうだ」「>あははは>なかなかじしんが>つよい>おとこだ。>それでなくては>さヴぇじ・>ちーな>んて>せいとや>きょうしに>からかわ>れてすましてがっこうへ>でちゃい>られん>わけだ。>ぼくも>いしは>けっして>ひとに>おとらん>つもりだが、>そんなに>ずぶとくは>できん>けいふくの>いたりだ」「>せいとや>きょうしが>しょうしょうぐず>ぐず>いったって>なにが>おそろしい>ものか、>さんとぶーヴは>ここん>どっぽの>ひょうろんかであるがぱり>だいがくで>こうぎを>した>ときは>ひじょうに>ふひょうばんで、>かれは>がくせいの>こうげきに>おうずる>ため>がいしゅつの>さい>かならずひしゅを>そでのしたに>もってぼうぎょの>ぐと>なした>ことが>ある。>ぶるぬちぇるが>やはり>ぱりの>だいがくで>ぞらの>しょうせつを>こうげきした>ときは……」「>だってきみ>ゃ>だいがくの>きょうしでも>なにでも>ないじゃないか。>こうが>りー>どるの>せんせいで>そんなおおやを>れいに>ひく>のは>じゃこが>くじらをもって>みずから>たとえる>ような>もんだ、>そんなことを>いうとなお>からかわ>れるぜ」「>だまっていろ。>さんとぶーヴだって>おれ>だっておなじくらいな>がくしゃだ」「>たいへんな>けんしきだな。>しかしかいけんをもって>ふ>いくだけは>あぶないからまねない>ほうが>いいよ。>だいがくの>きょうしが>かいけんなら>りー>どるの>きょうしは>まあ>こがたなくらいな>ところだな。>しかしそれにしてもはものは>けんのんだからなかみせへ>おこなっておもちゃの>くうき>じゅうを>かってきてせおってあるくがよかろう。>あいきょうが>あっていい。>ねえ>すずき>くん」と>いうと>すずき>くんは>ようやく>はなしが>かねでん>じけんを>はなれたのでほっと>ひといき>つきながら「>そう>かわらず>むじゃきで>ゆかいだ。>じゅうねん>ふりで>はじめてきみ>とうに>あった>んで>なんだか>きゅうくつな>ろじから>ひろい>のはらへ>でた>ような>きもちが>する。>どうも>われわれ>なかまの>だんわは>すこしも>ゆだんが>ならなくてね。>なにを>いうにも>きを>おかなくちゃならんからしんぱいで>きゅうくつで>じつに>くるしいよ。>はなしは>つみが>ない>のが>いいね。>そしてむかし>しの>しょせい>じだいの>ともだちと>はなす>のが>いちばん>えんりょが>なくっていい。>ああ>きょうは>はからず>迷>てい>くんに>あってゆかいだった。>ぼくは>ちと>ようじが>あるからこれで>しっけいする」と>すずき>くんが>たち>かけると、>迷>ていも「>ぼくも>いこう、>ぼくは>これからにほんばしの>えんげい>きょうふう>かいに>いかなくっちゃならんから、>そこまで>いっしょに>いこう」「>そりゃちょうど>いい>ひさしぶりで>いっしょに>さんぽしよう」と>りょうくんは>てを>たずさえてかえる。　　　　　　　　>ご　>にじゅう>よんじかんの>できごとを>もれなく>かいて、>もれなく>よむには>すくなくも>にじゅう>よんじかん>かかるだろう、>いくら>しゃせいぶんを>こすいする>わがはいでも>これは>とうてい>ねこの>くわだて>およぶべからざる>げいとうと>じはくせざるを>えない。>したがっていかに>わがはいの>しゅじんが、>にろくじちゅう>せいさい>なる>びょうしゃに>あたいする>き>げん>きこうを>ろうするにも>かんらず>ちくいち>これを>どくしゃに>ほうちする>の>のうりょくと>こんきの>ない>のは>はなはだ>いかんである。>いかんではあるがやむをえない。>きゅうようは>ねこと>いえ>ども>ひつようである。>すずき>くんと>迷>てい>くんの>かえった>あとは>こがらしの>はたと>ふき>いきんで、>しんしんと>ふる>ゆきの>よるのごとく>せいかに>なった。>しゅじんは>れいのごとく>しょさいへ>ひき>こもる。>しょうともは>ろくじょうの>あいだへ>まくらを>ならべてねる。>いっけん>はんの>ふすまを>へだててみなみ>むこうの>しつには>さいくんが>かぞえどし>みっつに>なる、>めん>こ>さんと>そえじ>してよこに>なる。>はなぐもりに>くれを>いそいだ>ひは>とく>おちて、>ひょうを>とおる>こまげたの>おと>さえ>てに>とる>ように>ちゃのまへ>ひびく。>となり>まちの>げしゅくで>みんてきを>ふく>のが>たえたり>つづいたり>してねむい>みみ>そこに>おりおりにぶい>しげきを>あたえる。>がいめんは>おおかた｜>おぼろであろう。>ばんさんに>はんぺんの>にじるで>あわび>かいを>からに>した>はらでは>どうしても>きゅうようが>ひつようである。　>ほのかに>うけたまわ>わればせけんには>ねこの>こいとか>しょうする>はいかい>しゅみの>げんしょうが>あって、>はるさきは>ちょうないの>どうぞく>ともの>ゆめ>やすからぬまで>うか>れ>ふる>く>よるも>あるとか>いうが、>わがはいは>まだかかる>こころ>てき>へんかに>遭>逢>した>ことはない。>そもそもこいは>うちゅう>てきの>かつりょくである。>うえは>ざいてんの>かみ>じゅぴたーより>したは>どちゅうに>なく>みみず、>おけらに>いたるまで>このみちにかけて>うきみを>やつす>のが>ばんぶつの>ならいであるから、>わがはい>どもが>おぼろ>うれしと、>ぶっそうな>ふりゅう>きを>だす>のも>むりの>ない>はなししである。>かいこすればかく>いう>わがはいも>みけ>こに>おもい>こがれた>こともある。>みすみ>しゅぎの>ちょうほん>かねだ>くんの>れいじょう>あべ>かわの>とみこ>さえ>かんげつ>くんに>れんぼしたと>いう>うわさである。>それだからせんきんの>しゅんしょうを>こころも>そらに>まんてんかの>めす>ねこ>ゆう>ねこが>くるい>めぐる>のを>ぼんのうの>迷>のと>けいべつする>ねんは>もうとうない>のであるが、>いかんせん>さそわ>れても>そんなこころが>でないからしかたが>ない。>わがはい>もっかの>じょうたいは>ただ>きゅうようを>ほっするのみである。>こうねむくては>こいも>できぬ。>のそのそと>しょうともの>ふとんの>すそへ>めぐってここち>こころよく>ねむる。……　>ふと>めを>ひらいてみるとしゅじんは>いつのまにか>しょさいから>しんしつへ>きてさいくんの>となりに>のべてある>ふとんの>なかに>いつのまにか>もぐりこんでいる。>しゅじんの>くせとして>ねる>ときは>かならずよこもじの>おもとを>しょさいから>たずさえてくる。>しかしよこに>なってこの>ほんを>に｜>ぺーじと>つづけてよんだ>ことはない。>あるときは>もってきてまくらもとへ>おいた>なり、>まるで>てを>ふれぬ>ことさえ>ある。>いっこうも>よまぬ>くらいなら>わざわざさげてくる>ひつようも>な>さ>そうな>ものだが、>そこが>しゅじんの>しゅじんたる>ところで>いくら>さいくんが>わらっても、>よせと>いっても、>けっして>しょうちしない。>まいよ>よまない>ほんを>ごくろう>せんばんにも>しんしつまで>はこんでくる。>あるときは>よく>はって>さんよん>さつも>かかえてくる。>せんだって>じゅうは>まいばん>うぇぶすたーの>だいじてんさえ>かかえてきた>くらいである。>おもうに>これは>しゅじんの>びょうきで>ぜいたくな>ひとが>たつふみ>どうに>なる>まつかぜの>おとを>きかないと>ねつか>れない>ごとく、>しゅじんも>しょもつを>まくらもとに>おかないと>ねむれない>のであろう、>してみるとしゅじんに>とっては>しょもつは>よむ>ものではない>ねむりを>さそう>きかいである。>かっぱんの>すいみんざいである。　>こんやも>なにか>あるだろうと>のぞいてみると、>あかい>うすい>ほんが>しゅじんの>くち>ひげの>さきに>つかえるくらいな>ちいに>はんぶん>ひらか>れてころがっている。>しゅじんの>ひだりの>ての>ぼしが>ほんの>あいだに>はさまった>ままである>ところから>おすときとくにも>こんやは>ごろく>こうよんだ>ものらしい。>あかい>ほんと>ならんでれいのごとく>にっけるの>たもと>とけいが>はるに>にあわぬ>さむき>いろを>はなっている。　>さいくんは>ちちのみ>じを>いちしゃくばかり>さきへ>ほうりだしてくちを>ひらいていびきを>かいてまくらを>はずしている。>およそにんげんにおいて>なにが>みぐるしいと>いってくちを>あけてねるほどの>ふていさいはあるまいと>おもう。>ねこなどは>しょうがい>こんなはじを>かいた>ことが>ない。>がんらい>くちは>おとを>だす>ため>はなは>くうきを>吐>呑>する>ための>どうぐである。>もっともきたのかたへ>いくとにんげんが>ぶしょうに>なってなるべく>くちを>あくまいと>けんやくを>する>けっか>はなで>げんごを>つかう>ような>ずーずーもあるが、>はなを>へいそくしてくちばかりで>こきゅうの>ようを>べんじている>のは>ずーずーよりも>みとも>ないと>おもう。>だいいち>てんじょうから>ねずみの>くそでも>おちた>とき>きけんである。　>しょうともの>ほうはと>みるとこれも>おやに>おとらぬ>ていたらくで>ねそべっている。>あねの>とん>こは、>あねの>けんりは>こんなものだと>いわぬ>ば>かりに>うんと>みぎの>てを>のばしていもうとの>みみの>うえへ>のせている。>いもうと>のす>ん>こは>そのふくしゅうに>あねの>はらの>うえに>かたあしを>あげて踏>そりかえっている。>そうほう>とも>ねた>ときの>しせいより>きゅうじゅう>どは>たしかに>かいてんしている。>しかもこの>ふしぜんなる>しせいを>いじしつつりょうにんとも>ふへいも>いわず>おとなしく>じゅくすいしている。　>さすがに>はるの>とうかは>かくべつである。>てんしん｜>らんまんながらぶふうりゅう>きわまる>このこうけいの>うらに>りょうやを>おしめとばかり>ゆか>し>げに>てるや>いてみえる。>もう>いつだろうと>しつの>なかを>みまわすとしりんは>しんとして>ただ>きこえる>ものは>はしらどけいと>さいくんの>いびきと>とお>かたで>げじょの>はぎしりを>する>おとのみである。>このげじょは>ひとから>はぎしりを>すると>いわ>れるといつでも>これを>ひていする>おんなである。>わたしは>うまれてから>きょうに>いたるまで>はぎしりを>した>さとしはございませんと>ごうじょうを>はってけっして>なおしましょうとも>ごきのどくでございますとも>いわず、>ただそんな>さとしはございませんと>しゅちょうする。>なるほど>ねていてする>げいだから>さとしはないに>違>ない。>しかしじじつは>さとしが>なくても>そんざいする>ことが>あるからこまる。>よのなかには>わるい>ことを>しておりながら、>じぶんは>どこまでも>ぜんにんだと>かんがえている>ものが>ある。>これは>じぶんが>つみが>ないと>じしん>している>のだからむじゃきで>けっこうではあるが、>ひとの>こまる>じじつは>いかに>むじゃきでも>めっきゃくする>わけには>いかぬ。>こういう>しんし>しゅくじょは>このげじょの>けいとうに>ぞくする>のだと>おもう。――>よるは>だいぶ>ふけた>ようだ。　>だいどころの>あまどに>とん>とんと>にかえばかり>かるく>あたった>ものが>ある。>はてな>いまごろ>じんの>くる>はずが>ない。>おおがた>れいの>ねずみだろう、>ねずみなら>とらん>ことに>きわめているからかってに>あばれるがよろしい。――>またとん>とんと>あたる。>どうも>ねずみらしく>ない。>ねずみとしても>たいへん>ようじんぶかい>ねずみである。>しゅじんの>うちの>ねずみは、>しゅじんの>でる>がっこうの>せいとのごとく>にっちゅうでも>よる>ちゅうでも>らんぼう｜>ろうぜきの>ねり>おさむに>よねん>なく、>びんぜん>なる>しゅじんの>ゆめを>おどろき>やぶ>する>のを>てんしょくのごとく>こころ>えている>れんちゅうだから、>かくのごとく>えんりょする>わけが>ない。>いまのは>たしかに>ねずみではない。>せんだってなどは>しゅじんの>しんしつにまで>ちんにゅうしてたかからぬ>しゅじんの>はなの>あたまを>囓>んで>がいかを>そうしてひきあげた>くらい>の>ねずみに>しては>あまりおくびょう>すぎる。>けっして>ねずみではない。>こんどは>ぎーと>あまどを>したから>うえへ>もちあげる>おとが>する、>どうじに>こししょうじを>できるだけ>ゆるやかに、>みぞに>そうて>すべら>せる。>いよいよ>ねずみではない。>にんげんだ。>このしんやに>にんげんが>あんないも>こわず>と>しめを>そと>ずして>ごこうらいに>なると>すれば迷>てい>せんせいや>すずき>くんではないに>きょくって>いる。>ごこうみょうだけは>かねて>うけたまわ>わっている>どろぼう>かげ>しではないか>しらん。>いよいよ>かげ>しと>すればはやく>そんがんを>はいしたい>ものだ。>かげ>しは>いまや>かっての>うえに>おおいなるどろあしを>あげて>にそくばかり>すすんだ>もようである。>さんそく>めと>おもう>ころ｜>あげいたに>け>いてか、>がたりと>よるに>ひびく>ような>おとを>たてた。>わがはいの>せなかの>けが>くつ>はけで>ぎゃくに>こす>すら>れた>ような>こころもちが>する。>しばらくは>あしおとも>しない。>さいくんを>みるといまだ>くちを>あいてたいへいの>くうきを>むちゅうに>吐>呑>している。>しゅじんは>あかい>ほんに>ぼしを>はさま>れた>ゆめでも>みている>のだろう。>やがて>だいどころで>まちを>こする>おとが>きこえる。>かげ>しでも>わがはいほど>やいんに>めは>きかぬと>みえる。>かってが>わるくてさだめし>ふつごうだろう。　>このとき>わがはいは>そんきょまりながらかんがえた。>かげ>しは>かってから>ちゃのまの>ほうめんへ>むけてしゅつげんする>のであろうか、>またはひだりへ>おれ>げんかんを>つうかしてしょさいへと>ぬけるであろうか。――>あしおとは>ふすまの>おととともに>椽>がわへ>でた。>かげ>しは>いよいよ>しょさいへ>はいいった。>それ>ぎり>おとも>さたも>ない。　>わがはいは>このあいだに>はやく>しゅじん>ふうふを>おこしてやりたい>ものだと>ようやく>きがついたが、>さてどうしたら>おきる>や>ら、>いっこう>ようりょうを>えん>こうのみが>あたまの>なかに>すいしゃの>ぜいで>かいてんするのみで、>なんらの>ふんべつも>でない。>ふとんの>すそを>啣>えてふってみたらと>おもって、>にさん>どやってみたがすこしも>こうようが>ない。>つめたい>はなを>ほおに>すりつけたらと>おもって、>しゅじんの>かおの>さきへ>もっていったら、>しゅじんは>ねむった>まま、>てを>うんと>のばして、>わがはいの>はな>づらを>いなやと>いうほど>つきとばした。>はなは>ねこにとっても>きゅうしょである。>いたむ>こと>おびただしい。>此>どは>しかたがな>いからにゃ>ーにゃ>ーと>にかえばかり>ないておこそうと>したが、>どういう>ものか>このときばかりは>いんこうに>ものが>痞>えておもう>ような>こえが>でない。>やっとの>おもいで>しぶりながらひくい>やつを>しょうしょうだすと>おどろいた。>かんじんの>しゅじんは>さめる>きしょくも>ないのにとつぜんかげ>しの>あしおとが>し>だした。>みち>り>み>ちりと>椽>がわを>つたってちかづいてくる。>いよいよ>きたな、>こうなっては>もう>だめだと>たい>ら>めて、>ふすまと>やなぎごうりの>あいだに>しばしの>あいだ>みを>しのばせてどうせいを>窺がう。　>かげ>しの>あしおとは>しんしつの>しょうじの>まえへ>きてぴたりと>已>む。>わがはいは>いきを>こらして、>このつぎは>なにを>するだろうと>いっしょうけんめいに>なる。>あとで>かんがえたがねずみを>とる>ときは、>こんなきぶんに>なればわけはない>のだ、>たましいが>りょうほうの>めから>とびだし>そうな>ぜいである。>かげ>しの>おかげで>にどとな>い>さとるを>ひらいた>のは>じつに>ありがたい。>たちまちしょうじの>桟の>みっつ>めが>あめに>ぬれた>ように>まんなかだけ>いろが>かわる。>それを>とおしてうすべにな>ものが>だんだんこく>うつったと>おもうと、>かみは>いつか>やぶれて、>あかい>したが>ぺろりと>みえた。>したは>しばしの>あいだに>くらい>なかに>きえる。>いれ>かわってなんだか>おそれ>しく>ひかる>ものが>ひとつ、>やぶれた>あなの>むこう>がわに>あらわ>れる。>うたがいも>なく>かげ>しの>めである。>みょうな>ことには>そのめが、>へやの>なかに>ある>なに>ぶつをも>みないで、>ただやなぎごうりの>あとに>かくれていた>わがはいのみを>みつめている>ように>かんぜ>られた。>いちふんにも>たらぬ>あいだではあったが、>こうにらま>れては>じゅみょうが>ちぢまると>おもった>くらいである。>もう>がまんできんからこうりの>かげから>とびだそうと>けっしんした>とき、>しんしつの>しょうじが>すーと>あいてまちかねた>かげ>しが>ついに>がんぜんに>あらわ>れた。　>わがはいは>じょじゅつの>じゅんじょとして、>ふじの>ちんきゃく>なる>どろぼう>かげ>し>そのひとを>このさい>しょくんに>ごしょうかいする>の>えいよを>ゆうする>わけであるが、>そのまえ>ちょっとひけんを>かいちんしてごこうおもんばかを>わずらわしたい>ことが>ある。>こだいの>かみは>ぜんち>ぜんのうと>あがめ>られている。>ことに>やそきょうの>かみは>にじゅう>せいきの>きょうまでも>このぜんち>ぜんのうの>めんを>こうむっている。>しかしぞくじんの>こう>うる>ぜんち>ぜんのうは、>ときに>よるとむさとし>むのうとも>かいしゃくが>できる。>こういう>のは>あきらかに>ぱらどっくすである。>しかるに>このぱらどっくすを>どうはした>ものは>てんちかいびゃく>いらい>わがはいのみであろうと>かんがえると、>じぶんな>がら>まんざらな>ねこでもないと>いう>きょえい>こころも>でるから、>ぜひとも>ここに>そのりゆうを>もうしあげて、>ねこも>ばかに>できないと>いう>ことを、>こうまんなる>にんげん>しょくんの>のうりに>たたきこみたいと>かんがえる。>てんち>ばんゆうは>かみが>つくった>そうな、>してみればにんげんも>かみの>ごせいさくであろう。>げんに>せいしょとか>いう>ものには>そのとおりと>めいきしてある>そうだ。>さてこの>にんげんについて、>にんげん>じしんが>すうせん>ねんらいの>かんさつを>つんで、>だいに>げんみょう>ふしぎ>がる>とどうじに、>ますますかみの>ぜんち>ぜんのうを>しょうにんする>ように>かたむいた>じじつが>ある。>それは>そとでもない、>にんげんも>かように>うじゃうじゃ>いるが>おなじかおを>している>ものは>せかいじゅうに>いちにんも>いない。>かおの>どうぐは>むろん｜>きょくって>いる、>だい>さも>たいがいは>にたり>よったりである。>かんげんすればかれらは>みな>おなじざいりょうから>つくりあげ>られている、>おなじざいりょうで>できているにも>かんらず>いちにんも>おなじけっかに>でき>のぼっておらん。>よく>まあ>あれだけの>かんたんな>ざいりょうで>かくまで>いような>かおを>おもいついた>ものだと>おもうと、>せいぞうかの>ぎりょうに>かんぷくせざるを>えない。>よほど>どくそうてきな>そうぞうりょくが>ないと>こんなへんかは>できん>のである。>いちだいの>がこうが>せいりょくを>しょうもうしてへんかを>もとめた>かおでも>じゅうに>さんしゅ>いがいに>でる>ことが>できん>のを>もっておせば、>にんげんの>せいぞうを>いってで>受>おった>かみの>てぎわは>かくべつな>ものだと>きょうたんせざるを>えない。>とうてい>にんげん>しゃかいにおいて>もくげきし>えざる>そこの>ぎりょうであるから、>これを>ぜんのう>てき>ぎりょうと>いっても>さしつかえないだろう。>にんげんは>このてんにおいて>だいに>かみに>おそれいっている>ようで>ある、>なるほど>にんげんの>かんさつてんから>いえばもっともな>おそれいり>かたである。>しかしねこの>たちばから>いうとどういつの>じじつが>かえって>かみの>むのうりょくを>しょうめいしているとも>かいしゃくが>できる。>もし>ぜんぜんむのうでなくともにんげん>いじょうの>のうりょくは>けっして>ない>ものであると>だんていが>できるだろうと>おもう。>かみが>にんげんの>かず>だけ>それだけおおくの>かおを>せいぞうしたと>いうが、>とうしょから>きょうちゅうに>せいさんが>あってかほどの>へんかを>しめした>ものか、>またはねこも>しゃくしも>おなじかおに>つくろうと>おもってやり>かけてみたが、>とうてい>うまく>いかなくてできる>のも>できる>のも>つくり>そこねてこの>らんざつな>じょうたいに>おちいった>ものか、>わからんではないか。>かれら>がんめんの>こうぞうは>かみの>せいこうの>きの>ねんと>み>ら>るる>とどうじにしっぱいの>あと>迹とも>はんぜ>ら>るるではないか。>ぜんのうとも>うん>えようが、>むのうと>ひょうしたって>さしつかえはない。>かれら>にんげんの>めは>へいめんの>うえに>ふたつ>ならんでいるのでさゆうを>いちじに>みる>ことが>できんからじぶつの>はんめんだけ>しか>しせん>ないに>はいいらん>のは>きのどくな>しだいである。>たちばを>かえてみればこのくらい>たんじゅんな>じじつは>かれらの>しゃかいに>にちや>かんだん>なく>おこりつつある>のだが、>ほんにん｜>ぎゃく>せ>あがって、>かみに>のま>れているからさとり>ようが>ない。>せいさくの>うえに>へんかを>あらわす>のが>こんなんで>あるならば、>そのうえに>てっとうてつびの>かたぎ>傚を>しめす>のも>どうように>こんなんである。>ら>ふぁ>えるに>すんぶん>ちがわぬ>せいぼの>ぞうを>にまい>かけと>ちゅうもんする>のは、>ぜんぜんに>よらぬ>まどんなを>そうふく>みせろと>逼ると>おなじく、>ら>ふぁ>えるにとっては>めいわくであろう、>いなおなじ>ものを>にまい>かく>かたが>かえって>こんなんかも>しれぬ。>こうぼうだいしに>むかってきのう>かいた>とおりの>ひっぽうで>くうかいと>ねがいますという>ほうが>まるで>しょたいを>かえてと>ちゅうもんさ>れるよりも>くるしいかも>わからん。>にんげんの>よう>うる>こくごは>ぜんぜん｜>かたぎ>傚>しゅぎで>でんしゅうする>ものである。>かれら>にんげんが>ははから、>おんばから、>たにんから>じつようじょうの>げんごを>ならう>ときには、>ただきいた>とおりを>くりかえすより>ほかに>もうとうの>やしんはない>のである。>できるだけの>のうりょくで>ひとまねを>する>のである。>かように>ひとまねから>せいりつする>こくごが>じゅうねん>にじゅう>ねんと>たつ>うち、>はつおんに>しぜんと>へんかを>しょうじてくる>のは、>かれらに>かんぜんなる>かたぎ>傚の>のうりょくが>ないと>いう>ことを>しょうめいしている。>じゅんすいの>かたぎ>傚は>かくのごとく>しなんな>ものである。>したがってかみが>かれら>にんげんを>くべつの>できぬ>よう、>しっかい>やきいんの>ごかめのごとく>つくり>えたならばますますかみの>ぜんのうを>ひょうめいし>える>もので、>どうじに>きょうの>ごとく>かってしだいな>かおを>てんじつに>曝>ら>さして、>めまぐるしきまでに>へんかを>しょうぜ>しめた>のは>かえって>そのむのうりょくを>すいちし>える>の>ぐとも>なり>える>のである。　>わがはいは>なにの>ひつようが>あってこんな>ぎろんを>したか>わすれてしまった。>ほんを>ぼうきゃくする>のは>にんげんにさえ>あり>がちの>ことであるからねこには>とうぜんの>こと>さと>おおめに>みてもらいたい。>とにかく>わがはいは>しんしつの>しょうじを>あけてしきいの>うえに>ぬっと>あらわれた>どろぼう>かげ>しを>べっけんした>とき、>いじょうの>かんそうが>しぜんと>きょうちゅうに>わきで>でた>のである。>なぜわいた？――>なぜと>いう>しつもんが>でれば、>いま>いちおうかんがえなおしてみなければならん。――>ええと、>そのわけは>こうである。　>わがはいの>がんぜんに>ゆうぜんと>あらわれた>かげ>しの>かおを>みるとその>かおが――>へいじょう>しんの>せいさくについて>そのでき>えいを>あるいはむのうの>けっかではあるまいかと>うたがっていたのに、>それを>いちじに>うちけすに>たるほどな>とくちょうを>ゆうしていたからである。>とくちょうとは>ほかではない。>かれの>びもくが>わがしんあい>なる>こうだんし>みずしま>かんげつ>くんに>うり>ふたつであると>いう>じじつである。>わがはいは>むろん>どろぼうに>おおくの>ちきは>もたぬが、>そのこういの>らんぼうな>ところから>へいじょうそうぞうしてわたしかに>きょうちゅうに>えがいていた>かおはないでも>ない。>こばなの>さゆうに>てんかいした、>いっせん>どうかくらいの>めを>つけた、>いがぐり>あたまに>きまっていると>じぶんで>かってに>きわめた>のであるが、>みると>かんがえるとは>てんちの>そうい、>そうぞうは>けっして>逞>く>する>ものではない。>このかげ>しは>せの>すらりと>した、>いろの>あさぐろい>いちの>じ>まゆの、>いきで>りっぱな>どろぼうである。>としは>にじゅう>ろくなな>さいでもあろう、>それ>す>ら>かんげつ>くんの>しゃせいである。>かみも>こんなにた>かおを>にこ>せいぞうし>える>てぎわが>あると>すれば、>けっして>むのうをもって>もくする>わけには>いかぬ。>いや>じっさいの>ことを>いうと>かんげつ>くん>じしんが>きが>へんに>なってしんやに>とびだしてきた>のではあるまいかと、>はっと>おもった>くらい>よく>にている。>ただはなの>したに>うすくろく>ひげの>めばえが>うえつけ>てないのでさては>べつじんだと>きがついた。>かんげつ>くんは>にがみ>ば>しったこうだんしで、>かつどうこぎってと>迷>ていから>しょうせ>られ>たる、>かねだ>とみこ>じょうを>ゆうに>きゅうしゅうするに>たるほどな>ねん>いれの>せいさくぶつである。>しかしこの>かげ>しも>ひと>しょうから>かんさつするとその>ふじんにたいする>いんりょく>じょうの>さようにおいて>けっして>かんげつ>くんに>いちほも>ゆずらない。>もし>かねでんの>れいじょうが>かんげつ>くんの>め>づけや>くちさきに>まよった>のなら、>どうとうの>ねつどをもって>このどろぼう>くんにも>ほれこまなくては>ぎりが>わるい。>ぎりは>とにかく、>ろんりに>あわない。>ああ>いう>さいきの>ある、>なにでも>はやわかりの>する>せいしつだから>このくらいの>ことは>ひとから>きかんでも>きっと>わかるであろう。>してみると>かんげつ>くんの>かわりに>このどろぼうを>さしだしても>かならずまんしんの>あいを>ささげてきんしつ>ちょうわの>みを>あげ>ら>るるに>そういない。>まんいちかんげつ>くんが>迷>ていなどの>せっぽうに>うごかさ>れて、>このせんこの>りょうえんが>やぶれるとしても、>このかげ>しが>けんざいである>うちは>だいじょうぶである。>わがはいは>みらいの>じけんの>はってんを>ここまで>よそうして、>とみこ>じょうの>ために、>やっと>あんしんした。>このどろぼう>くんが>てんちの>あいだに>そんざいする>のは>とみこ>じょうの>せいかつを>こうふくなら>しむる>いちだい>ようけんである。　>かげ>しは>こわきに>なにかかかえている。>みるとせんこく>しゅじんが>しょさいへ>ほうりこんだ>こもうふである。>とうざんの>はんてんに、>ごなんどの>はかたの>おびを>しりの>うえに>むすんで、>なまっちろい>すねは>ひざから>した>むきだしの>まま>いまや>かたあしを>あげてたたみの>うえへ>いれる。>せんこくから>あかい>ほんに>ゆびを>かま>れた>ゆめを>みていた、>しゅじんは>このとき>ねがえりを>どうと>うちながら「>かんげつだ」と>おおきなこえを>だす。>かげ>しは>もうふを>おとして、>だした>あしを>きゅうに>ひきこま>す。>しょうじの>かげに>ほそながい>こうすねが>にほん>たった>まま>かすかに>うごく>のが>みえる。>しゅじんは>うーん、>むにゃむにゃと>いいながられいの>あかほんを>つきとばして、>くろい>うでを>ひぜん>やみの>ように>ぼり>ぼり>かく。>そのあとは>しずまりかえって、>まくらを>はずした>なり>ねてしまう。>かんげつだと>いった>のは>まったくわれ>しらずの>ねごとと>みえる。>かげ>しは>しばらく椽>がわに>たった>まま>しつないの>どうせいを>うかがっていたが、>しゅじん>ふうふの>じゅくすいしている>のを>み>なしてまたかたあしを>たたみの>うえに>いれる。>こんどは>かんげつだと>いう>こえも>きこえぬ。>やがて>のこる>かたあしも>ふみこむ。>いちほの>はる>とうで>ゆたかに>てらさ>れていた>ろくじょうの>あいだは、>かげ>しの>かげに>するど>どく>にぶんせら>れてやなぎごうりの>あたりから>わがはいの>あたまの>うえを>こえてかべの>なかばが>まっくろに>なる。>ふりむいてみるとかげ>しの>かおの>かげが>ちょうど>かべの>たか>さの>さんぶんの>にの>ところに>ばくぜんとうごいている。>こうだんしも>かげだけ>みると、>やっつ>あたまの>ばけもののごとく>まことに>みょうな>かっこうである。>かげ>しは>さいくんの>ねがおを>うえから>のぞき>こんでみたがなにの>ためか>にやにやと>わらった。>わらい>かたまでが>かんげつ>くんの>もしゃであるには>わがはいも>おどろいた。　>さいくんの>まくらもとには>よんすん>かくの>いちしゃく>ごろく>すんばかりの>くぎづけに>した>はこが>だいじ>そうに>おいてある。>これは>ひぜんの>くには>からつの>じゅうにん｜>たたら>さんぺい>くんが>せんじつ>きせいした>とき｜>ごみやげに>もってきた>やまのいもである。>やまのいもを>まくらもとへ>かざってねる>のは>あまりれいの>ない>はなししでは>あるが>このさいくんは>にものに>つかう>さんぼんを>ようだんすへ>いれるくらい>ばしょの>てきふてきと>いう>かんねんに>とぼしい>おんなであるから、>さいくんに>とれば、>やまのいもは>おろか、>たくあんが>しんしつに>あっても>へいきかも>しれん。>しかしかみ>ならぬ>かげ>しは>そんなおんなと>しろう>はずが>ない。>かくまで>ていちょうに>はだみに>ちかく>おいてある>いじょうは>たいせつな>しなものであろうと>かんていする>のも>むりはない。>かげ>しは>ちょっとやまのいもの>はこを>あげてみたがその>おも>さが>かげ>しの>よきと>あわしておおいた>めかたが>かかり>そうなのですこぶる>まんぞくの>からだである。>いよいよ>やまのいもを>ぬすむなと>おもったら、>しかもこの>こうだんしに>してやまのいもを>ぬすむなと>おもったら>きゅうに>おかしく>なった。>しかしめったに>こえを>たてるときけんであるからじっと>怺>えている。　>やがて>かげ>しは>やまのいもの>はこを>うやうやしく>ふる>もうふに>くるみ>そめた。>なにかからげる>ものはないかと>あたりを>みまわす。と、>さいわいしゅじんが>ねる>ときに>とき>すてた>ちりめんの>へい>ふる>たいが>ある。>かげ>しは>やまのいもの>はこを>このおびで>しっかりくくって、>くも>なく>せなかへ>しょう。>あまりおんなが>すく>ていさいではない。>それからしょうともの>ちゃんちゃんを>にまい、>しゅじん>のめり>やすの>ももひきの>なかへ>おしこむと、>この>あたりが>まるく>ふくれてあおだいしょうが>かえるを>のんだ>ような――>あるいはあおだいしょうの>りんげつと>いう>ほうが>よく>けいようし>えるかも>しれん。>とにかく>へんな>かっこうに>なった。>うそだと>おもうなら>ためしに>やってみるがよろしい。>かげ>し>はめり>やすを>ぐるぐる>くび>っ>たまきへ>まき>つけた。>そのつぎは>どうするかと>おもうとしゅじんの>つむぎの>うわぎを>だいふろしきの>ように>ひろげてこれに>さいくんの>おびと>しゅじんの>はおりと>繻>きずなと>そのた>あらゆるざつ>ぶつを>きれいに>たたんでくるみ>こむ。>そのじゅくれんと>きような>やりくちにも>ちょっとかんしんした。>それからさいくんの>おび>あげと>しごきとを>ぞくぎ>あわせてこの>つつみを>くくってかたてに>さげる。>まだちょうだいする>ものは>ないかなと、>あたりを>みまわしていたが、>しゅじんの>あたまの>さきに「>あさひ」の>ふくろが>ある>のを>みつけて、>ちょっとたもとへ>なげこむ。>またその>ふくろの>なかから>いちほん>だしてらんぷに>かざしてひを>つける。>むね>ま>そうに>ふかく>すってはきだした>けむりが、>ちち>しょくの>ほやを>にょうって>まだきえぬ>あいだに、>かげ>しの>あしおとは>椽>がわを>しだいに>とおのいてきこえなく>なった。>しゅじん>ふうふは>いぜんとして>じゅくすいしている。>にんげんも>ぞんがい｜>まが>濶な>ものである。　>わがはいは>またざんじの>きゅうようを>ようする。>のべつに>ちょう>したって>いては>しんたいが>つづかない。>ぐっと>ねこんでめが>さめた>ときは>やよいの>そらが>ほがらかに>はれわたってかってぐちに>しゅじん>ふうふが>じゅんさと>たいだんを>している>ときであった。「>それでは、>ここから>はいいってしんしつの>ほうへ>めぐった>んですな。>あなた>かたは>すいみんちゅうで>いっこう>きがつかなかった>のですな」「>ええ」と>しゅじんは>すこしきまりが>わる>そうである。「>それで>とうなんに>かかった>のは>なんじ>ころですか」と>じゅんさは>むりな>ことを>きく。>じかんが>わかるくらいなら>なににも>ぬすま>れる>ひつようはない>のである。>それに>きがつかぬ>しゅじん>ふうふは>しきりに>このしつもんにたいして>そうだんを>している。「>なんじ>ころかな」「>そうですね」と>さいくんは>かんがえる。>かんがえればわかると>おもっているらしい。「>あなたは>ゆうべ>いつに>ごやすみに>なった>んですか」「>おれの>ねた>のは>おまえより>あとだ」「>え>え>わたし>しの>ふせった>のは、>あなたより>まえです」「>めが>さめた>のは>いつだったかな」「>ななじはんでしたろう」「>するととうぞくの>はいいった>のは、>なんじ>ころに>なるかな」「>なんでも>よる>なかでしょう」「>よなかは>わかり>きっているが、>なんじ>ころかと>いう>んだ」「>たしかな>ところは>よく>かんがえてみないと>わかりません>わ」と>さいくんは>まだかんがえる>つもりでいる。>じゅんさは>ただけいしき>てきに>きいた>のであるから、>いつ>はいいった>ところが>いっこう>つうようを>かんじない>のである。>うそでも>なにでも、>いいかげんな>ことを>こたえてくれればむべ>いと>おもっているのにしゅじん>ふうふが>ようりょうを>えない>もんどうを>している>ものだからしょうしょう｜>じれたく>なったと>みえて「>それじゃとうなんの>じこくは>ふめいな>んですな」と>いうと、>しゅじんは>れいのごとき>ちょうしで「>まあ、>そうですな」と>こたえる。>じゅんさは>わらいも>せずに「>じゃあね、>めいじ>さんじゅう>はちねん>なんつき>なんにち>とじまりを>してねた>ところが>とうぞくが、>どこ>そこの>あまどを>はずしてどこ>そこに>しのびこんでしなものを>なんてん>ぬすんでおこなったからみぎ>こくそ及>こう>也という>しょめんを>おだし>なさい。>とどけではない>こくそです。>なあてはない>ほうが>いい」「>しなものは>いちいち>かく>んですか」「>え>え>はおり>なんてん>だいか>いくらと>いう>かぜに>ひょうに>してだす>んです。――>いや>はいいってみたって>しかたが>ない。>とら>れた>あと>なんだから」と>へいきな>ことを>いってかえっていく。　>しゅじんは>ひっけんを>ざしきの>まんなかへ>もちだして、>さいくんを>まえに>よびつけて「>これからとうなん>こくそを>かくから、>とら>れた>ものを>いちいち>いえ。>さあ>いえ」と>あたかも>けんかでも>する>ような>くちょうで>いう。「>あら>いやだ、>さあうん>えだなんて、>そんなけんぺいずくで>だれが>いう>もんですか」と>ほそ>たいを>まきつけた>まま>どっかと>こしを>すえる。「>そのかぜは>なんだ、>しゅくば>じょろうの>でき>そん>い>みた>ようだ。>なぜおびを>しめてでてこん」「>これで>わる>る>ければかってください。>しゅくば>じょろうでも>なんでもとら>れりゃ>しかたが>ないじゃ>ありませんか」「>おびまで>とっていった>のか、>苛>い>やつだ。>それじゃたいから>かきつけてやろう。>おびは>どんなおびだ」「>どんなおびって、>そんなに>なんほんも>ある>もんですか、>くろ>しゅすと>ちりめんの>はらあわせの>おびです」「>くろ>しゅすと>ちりめんの>はらあわせの>おび>ひとすじ――>あたいは>いくらくらいだ」「>ろくえんくらいでしょう」「>なまいきに>たかい>おびを>しめ>てるな。>こんどから>いちえん>ごじゅう>せんくらい>のに>しておけ」「>そんなおびが>ある>ものですか。>それだからあなたは>ふにんじょうだと>いう>んです。>にょうぼう>なんどは、>どんなきたな>ない>かぜを>していても、>じぶん>さい>むべ>けりゃ、>かまわない>んでしょう」「>まあ>いいや、>それからなにだ」「>いとおりの>はおりです、>あれは>こうのの>おばさんの>かたち>みに>もらった>んで、>おなじいとおりでも>いまの>いとおりとは、>たちが>ちがいます」「>そんなこうしゃくは>きかんでも>いい。>ねだんは>いくらだ」「>じゅうご>えん」「>じゅうご>えんの>はおりを>きるなんて>みぶん>ふそうとうだ」「>いいじゃ>ありませんか、>あなたに>かっていただ>きゃあ>しまいし」「>そのつぎは>なにだ」「>くろ>たびが>ひとあし」「>おまえ>のか」「>あなた>んで>さあね。>だいかが>にじゅう>ななせん」「>それから？」「>やまのいもが>いちはこ」「>やまのいもまで>もっていった>のか。>にてくう>つもりか、>とろろ>じるに>する>つもりか」「>どうする>つもりか>しりません。>どろぼうの>ところへ>おこなってきいていらっしゃい」「>いくら>するか」「>やまのいもの>ねだ>んまでは>しりません」「>そんなら>じゅうに>えんご>じゅうせんくらいに>しておこう」「>ばかばかしいじゃ>ありませんか、>いくら>からつから>ほってきたって>やまのいもが>じゅうに>えんご>じゅうせん>してたまる>もんですか」「>しかしおまえは>しらんと>いうじゃないか」「>しりません>わ、>しりませんが>じゅうに>えんご>じゅうせん>なんて>ほうがいです>もの」「>しらんけれども>じゅうに>えんご>じゅうせんは>ほうがいだとは>なにだ。>まるで>ろんりに>あわん。>それだからきさまは>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすだと>いう>んだ」「>なにですって」「>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすだよ」「>なにで>すその>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすって>いう>のは」「>なにでも>いい。>それからあとは――>おれの>きものは>いっこう>でてく>んじゃないか」「>あとは>なにでも>むべ>うござん>す。>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすの>いみを>きかしてちょうだい」「>いみも>なににも>ある>もんか」「>おしえてくだすっても>いいじゃ>ありませんか、>あなたは>よっぽど>わたしを>ばかに>していらっしゃる>のね。>きっと>ひとが>えいごを>しらないと>おもってわるぐちを>おっしゃった>んだよ」「>ぐな>ことを>いわんで、>はやく>あとを>いうがよい。>はやく>こくそを>せんと>しなものが>かえらんぞ」「>どうせ>いまから>こくそを>したってまにあい>や>しません。>それ>よりか、>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすを>おしえてちょうだい」「>うるさい>おんなだな、>いみも>なににも>ないと>いうに」「>そんなら、>しなものの>ほうも>あとは>ありません」「>がんぐだな。>それではかってに>するがいい。>おれは>もう>とうなん>こくそを>かいてやらんから」「>わたしも>しなかずを>おしえてあげません。>こくそは>あなたが>ごじぶんで>なさる>んですから、>わたしは>かいていただかないでも>こまりません」「>それじゃはいそう」と>しゅじんは>れいのごとく>ふいと>たってしょさいへ>はいいる。>さいくんは>ちゃのまへ>ひきさがってはりばこの>まえへ>すわる。>りょうにん>とも>じゅうふんかんばかりは>なににも>せずに>だまってしょうじを>ねめ>つけている。　>ところへ>いせい>よく>げんかんを>あけて、>やまのいもの>きぞうしゃ｜>たたら>さんぺい>くんが>のぼってくる。>たたら>さんぺい>くんは>もと>このいえの>しょせいであったがいまでは>ほうか>だいがくを>そつぎょうしてある>かいしゃの>こうざん>ぶに>やとわ>れている。>これも>じつぎょう>かの>めむで、>すずき>とうじゅうろう>くんの>こうしんせいである。>さんぺい>くんは>いぜんの>かんけいから>ときどき>きゅうせんせいの>くさ>いおりを>ほうもんしてにちようなどには>いちにち>あそんでかえるくらい、>このかぞくとは>えんりょの>ない>あいだがらである。「>おくさん。>よか>てんきで>ござります」と>からつ>なまりか>なにかで>さいくんの>まえに>ずぼんの>まま>たて>ひざを>つく。「>おや>たたら>さん」「>せんせいは>どこぞ>でな>すったか」「>いいえ>しょさいに>います」「>おくさん、>せんせいの>ごと>べんきょうし>なさるとどくです>ばい。>たまの>にちようだ>もの、>あなた」「>わたしに>いっても>だめだから、>あなたが>せんせいに>そうおっしゃい」「>それ>ばってんが……」と>いい>かけた>さんぺい>くんは>ざしき>ちゅうを>み>まわり>わして「>きょうは>ごじょう>さんも>み>えんな」と>はんぶん>さいくんに>きいている>や>いなや>つぎのま>からと>ん>こと>すん>こが>馳け>で>してくる。「>たたら>さん、>きょうは>ごすしを>もってきて？」と>あねの>とん>こは>せんじつの>やくそくを>おぼえていて、>さんぺい>くんの>かおを>みる>や>いなや>さいそくする。>たたら>くんは>あたまを>かきながら「>よう>おぼえている>のう、>このつぎは>きっと>もってきます。>きょうは>わすれた」と>はくじょうする。「>いやーだ」と>あねが>いうといもうとも>すぐまねを>して「>いやーだ」と>つける。>さいくんは>ようやく>ごきげんが>なおってしょうしょうえがおに>なる。「>すしは>もってこんが、>やまのいもは>あげたろう。>ごじょう>さん>喰べ>なさったか」「>やまのいもって>なあに？」と>あねが>きくといもうとが>こんども>またまねを>して「>やまのいもって>なあに？」と>さんぺい>くんに>たずねる。「>まだくい>なさらんか、>はやくごはは>あ>さんに>にておもらい。>からつの>やまのいもは>とうきょう>のとは>ちがってうまか>あ」と>さんぺい>くんが>くに>じまんを>すると、>さいくんは>ようやく>きがついて「>たたら>さん>せんだっては>ごしんせつに>たくさん>ありがとう」「>どうです、>喰べてみな>すったか、>おり>れん>ように>はこを>あつらえ>ら>えて>かたく>つめてきたから、>ながい>ままでありましたろう」「>ところがせっかく>した>すった>やまのいもを>ゆうべ>どろぼうに>とら>れてしまって」「ぬ>す>とうが？　>ばかな>やつですなあ。>そげんやまのいもの>すきな>おとこが>おりますか？」と>さんぺい>くん｜>だいに>かんしんしている。「>ごはは>あ>さま、>ゆうべ>どろぼうが>はいいったの？」と>あねが>たずねる。「>ええ」と>さいくんは>かるく>こたえる。「>どろぼうが>はいいって――>そうして――>どろぼうが>はいいって――>どんなかおを>してはいいったの？」と>こんどは>いもうとが>きく。>このきもんには>さいくんも>なんと>こたえてよいか>わからんので「>こわい>かおを>してはいいりました」と>へんじを>してたたら>くんの>ほうを>みる。「>こわい>かおって>たたら>さん>みた>ような>かおな>の」と>あねが>きのどく>そうにも>なく、>おしかえしてきく。「>なにですね。>そんなしつれいな>ことを」「>はははは>わたしの>かおは>そんなに>こわいですか。>こまったな」と>あたまを>かく。>たたら>くんの>あたまの>こうぶには>ちょっけい>いっすんばかりの>かむろが>ある。>いちかげつ>まえから>でき>だしていしゃに>みてもらったが、>まだよういに>癒り>そうも>ない。>このかむろを>だいいち>ばんに>みつけた>のは>あねの>とん>こである。「>あら>たたら>さんの>あたまは>ごはは>さまの>ように>ひかり>かってよ」「>だまっていらっしゃいと>いうのに」「>ごはは>あ>さま>ゆうべの>どろぼうの>あたまも>ひかり>かっ>てて」と>これは>いもうとの>しつもんである。>さいくんと>たたら>くんとは>おもわずふきだしたが、>あまりわずらわしくてはなしも>なにも>できぬ>ので「>さあ>さあごぜん>さん>たちは>すこしごにわへ>でておあそび>なさい。>いまに>ごはは>あ>さまが>よい>ごかしを>あげるから」と>さいくんは>ようやく>こどもを>おいやって「>たたら>さんの>あたまは>どうした>の」と>まじめに>きいてみる。「>むしが>くいました。>なかなか癒りません。>おくさんも>あんな>さるか」「>やだわ、>むしが>くうなんて、>そりゃまげで>つる>ところは>おんなだからすこしは>はげ>ますさ」「>かむろは>みんな>ばく>てりやです>ばい」「>わたし>のは>ばく>てりやじゃ>ありません」「>そりゃおくさん>いじ>はりたい」「>なにでも>ばく>てりやじゃ>ありません。>しかしえいごで>かむろの>ことを>なんとか>いうでしょう」「>かむろは>ぼーるどとか>いいます」「>いいえ、>それじゃない>の、>もっと>ながい>なが>あるでしょう」「>せんせいに>きいたら、>すぐわかりましょう」「>せんせいは>どうしても>おしえてくださらないから、>あなたに>きく>んです」「>わたしは>ぼーるどより>しりませんが。>ちょうかって、>どげんですか」「>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすと>いう>んです。>おたんちんと>いう>のが>かむろと>いう>じで、>ぱ>れお>ろ>がすが>あたまな>んでしょう」「>そうかも>しれません>たい。>いまに>せんせいの>しょさいへ>おこなってうぇぶすたーを>ひいてしらべてあげましょう。>しかしせんせいも>よほど>かわってい>なさいます>な。>このてんきの>よいのに、>うちに>じっと>して――>おくさん、>あれじゃ>いびょうは>癒りませんな。>ちと>うえのへでも>はなみに>でかけ>なさる>ごと>すすめ>なさい」「>あなたが>つれだしてください。>せんせいは>おんなの>いう>ことは>けっして>きかない>ひとですから」「>このころでも>じゃむを>なめ>なさるか」「>え>え>そう>かわらず>で>す」「>せんだって、>せんせい>こぼしてい>なさいました。>どうも>つまが>おれの>じゃむの>なめ>かたが>はげしいと>いってこまるが、>おれは>そんなに>なめる>つもりはない。>なにか>かんじょうちがいだろうと>いい>なさるから、>そりゃごじょう>さんや>おくさんが>いっしょに>なめ>なさるに>違>ない――」「>いやな>たたら>さんだ、>なにだって>そんな>ことを>いう>んです」「>しかしおくさんだって>なめ>そうな>かおを>してい>なさる>ばい」「>かおで>そんなことが>どうして>わかります」「>わからん>ばってんが――>それじゃおくさん>すこしも>なめ>なさらんか」「>そりゃすこしは>なめ>ますさ。>なめたって>よいじゃ>ありませんか。>うちの>ものだ>もの」「>はははは>そうだろうと>おもった――>しかしほんの>こと、>どろぼうは>とんだ>さいなんでしたな。>やまのいもばかり>もってぎょうた>のですか」「>やまのいもばかりなら>こまりゃ>しませんが、>ふだん>ぎを>みんな>とっていきました」「>さっそくこまりますか。>またしゃっきんを>しなければならんですか。>このねこが>いぬなら>よかったに――>おしい>ことを>したなあ。>おくさん>いぬの>だいか>やつを>ぜひいっちょう>かい>なさい。――>ねこは>だめです>ばい、>めしを>くうばかりで――>ちっとは>ねずみでも>とりますか」「>いちひきも>とった>ことは>ありません。>ほんとうに>おうちゃくな>ず々>ずうずうしい>ねこですよ」「>いや>そりゃ、>どうも>こうも>ならん。>そうそうすて>なさい。>わたしが>もらっていってにてくおうか>しらん」「>あら、>たたら>さんは>ねこを>たべる>の」「>くいました。>ねこは>むねう>ござります」「>ずいぶんごうけつね」　>かとうな>しょせいの>うちには>ねこを>くう>ような>やばん>じんが>ある>よしは>かねて>でんぶんしたが、>わがはいが>ひろ｜>けんこを>辱>う>する>たたら>くん>そのひとも>またこの>どうるい>ならんとは>いまが>いままで>ゆめにも>しらなかった。>いわんや>どうくんは>すでに>しょせいではない、>そつぎょうの>ひは>あさきにも>かかわらず>どうどうたる>いちこの>ほうがく>しで、>むっつ>い>ぶっさん>かいしゃの>やくいんである>のだからわがはいの>きょうがくも>また>いちと>とおりではない。>ひとを>みたら>どろぼうと>おもえと>いう>かくげんは>かんげつ>だいに>せいの>こういによって>すでに>しょうこだて>られたが、>ひとを>みたら>ねこ>ぐいと>おもえとは>わがはいも>たたら>くんの>おかげによって>はじめてかんとくした>しんりである。>よに>すめばことを>しる、>ことを>しるは>うれしいがひにひに>きけんが>おおくて、>ひにひに>ゆだんが>ならなく>なる。>こうかつに>なる>のも>ひれつに>なる>のも>ひょうり>にまい>あわせの>ごしん>ふくを>つける>のも>みな>ごとを>しる>の>けっかであって、>ことを>しる>のは>としを>とる>の>つみである。>ろうじんに>ろくな>ものが>いない>のは>このりだな、>わがはいな>ども>あるいはいまの>うちに>たたら>くんの>なべの>なかで>たまねぎとともに>じょうぶつする>ほうが>とくさくかも>しれんと>かんがえてすみの>ほうに>ちいさく>なっていると、>さいぜん>さいくんと>けんかを>していったん>しょさいへ>ひきあげた>しゅじんは、>たたら>くんの>こえを>ききつけて、>のそのそ>ちゃのまへ>でてくる。「>せんせい>どろぼうに>あい>なさった>そうですな。>なん>ち>ゅ>ぐな>ことです」と>へきとう>いちばんに>やりこめる。「>はいいる>やつが>ぐ>なんだ」と>しゅじんは>どこまでも>けんじんをもって>じにんしている。「>はいいる>ほうも>ぐだ>ばってんが、>とら>れた>ほうも>あまりけん>こく>はな>かごたる」「>なににも>とら>れる>ものの>ない>たたら>さんの>ような>のが>いちばん>けん>こい>んでしょう」と>さいくんが>此>どは>りょうじんの>かたを>もつ。「>しかしいちばん>ぐな>のは>このねこです>ばい。>ほんに>まあ、>どういう>りょうけんじゃ>ろう。>ねずみは>とらず>どろぼうが>きても>しらんかおを>している。――>せんせい>このねこを>わたしに>くんな>さらんか。>こうしておいたっちゃなにの>やくにも>たちません>ばい」「>やっても>よい。>なにに>する>んだ」「>にて喰べます」　>しゅじんは>もうれつなる>このひとことを>きいて、>う>ふと>きみの>わるい>いじゃく>せいの>えみを>もらしたが、>べつだんの>へんじも>しないので、>たたら>くんも>ぜひ>くいたいとも>いわなかった>のは>わがはいにとって>ぼうがいの>こうふくである。>しゅじんは>やがて>わとうを>てんじて、「>ねこは>どうでも>よいが、>きものを>とら>れた>ので>さむくていかん」と>だいに>しょうちんの>からだである。>なるほど>さむい>はずである。>きのうまでは>わた>いりを>にまい>かさねていた>のに>きょうは>あわせに>はんそでの>しゃつだけで、>あさから>うんどうも>せず>枯>ざし>たぎりであるから、>ふじゅうぶんな>けつえきは>ことごとく>いの>ために>はたらいててあしの>ほうへは>すこしも>じゅんかいしてこない。「>せんせい>きょうしなどを>しておった>ちゃ>とうてい>あかんです>ばい。>ちょっとどろぼうに>あっても、>すぐこまる――>いちちょう>いまから>こうを>かえてじつぎょう>かにでも>なんな>さらんか」「>せんせいは>じつぎょう>かは>いやだから、>そんなことを>いったって>だめよ」　と>さいくんが>そばから>たたら>くんに>へんじを>する。>さいくんは>むろん>じつぎょう>かに>なってもらいたい>のである。「>せんせい>がっこうを>そつぎょうして>なんねんに>なんな>さるか」「>ことしで>きゅうねん>めでしょう」と>さいくんは>しゅじんを>かえりみる。>しゅじんは>そうだとも、>そうで>ないとも>いわない。「>きゅうねん>たっても>げっきゅうは>あがらず。>いくら>べんきょうしても>ひとは>ほめちゃくれず、>ろう>きみ>どく>せきばくです>たい」と>ちゅうがく>じだいで>おぼえた>しの>くを>さいくんの>ために>ろうぎんすると、>さいくんは>ちょっとわかり>かねた>ものだからへんじを>しない。「>きょうしは>むろん｜>いやだが、>じつぎょう>かは>なお>きらいだ」と>しゅじんは>なにが>すきだか>こころの>うらで>かんがえているらしい。「>せんせいは>なにでも>いやな>んだから……」「>いやでない>のは>おくさんだけですか」と>たたら>くん｜>えに>にあわぬ>じょうだんを>いう。「>いちばん>いやだ」>しゅじんの>へんじは>もっとも>かんめいである。>さいくんは>よこを>むいてちょっときよし>したが>ふたたびしゅじんの>ほうを>みて、「>いきていらっしゃる>のも>ごいやな>んでしょう」と>じゅうぶん>しゅじんを>へこました>つもりで>いう。「>あまりすいてはおらん」と>ぞんがい｜>のんきな>へんじを>する。>これでは>ての>つけようがない。「>せんせい>ちっと>かっぱつに>さんぽでも>し>なさらんと、>からだを>こわしてしまいます>ばい。――>そうしてじつぎょう>かに>なんな>さ>い。>きんなんか>もうける>のは、>ほんに>ぞうさも>ない>ことで>ござります」「>すこしも>もうけも>せん>くせに」「>まだあなた、>きょねん>やっと>かいしゃへ>はいいったばかりです>もの。>それでもせんせいより>ちょちくが>あります」「>どのくらい>ちょちくしたの？」と>さいくんは>ねっしんに>きく。「>もう>ごじゅう>えんに>なります」「>いったい>あなたの>げっきゅうは>どのくらいな>の」>これも>さいくんの>しつもんである。「>さんじゅう>えんです>たい。>そのうちを>まいつき>ごえん｜>あて>かいしゃの>ほうで>あずかってつんでおいて、>いざと>いう>ときに>やります。――>おくさん>こづかい>ぜにで>そとぼり>せんの>かぶを>すこしかい>なさらんか、>いまから>さんよん>かげつすると>ばいに>なります。>ほんに>すこしきんさえ>あれば、>すぐ>にばいにでも>さんばいにでも>なります」「>そんなごきんが>あればどろぼうに>あったって>こまりゃ>しないわ」「>それだからじつぎょう>かに>かぎると>いう>んです。>せんせいも>ほうかでも>やってかいしゃか>ぎんこうへでも>で>なされば、>いまごろは>つきに>さんよん>ひゃくえんの>しゅうにゅうは>あります>のに、>おしい>ことで>ござんしたな。――>せんせい>あのすずき>とうじゅうろうと>いう>こうがく>しを>しっ>て>なさるか」「>うん>きのう>きた」「>そうでござん>すか、>せんだって>ある>えんかいで>あいました>とき>せんせいの>ごはなしを>したら、>そうか>きみは>く>さや>くんの>ところの>しょせいを>していた>のか、>ぼくも>く>さや>くんとは>むかし>し>こいしかわの>てらで>いっしょに>じすいを>しておった>ことが>ある、>こんど>おこなったら>よろしく>いうて>くれ、>ぼくも>そのうち>たずねるからと>いっていました」「>ちかごろ>とうきょうへ>きた>そうだな」「>え>え>いままで>きゅうしゅうの>たんこうに>おりましたが、>こないだ>とうきょう｜>つめに>なりました。>なかなかうまいです。>わたし>なぞにでも>ほうゆうの>ように>はなします。――>せんせい>あのおとこが>いくら>もらっ>てると>おもい>なさる」「>しらん」「>げっきゅうが>にひゃく>ごじゅう>えんで>ぼんくれに>はいとうが>つきますから、>なにでも>へいきん>よんご>ひゃくえんに>なります>ばい。>あげな>おとこが、>よ>かしこ>とっておるのに、>せんせいは>りーだー>せんもんで>じゅうねん｜>いちきつね>裘>じゃばか>きております>な>あ」「>じっさいばか>きているな」と>しゅじんの>ような>ちょうぜん>しゅぎの>ひとでも>きんせんの>かんねんは>ふつうの>にんげんと>ことなる>ところはない。>いなこんきゅうするだけに>ひといちばい>きんが>ほしい>のかも>しれない。>たたら>くんは>じゅうぶん>じつぎょう>かの>りえきを>ふいちょうしてもう>いう>ことが>なくなった>ものだから「>おくさん、>せんせいの>ところへ>みず>しま>かんげつと>いう>ひとが>きますか」「>ええ、>よく>いらっしゃいます」「>どげんな>じんぶつですか」「>たいへん>がくもんの>できる>ほうだ>そうです」「>こうだんしですか」「>ほ>ほ>ほ>ほ>たたら>さん>くらいな>ものでしょう」「>そうですか、>わたしくらいな>ものですか」と>たたら>くん>まじめである。「>どうして>かんげつの>なを>しっている>のか>い」と>しゅじんが>きく。「>せんだって>あるる>ひとから>たのま>れました。>そんなことを>きくだけの>かちの>ある>じんぶつでしょうか」>たたら>くんは>きかぬ>さきから>すでに>かんげつ>いじょうに>かまえている。「>きみより>よほど>えらい>おとこだ」「>そうでございますか、>わたしより>えらいですか」と>わらいも>せず>いかりも>せぬ。>これが>たたら>くんの>とくしょくである。「>ちかぢか>はかせに>なりますか」「>こんろんぶんを>かい>てる>そうだ」「>やっぱり>ばかですな。>はかせ>ろんぶんを>かくなんて、>もうすこしはなせる>じんぶつかと>おもったら」「>そう>かわらず、>えらい>けんしきですね」と>さいくんが>わらいながらいう。「>はかせに>なったら、>だれとかの>むすめを>やるとか>やらんとか>いうて>いましたから、>そんなばかが>あろうか、>むすめを>もらう>ために>はかせに>なるなんて、>そんなじんぶつに>くれるより>ぼくに>くれる>ほうが>よほど>ましだと>いってやりました」「>だれに」「>わたしに>みずしまの>ことを>きいてくれと>たのんだ>おとこです」「>すずきじゃないか」「>いいえ、>あのひとにゃ、>まだそんな>ことは>いい>きりません。>むこうは>だいあたまですから」「>たたら>さんは>かげ>べんけい>ね。>うちへ>なんぞ>きちゃたいへん>いばっても>すずき>さんなどの>まえへ>でるとちいさく>なっ>てる>んでしょう」「>ええ。>そうせんと、>あぶないです」「>たたら、>さんぽを>しようか」と>とつぜんしゅじんが>いう。>せんこくから>あわせ>いちまいで>あまりさむいのですこしうんどうでも>したら>あたたかに>なるだろうと>いう>こうから>しゅじんは>このせんれいの>ない>どうぎを>ていしゅつした>のである。>ゆきあたりばったりの>たたら>くんは>むろん｜>しゅんじゅんする>わけが>ない。「>いきましょう。>うえのに>しますか。>いも>ざかへ>おこなってだんごを>くいましょうか。>せんせい>あすこの>だんごを>くった>ことが>ありますか。>おくさん>いちかえ>いってくってごらん。>やわらかくてやすいです。>さけも>のま>せます」と>れいによって>ちつじょの>ない>だべんを>ふるっ>てる>うちに>しゅじんは>もう>ぼうしを>こうむってくつ>だっへ>おりる。　>わがはいは>またしょうしょうきゅうようを>ようする。>しゅじんと>たたら>くんが>うえのこうえんで>どんなまねを>して、>いも>ざかで>だんごを>いくさら>くったか>そのあたりの>いつじは>たんていの>ひつようも>なし、>またびこうする>ゆうきも>ないからずっと>りゃくしてその>あいだ>きゅうようせん>ければならん。>きゅうようは>ばんぶつの>みん>てんから>ようきゅうしてしかるべき>けんりである。>このよに>せいそくすべき>ぎむを>ゆうしてしゅんどうする>ものは、>せいそくの>ぎむを>はたす>ために>きゅうようを>えねばならぬ。>もし>かみ>ありてなんじは>はたらく>ために>うまれ>たり>ねる>ために>なれ>たるに>ひずと>いわばわがはいは>これに>こたえていわん、>わがはいは>おおせのごとく>はたらく>ために>うまれたり>ゆえに>はたらく>ために>きゅうようを>こうと。>しゅじんのごとく>きかいに>ふへいを>ふきこんだまでの>ぼっきょうかんで>す>ら、>ときどきは>にちよう>いがいに>じべんきゅうようを>やるではないか。>たかん>たこんに>してにちや>しんしんを>ろう>する>わがはい>ごとき>しゃは>たとえ>ねこと>いえどもしゅじん>いじょうに>きゅうようを>よう>するは>もちろんの>ことである。>ただせんこく>たたら>くんが>わがはいを>め>してきゅうよういがいに>なんらの>のうも>ない>ぜいぶつの>ごとくに>ののしった>のは>しょうしょうきがかりである。>とかくぶっしょうにのみ>しえきせらるる>ぞくじんは、>ごかんの>しげきいがいに>なんらの>かつどうも>ないので、>たを>ひょうかする>のでも>けいがい>いがいに>わたる>らん>のは>やっかいである。>なにでも>しりでも>はしょって、>あせでも>ださないと>働>ら>いていない>ように>かんがえている。>だるまと>いう>ぼうさんは>あしの>くさるまで>ざぜんを>してすましていたと>いうが、>たとえ>かべの>すきから>つたが>はい>こんでだいしの>め>ぐちを>ふさぐまで>うごかないに>しろ、>ねている>んでも>しんでいる>んでもない。>あたまの>なかは>つねに>かつどうして、>くるわ>しか>むひじりなどと>おつな>りくつを>かんがえこんでいる。>じゅかにも>せいざの>くふうと>いう>のが>ある>そうだ。>これだって>いっしつの>なかに>へいきょしてあんかんと>いざりの>しゅぎょうを>する>のではない。>のう>ちゅうの>かつりょくは>ひといちばい｜>おきに>もえている。>ただがいけん>じょうは>しごく>ちんせいたん>粛の>たいであるから、>てんかの>ぼんがんは>これらの>ちしき>きょしょうをもって>こんすいかしの>いさお>ひとと>み>做>してむようの>ちょうぶつとか>ごくつぶしとか>いり>ら>ざる>ひぼうの>こえを>たてる>のである。>これらの>ぼんがんは>かいかたちを>みてこころを>みざる>ふぐ>なる>しかくを>ゆうしてうまれ>ついた>もので、――>しかもかれの>たたら>さんぺい>くんのごときは>かたちを>みてこころを>みざる>だいいちりゅうの>じんぶつであるから、>このさんぺい>くんが>わがはいを>め>していぬい>屎※>どうとうに>こころえる>のも>もっともだが、>うらむ>らくは>すこしく>ここんの>しょせきを>よんで、>やや>じぶつの>しんそうを>かいし>えたる>しゅじんまでが、>せんばく>なる>さんぺい>くんに>いちも>にも>なく>どういして、>ねこ>なべに>こしょうを>はさむ>けしきの>ない>ことである。>しかしいっぽ>しりぞいてかんがえてみると、>かくまでに>かれらが>わがはいを>けいべつする>のも、>あながち>むりではない。>おおごえは>りじに>はいらず、>ようしゅん>しろ>ゆきの>しには>わ>する>もの>しょうなしの>喩も>ふるい>むかしから>ある>ことだ。>けいたい>いがいの>かつどうを>みる>あたわざる>ものに>むかってき>れいの>こうきを>みよと>つとむ>ゆるは、>ぼうずに>かみを>ゆえと>逼>るがごとく、>まぐろに>えんぜつを>してみろと>いうがごとく、>でんてつに>だっせんを>ようきゅうするがごとく、>しゅじんに>じしょくを>かんこくする>ごとく、>さんぺいに>きんの>ことを>かんがえるなと>いうがごとき>ものである。>必>竟>むりな>ちゅうもんに>すぎん。>しかしながらねこと>いえどもしゃかい>てき>どうぶつである。>しゃかい>てき>どうぶつである>いじょうは>いかに>たかく>みずから>しるべ>置>するとも、>あるる>ていどまでは>しゃかいと>ちょうわしていかねばならん。>しゅじんや>さいくんや>ないしごさん、>さんぺい｜>れんが>わがはいを>わがはい>そうとうに>ひょうかしてくれん>のは>ざんねんながらいたしかたが>ないとして、>ふめいの>けっか>かわを>はいでしゃみせん>やに>うりとばし、>にくを>きざんでたたら>くんの>ぜんに>うえ>す>ような>むふんべつを>やら>れては>ゆゆしきだいじである。>わがはいは>あたまをもって>かつどうすべき>てんめいを>うけてこの>しゃばに>しゅつげんしたほどの>ここん>らいの>ねこであれば、>ひじょうに>だいじな>しんたいである。>ちがねの>こは>どう>陲に>ざせずとの>ことわざも>ある>こと>なれば、>このんで>ちょうまいを>むねとして、>と>らに>われ>みの>きけんを>もとむ>る>のは>たんに>じこの>わざわい>なるのみ>ならず、>またおおいに>てんいに>そむく>わけである。>もうこも>どうぶつ>えんに>はいればくそ>ぶたの>となりに>いを>しめ、>おおとり>かりも>とりやに>なまとりこ>らるればひよこ>にわとりと>まないたを>どうじゅう>す。>いさお>ひとと>そうご>する>いじょうは>くだっていさお>ねこと>かせ>ざるべからず。>いさお>ねこ>たらんと>すればねずみを>とらざるべからず。――>わがはいは>とうとう>ねずみを>とる>ことに>きわめた。　>せんだって>じゅうから>にっぽんは>ろしあと>だいせんそうを>している>そうだ。>わがはいは>にっぽんの>ねこだからむろん>にっぽん｜>贔>まけである。>でき>うべくん>ば>こんせいねこ>りょだんを>そしきしてろしあ>へいを>ひっかいてやりたいと>おもうくらいである。>かくまでに>げんき｜>おうせいな>わがはいの>ことであるからねずみの>いっぴきや>に疋は>とろうと>する>いしさえ>あれば、>ねていても>わけ>なく>とれる。>むかし>し>ある>ひと>とうじ>ゆうめいな>ぜんじに>むかって、>どうしたら>さとれましょうと>きいたら、>ねこが>ねずみを>覘>う>ように>さしゃれと>こたえた>そうだ。>ねこが>ねずみを>とる>ようにとは、>かくさえ>すればそと>ずれ>っ>こは>ござらぬと>いう>いみである。>おんな｜>けん>しゅう>してと>いう>ことわざは>あるがねこ｜>けん>しゅう>してねずみ｜>とり>そんうと>いう>かくげんは>まだない>はずだ。>してみればいかに>けん>こい>わがはいのごとき>ものでも>ねずみの>とれん>はずはあるまい。>とれん>はずはあるまい>どころか>とり>そんう>はずはあるまい。>いままで>とらん>のは、>とりたくないからの>こと>さ。>はるの>びは>きのうのごとく>くれて、>おりおりの>かぜに>さそわるる>はなふぶきが>だいどころの>こししょうじの>やぶれから>とびこんでておけの>なかに>うかぶ>かげが、>うすぐらき>かって>ようの>らんぷの>ひかりに>しろく>みえる。>こんやこそ>おおて>がらを>して、>うち>じゅう>おどろかしてやろうと>けっしんした>わがはいは、>あらかじめ>せんじょうを>みまわってちけいを>のみこんでおく>ひつようが>ある。>せんとうせんは>もちろん>あまりひろかろう>はずが>ない。>たたみ>すうに>したら>よんじょう>しきも>あろうか、>その>いちじょうを>しきってはんぶんは>ながし、>はんぶんは>さかや>やおやの>ごようを>きく>どまである。>へっ>ついは>びんぼう>かってに>にあわぬ>りっぱな>もので>あかの>どう>つぼが>ぴかぴか>して、>うしろは>はめいたの>あいだを>にしゃく｜>のこしてわがはいの>あわび>かいの>しょざいちである。>ちゃのまに>ちかき>ろくしゃくは>ぜん>わん>さら>こばちを>いれる>とだなと>なってせまき>だいどころを>いとど>せまく>しきって、>よこに>さしだす>むきだしの>たなと>すれすれの>たか>さに>なっている。>そのしたに>すり>はちが>あおむけに>おか>れて、>すり>はちの>なかには>しょうおけの>しりが>わがはいの>ほうを>むいている。>だいこんおろし>し、>すり>こうぎが>ならんでかけてある>かたわらに>ひけし>つぼだけが>しょうぜんと>ひかえている。>まっくろに>なった>たる>きの>こうさした>まんなかから>いちほんの>じざいを>おろして、>さきへは>ひらたい>おおきなかごを>かける。>そのかごが>ときどき>かぜに>ゆれておうように>うごいている。>このかごは>なにの>ために>つる>す>のか、>このいえへ>きた>てには>いっこう>ようりょうを>えなかったが、>ねこの>ての>とどかぬ>ため>わざと>しょくもつを>ここへ>いれると>いう>ことを>しってから、>にんげんの>いじの>わるい>ことを>しみじみかんじた。　>これからさくせん>けいかくだ。>どこで>ねずみと>せんそうするかと>いえばむろん>ねずみの>でる>ところでなければならぬ。>いかに>こっちに>べんぎな>ちけいだからと>いって>いちにんで>まちかまえていては>てんで>せんそうに>ならん。>ここにおいてか>ねずみの>でぐちを>けんきゅうする>ひつようが>しょうずる。>どのほうめんから>くるかなと>だいどころの>まんなかに>たってしほうを>み>まわり>わ>す。>なんだか>とうごう>たいしょうの>ような>こころもちが>する。>げじょは>さっきゆに>いってもどってこん。>しょうともは>とくに>ねている。>しゅじんは>いも>ざかの>だんごを>くってかえってきてあいかわらず>しょさいに>ひき>こもっている。>さいくんは――>さいくんは>なにを>しているか>しらない。>おおかた>いねむりを>してやまいもの>ゆめでも>みている>のだろう。>ときどき>もんぜんを>じんりきが>とおるが、>とおりすぎた>あとは>いちだんと>さびしい。>わがけっしんと>いい、>わがいきと>いい>だいどころの>こうけいと>いい、>しへんの>せきばくと>いい、>ぜんたいの>かんじが>ことごとく>ひそうである。>どうしても>ねこ>ちゅうの>とうごう>たいしょうとしか>おもわ>れない。>こういう>きょうかいに>はいるとものすごい>うちに>いっしゅの>ゆかいを>おぼえる>のは>だれ>しも>おなじことであるが、>わがはいは>このゆかいの>そこに>いちだい>しんぱいが>よこ>わっている>のを>はっけんした。>ねずみと>せんそうを>する>のは>かくごの>まえだからなに>疋>らいても>こわくはないが、>でてくる>ほうめんが>めいりょうでない>のは>ふつごうである。>しゅうみつなる>かんさつから>えた>ざいりょうを>そうごうしてみるとそぞくの>いっしゅつする>のには>みっつの>こうろが>ある。>かれ>れ>らが>もし>どぶ>ねずみで>あるならばどかんを>そうて>ながしから、>へっ>ついの>うらてへ>めぐるに>そういない。>そのときは>ひけし>つぼの>かげに>かくれて、>かえりみちを>たってやる。>あるいはみぞへ>ゆを>ぬく>しっくいの>あなより>ふろ>じょうを>うかいしてかってへ>ふいに>とびだすかも>しれない。>そうしたら>かまの>ふたの>うえに>じんどってめの>したに>きた>とき>うえから>とびおりて>いちつかみに>する。>それからと>またあたりを>みまわすととだなの>との>みぎの>したすみが>はんつき>かたちに>くい>やぶら>れて、>かれらの>しゅつにゅうに>びん>なるかの>うたぐが>ある。>はなを>つけてにおいで>みるとしょうしょうねずみ｜>におい。>もし>ここから>とっかんしてでたら、>はしらを>たてに>やりすごしておいて、>よこ>ごうから>あっと>つめを>かける。>もし>てんじょうから>きたらと>うえを>あおぐとまっくろな>すすが>らんぷの>ひかりで>てるや>いて、>じごくを>うらがえしに>つる>した>ごとく>ちょっとわがはいの>てぎわでは>のぼる>ことも、>くだる>ことも>できん。>まさか>あんな>たかい>ところから>おちてくる>ことも>なかろうからと>このほうめんだけは>けいかいを>とく>ことに>する。>それにしてもみかたから>こうげきさ>れる>けねんが>ある。>ひとくちなら>かた>めでも>たいじしてみせる。>にくちなら>どうにか、>こうに>かやって>のける>じしんが>ある。>しかしみつくちと>なるといかに>ほんのう>てきに>ねずみを>とるべく>よきせらるる>わがはいも>ての>つけようがない。>さればと>いってくるまやの>くろ>ごと>きものを>じょせいに>たのんでくる>のも>わがはいの>いげんにかんする。>どうしたら>よかろう。>どうしたら>よかろうと>かんがえてよい>ちえが>でない>ときは、>そんなことは>おこる>き>やはないと>きめる>のが>いちばん>あんしんを>える>ちかみちである。>またほうの>つかない>ものは>おこらないと>かんがえたく>なる>ものである。>まず>せけんを>みわたしてみ>たまえ。>きのう>もらった>はなよめも>きょう>しなんとも>かぎらんではないか、>しかしむこ>どのは>たまつばき>ちよも>やちよもなど、>おめでたい>ことを>ならべてしんぱいらしい>かおも>せんではないか。>しんぱいせん>のは、>しんぱいする>かちが>ないからではない。>いくら>しんぱいしたって>ほうが>つかんからである。>わがはいの>ばあいでも>さんめん>こうげきは>かならずおこらぬと>だんげんすべき>そうとうの>ろんきょはない>のであるが、>おこらぬと>する>ほうが>あんしんを>えるに>べんりである。>あんしんは>ばんぶつに>ひつようである。>わがはいも>あんしんを>ほっする。>よって>さんめん>こうげきは>おこらぬと>きわめる。　>それでもまだしんぱいが>とれぬ>から、>どういう>ものかと>だんだんかんがえてみるとようやく>わかった。>さんこの>けいりゃくの>うち>いずれを>えらんだ>のが>もっとも>とくさくであるかの>もんだいにたいして、>みずから>めいりょうなる>とうべんを>えるに>くるしむからの>はんもんである。>とだなから>でる>ときには>わがはい>これに>おうずる>さくが>ある、>ふろ>じょうから>あらわれる>ときは>これにたいする>けいが>ある、>またながしから>はい>のぼる>ときは>これを>むかえ>うる>せいさんもあるが、>そのうち>どれか>ひとつに>きわめねばならぬと>なるとだいに>とうわくする。>とうごう>たいしょうは>ばる>ちっく>かんたいが>つしまかいきょうを>とおるか、>つがるかいきょうへ>でるか、>あるいはとおく>そうやかいきょうを>めぐるかについて>だいに>しんぱいさ>れた>そうだが、>いま>わがはいが>わがはい>じしんの>きょうぐうから>そうぞうしてみて、>ごこんきゃくの>だん>じつに>ごさっしもうす。>わがはいは>ぜんたいの>じょうきょうにおいて>とうごう>かっかに>にている>のみ>ならず、>このかくだんなる>ちいにおいても>またとうごう>かっかと>よく>くしんを>どうじゅう>する>ものである。　>わがはいが>かく>むちゅうに>なってちぼうを>めぐらしていると、>とつぜんやぶれた>こししょうじが>ひらいてご>さんの>かおが>ぬうと>でる。>かおだけ>でると>いう>のは、>てあしが>ないと>いう>わけではない。>ほかの>ぶぶんは>よめで>よく>みえんのに、>かおだけが>しる>る>しく>つよい>いろを>してはんぜん｜>ひとみ>そこに>おつ>るからである。>ご>さんは>そのへいじょうより>あかき>ほおを>ますますあかく>してせんとうから>かえった>ついでに、>さくやに>こりてか、>はやくから>かっての>と>しめを>する。>しょさいで>しゅじんが>おれの>すてっきを>まくらもとへ>だしておけと>いう>こえが>きこえる。>なにの>ために>ちんとうに>すてっきを>かざる>のか>わがはいには>わからなかった。>まさか>えき>みずの>そうしを>きどって、>りゅう>なを>きこうと>いう>すいきょうでもあるまい。>きのうは>やまのいも、>きょうは>すてっき、>あしたは>なにに>なるだろう。　>よるは>まだあさい>ねずみは>なかなかで>そうに>ない。>わがはいは>たいせんの>まえに>いちと>きゅうようを>ようする。　>しゅじんの>かってには>ひきまどが>ない。>ざしきなら>らんまと>いう>ような>ところが>はば>いちしゃくほど>きりぬか>れてなつ>ふゆ>ふき>とおしに>ひきまどの>だいりを>つとめている。>おし>きも>なく>ちる>ひがんざくらを>さそうて、>さっと>ふきこむ>かぜに>おどろき>ろ>いてめを>さますと、>おぼろづきさえ>いつの>あいだに>さしてか、>かまどの>かげは>ななめに>あげいたの>うえに>かかる。>ねすごしは>せぬかと>にさん>どみみを>ふってかないの>ようすを>うかがうと、>しんと>してさくやのごとく>はしらどけいの>おとのみ>きこえる。>もう>ねずみの>でる>じぶんだ。>どこから>でるだろう。　>とだなの>なかで>こと>ことと>おとが>し>だす。>こざらの>えんを>あしで>おさえて、>ちゅうを>あら>しているらしい。>ここから>でる>わいと>あなの>よこへ>すくんでまっている。>なかなかでてくる>けしきはない。>さらの>おとは>やがて>やんだがこんどは>どんぶりか>なにかに>かかったらしい、>おもい>おとが>ときどき>ごと>ごとと>する。>しかもとを>へだててすぐむこうがわで>やっている、>わがはいの>はな>づらと>きょりに>したら>さんずんも>はなれておらん。>ときどきは>ちょろちょろと>あなの>くちまで>あしおとが>ちかよるが、>またとおのいて>いちひきも>かおを>だす>ものはない。>と>いちまい>むこうに>げんざい>てきが>ぼうこうを>たくましく>しているのに、>わがはいは>じっと>あなの>でぐちで>まっておらねばならん>ずいぶん>きの>ながい>はなしだ。>ねずみは>りょじゅん>わんの>なかで>さかりに>ぶとうかいを>催>うしている。>せめて>わがはいの>はいいれるだけ>ご>さんが>このとを>あけておけばよいのに、>きの>きかぬ>やまだしだ。　>こんどは>へっ>ついの>かげで>わがはいの>あわび>かいが>こ>とりと>なる。>てきは>このほうめんへも>きたなと、>そ>ー>っと>しのびあしで>ちかよるとておけの>あいだから>しっぽが>ちらと>みえ>たぎり>ながしの>したへ>かくれてしまった。>しばらくすると>ふろ>じょうで>う>がい>ちゃわんが>かなだらいに>かちりと>あたる。>こんどは>こうほうだと>ふり>むく>とたんに、>ごすん>ちかく>ある>だいな>やっこが>ひらりと>はみがきの>ふくろを>おとして椽の>したへ>馳>け>こむ。>にがす>ものかと>つづいてとびおりたら>もう>かげも>すがたも>みえぬ。>ねずみを>とる>のは>おもったより>むずかしい>ものである。>わがはいは>せんてんてき>ねずみを>とる>のうりょくが>ない>のか>しらん。　>わがはいが>ふろ>じょうへ>めぐると、>てきは>とだなから>馳け>で>し、>とだなを>けいかいすると>ながしから>とび>のぼり、>だいどころの>まんなかに>がんばっていると>さんほうめん>とも>しょうしょうずつ>さわぎたてる。>こしゃくと>いおうか、>ひきょうと>いおうか>とうてい>かれらは>くんしの>てきでない。>わがはいは>じゅうご>ろくかいは>あちら、>こちらと>きを>つからし>こころを>ろう>ら>してほんそうどりょくしてみたがついに>いちども>せいこうしない。>ざんねんではあるがかかる>こどもを>てきに>しては>いかなるとうごう>たいしょうも>施>こすべき>さくが>ない。>はじめは>ゆうきも>あり>てきがいしんもあり>ひそうと>いう>すうこうな>びかんさえ>あったがついには>めんどうと>ばか>きている>のと>ねむい>のと>つかれたのでだいどころの>まんなかへ>すわった>なり>うごかない>ことに>なった。>しかしうごかんでも>はっぽうにらみを>きめこんでいればてきは>こどもだからだい>した>ことは>できん>のである。>めざす>てきと>おもった>やつが、>ぞんがい>けちな>やろうだと、>せんそうが>めいよだと>いう>かんじが>きえてわるく>いと>いう>ねんだけ>のこる。>わるく>いと>いう>ねんを>とおり>すごすと>はり>ごうが>ぬけてぼ>ーと>する。>ぼ>ーと>した>あとは>かってに>しろ、>どうせ>きの>きいた>ことは>できない>のだからと>けいべつの>ごく>ねむたく>なる。>わがはいは>いじょうの>けいろを>たどって、>ついに>ねむく>なった。>わがはいは>ねむる。>きゅうようは>てき>ちゅうに>あっても>ひつようである。　>よこ>むこうに>ひさしを>むいてひらいた>ひきまどから、>またはなふぶきを>いちかたまりりな>げ>こんで、>はげしき>かぜの>われを>遶ると>おもえば、>とだなの>くちから>だんがんのごとく>とびだした>ものが、>避>くる>あいだも>あら>ばこそ、>かぜを>きってわがはいの>ひだりの>みみへ>くい>つく。>これに>つづく>くろい>かげは>うしろに>めぐるかと>おもう>まもなくわがはいの>しっぽへ>ぶらさがる。>まばたく>あいだの>できごとである。>わがはいは>なにの>もくてきも>なく>きかい>てきに>跳>のぼる。>まんしんの>ちからを>けあなに>こめてこの>かいぶつを>ふりおとそうと>する。>みみに>くい>さがった>のは>ちゅうしんを>うしなってだらりと>わがよこがおに>かかる。>ごむ>かんのごとき>やわら>かき>しっぽの>さきが>おもい>かけ>なく>わがはいの>くちに>はいいる。>屈>竟の>てがかりに、>くだけよとばかり>おを>啣>えながらさゆうに>ふると、>お>のみは>まえばの>あいだに>のこってどうたいは>こしんぶんで>はった>かべに>あたって、>あげいたの>うえに>はねかえる。>おきあがる>ところを>すきま>なく>のしかかれば、>かさを>けたるごとく、>わがはいの>はな>づらを>かすめてつり>だんの>えんに>あしを>ちぢめてたつ。>かれは>たなの>うえから>わがはいを>みおろす、>わがはいは>いたのまから>かれを>みあぐる。>きょりは>ごしゃく。>そのなかに>つきの>ひかりが、>おおはばの>おびを>そらに>はる>ごとく>よこに>さしこむ。>わがはいは>まえあしに>ちからを>こめて、>やっと>ば>かり>たなの>うえに>とびあがろうと>した。>まえあしだけは>しゅび>よく>たなの>えんに>かかったがあとあしは>ちゅうに>もがいている。>しっぽには>さいぜんの>くろい>ものが、>しぬとも>はなれ>る>ま>じき>ぜいで>くい>くだっている。>わがはいは>あやうい。>まえあしを>かけ>えき>えてあし>かかりを>ふかく>しようと>する。>かけ>えき>える>たびに>しっぽの>おもみで>あさく>なる。>にさん>ふんすべればおちねばならぬ。>わがはいは>いよいよ>あやうい。>たな>ばんを>つめで>かきむしる>おとが>がりがりと>きこえる。>これでは>ならぬと>ひだりの>まえあしを>ぬき>えき>える>ひょうしに、>つめを>みごとに>かけ>そんじたのでわがはいは>みぎの>つめ>いちほんで>たなから>ぶら>くだった。>じぶんと>しっぽに>くい>つく>ものの>おもみで>わがはいの>からだが>ぎりぎりと>まわり>わる。>このときまで>みうごきも>せずに>覘>いを>つけていた>たなの>うえの>かいぶつは、>ここぞと>わがはいの>がくを>め>かけてたなの>うえから>いしを>とう>ぐるが>ごとく>とびおりる。>わがはいの>つめは>いちるの>かかりを>うしなう。>みっつの>かたまり>まりが>ひとつと>なってつきの>ひかりを>たてに>きってしたへ>おちる。>つぎの>だんに>のせてあった>すり>はちと、>すり>はちの>なかの>しょうおけと>じゃむの>そら>かんが>おなじく>いちかたまりと>なって、>したに>ある>ひけし>つぼを>さそって、>はんぶんは>みずがめの>なか、>はんぶんは>いたのまの>うえへ>ころがり>だす。>すべてが>しんやに>ただならぬものおとを>たててしにものぐるいの>わがはいの>たましいを>さえ>かんから>しめた。「>どろぼう！」と>しゅじんは>どうまごえを>はりあげてしんしつから>とびだしてくる。>みるとかたてには>らんぷを>さげ、>かたてには>すてっきを>もって、>ねぼけ>めよりは>み>ぶんそうおうの>けいけいたる>ひかりを>はなっている。>わがはいは>あわび>かいの>そばに>おとなしく>してつくばい>うずくまる。>に疋の>かいぶつは>とだなの>なかへ>すがたを>かくす。>しゅじんは>てもちぶさたに「>なんだ>だれだ、>おおきなおとを>さ>せた>のは」と>どきを>おびてあいても>いない>のに>きいている。>つきが>にしに>かたむいた>ので、>しろい>ひかりの>いったいは>はんせつほどに>ほそく>なった。　　　　　　　　>ろく　>こうあつくては>ねこと>いえ>ども>やりきれない。>かわを>ぬいで、>にくを>ぬいでほねだけで>すずみたい>ものだと>えい>よしとしの>しどにー・>すみすとか>いう>ひとが>くるし>がったと>いう>はなしが>あるが、>たとい>ほねだけに>ならなく>とも>よいから、>せめて>このあわ>はいいろの>まだら>いりの>け>ころもだけは>ちょっとあらいはりでも>するか、>もしくはとうぶんの>なか>しつにでも>いれたい>ような>きが>する。>にんげんから>みたら>ねこなどは>としが>ねんじゅうおなじ>かおを>して、>しゅんかしゅうとう>いちまい>かんばんで>おしとおす、>いたって>たんじゅんな>ぶじな>ぜにの>かからない>しょうがいを>おくっている>ように>おもわ>れるかも>しれないが、>いくら>ねこだって>そうおうに>あつ>さ>さむ>さの>かんじはある。>たまには>ぎょうずいの>いちどくらい>あびたくない>ことも>ないが、>なにしろ>このけ>ころもの>うえから>ゆを>つかった>ひには>かわかす>のが>よういな>ことでないからあせ>くさい>のを>がまんしてこの>としに>なるまで>せんとうの>のれんを>もぐった>ことはない。>おりおりは>うちわでも>つかってみようと>いう>きも>おこらんではないが、>とにかく>にぎる>ことが>できない>のだからしかたが>ない。>それを>おもうとにんげんは>ぜいたくな>ものだ。なまで>くってしかるべき>ものを>わざわざにてみたり、>やいてみたり、>すに>つけてみたり、>みそを>つけてみたり>このんでよけいな>てすうを>かけておかたみに>きょうえつしている。>きものだって>そうだ。>ねこの>ように>いちねんじゅう>おなじものを>き>とおせと>いう>のは、>ふかんぜんに>うまれ>ついた>かれらにとって、>ちと>むりかも>しれんが、>なにも>あんなにざったな>ものを>ひふの>うえへ>のせてくらさなくてもの>ことだ。>ひつじの>ごやっかいに>なったり、>この>ごせわに>なったり、>わた>はたの>ごなさけさえ>うけるに>いたっては>ぜいたくは>むのうの>けっかだと>だんげんしても>よいくらいだ。>いしょくは>まず>おおめに>みてかんべんすると>した>ところで、>せいぞんじょう>ちょくせつの>りがいも>ない>ところまで>このちょうしで>おしていく>のは>ごうも>がてんが>いかぬ。>だいいち>とうの>けなどと>いう>ものは>しぜんに>はえる>ものだから、>はなっておく>ほうが>もっとも>かんべんで>とうにんの>ために>なるだろうと>おもうのに、>かれらは>はいらぬ>さんだんを>してしゅじゅ>ざったな>かっこうを>こしらえてとくいである。>ぼうずとか>じしょうする>ものは>いつ>みても>あたまを>あおく>している。>あついと>そのうえへ>ひがさを>かぶる。>さむいと>ときんで>つつむ。>これでは>なにの>ために>あおい>ものを>だしている>のか>しゅいが>たたんではないか。>そうかと>おもうとくしとか>しょうする>むいみな>のこ>さまの>どうぐを>もちいてあたまの>けを>さゆうに>とうぶんしてうれし>がっ>てる>のもある。>とうぶんに>しないと>ななふん>さんふんの>わりあいで>ずがいこつの>うえへ>じんい>てきの>くかくを>たてる。>ちゅうには>このしきりが>つむじを>とおり>すごしてうしろまで>はみだしている>のが>ある。>まるで>がんぞうの>ばしょう>はの>ようだ。>そのつぎには>のうてんを>たいらに>かってさゆうは>まっすぐに>きりおとす。>まるい>あたまへ>しかくな>わくを>はめているから、>うえき>やを>いれた>すぎ>かきねの>しゃせいとしか>うけとれない。>このほか>ごふん>かり、>さんふん>かり、>いちふん>かりさえ>あると>いう>はなしだから、>しまいには>あたまの>うらまで>かりこんでまいなす>いちふん>かり、>まいなす>さんふん>かりなどと>いう>しんきな>やっこが>りゅうこうするかも>しれない。>とにかく>そんなに>うきみを>やつしてどうする>つもりか>わからん。>だいいち、>あしが>よんほん>ある>のに>にほんしか>つかわないと>いう>のから>ぜいたくだ。>よんほん>であるけばそれだけは>かも>いく>わけだ>のに、>いつでも>にほんで>すまして、>のこる>にほんは>とうらいの>ぼうだらの>ように>てもちぶさたに>ぶらさげている>のは>ばかばかしい。>これで>みるとにんげんは>よほど>ねこより>閑な>もので>たいくつの>あまりかような>いたずらを>こうあんしてらくんでいる>ものと>さっせ>られる。>ただおかしい>のは>このひまじんが>よると>さわ>わるとたぼうだ>たぼうだと>さわれ>まわり>わるのみ>ならず、>そのかおいろが>いかにも>たぼうらしい、>わるく>すると>たぼうに>くい>ころさ>れ>はしまいかと>おもわ>れるほど>こせついている。>かれらの>ある>ものは>わがはいを>みてときどき>あんなになったら>きらくで>よかろうなどと>いうが、>きらくで>よければなるがよい。>そんなに>こせこせしてくれと>だれも>たのんだ>わけでもなかろう。>じぶんで>かってな>ようじを>てに>おえぬ>ほど>せいぞうしてくるしい>くるしいと>いう>のは>じぶんで>ひを>かんかん>おこしてあつい>あついと>いう>ような>ものだ。>ねこだって>あたまの>かり>かたを>にじゅう>とおりも>かんがえだす>ひには、>こうきらくに>してはおら>れんさ。>きらくに>なりたければわがはいの>ように>なつでも>け>ころもを>きてとおさ>れるだけの>しゅうぎょうを>するがよろしい。――とは>いう>ものの>しょうしょうあつい。>もう>ころもでは>まったくあつつ>すぎる。　>これでは>いって>せんばいの>ひるねも>できない。>なにか>ないかな、>ながらく>にんげん>しゃかいの>かんさつを>おこたったから、>きょうは>ひさしぶりで>かれらが>よい>きょうに>あくせくする>ようすを>はいけんしようかと>かんがえてみたが、>あいにく>しゅじんは>このてんにかんして>すこぶる>ねこに>ちかい>しょうぶんである。>ひるねは>わがはいに>おとらぬ>くらい>やるし、>ことに>しょちゅう>きゅうか>ごに>なってからは>なにひとつ>にんげんらしい>しごとを>せんので、>いくら>かんさつを>しても>いっこう>かんさつする>ちょう>ごうが>ない。>こんなときに>迷>ていでも>くると>いじゃく>せいの>ひふも>いくぶんか>はんのうを>ていして、>しばらくでも>ねこに>とおざかるだろうに、>せんせい>もう>きても>よい>ときだと>おもっていると、>だれとも>しらず>ふろ>じょうで>ざ>あ>ざ>あ>みずを>あびる>ものが>ある。>みずを>あびる>おとばかりではない、>おりおりおおきな>こえで>そうの>てを>いれている。「>いやけっこう」「>どうも>よい>こころもちだ」「>もう>いっぱい」などと>いえじゅうに>ひびき>わたる>ような>こえを>だす。>しゅじんの>うちへ>きてこんな>おおきなこえと、>こんなぶさほうな>まねを>やる>ものは>ほかにはない。>迷>ていに>きょくって>いる。　>いよいよ>きたな、>これで>きょう>はんにちは>つぶせると>おもっていると、>せんせい>あせを>ふいてかたを>いれてれいのごとく>ざしきまで>ずかずか>のぼってきて「>おくさん、>く>さや>くんは>どうしました」と>よばわりながらぼうしを>たたみの>うえへ>ほうりだす。>さいくんは>となり>ざしきで>はりばこの>がわへ>つっぷしてよい>こころもちに>ねている>さいちゅうに>わん>わんと>なんだか>こまくへ>こたえるほどの>ひびきが>したのではっと>おどろき>ろ>いて、>さめぬ>めを>わざと※って>ざしきへ>でてくると>迷>ていが>さつまじょうふを>きてかってな>ところへ>じんどってしきりに>おうぎ>づかいを>している。「>おや>いら>しゃ>いまし」と>いったがしょうしょう｜>ろうばいの>きみで「>ちっとも>ぞんじませんでした」と>はなの>あたまへ>あせを>かいた>まま>ごじぎを>する。「>いえ、>いま>きたばかりな>んですよ。>こんふろ>じょうで>ご>さんに>みずを>かけてもらってね。>ようやく>いき>かえった>ところで――>どうも>あついじゃ>ありませんか」「>このりょうさんにちは、>ただじっと>しておりましても>あせが>でるくらいで、>たいへん>ごあつうございます。――でも>ごかわりもございませんで」と>さいくんは>いぜんとして>はなの>あせを>とらない。「>ええ>ありがとう。>なに>あついくらいで>そんなに>かわりゃ>しませんや。>しかしこの>あつ>さは>べつものですよ。>どうも>からだが>だるくってね」「>わたし>しなども、>ついに>ひるねなどを>いたした>ことが>ない>んでございますが、>こうあついと>つい――」「>やりますかね。>よいですよ。>ひる>ね>られて、>よる>ね>られりゃ、>こんなけっこうな>ことはないでさあ」と>あいかわらず>のんきな>ことを>ならべてみたがそれだけでは>ふそくと>みえて「>わたしな>ん>ざ、>ねたくない、>しつでね。>く>さや>くんなどの>ように>くる>たんびに>ねている>ひとを>みるとともし>いですよ。>もっともいじゃくに>このあつ>さは>こたえるからね。>じょうぶな>ひとでも>きょうな>んかは>くびを>かたの>うえに>のせ>てる>のが>しさ>ぎで>さあ。>さればと>いってのっ>てる>いじょうは>もぎとる>わけにも>いかず>ね」と>迷>てい>くん>いつに>なく>くびの>しょちに>きゅうしている。「>おくさんな>ん>ざ>くびの>うえへ>まだのっけておく>ものが>ある>んだから、>すわっちゃい>られない>はずだ。>まげの>おもみだけでも>よこに>なりたく>なりますよ」と>いうとさいくんは>いままで>ねていた>のが>まげの>かっこうから>ろけんしたと>おもって「>ほ>ほ>ほ>ぐちの>わるい」と>いいながらあたまを>いじってみる。　>迷>ていは>そんなことには>とんじゃくなく「>おくさん、>きのう>はね、>やねの>うえで>たまごの>ふらいを>してみましたよ」と>みょうな>ことを>いう。「>ふらいを>どうなさった>んでございます」「>やねの>かわらが>あまりみごとに>やけていましたから、>ただおく>のも>もったいないと>おもってね。>ばたを>とかしてたまごを>おとした>んで>さあ」「>あら>まあ」「>ところがやっぱり>てんじつは>おもう>ように>いきませんや。>なかなかはんじゅくに>ならないから、>したへ>おりてしんぶんを>よんでいると>きゃくが>きた>もんだからつい>わすれてしまって、>けさに>なってきゅうに>おもいだして、>もう>だいじょうぶだろうと>のぼってみたら>ね」「>どうなっておりました」「>はんじゅくどころか、>すっかり>ながれてしまいました」「>おや>おや」と>さいくんは>はちの>じを>よせながらかんたんした。「>しかしどよう>ちゅう>あんなにすずしくって、>いまごろから>あつく>なる>のは>ふしぎですね」「>ほんとでございますよ。>せんだって>じゅうは>たんころもでは>さむいくらいでございましたのに、>おとといから>きゅうに>あつく>なりましてね」「>かになら>よこに>はう>ところだがことしの>きこう>はあ>とび>さりを>する>んですよ。>倒>ぎょう>してぎゃく>ほどこす>またかならず>やと>いう>ような>ことを>いっているかも>しれない」「>なんでござん>す、>それは」「>いえ、>なにでも>ない>のです。>どうも>このきこうの>ぎゃくもどりを>する>ところは>まるで>はーきゅりすの>うしですよ」と>ずに>のっていよいよ>へん>ちきり>んな>ことを>いうと、>おおせるかな>さいくんは>わからない。>しかしさいぜんの>倒>ぎょう>してぎゃく>ほどこすで>しょうしょう｜>こりているから、>こんどは>ただ「>へえー」と>いったのみで>といかえさなかった。>これを>といかえさ>れないと>迷>ていは>せっかく>もちだした>かいが>ない。「>おくさん、>はーきゅりすの>うしを>ごぞんじですか」「>そんなうしは>ぞんじません>わ」「>ごぞんじ>ないですか、>ちょっとこうしゃくを>しましょうか」と>いうとさいくんも>それには>およびませんとも>いいかねた>ものだから「>ええ」と>いった。「>むかし>し>はーきゅりすが>うしを>ひっぱってきた>んです」「>そのはーきゅりすと>いう>のは>うしかいででもござん>すか」「>うしかいじゃ>ありませんよ。>うしかいや>いろはの>ていしゅじゃ>ありません。>そのふしは>まれ>臘に>まだぎゅうにく>やが>いっけんも>ない>じぶんの>ことですからね」「>あら>まれ>臘の>おはなししなの？　>そんなら、>そうおっしゃればいいのに」と>さいくんは>まれ>臘と>いう>こくめいだけは>こころえている。「>だってはーきゅりすじゃ>ありませんか」「>はーきゅりすなら>まれ>臘な>んですか」「>え>え>はーきゅりすは>まれ>臘の>えいゆうで>さあ」「>どうりで、>しらないと>おもいました。>それでその>おとこが>どうした>んで――」「>そのおとこが>ね>おくさん>みた>ように>ねむく>なってぐ>う>ぐ>う>ねている――」「>あら>いやだ」「>ねている>あいだに、>ヴぁるかんの>こが>きましてね」「>ヴぁるかんて>なにです」「>ヴぁるかんは>かじやですよ。>このかじやの>せがれが>そのうしを>ぬすんだ>んで>さあ。>ところがね。>うしの>しっぽを>もってぐいぐいひいていった>もんだからはーきゅりすが>めを>さましてうしや>ー>い>うしや>ー>いと>たずねてあるいても>わからない>んです。>わからない>はずで>さあ。>うしの>あしあとを>つけたって>まえの>ほうへ>あるか>してつれていった>んじゃ>ありません>もの、>うしろへ>うしろへと>ひきずっていった>んですからね。>かじやの>せがれに>しては>だいできですよ」と>迷>てい>せんせいは>すでに>てんきの>はなしは>わすれている。「>ときに>ごしゅじんは>どうしました。>そう>かわらず>ごすいですかね。>ごすいも>支>那>じんの>しに>でてくるとふうりゅうだが、>く>さや>くんの>ように>にっかと>してやる>のは>しょうしょうぞくきが>ありますね。>なにの>こと>あ>ない>まいにち>すこしずつ>しんでみる>ような>ものですぜ、>おくさん>ごてすうだがちょっとおこしていらっしゃい」と>さいそくすると>さいくんは>どうかんと>みえて「>ええ、>ほんとに>あれでは>こまります。>だいいち>あなた、>からだが>わる>る>く>なるばかりですから。>こんごはんを>いただいたばかりだ>のに」と>たち>かけると>迷>てい>せんせいは「>おくさん、>ごはんと>うん>やあ、>ぼくは>まだごはんを>いただかない>んですがね」と>へいきな>かおを>してききも>せぬ>ことを>ふいちょうする。「>おや>まあ、>じぶん>どきだ>のに>ちっとも>きがつきませんで――>それじゃなにもございませんがごちゃづけでも」「>いえごちゃづけな>んか>ちょうだいしなくっても>よいですよ」「>それでも、>あなた、>どうせ>ごくちに>あう>ような>ものはございませんが」と>さいくん>しょうしょういやみを>ならべる。>迷>ていは>さとった>もので「>いえごちゃづけでも>ごゆづけでも>ごめん>こうむる>んです。>いま>とちゅうで>ごちそうを>あつらえ>ら>えてきましたから、>そいつを>ひとつ>ここで>いただきますよ」と>とうてい>しろうとには>でき>そうも>ない>ことを>のべる。>さいくんは>たったひとこと「>まあ！」と>いったがその>まあの>なかには>おどろき>ろ>いた>まあと、>きを>わるる>くし>たま>あと、>てすうが>はぶけてありがたいと>いう>まあが>がっぺいしている。　>ところへ>しゅじんが、>いつに>なく>あまりやかましいので、>ねつき>かかった>ねむりを>さかに>しごか>れた>ような>こころもちで、>ふらふらと>しょさいから>でてくる。「>そう>かわらず>やかましい>おとこだ。>せっかく>よい>こころもちに>ねようと>した>ところを」と>あくび交りに>ぶっちょうづらを>する。「>いやごめざめ>かね。>おおとり>ねむりを>おどろかし>まつってはなはだ>そう>すまん。>しかしたまには>よかろう。>さあ>すわり>たまえ」と>どっちが>きゃくだか>わからぬ>あいさつを>する。>しゅじんは>むごんの>まま>ざに>ついてよせぎ>ざいくの>まきたばこ>いりから「>あさひ」を>いちほん>だしてすぱすぱ>すい>はじめたが、>ふと>むこうの>すみに>ころがっている>迷>ていの>ぼうしに>めを>つけて「>きみ>ぼうしを>かったね」と>いった。>迷>ていは>すぐさま「>どうだい」と>じまんらしく>しゅじんと>さいくんの>まえに>さしだす。「>まあ>きれいだ>こと。>たいへん>めが>こまかくってやわらかい>んですね」と>さいくんは>しきりに>なで>まわり>わ>す。「>おくさん>このぼうしは>ちょうほうですよ、>どうでも>いう>ことを>ききますからね」と>げんこつを>かためてぱなまの>よこ>っ>はらを>ぽかりと>はりつけると、>なるほど>いのごとく>こぶしほどな>あなが>あいた。>さいくんが「>へえ」と>おどろく>まもなく、>このたびは>げんこつを>うらがわへ>いれてうんと>突>っ>はるとかまの>あたまが>ぽかりと>とがん>がる。>つぎには>ぼうしを>とってつばと>つばとを>りょうがわから>おし>つぶしてみせる。>つぶれた>ぼうしは>めんぼうで>のばした>そばの>ように>ひらたく>なる。>それを>かたわから>むしろでも>まく>ごとく>ぐるぐる>たたむ。「>どうです>この>とおり」と>まるめた>ぼうしを>かいちゅうへ>いれてみせる。「>ふしぎです>ことねえ」と>さいくんは>きてん>とき>しょういちの>てじなでも>けんぶつしている>ように>かんたんすると、>迷>ていも>そのきに>なった>ものと>みえて、>みぎから>かいちゅうに>おさめた>ぼうしを>わざと>ひだりの>そでぐちから>ひっぱり>だして「>どこにも>きずは>ありません」と>もとの>ごとくに>なおして、>ひとさしゆびの>さきへ>かまの>そこを>のせてくるくると>まわす。>もう>やすめるかと>おもったら>さいごに>ぽんと>うしろへ>ほう>げて>そのうえへ>どう>っ>さりと>しりもちを>ついた。「>きみ>だいじょうぶ>かい」と>しゅじんさえ>けねんらしい>かおを>する。>さいくんは>むろんの>こと>しんぱいそうに「>せっかく>みごとな>ぼうしを>もし>壊>わしでも>しちゃあたいへんですから、>もう>いいかげんに>なすったら>むべ>うござん>しょう」と>ちゅういを>する。>とくいな>のは>もちぬしだけで「>ところが壊>われないからみょうでしょう」と、>くちゃくちゃに>なった>のを>しりの>したから>とりだしてそのまま>あたまへ>のせると、>ふしぎな>ことには、>あたまの>かっこうに>たちまちかいふくする。「>じつに>じょうぶな>ぼうしです>ことねえ、>どうした>んでしょう」と>さいくんが>いよいよ>かんしんすると「>なに>どうも>した>んじゃ>ありません、>もとから>こういう>ぼうしな>んです」と>迷>ていは>ぼうしを>こうむった>まま>さいくんに>へんじを>している。「>あなたも、>あんな>ぼうしを>ごがいに>なったら、>いいでしょう」と>しばらくしてさいくんは>しゅじんに>すすめ>かけた。「>だってく>さや>くんは>りっぱな>むぎわらの>やっこを>もっ>てるじゃ>ありませんか」「>ところがあなた、>せんだって>しょうともが>あれを>ふみ>つぶしてしまいまして」「>おや>おや>そりゃおしい>ことを>しましたね」「>だからこんどは>あなたの>ような>じょうぶで>きれいな>のを>かったら>よかろうと>おもいますんで」と>さいくんは>ぱなまの>あたい>だんを>しらない>ものだから「>これ>に>なさいよ、>ねえ、>あなた」と>しきりに>しゅじんに>かんこくしている。　>迷>てい>くんは>こんどは>みぎの>たもとの>なかから>あかい>けーす>いりの>鋏を>とりだしてさいくんに>みせる。「>おくさん、>ぼうしは>そのくらいに>してこの>鋏を>ごらん>なさい。>これが>またすこぶる>ちょうほうな>やっこで、>これで>じゅうよん>とおりに>つかえる>んです」>この鋏が>でないと>しゅじんは>さいくんの>ために>ぱなま>せめに>なる>ところであったが、>こうに>さいくんが>おんなとして>もってうまれた>こうき>こころの>ために、>このわざわい>うんを>めん>かれた>のは>迷>ていの>きてんと>うん>わんより>むしろ>ぎょうこうの>しあわせだと>わがはいは>かんぱした。「>その鋏が>どうして>じゅうよん>とおりに>つかえます」と>きく>や>いなや>迷>てい>くんは>だいとくいな>ちょうしで「>いま>いちいち>せつめいしますからきいていらっしゃい。>いいですか。>ここに>みかつき>かたちの>かけめが>ありましょう、>ここへ>はまきを>いれてぷ>つりと>くちを>きる>んです。>それからこの>ねに>ち>ょと>ざいくが>ありましょう、>これで>はりがねを>ぽつぽつ>やりますね。>つぎには>ひらたく>してかみの>うえへ>よこに>おくとじょうぎの>ようを>する。>またはの>うらには>ど>さかりが>してあるからもの>ゆびの>だいようも>できる。>こちらの>ひょうには>やす>りが>ついている>これで>つめを>すり>ま>さあ。>ようが>すか。>このさき>きを>らせん>びょうの>あたまへ>さし>こんでぎりぎりまわすとかなづちにも>つかえる。>うんと>つき>こんでこじあけるとたいていの>くぎ>づけの>はこな>ん>ざ>あ>くも>なく>ふたが>とれる。>まった、>こちらの>はの>さきは>きりに>できている。>ここん>ところは>かき>そん>いの>じを>けずる>ばしょで、>ばらばらに>はなすと、>ないふと>なる。>いちばん>しまいに――>さあおくさん、>このいちばん>しまいが>たいへん>おもしろい>んです、>ここに>はえの>め>だまくらいな>おおき>さの>たまが>ありましょう、>ちょっと、>のぞいてごらん>なさい」「>いやです>わ>またきっと>ばかに>なさる>んだから」「>そうしんようが>なくっちゃこまったね。>だが欺>さ>れたと>おもって、>ちょいと>のぞいてごらん>なさいな。>え？　>いやですか、>ちょっとで>いいから」と>鋏を>さいくんに>わたす。>さいくんは>さとし>たばな>げに>鋏を>とりあげて、>れいの>はえの>め>だまの>ところへ>じぶんの>め>だまを>つけてしきりに>覘を>つけている。「>どうです」「>なんだか>まっくろですわ」「>まっくろじゃいけませんね。も>すこししょうじの>ほうへ>むいて、>そう鋏を>ねかさずに――>そうそう>それなら>みえるでしょう」「>おや>まあ>しゃしんですねえ。>どうして>こんなちいさな>しゃしんを>はりつけた>んでしょう」「>そこが>おもしろい>ところで>さあ」と>さいくんと>迷>ていは>しきりに>もんどうを>している。>さいぜんから>だまっていた>しゅじんは>このとき>きゅうに>しゃしんが>みたく>なった>ものと>みえて「>おい>おれにも>ちょっとらん>せろ」と>いうとさいくんは>鋏を>かおへ>おしつけた>まま「>じつに>きれいです>こと、>らたいの>びじんですね」と>いってなかなかはなさない。「>おい>ちょっとごみせと>いうのに」「>まあ>まっていらっしゃいよ。>よし>くし>い>かみですね。>こしまで>ありますよ。>すこしあおむいておそろしい>せの>たかい>おんなだ>こと、>しかしびじんですね」「>おい>ごみせと>いったら、>たいていに>してみせるがいい」と>しゅじんは>だいに>せきこんでさいくんに>くってかかる。「>へえ>ごまち>とお>さま、>たんと>ごらん>あそばせ」と>さいくんが>鋏を>しゅじんに>わたす>ときに、>かってから>ご>さんが>ごきゃく>さまの>ごあつらえが>まいりましたと、>にこの>ざるそばを>ざしきへ>もってくる。「>おくさん>これが>ぼくの>じべんの>ごちそうですよ。>ちょっとごめん>こうむって、>ここで>ぱくつく>ことに>いたしますから」と>ていねいに>ごじぎを>する。>まじめな>ような>ふざけた>ような>どうさだからさいくんも>おうたいに>きゅうしたと>みえて「>さあ>どうぞ」と>かるく>へんじを>し>たぎり>はいけんしている。>しゅじんは>ようやく>しゃしんから>めを>はなして「>きみ>このあつい>のに>そばは>どくだぜ」と>いった。「>なあに>だいじょうぶ、>すきな>ものは>めったに>あたる>もんじゃない」と>蒸>かごの>ふたを>とる。「>うちたては>ありがたいな。>そばの>のびた>のと、>にんげんの>あいだが>ぬけた>のは>ゆらい>たのもしくない>もんだよ」と>やくみを>つゆの>なかへ>いれてむちゃくちゃに>かき>まわり>わ>す。「>きみ>そんなに>わさびを>いれるとからし>らいぜ」と>しゅじんは>しんぱいそうに>ちゅういした。「>そばは>つゆと>わさびで>くう>もんだ>あね。>きみは>そばが>きらい>なんだろう」「>ぼくは>うどんが>すきだ」「>うどんは>まごが>くう>もんだ。>そばの>あじを>かいしない>ひとほど>きのどくな>ことはない」と>いいながらすぎ>はしを>む>ざと>つき>こんでできるだけ>おおくの>ぶんりょうを>にすんばかりの>たか>さに>しゃくい>あげた。「>おくさん>そばを>くうにも>いろいろりゅうぎが>ありますがね。>しょしんの>ものに>かぎって、>む>あんに>つゆを>つけて、>そうしてくちの>うちで>くちゃくちゃ>やっていますね。>あれじゃ>そばの>あじはないですよ。>なにでも、>こう、>いちと>しゃくいに>ひっかけてね」と>いいつつはしを>あげると、>ながい>やつが>せいぞろいを>して>いちしゃくばかり>くうちゅうに>つるしあげ>られる。>迷>てい>せんせい>もう>よかろうと>おもってしたを>みると、>まだ>じゅうに>さんほんの>おが>蒸>かごの>そこを>はなれないです>たれの>うえに>てんめんしている。「>こいつは>ながいな、>どうです>おくさん、>このなが>さ>かげんは」と>またおくさんに>そうの>てを>ようきゅうする。>おくさんは「>ながい>ものでございますね」と>さも>かんしんしたらしい>へんじを>する。「>このながい>やっこ>へ>つゆを>さんぶいち>つけて、>ひとくちに>のんでしまう>んだね。>かんじゃいけない。>かんじゃそばの>あじが>なくなる。>つるつると>いんこうを>すべりこむ>ところがね>うちだよ」と>おもいきってはしを>たかく>あげるとそばは>ようやくの>ことで>ちを>はなれた。>ひだりてに>うける>ちゃわんの>なかへ、>はしを>すこしずつ>おとして、>しっぽの>さきから>だんだんに>ひたすと、>あーきみじすの>りろんによって、>そばの>ひたった>ぶんりょう>だけ>つゆの>かさが>ましてくる。>ところがちゃわんの>なかには>もとから>つゆが>はちぶんめ｜>はいいっているから、>迷>ていの>はしに>かかった>そばの>しはんぶんも>ひたらない>さきに>ちゃわんは>つゆで>いっぱいに>なってしまった。>迷>ていの>はしは>ちゃわんを>さる>ごすんの>うえに>いたってぴたりと>とまった>きり>しばらくうごかない。>うごかない>のも>むりはない。>すこしでも>おろせばつゆが>あふれるばかりである。>迷>ていも>ここに>いたってすこし※>躇の>からだであったが、>たちまちだっとの>ぜいをもって、>くちを>はしの>ほうへ>もっていったなと>おもう>まもなく、>つるつる>ち>ゅ>うと>おんが>していんこう>ふえが>いちに>ど｜>じょうかへ>むりに>うごいたら>はしの>さきの>そばは>きえ>てなく>なっておった。>みると>迷>てい>くんの>りょうめから>なみだの>ような>ものが>いちに>てき｜>め>しりから>ほおへ>ながれだした。>わさびが>きいた>ものか、>のみこむ>のに>ほねが>おれた>ものか>これは>いまだに>はんぜんしない。「>かんしんだなあ。>よく>そんなに>いちどきに>のみこめた>ものだ」と>しゅじんが>けいふくすると「>ごみごとです>ことねえ」と>さいくんも>迷>ていの>てぎわを>げきしょうした。>迷>ていは>なににも>いわないではしを>おいてむねを>にさん>ど｜>たたいたが「>おくさん>ざるは>たいてい>みつくち>はんか>よんくちで>くう>んですね。>それより>てすうを>かけちゃうまく>くえませんよ」と>はんけちで>くちを>ふいてちょっとひといき>いれている。　>ところへ>かんげつ>くんが、>どういう>りょうけんか>このあつい>のに>ごくろうにも>ふゆ>ぼうを>こうむってりょうあしを>ほこり>だらけに>してやってくる。「>いやこうだんしの>ごじゅらいだが、>くい>かけた>ものだからちょっとしっけいしますよ」と>迷>てい>くんは>しゅうじん>かんざの>うらに>あっておくめんも>なく>のこった>蒸>かごを>たいら>げる。>こんどは>せんこくの>ように>めざましい>しょく>かたも>しなかった>かわりに、>はんけちを>つかって、>ちゅうとで>いきを>いれると>いう>ふていさいも>なく、>蒸>かご>ふたつを>やす々と>やってのけた>のは>けっこうだった。「>かんげつ>くん>はかせ>ろんぶんは>もう>だっこうする>のかね」と>しゅじんが>きくと>迷>ていも>そのごから「>かねでん>れいじょうが>おまちかねだからそうそうていしゅつした>ま>え」と>いう。>かんげつ>くんは>れいのごとく>うす>ぎみの>あくい>えみを>もらして「>つみですからなるべく>はやく>だしてあんしんさ>せてやりたい>のですが、>なにしろ>もんだいが>もんだいで、>よほど>ろうりょくの>はいる>けんきゅうを>ようする>のですから」と>ほんきの>さたとも>おもわ>れない>ことを>ほんきの>さたらしく>いう。「>そうさもんだいが>もんだいだから、>そうはなの>いう>とおりにも>ならないね。>もっともあの>はななら>じゅうぶん>はないきを>うかがうだけの>かちは>あるがね」と>迷>ていも>かんげつ>りゅうな>あいさつを>する。>ひかくてきに>まじめな>のは>しゅじんである。「>きみの>ろんぶんの>もんだいは>なんとか>いったっけな」「>かえるの>がんきゅうの>でんどう>さようにたいする>むらさき>がい>こうせんの>えいきょうと>いう>のです」「>そりゃきだね。>さすがは>かんげつ>せんせいだ、>かえるの>がんきゅうは>ふっ>てるよ。>どうだろう>く>さや>くん、>ろんぶん>だっこうまえに>そのもんだいだけでも>かねでん>かへ>ほうちしておいては」>しゅじんは>迷>ていの>いう>ことには>とりあわないで「>きみ>そんなことが>ほねの>おれる>けんきゅうかね」と>かんげつ>くんに>きく。「>ええ、>なかなかふくざつな>もんだいで>す、>だいいち>かえるの>がんきゅうの>れんずの>こうぞうが>そんなたんかんな>ものでありませんからね。>それで>いろいろ>じっけんも>しなくちゃなりませんが>まず>まるい>がらすの>たまを>こしらえてそれから>やろうと>おもっています」「>がらすの>たまなんか>がらす>やへ>いけばわけ>ないじゃないか」「>どうして――>どうして」と>かんげつ>せんせい>しょうしょう｜>そりみに>なる。「>がんらい｜>えんとか>ちょくせんとか>いう>のは>きか>がくてきの>もので、>あのていぎに>あった>ような>りそう>てきな>えんや>ちょくせんは>げんじつ>せかいにはない>もんです」「>ない>もんなら、>はいしたら>よかろう」と>迷>ていが>くちを>だす。「>それでまず>じっけんじょう｜>さしつかえないくらいな>たまを>つくってみようと>おもいましてね。>せんだってから>やり>はじめた>のです」「>できたかい」と>しゅじんが>わけの>ない>ように>きく。「>できる>ものですか」と>かんげつ>くんが>いったが、>これでは>しょうしょうむじゅんだと>きがついたと>みえて「>どうも>むずかしいです。>だんだんすってすこしこっち>がわの>はんけいが>なが>すぎるからと>おもってそっちを>こころもち>おとすと、>さあたいへん>こんどは>むこう>がわが>ながく>なる。>そいつを>ほねを>おってようやく>すりつぶしたかと>おもうとぜんたいの>かたちが>いびつに>なる>んです。>やっとの>おもいで>このいびつを>とるとまたちょっけいに>くるいが>できます。>はじめは>りんごほどな>おおき>さの>ものが>だんだんちいさく>なっていちごほどに>なります。>それでもこんき>よく>やっていると>だいずほどに>なります。>だいずほどに>なっても>まだかんぜんな>えんは>できませんよ。>わたしも>ずいぶんねっしんに>すりましたが――>このしょうがつから>がらす>だまを>だいしょう>ろくこ>すりつぶしましたよ」と>うそだか>ほんとうだか>けんとうの>つかぬ>ところを>ちょうちょうと>のべる。「>どこで>そんなに>すっている>ん>だい」「>やっぱり>がっこうの>じっけんしつです、>あさ>すり>はじめて、>ひるめしの>とき>ちょっとやすんでそれからくらく>なるまで>する>んですが、>なかなからくじゃ>ありません」「>それじゃきみが>ちかごろ>忙が>しい>忙が>しいと>いってまいにち>にちようでも>がっこうへ>いく>のは>そのたまを>すりに>いく>んだね」「>まったくもっかの>ところは>あさから>ばんまで>たまばかり>すっています」「>たま>づくりの>はかせと>なってはいりこみしは――と>いう>ところだね。>しかしその>ねっしんを>きか>せたら、>いかな>はなでも>すこしは>ありがたがるだろう。>じつはせんじつ>ぼくが>ある>ようじが>あってとしょかんへ>おこなってかえりに>もんを>でようと>したら>ぐうぜん｜>ろううめ>くんに>であった>の>さ。>あのおとこが>そつぎょうご>としょかんに>あしが>むくとは>よほど>ふしぎな>ことだと>おもってかんしんに>べんきょうするねと>いったら>せんせい>みょうな>かおを>して、>なに>ほんを>よみに>きた>んじゃない、>こんもんぜんを>とおりかかったら>ちょっとしょうようが>したく>なったからはいしゃくに>たちよった>んだと>いった>んで>だいえみを>したが、>ろううめ>くんと>きみとは>はんたいの>こうれいとして>しんせん>こうむ>もとめに>ぜひいれた>いよ」と>迷>てい>くん>れいのごとく>ながたらしい>ちゅうしゃくを>つける。>しゅじんは>すこしまじめに>なって「>きみ>そうまいにち>まいにち>たまばかり>すっ>てる>のも>よかろうが、>がんらい>いつ>ころ>でき>のぼる>つもりかね」と>きく。「>まあ>このようすじゃ>じゅうねんくらい>かかり>そうです」と>かんげつ>くんは>しゅじんより>のんきに>みうけ>られる。「>じゅうねんじゃ――>もうすこしはやく>すり>あげたら>よかろう」「>じゅうねんじゃはやい>ほうです、>ことに>よるとにじゅう>ねんくらい>かかります」「>そいつは>たいへんだ、>それじゃよういに>はかせにゃ>なれないじゃないか」「>え>え>いちにちも>はやく>なってあんしんさ>してやりたい>のですがとにかく>たまを>すり>あげなくっちゃかんじんの>じっけんが>できませんから……」　>かんげつ>くんは>ちょっとくを>きって「>なに、>そんなに>ごしんぱいには>およびませんよ。>かねでんでも>わたしの>たまばかり>すっ>てる>ことは>よく>しょうちしています。>じつは>にさん>にちまえ>おこなった>ときにも>よく>じじょうを>はなしてきました」と>したりがおに>のべ>たてる。>するといままで>さんにんの>だんわを>わからぬな>がら>けいちょうしていた>さいくんが「>それでもかねだ>さんは>かぞく>ちゅう>のこらず、>せんげつから>おおいそへ>おこなっていらっしゃるじゃ>ありませんか」と>ふしん>そうに>たずねる。>かんげつ>くんも>これには>すこしへきえきの>からだであったが「>そりゃみょうですな、>どうした>んだろう」と>とぼけている。>こういう>ときに>ちょうほうな>のは>迷>てい>くんで、>はなしの>とぎれた>とき、>きまりの>わるい>とき、>ねむく>なった>とき、>こまった>とき、>どんなときでも>かならずよこ>ごうから>とびだしてくる。「>せんげつ>おおいそへ>おこなった>ものに>りょうさんにち>ぜんとうきょうで>あうなどは>しんぴ>てきで>いい。>いわゆるれいの>こうかんだね。>そうしの>じょうの>せつな>ときには>よく>そういう>げんしょうが>おこる>ものだ。>ちょっときくとゆめの>ようだが、>ゆめに>しても>げんじつより>たしかな>ゆめだ。>おくさんの>ように>べつに>おもいも>おもわれも>しない>く>さや>くんの>ところへ>かたづいてしょうがい>こいの>なに>ぶつ>たるを>おかいしに>ならん>ほうには、>ごふしんも>もっともだが……」「>あら>なにを>しょうこに>そんなことを>おっしゃる>の。>ずいぶん｜>けいべつなさるのね」と>さいくんは>ちゅうとから>ふいに>迷>ていに>きりつける。「>きみだって>こいわずらいなんか>した>ことはな>さそうじゃないか」と>しゅじんも>しょうめんから>さいくんに>すけだちを>する。「>そりゃぼくの>えんぶんなどは、>いくら>あっても>みんな>ななじゅう>ごにち>いじょう>けいかしているから、>きみ>かたの>きおくには>のこっていないかも>しれないが――>じつはこれでも>しつれんの>けっか、>このとしに>なるまで>どくしんで>くらしている>んだよ」と>いちじゅん>れつざの>かおを>こうへいに>み>まわり>わ>す。「>ほ>ほ>ほ>ほ>おもしろい>こと」と>いった>のは>さいくんで、「>ばかに>してい>ら>あ」と>にわの>ほうを>むいた>のは>しゅじんである。>ただかんげつ>くんだけは「>どうか>そのかいきゅう>だんを>こうがくの>ために>うかがいたい>もので」と>そう>かわらず>にやにや>する。「>ぼく>のも>おおいた>しんぴ>てきで、>ここいずみ>やくも>せんせいに>はなしたら>ひじょうに>うける>のだが、>おしい>ことに>せんせいは>えいみんさ>れたから、>みの>ところ>はなす>ちょう>ごうも>ない>んだが、>せっかくだからうち>あけるよ。>そのかわり>しまいまで>きんちょうしなくっちゃいけないよ」と>ねんを>おしていよいよ>ほんぶんに>とりかかる。「>かいこするといまを>さる>こと――>ええと――>なんねん>まえだったかな――>めんどうだからほぼ>じゅうご>ろくねん>まえと>しておこう」「>じょうだんじゃない」と>しゅじんは>はなから>ふんと>いきを>した。「>たいへん>ものおぼえが>ごわるいのね」と>さいくんが>ひやかした。>かんげつ>くんだけは>やくそくを>まもってひとことも>いわずに、>はやく>あとが>ききたいと>いう>かぜを>する。「>なにでも>ある>としの>ふゆの>ことだが、>ぼくが>えちごの>くには>かんばら>ぐん>たけのこ>たにを>とおって、>たこ>つぼ>とうげへ>かかって、>これからいよいよ>あいづ>りょうへ>でようと>する>ところだ」「>みょうな>ところだな」と>しゅじんが>またじゃまを>する。「>だまってきいていらっしゃいよ。>おもしろいから」と>さいくんが>せいする。「>ところがにちは>くれる、>みちは>わからず、>はらは>へる、>しかたが>ないからとうげの>まんなかに>ある>いっけんやを>たたいて、>これこれ>かようか>よう>しかじかの>しだいだから、>どうか>とめてくれと>いうと、>ごやすい>ごようです、>さあごあがんな>さ>いと>はだか>ろうそくを>ぼくの>かおに>さし>つけた>むすめの>かおを>みてぼくは>ぶるぶると>悸>えたがね。>ぼくは>そのときから>こいと>いう>くせものの>まりょくを>せつじつに>じかくしたね」「>おや>いやだ。>そんなやまの>なかにも>うつくしい>ひとが>ある>んでしょうか」「>やまだって>うみだって、>おくさん、>そのむすめを>ひとめ>あなたに>みせたいと>おもうくらいですよ、>ぶんきんの>たかしまだに>かみを>ゆいましてね」「>へえー」と>さいくんは>あっけに>とら>れている。「>はいいってみると>はちじょうの>まんなかに>おおきないろりが>きってあって、>そのまわりに>むすめと>むすめの>じいさんと>ばあさんと>ぼくと>よんにん>すわった>んですがね。>さぞ>ごはらが>おへりでしょうと>いいますから、>なにでも>よいからはやく>くわせ>たまえと>せいきゅうした>んです。>するとじいさんが>せっかくの>ごきゃく>さまだからへび>めしでも>たいてあげようと>いう>んです。>さあ>これからが>いよいよ>しつれんに>とりかかる>ところだからしっかりしてきき>たまえ」「>せんせい>しっかりしてきく>ことは>ききますが、>なんぼえちごの>くにだって>ふゆ、>へびが>いやし>ますまい」「>うん、>そりゃいちおうもっともな>しつもんだよ。>しかしこんな>してきな>はなししに>なるとそうりくつにばかり>こうでいしてはいら>れないからね。>きょうかの>しょうせつにゃ>ゆきの>なかから>かにが>でてくるじゃないか」と>いったら>かんげつ>くんは「>なるほど」と>いった>きり>またきんちょうの>たいどに>ふくした。「>そのじぶんの>ぼくは>ずいぶん｜>わるもの>ぐいの>たいちょうで、>いなご、>なめくじ、>あかがえるなどは>くい>あきていた>くらいな>ところだから、>へび>めしは>おつだ。>さっそくごちそうに>なろうと>じいさんに>へんじを>した。>そこでじいさん>いろりの>うえへ>なべを>かけて、>そのなかへ>こめを>いれてぐずぐずに>だした>ものだね。>ふしぎな>ことには>そのなべの>ふたを>みるとだいしょう>じゅうこばかりの>あなが>あいている。>そのあなから>ゆげが>ぷ>う>ぷ>う>ふくから、>うまい>くふうを>した>ものだ、>いなかに>しては>かんしんだと>みていると、>じいさん>ふと>たって、>どこかへ>でていったがしばらくすると、>おおきなざるを>こわきに>いだい>こんでかえってきた。>なにげなく>これを>いろりの>そばへ>おいたから、>そのなかを>のぞいてみると――>いたね。>ながい>やつが、>さむい>もんだから>ごかたみに>とぐろの>まき>くらを>やってかたまり>まっていましたね」「>もう>そんなごはなしは>はいしに>な>さ>いよ。>いやらしい」と>さいくんは>まゆに>はちの>じを>よせる。「>どうして>これが>しつれんの>だいみなもと>いんに>なる>んだからなかなかはいせませんや。>じいさんは>やがて>ひだりてに>なべの>ふたを>とって、>みぎてに>れいの>かたまり>まった>ながい>やつを>むぞうさに>つかまえて、>いきなりなべの>なかへ>ほうりこんで、>すぐうえから>ふたを>したが、>さすがの>ぼくも>そのときばかりは>はっと>いきの>あなが>塞>ったかと>おもったよ」「>もう>ごやめに>な>さ>いよ。>きみの>あくるい」と>さいくん>しきりに>こわ>がっている。「>もうすこしで>しつれんに>なるからしばらくしんぼうしていらっしゃい。>すると>いちふん>たつか>たたない>うちに>ふたの>あなから>かまくびが>ひょいと>ひとつ>でました>のには>おどろき>ろ>きましたよ。>やあ>でたなと>おもうと、>となりの>あなからも>またひょいと>かおを>だした。>またでたよと>いう>うち、>あちらからも>でる。>こちらからも>でる。>とうとう>なべ>ちゅう>へびの>めん>だらけに>なってしまった」「>なんで、>そんなに>くびを>だす>ん>だい」「>なべの>なかが>あついから、>くるしまぎれに>はいだそうと>する>の>さ。>やがて>じいさんは、>もう>よかろう、>ひっぱ>らっしとか>なんとか>いうと、>ばあさんはは>あーと>こたえる、>むすめは>あいと>あいさつを>して、>な々に>へびの>あたまを>もってぐいと>ひく。>にくは>なべの>なかに>のこるが、>ほねだけは>きれいに>はなれて、>あたまを>ひくとともに>ながい>のが>おもしろい>ように>ぬけだしてくる」「>へびの>ほねぬきですね」と>かんげつ>くんが>わらいながらきくと「>まったくの>こと>ほね>抜だ、>きような>ことを>やるじゃないか。>それからふたを>とって、>しゃくしで>もってめしと>にくを>や>たらに>かき>まぜて、>さあめしあがれと>きた」「>くった>のか>い」と>しゅじんが>れいたんに>たずねると、>さいくんは>にがい>かおを>して「>もう>はいしに>なさいよ、>むねが>わる>る>くってごはんも>なにも>たべ>られ>やしない」と>ぐちを>こぼす。「>おくさんは>へび>めしを>めしあがらんから、>そんなことを>おっしゃるが、>まあ>いっぺん>たべてごらん>なさい、>あのあじばかりは>しょうがい>わすれ>られませんぜ」「>おお、>いやだ、>だれが>たべる>もんですか」「>そこでじゅうぶん｜>ご饌も>ちょうだいし、>さむ>さも>わすれるし、>むすめの>かおも>えんりょなく>みるし、>もう>おもい>おく>ことはないと>かんがえていると、>おやすみ>なさい>ましと>いう>ので、>たびの>ろうれも>ある>ことだから、>おっしゃにしたがって、>ごろりと>よこに>なると、>すまん>わけだがぜんごを>ぼうきゃくしてねてしまった」「>それからどうなさいました」と>こんどは>さいくんの>ほうから>さいそくする。「>それからみょうちょうに>なってめを>さましてからが>しつれんで>さあ」「>どうか>なさった>んですか」「>いえべつに>どうもしや>しませんがね。>あさ>おきてまきたばこを>ふかしながらうらの>まどから>みていると、>むこうの>かけひの>そばで、>やかん>あたまが>かおを>あらっている>んで>さあ」「>じいさんか>ばあさんか」と>しゅじんが>きく。「>それが>さ、>ぼくにも>しきべつし>にくかったから、>しばらくはいけんしていて、>そのやかんが>こちらを>むく>だんに>なっておどろき>ろ>いたね。>それが>ぼくの>はつこいを>した>さくやの>むすめ>なんだ>もの」「>だってむすめは>しまだに>ゆっているとさっきいった>じゃないか」「>ぜんやは>しまだ>さ、>しかもみごとな>しまだ>さ。>ところがよくあさは>がんやく>かん>さ」「>ひとを>ばかに>してい>ら>あ」と>しゅじんは>れいによって>てんじょうの>ほうへ>しせんを>そらす。「>ぼくも>ふしぎの>きょく>ないしん>しょうしょう｜>こわく>なったから、>なお>よそながらようすを>うかがっていると、>やかんは>ようやく>かおを>あらい>りょうって、>そば>えの>いしの>うえに>おいてあった>たかしまだの>かつらを>むぞうさに>こうむって、>すましてうちへ>はいいった>んで>なるほどと>おもった。>なるほどとは>おもった>ような>ものの>そのときから、>とうとう>しつれんの>はかなき>うんめいを>かこつ>みと>なってしまった」「>くだらない>しつれんも>あった>もんだ。>ねえ、>かんげつ>くん、>それだから、>しつれんでも、>こんなにようきで>げんきが>いい>んだよ」と>しゅじんが>かんげつ>くんに>むかって迷>てい>くんの>しつれんを>ひょうすると、>かんげつ>くんは「>しかしその>むすめが>がんやく>かんでなくってめで>たく>とうきょうへでも>つれておかえりに>なったら、>せんせいは>なお>げんきかも>しれませんよ、>とにかく>せっかくの>むすめが>かむろであった>のは>せんしゅうの>こんじですねえ。>それにしても、>そんなわかい>おんなが>どうして、>けが>ぬけてしまった>んでしょう」「>ぼくも>それについては>だんだんかんがえた>んだがまったくへび>めしを>くい>すぎた>せいに>そういないと>おもう。>へび>めして>え>やつは>のぼせるからね」「>しかしあなたは、>どこも>なんとも>なくてけっこうでございましたね」「>ぼくは>かむろには>ならずに>すんだが、>そのかわりに>このとおり>そのときから>きんがんに>なりました」と>きんぶちの>めがねを>とってはんけちで>ていねいに>ふいている。>しばらくしてしゅじんは>おもいだした>ように「>ぜんたい>どこが>しんぴ>てきな>ん>だい」と>ねんの>ために>きいてみる。「>あのかつらは>どこで>かった>のか、>ひろった>のか>どうかんがえても>いまだに>わからないからそこが>しんぴ>さ」と>迷>てい>くんは>まためがねを>もとのごとく>はなの>うえへ>かける。「>まるで>はなし>し>かの>はなしを>きく>ようでござん>すね」とは>さいくんの>ひひょうであった。　>迷>ていの>だべんも>これで>いちだんらくを>つげたから、>もう>やめるかと>おもいのほか、>せんせいは>さるぐつわでも>はめ>られない>うちは>とうてい>だまっている>ことが>できぬ>せいと>みえて、>またつぎの>ような>ことを>しゃべり>だした。「>ぼくの>しつれんも>にがい>けいけんだが、>あのとき>あのやかんを>しらずに>もらったがさいご>しょうがいの>めざわりに>なる>んだから、>よく>かんがえないと>けん>呑だよ。>けっこんな>んかは、>いざと>いう>まぎわに>なって、>とんだ>ところに>きずぐちが>かくれている>のを>みいだす>ことが>ある>ものだから。>かんげつ>くんなども>そんなに>どうけいしたり※※>したり>ひとりで>むずかし>がら>ないで、>とくと>きを>おちつけてたまを>するがいいよ」と>いやに>いけん>めいた>ことを>のべると、>かんげつ>くんは「>え>え>なるべくたまばかり>すっていたい>んですが、>むこうで>そうさ>せない>んだからよわり>きります」と>わざと>へきえきした>ような>かお>づけを>する。「>そうさ、>くんなどは>せんぽうが>さわぎたてる>んだが、>ちゅうには>こっけいな>のが>あるよ。>あのとしょかんへ>しょうべんを>しに>きた>ろううめ>くんなどに>なるとすこぶる>きだからね」「>どんなことを>した>ん>だい」と>しゅじんが>ちょうしづいてうけたまわ>わる。「>なあに、>こういう>わけ>さ。>せんせい>そのむかし>しずおかの>とうざい>かんへ>とまった>ことが>ある>の>さ。――>たった>いちと>ばんだぜ――>それでその>ばん>すぐに>そこの>げじょに>けっこんを>もうしこんだ>の>さ。>ぼくも>ずいぶん｜>のんきだが、>まだあれほどには>しんかしない。>もっともその>じぶんには、>あのやどやに>ごなつ>さんと>いう>ゆうめいな>べっぴんが>いてろううめ>くんの>ざしきへ>でた>のが>ちょうど>そのごなつ>さんな>のだからむりはないがね」「>むりが>ない>どころか>きみの>なんとかとうげと>まるで>おなじじゃないか」「>すこしにているね、>みを>いうとぼくと>ろううめとは>そんなに>さいはないからな。>とにかく、>そのごなつ>さんに>けっこんを>もうしこんで、>まだへんじを>きかない>うちに>みず>うりが>くいたく>なった>んだがね」「>なに>だって？」と>しゅじんが>ふしぎな>かおを>する。>しゅじんばかりではない、>さいくんも>かんげつも>もうしあわせた>ように>くびを>ひねってちょっとかんがえてみる。>迷>ていは>かまわず>どん>どん>はなしを>しんこうさ>せる。「>ごなつ>さんを>よんでしずおかに>みず>うりはあるまいかと>きくと、>ごなつ>さんが、>なんぼしずおかだって>みず>うりくらいは>ありますよと、>ごぼんに>みず>うりを>やまもりに>してもってくる。>そこでろううめ>くん>くった>そうだ。>やまもりの>みず>うりを>ことごとく>たいらげて、>ごなつ>さんの>へんじを>まっていると、>へんじの>こない>うちに>はらが>いたみ>だしてね、>うーん>うーんと>うなったがすこしも>ききめが>ないからまたごなつ>さんを>よんでこんどは>しずおかに>いしゃはあるまいかと>きいたら、>ごなつ>さんが>また、>なんぼしずおかだって>いしゃくらいは>ありますよと>いって、>てんちげんこうとかいう>せんじ>ぶんを>ぬすんだ>ような>なまえの>どくとるを>つれてきた。>よくあさに>なって、>はらの>いたみも>おかげで>とれてありがたいと、>しゅったつする>じゅうご>ふんまえに>ごなつ>さんを>よんで、>きのう>もうしこんだ>けっこんじけんの>だくひを>たずねると、>ごなつ>さんは>わらいな>がら>しずおかには>みず>うりも>あります、>ごいしゃも>ありますがいちやづくりの>ごよめは>ありませんよと>でていった>きり>かおを>みせなかった>そうだ。>それからろううめ>くんも>ぼく>どうよう>しつれんに>なって、>としょかんへは>しょうべんを>する>ほか>こなく>なった>んだって、>かんがえるとおんなは>つみな>ものだよ」と>いうとしゅじんが>いつに>なく>ひきうけて「>ほんとうに>そうだ。>せんだって>みゅっせの>きゃくほんを>よんだら>そのうちの>じんぶつが>ら>うまの>しじんを>いんようしてこんな>ことを>いっていた。――>はねより>かるい>ものは>ちりである。>ちりより>かるい>ものは>かぜである。>かぜより>かるい>ものは>おんなである。>おんなより>かるい>ものは>むである。――>よく>うがっ>てるだろう。>おんな>なんか>しかたが>ない」と>みょうな>ところで>ちから>あじ>んで>みせる。>これを>うけたまわった>さいくんは>しょうちしない。「>おんなの>かるい>のが>いけないと>おっしゃる>けれども、>おとこの>おもい>んだって>よい>ことはないでしょう」「>じゅういた、>どんなことだ」「>おもいと>いうな>おもい>ことですわ、>あなたの>ような>のです」「>おれが>なんで>おもい」「>おもいじゃ>ありませんか」と>みょうな>ぎろんが>はじまる。>迷>ていは>おもしろ>そうに>きいていたが、>やがて>くちを>ひらいて「>そうあかく>なってかたみに>べんなんこうげきを>する>ところが>ふうふの>しんそうと>いう>ものかな。>どうも>むかしの>ふうふなんて>ものは>まるで>むいみな>ものだったに>ちがいない」と>ひやかす>のだか>しょう>め>る>のだか>あいまいな>ことを>いったが、>それで>やめておいても>よい>ことを>またれいの>ちょうしで>ぬの>衍>して、>したの>ごとく>のべ>られた。「>むかしは>ていしゅに>くち>へんとうなんか>した>おんなは、>いちにんも>なかった>んだって>いうが、>それなら>おしを>にょうぼうに>していると>おなじことで>しもべなどは>いっこう>ありがたくない。>やっぱり>おくさんの>ように>あなたは>おもいじゃ>ありませんかとか>なんとか>いわ>れてみたいね。>おなじにょうぼうを>もつくらいなら、>たまには>けんかの>ひとつ>ふたつ>しなくっちゃたいくつで>しようがないからな。>ぼくの>ははなどと>きたら、>おやじの>まえへ>でてはいと>へいでもち>きっていた>ものだ。>そうして>にじゅう>ねんも>いっしょに>なっている>うちに>てらまいりより>ほかに>そとへ>でた>ことが>ないと>いう>んだからなさけないじゃないか。>もっともおかげで>せんぞ>だいだいの>かいみょうは>ことごとく>あんきしている。>だんじょ>かんの>こうさいだって>そうさ、>ぼくの>しょうともの>じぶんなどは>かんげつ>くんの>ように>いちゅうの>ひとと>がっそうを>したり、>れいの>こうかんを>やってもうろう>たいで>であってみたり>する>ことは>とうてい>できなかった」「>ごきのどく>さまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや？　などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょのきぜんまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ｜>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん｜>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」　>かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきか